ねこ庭の独り言

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『絶頂の一族』- 29 ( 西村氏の安倍晋三氏批判 )

2024-05-08 12:02:58 | 徒然の記

  〈 第3章 叔父・西村正雄 〉・・ ( 西村氏の安倍晋三氏批判 )

 松田氏による、西村氏へのインタビューの続きです。

  ・西村は終戦の4ヶ月前に17才で早逝した姉の和子に話が及ぶと、低い声で怒りを露わにした。

    ・姉の和子は勤労動員で結核に感染し、それがもとで結核性脳膜炎で亡くなった。先立った母も、結核だった。

    ・姉は母親代わりになって私を育ててくれたんです。藤沢の家で、療養しながら亡くなった姉は、ある意味で戦争の犠牲者でしょう。

    ・姉の儚い死に、父が涙をボロボと流し慟哭していた光景を覚えています。

  ・戦争末期の昭和20年、西村は12才だった。旧制湘南中学に入学し、相模湾は米軍上陸の要所とされた。

    ・小学校から、僕は軍国主義の真っ只中にいたのです。近くの辻堂海岸で松林の根を掘らされました。飛行機の燃料代わりにする、松根油を採るためです。

    ・手には、直径約5センチの棍棒を武器として持たされました。「生きて虜囚の辱めを受けず」の精神訓話が徹底して叩き込まれていました。20才までに死ぬと思っていた。

  ・神奈川県下への空爆は、昭和20年4月15日B29・200機による川崎・鶴見地区爆撃、同年5月24日のB29・250機による爆撃、同月29日ののB29・500機、P51・100機による横浜大空襲。これにより、横浜・川崎の二大都市が壊滅的な打撃を受けた。

  ・西村が迎えた終戦の日は、典型的な軍国少年が目標を見失う一方で、母や姉の不幸な死に報いるため、生きながらえる決心をした日だった。

  ・晋三の歴史観に対する、呵責なき批判の原点がここにある。

 松田氏は説明しますが、氏が紹介する西村氏の話のどこに呵責なき批判の原点があるのか、私には理解できません。

    ・占領軍のアメリカが来て、教科書が真っ黒く塗りつぶされた。

    ・新しい社会科やホームルームが出来た。アメリカが来て変わった。

    ・戦争中は、周りが非常にいびつな雰囲気だった。憲兵や特高が目を光らせていて、何より言論の自由がなかった。

  ・西村はそこで一息つくと、唐突にふと語った。

    ・戦争を知る人間が、その体験を戦争を知らない世代に語り継ぐことが、僕の人生の最後の役目です。

    ・戦争を知らない世代には、言うまでもないが僕の甥の安倍晋三も入っている。

 ここで私は、やっと西村氏の人となりが分かりました。敗戦となった日本がGHQの支配下に置かれた時、国民の多くがアメリカの寛大な統治に驚きました。「鬼畜米英」と教えられたのに、やって来た彼らは陽気なアメリカ人でした。

 「銃後の守りを固めよ」「勝つまで我慢 ! 」「戦意高揚、弱音を吐くな」と言われ、耐乏生活を続けてきたのに、ジープで街を走り回るアメリカ兵は子供たちにガムやキャンディーを気前良くれる。

 「これまでの我慢は何だったのか。」「国に騙されたきたのか。」

 呆然とした大人が沢山いましたから、12才の軍国少年だった氏が、「日本だけが、間違った戦争をした悪い国だ。」と言われ、その気になっても不思議はありません。私はここで、吉田元首相の著書『日本を決定した百年』の中の言葉を思い出しました。

  ・結果的には、アメリカの占領政策は、かなりの成功を収めた。理想主義的な改革は、戦後の混乱と絶望の状態にあった日本人に将来への希望を与えた。少なくともそれは日本人の生活を、単なるその日暮らしには終わらせなかった。
 
 つまり西村少年は、アメリカの占領政策によって希望を与えられたことになります。善良で一途な人であるほど強い感激をし、その反動が日本政府と指導者への不信感や怒りに変わりました。日本中の新聞が日本の軍国主義を批判し、連合国を称賛する記事を書いたので、一層世論がその方向へ向きました。
 
 そうなりますと善良な人は、西村氏のような気持になります。私も、アメリカ兵のジープを追いかけ、ガムをもらって喜んだ子供の一人でしたから、氏の気持が分からないではありません。

  ・戦争を知る人間が、その体験を戦争を知らない世代に語り継ぐことが、僕の人生の最後の役目です。

  ・戦争を知らない世代には、言うまでもないが僕の甥の安倍晋三も入っている。

 しかし氏が一流銀行の頭取をした人物なら、こんな考えで終わってはいけません。語り継ぐ戦争とは何を言うのか、その中身が問題です。ウクライナ戦争とイスラエル・ハマスの戦争を見ても、どちらの言い分に正義があるのか当事者以外には分かりません。

 双方が国の歴史と愛国心を背負い、相手を斃さずにおれないほどの怒りを燃やしています。そしておそらくこれが、国際社会で繰り返されてきた過去の戦争です。

 「日本だけが間違った戦争をした。」「悲惨な戦争を二度としてはならない。」

 安部元首相への怒りを燃やす西村氏の中にあるのは、残念ながら「東京裁判史観」であり、一面的な日本批判と言わざるを得ません。「悲惨な戦争を、二度と繰り返してはいけない」という思いは世界共通の願いなのに、なぜ戦争が無くならないのか。第一次世界大戦後に、国際連盟が作られた理由もそこにあったのに、なぜすぐに第二次世界大戦が起きたのか。

 日本の財界のトップにいる人物なら、そこまで考えて欲しいと思います。

 毎年8月15日になるとマスコミが恒例の行事として、「終戦の日特集報道」をします。市井の老人たちが、「二度と戦争をしてはならない。」、「どんなことがあっても悲惨な戦争はダメだ。」とテレビや新聞で語ります。

 西村氏が無名の一般老人ならそれで良いのかもしれませんが、財界のリーダー的立場にいる人物の意見には、相応しくありません。日本政府を憎み、安部元首相を攻撃するのでは、何の解決にもつながりません。

 そうなりますと西村氏の意見に賛成し、氏の言葉を借りて安部元首相を批判する松田氏にも、疑問が生じてきます。感情論ではありませんので、息子たちと「ねこ庭」を訪問される方々にはもっと具体的な説明が要ります。

 終わる予定が伸びますが、大切なことなので次回も氏の説明を紹介いたします。

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