武弘・Takehiroの部屋

万物は流転する 日一日の命
“生涯一記者”は あらゆる分野で 真実を追求する

過去の記事(6)

2024年04月16日 03時12分31秒 | 過去の記事

⑥ 現代の英雄か・・・小出裕章さん 。 アリ(蟻)の話。 福田赳夫氏の回顧録から。 「死の商人」とアメリカ軍需産業 。 酒 。 普天間基地をテニアンへ! 機密費。 平山画伯と竹下元首相 。 遅い日本、速い中国。

現代の英雄か・・・小出裕章さん 

3月11日の東日本大震災、そして福島原発事故と恐るべき災害が日本に起きたが、今月上旬、旅行で国交のない(北)朝鮮を訪れた際も色々な人から質問を受けた。この2つの出来事は、正に世界的なニュースになっているのである。
さて、原発事故から数日後のことだったろうか、私がある方のブログにお邪魔したら小出裕章(こいでひろあき)さんと言う人の記事が載っていた。もちろん初めて知る名であり、小出さんが原子力学者だということが分かった。
私は文系なので、原子力のことはほとんど勉強したことがない。これまで時々、原子力発電所が事故を起こしたりすると、にわか勉強で原発のことを知るだけだった。原発にはまず“無関心”であり、事故が起きてもいつの間にか忘れる感じだった。
ところが、今回の「福島原発事故」は全く違う。余りにも衝撃的な事故だから、忘れようにも忘れられないものとなった。そういう人も大勢いると思う。
もちろん、テレビや新聞が毎日事故のニュースを伝えるので、嫌でも原発のことを知る羽目になったのだ。そうした中で小出裕章さんの名を知ることになったが、インターネットにはほぼ連日、彼のコメントや音声、映像などが載るようになった。
今さら私がくどくどと説明する必要はないが、小出さんは京都大学原子炉実験所の「助教」という肩書である。助教とは以前の「助手」のことである。60歳を超える年齢なのに、彼はなぜ「助教」のままなのか? 始めはそうした疑問が湧いた。
 
すでにご存知の方が多いと思うが、小出さんは原子力学者なのに、原子力に反対する立場を40年以上も貫いてきた。「原子力の平和利用」が叫ばれる中、彼は断固としてそれに反対し、原発の危険性を訴えてきたのだ。
私は最初、可哀そうにこの人は“道”を誤ったのだと考えた。それはそうだろう。自分の専門の道を自ら否定するような生き方をしているのだ。こんな人は滅多にいない。自分の進む道が嫌なら、さっさと他の仕事に乗り換えれば良いではないか。それが普通である。こういう人はだいたい、人生の“落伍者”と烙印を押されるのだ。自分の仕事をいやいやするような人は、栄達するわけがない。だから「助教」のままなのかと思ったのだ。
ところが、京大の原子炉実験所は「熊取六人衆」と呼ばれ、終始一貫、原子力の危険性を追究してきたことを知った。他の学者が原子力の平和利用や有効性を主張してきたのに対し、全く逆のことを訴えてきたのだ。これは国策と完全に反する。
それを知った時、私は驚いた。何という人達が日本にいるのだろうかと。自分の立身出世などは全く意に介さず、国策と全く逆の立場からひたすら研究してきたのだ。だから、小出さんらは「助教」であることを何ら恥とせず、むしろ“誇り”としていたのだろう。
 
原子力に素人の私でも、福島原発事故の状況はずっとフォローしてきた。詳しいことをここで述べる時間はないが、小出さんが指摘したことはほとんど当たっていた。もし間違いがあったとしても、それは東京電力や政府が正確なデータを公表しなかったからだ。また、東電は時々間違ったデータを公表していた。
小出さんの説明は的確で説得力があった。私は目が覚めるような思いをした。読者諸兄も同じような経験をしたのではなかろうか。以来、私はいつの間にか“小出信者”になってしまった(笑)。“教祖”の声が聞こえると心も安らぐ。
2~3日ぐらい小出さんの解説を聞かないと、もどかしくなってくるのだ。原発はどうなっているのかと思うと、必ず小出さんの声を探す。同じように思っている人も多いと見えて、ネットには必ず小出さんの解説が出てくるのだ。
こういう人は珍しい。滅多にいない。人柄も朴訥で実に良い感じだ。最近出版された『原発のウソ』という本が非常に売れているそうだが、もちろんこれは原発事故の影響だから、小出さんは「少しも嬉しくない」と語っていた。また、小出さんは真夏でも研究室の冷房を使わない。「原発が無くても電力は余っている」と言っているくせに、彼は“節電”を心がけているのだ。
 
なんだか、小出さん礼讃の記事になってしまったが、こういう人が日本にいるとは思わなかった。原発事故はもちろん良くないが、そのお陰でこういう方を知ったということは“救い”である。どこにも救いがあるものだ。
個人的なことだが、小出さんが“シニア決死隊”などと呼ばれる「福島原発行動隊」に登録したと聞いて、文系の私はすぐにその賛同・応援者になった。カンパもした。全て小出さんの影響である。
こうして書いていると、ただただ礼讃、絶讃の記事になってしまうが、事実だから仕方がない。小出さんは今や「反原発」の神様、教祖みたいなものだが、そう呼ぶとどうも“非科学的”になるので、ここでは“現代の英雄”としておこう。
フランスの文豪ロマン・ロランは言った。「英雄とは、何か偉大なことを成し遂げた人、行動や思想で勝った人を言うのではない。私が英雄と呼ぶのは、心によって“偉大”な人を言うのだ」 (2011年6月30日)

 

