「属」することは、本当に幸せなことなのだろうか。

36.遺言

2016-07-02 20:37:50 | 小説
 こうして、思いもよらぬ形で母は逝った。

 母の葬儀には驚くほどたくさんのご友人や近隣の方々が参列してくださり、
私は受付に母の作品をいくつか展示して、個展のような趣きに演出をした。

 通夜・告別式の間中、携帯電話を握りしめ、
ひたすらこの間だけでも父の急変が無いことを祈り続けていた。

 父さん、こらえて。もうちょっとこらえて。
この二日間だけは踏みとどまって――とひたすら祈りながら。

 二日間何事もなく、とは言い難い相変わらずのトラブルはあったものの、
在りし日の母を偲んでくださる方々の心温まるお言葉は本当にありがたく、
母の遺影も心なしか微笑みを浮かべているようで私は少し安心した。

 母の葬儀の翌日、病院の父の元へ向かった私は部屋の前でぎこちない笑顔を作り上げて

「父さん元気? ごめん、仕事が忙しくってちょっと来れんかったの。淋しかった?」

 と明るく語りかけた。

 父は微かに笑い、小さく首を振った。
そして、私のお喋りに付き合ってくれているようだった。

 黙っているのが怖かった。私は無駄に口を動かし、無駄に笑っていた。
父は黙って私を見つめていた。ふと見ると口元が小さく動いていた。
最近はほとんど発語がなくなっていた父だった。

「なに?」

「父さん、なに?」

 と、私は父の口元に耳を寄せた。

 ぜいぜいという息遣いの中で必死で父は何かを話そうとしている。

「し」

「し?」

「あ」

「あ? あ? なん?」

「せ」

 せ? しあせ? しあせって何なのか? 
しらせ? それとも、しあわせ? なのか――。

 そのとき、私にふと蘇った一コマがあった。

 それは離婚して間もない頃、
父と私の二人だけの時間があって私たちは会話もなく黙って外を眺めていたのだ。
不器用な親子の時間が流れていて言葉にならない思いが時間を作っていた。

 そのとき、父がぽつん、と言った。

「時が解決してくれる」

 ぼんやりと父を見返した私に、

「志穂、幸せになれ」

 と、ぶっきら棒に言い置いて父は部屋から出て行った。

「父さん、幸せになれ?」

 父の目から涙がつう、と流れた。

「父さん、幸せになれって言うとるん?」

 もう一度尋ねた私に、父は小さく頷いたようだった。
そして、じっと私を見つめてもう一度微かに父は頷いた。

 これが私と父が最後に交わした会話らしきものだった。
後で聞くと母が亡くなった日に父は病室で大きく目を見開き、
じっと天井の一隅を見つめていたそうだ。

「お父様、ご存知だったと思いますよ。
お母様がお亡くなりになったこと。
黙って小さく何度も頷いてらしてね……
お母様が何かを伝えにいらしてたんでしょうね」

 その日宿直だったというナースが涙ぐみながら私に教えてくれた。
母はまっすぐに父の元へ行ったのか。
そしてあの日、父が最後の渾身の力を振り絞っての言葉は父と母の私への遺言だったのか。

「幸せになってほしい」

 これが二人が私に託した願いだったのか。

 幼い頃から「幸せな子」と呼ばれ続けてきた私は、
そんな二人にとっての祈りだったのだろうか。


つづく


いつもご覧頂きありがとうございます。
この「属」、次回のお話をもっておしまいとなります。

どうかもうしばらく、このお話にお付き合いお願い致します。

最初から読む場合はこちら↓
第一話 誕生日

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