もっちゃんの探歩三昧

歴史探訪や仏像鑑賞、友人との交友をタイムリーに投稿します

天武・持統天皇陵 桧隈大内陵

2024年05月04日 | 御陵印

さすがに飛鳥は観光客が多く、散策路で多くの人と行き交います。

 

そのせいか遊歩道?も無味乾燥な舗装路ではなく、自然に溶け込むよう配慮されているのでしょう。
砂利道ではなく、特殊な工法の舗装路が続きます。

 

奥の森は参拝を終えた、欽明天皇の前方後円墳です。
違和感なく地域の農地に溶け込んでいました。


飛鳥の観光案内版は広域を図示しており、立派な作りになっていました。
中央右寄りに描かれている古墳が欽明天皇陵です。

 

広い生活道を兼ねた道から、人がやっと通れるような細道に変わってきました。
雰囲気が変わって疲れを感じません。

 

これぞ長閑と言わんばかりの光景が展開されます。

 

程なく、遊歩道脇にある「鬼の雪隠」が現れました。
天皇陵巡りの旅ですが、すぐ脇にある史跡に立ち寄らない訳にはいきませんでした。

 

鬼の雪隠と至近距離のやや高い位置に、対となる史跡があると案内されています。
説明書きがなければ見過ごしてしまう場所にありました。
竹藪と言ってよいでしょう。

 

あったのは平べったい石の加工物、「鬼の俎板」と称していますが石棺の基礎部分のようです。

 

鬼の俎板が石棺の礎石で、鬼の雪隠が石棺の蓋にあたると説明されていました。
何かの拍子で石棺の蓋が外れて、転げ落ちたのでしょう。

 

鍬を担いだ地元の方とすれ違います。
農作業ではなく、近くの竹林から筍を採取するとのことでした。
奈良有数の観光地で採れる筍、お味はどんなものでしょうか?

こんもりとした小さな森が、天武・持統天皇の合葬陵です。

 

持統天皇の詠まれた「春過ぎて 夏来るらし 白たえの 衣干したり 天の香具山」と万葉集に納められた歌はあまりにも有名です。
百人一首にも納められた人気の女性天皇陵ですが、残した業績からしても意外に小さく思いました。

 

わが国で初めて条坊制を敷いた藤原京を造営、大宝律令を制定、国の呼び名を倭から日本に代えるなど、多くの事績を残した女性天皇でした。
天皇で初めて火葬されています。

天武・持統天皇合葬陵ですが、オイラの勝手な肩入れで持統天皇に偏った説明になってしまいました。

 

小ぶりな陵を生垣で囲っただけの質素な造りです。

 

こちらが正面の参道なのでしょう。
陵巡りの道順で、やむなく裏側からの参拝になってしまいました。

 

入り口に墓形の説明版がありました。
八角形五段の造りでこれまで見たことのない形でした。

 

これが第四十代天武天皇、第四十一代持統天皇の合葬墓遠景です。

 

天武・持統天皇の御陵印です。

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