『秋日和』小津安二郎カラーの空間美学

秋日和(1960)

監督:小津安二郎
出演:原節子、司葉子、岡田茉莉子、佐田啓二、佐分利信etc

評価:90点

おはようございます、チェ・ブンブンです。

一年に一度、小津安二郎を観たくなる時期が来る。今回は久々のカラー時代の小津安二郎ということで『秋日和』を観た。

『秋日和』あらすじ

亡友三輪の七回忌、末亡への秋子は相変らず美しかった。娘のアヤ子も美しく育ちすでに婚期を迎えていた。旧友たち、間官、田口、平山はアヤ子にいいお婿さんを探そうと、ついお節介心を起した。が、アヤ子がまだ結婚する気がないというので、話は立ち消えた。秋子は友達の経営する服飾学院の仕事を手伝い、アヤ子は商事会社に勤めて、親子二人郊外のアパートにつつましく暮している。たまの休みに街に出て一緒に過すのが、何よりのたのしみだった。母も娘も、娘の結婚はまだまだ先のことのように思えた。或る日母の使いで間宮を会社に訪ねたアヤ子は、間宮の部下の後藤に紹介された。後藤はアヤ子の会社に勤める杉山と同窓だった。

映画.comより引用

小津安二郎カラーの空間美学

亡き友の三輪の七回忌の場面から始まる。ふすまによって三層に分断された空間それぞれに位置する人物がさっと立ち上がり奥へと消えていく。木魚の音を繋ぎとして、寂しさを表現する「無」の空間を捉えていく。

登場人物は、短い言葉で淡々と対話する。男たちは未亡人とその娘に結婚をすすめるが一撃必殺の言葉でヌルっと縁談を回避していく。そこには人を傷つける鋭利なものはない。軽やかに結婚を回避していくのである。

今と違って独身は肩身が狭い。若いというだけで、未亡人というだけで結婚を勧められる。そのくどさが淡々とした対話と絶妙に長い上映時間に体現されており、生々しく映る。

しかし、映画はそういった旧来的な体制を声高らかに批判するのではなく、システマティックに動く人間の運動、様式美的空間の中での対話で薄ら批判してみせるのだ。これは生涯独身であった小津安二郎、社会の中で肩身が狭かったであろう彼が編み出した、様式美過ぎて息が詰まるような空間を通じて結婚観を表現する手法の賜物といえよう。