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先週末 百花の王 牡丹が見たくて 京都府長岡京市へ。
 
電車では不便な場所にあったので 家人と車ででかけました。
 

乙訓寺 ぼたん祭でした。500円 駐車場無料

 

武烈天皇に継承者がないくて 近江で生まれ 新潟でくらしていた仲哀天皇の五世孫とされる 血統が非常に怪しい 継体天皇が即位 、即位から20年間 豪族の反対で大和に入れず 近隣を転々として過ごしたのだと 学んだことがあります。ここにも暮らし 弟国宮とよばれたそうです。

 

その後 継体天皇の孫 推古天皇の命で ここに聖徳太子が寺を創建しました。

 

光仁天皇が 長子桓武天皇に譲位した際 その同母弟 早良親王を皇太弟に立てたのですが 光仁上皇の死後 藤原種継暗殺事件に関与した疑いで 廃太子、ここに幽閉され 潔白の証明に断食をしましたが 淡路に移送される途中で亡くなりました。


桓武天皇が 藤原式家の皇后乙牟漏の長子 安殿親王(後の平城天皇)に天皇位を継がせたいと 殺させた説もあります。

 

桓武天皇は 小学校の教科書にものってる大帝のイメージがありますが 

 

光仁天皇の長子でありながら 母の身分が低く 即位の可能性のなかった桓武天皇を天皇にするために 

 

藤原式家 良継 百川 兄弟の陰謀で 皇太子 他部親王とその母皇后井上内親王(聖武天皇の娘)が夫光仁天皇を呪ったとの理由で 廃太子 母とともに幽閉され 母子同日に亡くなっているので 殺されたとみられており 桓武天皇の即位と その血統の継続に かなり強引な手が使われました。

 

桓武天皇は生涯 早良親王の怨霊に苦しみました。事件後 皇后乙牟漏(良継の娘) 寵愛していた夫人旅子(百川の娘) が相次いで亡くなり 安殿親王も病気がちになり 天変地異が相次ぎ 建造中の長岡京を捨て 平安京に遷都しました。

 

桓武天皇がこの寺を増築し その子嵯峨天皇(安殿親王の同母弟)の命で 空海がこちらの別当に任命されたそうです。

 

弘法大師像

 

 

 

 

 

 

 

 

 

写真ではわかりませんが 一輪がとても大きくて 華やかさに心うたれました。さすが百花の王。また来年も見たいな

 

 

 

 

 

きがつけば 青紅葉の季節。

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マンホールが紅葉

 

ついでに長岡天満宮へ すごい人でした。きりしまツツジが見事でした。

菅原道真公の別荘があった場所で 藤原時平の陰謀で大宰府に左遷され下向する際 立ち寄られたのだそう。北野天満宮など道真公をまつる天満宮が複数あるのは 道真公が失意のうちに亡くなられたのち 時平が39歳の若さで亡くなり 醍醐天皇の東宮保明親王もなくなり 清涼殿に雷が落ち 数か月後醍醐天皇もなくなったので 道真の怨霊をのせいとされ それを鎮めるためだと 何かで昔読みました。

 

この八條池は後水尾天皇の甥 二代八條宮智忠親王が造営したそう。

 

 

 

 

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藤もいつもまにか咲いていました。急いで三大神社に見に行かないといけない。

春が足早に過ぎ去って行きますね。

 

 

GWに 長男がきて かなりの出費の予定なので 節約のため お昼はスーパーでパンと飲み物を買って 車の中で食べました。

 

読んでくださりありがとうございました。