巣立ちました | てんかんなんて飛んでいけ~!

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中2の時に瘨癇を発症した息子へ、お気楽母からのエール♪

でも本当はもっと小さい頃から発症していたようです…

4年間の大学生活も無事卒業を迎え、なんとか息子は社会人として親鳥より巣立っていきました青い鳥

 

な~んて、感傷に浸る暇なんぞない位、慌ただしい3月でありました。

 

「もう家族で旅行することも少なくなるだろう」

と、ダンナが言い出し…(つぅか、既に家族揃っての旅行なんて何年も行ってないわい!)、京都の贅沢な旅館に泊まる旅行を企画。

 

「な~んで住んでる近所にわざわざ泊まんなきゃなんないわけ?」と、

今やスッカリ関西人になってしまった息子は、不満げ・悪スマ

関東人にとって京都は、魅力溢れる観光地ですが…なにか!?

 

で、原爆ドーム見たいという息子のリクエストを聞き入れ、東京から私達が乗った新幹線に京都から息子が合流して、広島・宮島まで足を伸ばして久々の家族旅行となりました。

私は高校の修学旅行以来、35年ぶりの広島で感慨深かったデス。

宮島で1泊の後、京都に戻り、京都の旅館にも宿泊。

そして息子の学生マンションに行き、引っ越しの打ち合わせ。


息子の通う大学の生徒しか居ない学生マンションなんで、卒業式の翌々日までには退去せねばならず、なのに息子の場合、就職先との兼ね合いで荷物の搬送がややこしい。

 

入社後の研修期間(半年~1年弱)は、北陸その他の地でホテル住まい。

本当の赴任先が決まるまで、一人暮らしの時の家財道具は会社負担で引っ越し業者の倉庫預かり。その他の荷物は千葉の自宅へ搬送。

それぞれの搬送日が異なるし、学生マンションの退去日は迫ってるしで、なかなか大変なスケジュールで、結局私は3月中、何度か手伝いで、レッスン後に深夜バスで千葉から京都まで通うハメに…バス 重い荷物運んで、リハビリ中の足が更に痛くなった足

 

バタバタと荷物の整理していて、4年前に入居した時もバタバタのスケジュールだったなぁ、と懐かしく思い出されました。京都の桜もきれいに咲いてたっけなぁ…sakura*01

 

 

月日の経つのは早いと思うのと同時に、この4年間の関西やアメリカでのことが、すべて愛おしい思い出で胸キュンですキュン

発作で倒れて搬送中の救急車から

「未成年なんで、すぐ来てください」

「千葉から直ぐには行けません。もう新幹線の最終も間に合いませんあせる」なんて、こともあった。

大学の医務室から℡が、かかってきたこともあったっけ…

 

息子は、実にあっさりしたものだけど、親は色々と思い出しては、感慨にふけります(笑)

 

幸い、薬がイイ感じなのか、発作は1年ちょっとおさまってくれています。

でも、脳波のてんかん波は相変わらずです。

今の病院は息子に合っている(?)感じなので、北陸に移っても3ヶ月に一度、京都まで通う方向でいます。

 

カミングアウトした会社内でも、今のところ特に問題なく過ごしているようで、本当に大変なのはこれからだと思いますが、やわには育ててないから、何かあっても乗り越えていってくれると信じています。

 

まあ、今どきは病気に関係なく、終身雇用の保障なんて、どんな企業にも無いし、とにかく「頑張れ~」って、感じですガンバレ

 

とにもかくにも子育て終了・万歳~バンザイ

 



        息子(右)

 

 

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ブログを読んでくださっている方から、海外に行く際の病気に対する準備をアップしてください、とメッセージでリクエストされまして…取り敢えずアップいたします。

 

まず英語での診断書を書いてもらっておくことは必須です。

 

薬は、可能な限り長い日数分を出してもらう。

息子は留学の際、事情を説明して半年分出してもらいました。

一般には、3ヶ月までと認識されていますが、実際にはそれ以上の日数分を処方しても大丈夫なんだと、先日TVでも放映されていました。

劣化の恐れがあるので、3ヶ月分までが一般的になっているそうです。

 

それから、「私は、てんかんの病気をもっています」という、英語で書いたカードを数枚用意し、財布やバッグに入れておくようにさせていました。

万が一、倒れた場合に現地の人が、病気を把握できるようにです。

 

これくらいでしょうか…

 

お子さんの発作の頻度によっても変わってくるとは思いますが、お役に立てれば幸いです。

 

 

 

 

 


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