観音寺城(日本100名城) 5  本丸まで | みどりの木のブログ

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毎日UPでブログ

5年前の更新を再UPしました。

 

前回の続きです。

今回は観音正寺から本丸までです。

 

下図⑨付近です。石段を下りて歩きます。

 

観音正寺境内図です。

 

道の右側の石垣は観音正寺

のものです。

 

 

 

下図の現在地付近です。

石垣の角は算木積ではないので、

戦国時代中期頃の古いものです。

石垣の技術は寺院の建造のため

に発達しましたが、これが築城

に利用されています。算木積は

戦国時代後期に完成された技術

です。

 

下写真に写る案内板です。

散策用マップではないので、仮整備

しかされていないようです。

本谷筋に伝大手道が書かれています。

伝大手道には行けませんでした。

ただ、観音正寺が山麓に移された時

は、使用した表参道には見附もあっ

たので、大手道といえる道ではない

かと考えます。

 

以前にUPした滋賀県教育委員会の

地図では

大手道や追手道が描かれていません。

 

木に地図が貼ってありました。

 

ここから石段を上がります。

上に稲荷社が見えます。

石段を上ると

 

佐々木家累代之霊供養塔とあります。

佐々木信行氏の平成13年建立です。

佐々木家も六角・京極家に分かれて

争い、重臣の反乱もありました。

しかし、戦国時代を通じて守護代な

どに負けなかった六角家でした。

 

供養塔の説明石を拡大しました。

忠臣一同の供養塔とあります。

佐々木家縁者の方か分かりません

でした。有名な同姓同名の方が、

何人かいました。

 

下図⑩付近です。

 

おちゃこ稲荷社は当寺の

鎮守社です。

 

おちゃこ稲荷社を正面から見た

写真です。

社の左奥に供養塔が見えます。

 

⑩からさらに進むと

 

ここで安土城から歩いて来た人

に会いました。観音正寺への道

を教えました。かなり疲れてい

たようです。観音正寺でタクシ

ー呼ぶといいかもです。

 

 

 

下図⑪付近です。

本丸の方に直進します。

左に行くと平井丸に行けます。

 

 

 

上図⑫付近に石垣が見えてきます。

 

石垣部分を拡大すると

 

⑫付近です。

2重の石垣があります。

ここは食違い虎口の可能

性あります。ただ古い城

なので、前回の八幡山山

城や安土城のような枡形

虎口はありません。

 

奥の方にある石垣です。

さらに進むと

 

下図⑫付近の本丸です。

先の方に解説板が見えます。

 

 

今回はここまでで、次回に続く

 

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