日本男児伝 根本博中将 | 中杉 弘の徒然日記

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「根本博」(後編)・・・金門島で人民解放軍を撃破!台湾で軍神と呼ばれた日本人!

 

 

日本男児伝 根本博中将

 

 日本の英雄と言えば、根本博中将をあげられます。根本中将は、福島県岩瀬郡仁井田村出身です。実家は農家ですが、実父は県庁に勤務していました。

 1904年(明治37年)仙台陸軍地方幼年学校入学。中央幼年学校を経て、1911年(明治44年)陸軍士官学校卒業(23期)しました。席次は509人中13番です。

 1922年(大正11年)陸軍大学校卒業(34期)。席次は60人中9番です。陸軍大学を卒業しないと、将官にはなれません。本当の秀才です。

 大本営参謀になった瀬島隆三は、ものすごい秀才です。30代で大本営参謀になったのです。大本営参謀は、全ての部隊を仕切って統制して、作戦を立てているのですから、頭がよいというだけではありません。

 大日本帝国陸軍に根本博中将がいました。この人は、終戦時に中国大陸にいたのです。天皇陛下の終戦の詔勅により、日本は終戦しました。

 終戦時に内モンゴル(当時は蒙古聯合自治政府(もうこれんごうじちせいふ)に駐屯していた駐蒙軍司令官として、終戦後もなお進攻を続けるソビエト軍と抗戦して、その間に蒙古聯合自治政府内の張家口(ちょうかこう)付近に滞在していた在留邦人4万人は脱出を果たしたのです。

 根本は「理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ軍は断乎之を撃滅すべし。これに対する責任は一切司令官が負う」と、日本軍守備隊に対して命令を下したのです。責任は自分が負うから攻撃を止めるな!」ということです。これぞ、日本男児です!

内蒙古を脱出した4万人の日本人は、三日三晩掛けて天津へ脱出したのです。その後も引揚船に乗るまで日本軍や政府関係者は彼らの食料や衣服の提供に尽力しました。

1946年(昭和21年)8月、根本中将は、最高責任者として、在留日本人の内地帰還と北支那方面の35万将兵の復員を終わらせ、最後の船で帰国しました。

ソ連軍と中共軍の激しい攻撃の間も、根本は中国国民党軍の 作義(ふ さくぎ)と連絡をとっていたのです。

終戦時、中国大陸には日本の軍人・軍属と一般市民が合わせて600万人いましたが、蒋介石は日本軍の引き揚げに協力的で、本来ならば自国の軍隊の輸送を最優先させねばならない鉄道路線を可能な限り日本軍及び日本人居留民の輸送に割り当てたのです。それで根本中将は、日本人を無事に引き上げ船に乗せることができたのです。

それから、何年か経ったある日、根本さんは釣りが趣味だったので、「釣りに行ってくる」と言って、釣り竿をもって出かけたのです。

 それは、ウソで台湾に行ってしまったのです。中国における国民党の敗北が決定的となり、1949年(昭和24年)1月に蒋介石が総統を辞任します。根本中将は、通訳とともに九州の沿岸から台湾へ密航したのです。台湾に到着すると、密航者として投獄されたのです。

根本投獄の報告がかつて交流のあった国府軍上層部に伝わり、台北へ移動して、蔣介石と面会したのです。アメリカは、国民党政府への軍事支援打ち切りを表明しており、孤立無援の状態にあった蔣介石は根本の協力を快く受け入れたのです。

中国名「林保源」として湯恩伯の第5軍管区司令官顧問、中将に任命された。湯恩伯は根本を「顧問閣下」と呼び礼遇した。根本は湯恩伯に対し、厦門を放棄し、金門島を拠点とすることを提案したのです。

台湾の金門島に中共軍が攻めてきて、火を噴いたのです。本当に爆撃して、ドンパチが行われたのです。中共軍が台湾に逃げた蒋介石の軍隊を攻めてきたのです。金門島大事件があったのです。今でも台湾の金門島には、銃弾の跡が生々しく残っています。

金門島に集まった中華人民共和国の輸送船、補給船を根本の作戦で焼き払ったことにより、中華人民共和国側は台湾上陸のための海運力に打撃を受け、また、上陸してきた中華人民解放軍の撃破にも成功して、国民党軍は同島を死守したのです。

 台湾は根本中将のおかげで中共軍に勝ったのです。根本さんと、通訳の2人で小舟に乗って台湾に渡って上陸して捕まり、蒋介石と再会を果たしたのです。根本中将のおかげで蒋介石の国民党軍は中共軍に勝ったのです。

 根本さんは、台湾軍の将校として、指揮したのです。「金門島に上陸した中共軍を一人も返すな!」と命令して、殲滅したのです。それで勝ったのです。根本中将のおかげで台湾は独立できたのです。これぞ、日本男児です!

 根本中将がいなければ、国民党軍はとっくの昔に負けていたのです。かつて、日本が中国大陸から引き揚げるときに、蒋介石から受けた恩を返したのです。その義理人情が素晴らしいのです。蒋介石は日本人を逃がしてくれたのです。その恩に報いて、蒋介石の国民党軍を助けに行ったのです。

 日本は終戦して、軍隊もありません。他国と戦争もできません。、だから、小舟に乗って、通訳と二人で台湾に上陸したのです。その結果、台湾は中共軍に勝って、自由を獲得したのです。

 根本さんは、素知らぬ顔をして、釣り竿をもって自宅に帰ってきたのです。釣りに行って3年経ってから帰ってきたのです。「貴方、ずいぶん長い釣りだったのね」と言われたのです。

 根本さんの釣りに出掛けた時の恰好は、着物を着て下駄をはいて釣り竿をもっていたのです。それから3年経って素知らぬ顔で帰ってきたのです。すごい人です。根本中将は、偉い人です。

 台湾を救ったのは自分だとは言わなかったのです。あくまで秘密の話です。根本中将は立派な日本男児です。いざという場合は、命を捨てるのが日本男児です。侵略するために命を捨てるのではありません。

 いつの時代も侵略はあり得るのです。侵略から日本を守るために、「いざ!」という場合は、根本中将を見習って立派な日本人になっていきましょう。

 

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