バスから、雨上がりの虹 |
ここ最近ずっと、「もう少しでクウェート滞在3ヶ月だから」と、3ヶ月という数字を心の支えにしていたのはなぜだろう。
忙しかったりアラビア語が思うように話せなかったりもどかしい日々の中、3ヶ月経ったら何かが得られるような、満たされるような、そんな気がしていた。
そんな風に過ごしていたら、そろそろ3ヶ月経ってしまうという時期になっていた。
正確な日付ではないが、書きたいと思う気持ちがあるうちに「3ヶ月の思い」を書いておこうと思う。
「3ヶ月」という数字が印象に残っているのは、留学する1年ほど前に大学で参加した国際交流の勉強会での出来事が大きかったのだと思う。
留学生だったか院生だったか忘れてしまったが、「あなたは海外で同じ場所に続けて3ヶ月以上滞在したことがありますか?」と全体に質問を投げかけている人がいた。
長いこと留学して豊富な海外経験を積んでいる彼女なりに、国際交流に関して思うことがあり、伝えたいこともあったのだろう。
留学するかどうか自体を検討している途中だった私にとって、とても印象的な言葉だった。
クウェートに来て3ヶ月経った今、ようやく地に足がついている実感が出てきた。
今、私はクウェートにいるのだという事実を受け入れられるようになったのも実は最近だし、こちらの常識に身体を馴染ませながら生きられるようになったのも本当に最近のこと。
それまでは急に「どうして私はここにいるのか?」などという無意味な自問自答を始めることもあり、本当に苦痛だった。
一言で言ってしまえば「慣れた」のだろうが、「慣れていない」と「慣れた」の間には大きな差があるし、そのどちらが良いとも言い切れる物ではないと思う。
慣れるにつれ、一つ一つの動作を考えてする必要もなくなったし、言葉の不安もなくなった。
知り合いや友達が増え、頼れる人もできて、生活のリズムもつかめてきた。
これらは間違いなく良い変化だ。
一方で、クウェート社会の良くない点や、こちらでは当たり前のことでも私にとっては決して快く思われない習慣が目について、こういった点は本当に嫌いだと思うようになった。
日本では中流階級の庶民として暮らしてきた私が、お金持ちがデフォルトのクウェートで矛盾を感じたり、嫌な思いをしないはずがないと、頭ではわかっている。
それなのに、こんな風に思っていていいのか、私は望んでここに来たはずなのに、といつも思っている。
そして、「そんなことないよ、大丈夫だよ」と励まされたい気持ちが存在しているのも事実だ。
クウェートの価値観が少しずつ私の中にも染み込んでいる。
その最たる物が「インド人」で、クウェートでインド人と言えば出稼ぎ労働者。
お手伝いさんだったり清掃だったり、ブルーカラーの仕事を担うのが彼らで、どうしても私の意に反して「クウェート人より一段階下の階級」に見えてしまう。
良くないとは思っているけれど、それが徐々に当たり前になりつつあって、たまにインドに留学している友達がSNSで書いているものを見ると、はっとすることがある。
多少のトラブルではへこたれなくなった。
しかし、言葉を尽くしても語りがたい気持ちの面でのもやもやが溜まりに溜まっている。
それで、なんだか疲れてしまったから、リフレッシュしたいという気持ちが否めない。
あと2週間ほどで今学期が終わる。
なんとか乗り切ろう、そう自分に言い聞かせている。
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