年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

虎に翼での監獄法が出てきて思う

2024年05月07日 | 宅老のグチ
虎に翼で明治の監獄法が出てきた。維新後の日本の政治課題は国内の安定と、徳川の時代の条約の改正問題であった。その内容は検疫権・領事裁判権・そして関税自主権であった。明治の20年ごろの条約改正交渉が洩れ、ひと騒動となり、とん挫した。普通の歴史書ではこのようになるのだが、福神漬の成立とその普及の経緯を調べてゆくとその後ろに隠れている旧幕に親しむ人たちの無念さと、強引に薩長の政権の正当化の歴史事実を作ろうとする勢力に対抗する言論機関の存在が見える。
 福島県郡山出身の石井研堂が明治事物起源を著わした。その中で缶詰の始まりという文章で福神漬の事が書かれている。この文章は島原の乱、北方領土、四谷津の守、箱館戦争、お雇い外国人、フィラデルフィア万国博覧会等の文言が入っていて、さらに文言の検証を行うと誤記が多く、これでは日本缶詰協会として文献とはならないとみなされ、日本缶詰協会の日本缶詰史ではコラム扱いとなっている。たた千葉県銚子市などは銚子の缶詰業の所で引用されている。今の日本で福神漬が常時缶詰入りで販売されているのは池之端酒悦の福神漬である。

 条約改正で日本での捕縛時の衛生監獄の状況が問題となっていた。捕縛時の拷問と長期拘束が自白の強要を招いていた。未決状況で留置所内で病死するものが多く、外国の懸念材料となっていた。条約改正のために監獄の整備が条約改正の必要条件となっていた。そのため監獄法を出されると拷問・自白強要が問題となる。
 虎に翼は明治大学の話であるが、明治大学には刑事博物館があって、そこには江戸時代からの責め具、拷問の用具の展示がある。さらに西洋の刑罰の展示もある。その法学部の重要な先生は
尾佐竹 猛(おさたけ たけき)
Takeki Osatake(1880-1946)
大審院判事/明治文化研究者/日本史学者
 明治時代の文化研究の人である。福神漬を調べてゆくと明治10年代の政治問題とその後ろに隠れて比喩となっている刑罰・拷問問題がある。拷問と言論自由からテロへの誘惑があって、さらに弾圧に対抗する行動が弾圧の法整備を促進してゆく事が知るようになる。その頂点が日清戦争の圧勝と言うことでの傲慢さが出て来る。本来は日清戦争は台湾の反乱制御迄見るべきことだけれど、当時の記録からは講和条約で終わりの様になっている。台湾征討戦から昭和20年の敗戦の始まると見ることが出来る。このことを予知していたのは勝海舟と福沢諭吉だった。
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