2PAC 本名:トゥパック・アマル・シャクール 1971年6月16日ニューヨーク市マンハッタン区ハーレム地区出身、生きていたら現在50歳。しかし、彼は25歳という若さでこの世を去った。

 


 25年間の人生を彼は心のままに生きた。やりたい事をやり、行きたいたところ行き、ほしいものを手に入れる。当然、ハーレムで育った彼にとって、この全てを手に入れる方法はただ一つ。暴力だった。
 父と母、共に、ブラックパンサー党(ギャング)のメンバーだったことにより。自然とその道に彼は染まって行った。

                  

 1991年、彼に転機が訪れた。「MCニューヨーク」というMCネームでデジタル・アンダーグラウンドの一員として、レコード・デビューし、その後「2パカリプス・ナウ」で2パックとしてソロ・デビュー。1992年にはブラックムービー「ジュース」に出演、俳優としても成功し、注目される事となった。
 ちなみに、ジュースという映画、彼は主役ではないですが、この映画は、彼のための映画だと、誰もが納得するでしょう。


 こうして、誰もが認めるアーティスト(表現者)となり。人気者になったのですが、同時にギャングでもある。彼の言動と行動は、エスカレートしていった。暴力・ドラック・窃盗などを繰り返し、1995年、レイプ疑惑で4年6ヶ月の判決を受ける。刑務所内でレコード会社と契約し、9ヶ月の服役後、1996年の「カリフォルニア・ラヴ(California Love)」などのヒット曲を多数発表した、。そして1996年9月7日、ラスベガスで友人でもあるマイク・タイソンの試合を観戦後、抗争相手のギャングの一員と思われる男に4発の銃弾をうけ。即死した。

 

 

 はっきり言って、人として良い奴でもなければ、尊敬できる訳でもない。でも私は、表現者(アーティスト)として、生き続けた。彼に刺激を受けました。
 彼が亡くなった日、当然、タイソンの試合に行くことは、抗争相手のギャングに知られていた。というか、関係者なら誰でも知っていたそうです。


 当時、既に彼は、敵対されているギャングに狙われていて、実際に何回か襲われていた。当然、タイソンの試合にいけば狙われる事を分かっていた。しかし、彼はSPなども付けることなく。試合に行った。そして、試合後、撃たれて即死した。
 彼が亡くなったあと、何人かの仲間が言っていたそうです。
 彼の仲間たちは、狙われている事を心配し、いつも言っていたそうです。
「あまり外へ出るな。殺される」と。
 しかし、彼はこう言ったそうです。
「来るなら来い。俺は逃げない。表現者として生きた人生に悔いはない」

 現在でもエミネムを始め、多くのアーティストに影響を与え続けています。歴史上最も偉大な100組のアーティストの中にも入っているそうです。
 けして尊敬はできませんが、私にとって大好きなアーティスト(表現者)です。