アリ(蟻)の話
 
昔、『黒い絨毯』というアメリカ映画(1954年)を見たことがある。チャールトン・ヘストンとエレノア・パーカーが主演だったが、アリ(蟻)の大群に人間などが襲われるという迫力のある映画だったので、今でも内容はだいたい覚えている。
 調べてみたら、南米アマゾン川の上流地域で「マラブンタ」というアリが大量に移動するストーリーで(1901年)、マラブンタは数百年ごとに集団移動するそうだ。このため、アリが通過する地域の動植物はことごとく食いつくされ、逃げ遅れた人間も食われて骨だけになるという凄まじい内容だった。
 映画では、主人公が経営する農園がマラブンタに襲われ、火を放ったりして防戦するのだが相手が大群なのでどうしようもない。最後に主人公が決死の覚悟で大群の中を突破、水門を開けて“洪水”を起こしアリを流し去るというものだった。黒い絨毯とはマラブンタの大群のことを言うが、とにかく迫力のある映画だった。
 
冒頭にこんな話をしたのは、あのちっぽけなアリが大群になるともちろん怖いが、実はアリというのは極めて利口で、集団生活が得意なのだという。イギリスの有名な自然科学者・ダーウィンも「蟻の脳髄は、人類の脳髄にも優る、もっとも精巧なる細胞より成る」と述べているほどだ。
 ダーウィンなどの研究で知られる大杉栄も、アリの生態について「各々の蟻が互いに食物を分け合わなければならぬということが、その社会のもっとも重要な義務となっている。それも倉に貯えてある食物や道で拾って餌を分け合うばかりではない。誰でもその仲間のものから食物を乞われた場合には、自分が飲み込んですでに半ば消化されている食物をすら、いつでも吐き出して分けて遣らなければならぬことになっている」と語っている。(末尾に、大杉栄の論文をリンクしておく)
 つまり、アナーキストであった大杉は、そこから生物界の「相互扶助」という原理を導き出し、その考えを唱道していくのだが、アリという小動物がいかに集団的社会生活に長けているかの証であろう。
 
アリと言うと、イソップ物語などでは働き者の善玉になっている。「アリとキリギリス」では、よく働くアリを馬鹿にしたキリギリスが後で食べ物に困ってしまう話や、「アリとハト」では、助けてくれた恩返しにハトを狙う猟師に噛みつくなど、なかなか良い役割を演じている。
 ダーウィンや大杉栄に煽られてアリの良い点ばかり述べてしまったが、アリに噛みつかれるとけっこう痛いし、人間の食料をよく食うこともある。害虫の側面もかなりあるのだ。しかし、生態学的に言うと、非常に優れた知恵と能力を持っており、人類がいずれ滅びても、アリは生き残る可能性が大ではないかと考える。そうは言っても、アリに生まれ変わりたいとは思わないが・・・今日はどうも取り留めのない話になってしまった。(2010年10月15日)

大杉栄の論文・http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/osugi09.html

 

福田赳夫氏の回顧録から

2階の書棚を眺めていたら、まだ読んでいない福田赳夫氏(元首相)の『回顧九十年』という本が目に留まった。この本は15年ほど前、福田氏の卒寿(90歳)を記念して岩波書店から発行されたものだが、その記念パーティーでもらったまま中身はほとんど読んでいなかった。
 昔、福田さんの番記者を3年やったので記念に取って置いたのだが、少し興味を持ったので読み始めた。すると、旧大蔵省に入省してからの若い頃の福田氏の話が面白かった。戦後の福田氏の政治歴はだいたい分かっているが、戦前の彼の仕事のことなどはほとんど知らなかったからだ。
 興味を持ったのは、世界大恐慌(1929年)のあと彼がロンドンに赴任していた頃の話だ。ニューヨーク・ウォール街での株価の大暴落のあと世界経済は大混乱に陥ったが、各国が一斉に保護貿易主義に走ったため世界経済は年々縮小、パニック発生以来4年間で、世界貿易が40%、世界のGNP(国民総生産)が30%も縮減したというのだ。これには驚いた。信じられないような話だ。
 日本経済ももちろん最悪の事態になり、農村を支える「米価」は半値に下落、もう一つの目玉である「生糸価格」も6割減になったというのだ。このため、日本の農家は深刻な打撃を受け、娘を売り飛ばしたり夜逃げをする者が続出したという。
 こういう話を読むと、一昨年のリーマン・ショックがいかに凄かったとはいえ、世界経済が30%~40%も縮小したわけではない。昭和初頭の大恐慌に比べれば“可愛い”ものである。そして、どうしようもない状態を脱却するため、1931年(昭和6年)に、軍部はついに「満州事変」を起こす。
 
もう一つ興味を持ったのは、福田氏が帰国後暫くして、陸軍省担当の主計官を7年もやったことだ。当時の陸軍は“日本最強”の組織だったから、その対応は大変だったらしい。(想像しただけでも嫌になる。)軍刀で脅されたり、ある件で憲兵の取り調べを受けたりしているのだ。
 最も印象的だったのは、日本が軍国主義化していく中で、昭和11年度予算をめぐる陸軍省と大蔵省の攻防である。詳しいことを書くスペースはないが、この時は高橋是清大臣を筆頭にして大蔵省が大健闘、3日間・延べ36時間にわたる閣議での闘いを経て、強硬な予算要求をする陸軍に対し、大蔵省は6~7割がたの主張を通したというのだ。
 いわば大蔵省の“判定勝ち”だったのだが、それからわずか3カ月後に2・26事件が勃発、高橋是清大臣は陸軍・皇道派によって惨殺された。それ以降、軍部に睨まれた大蔵省の幹部は次々に“左遷”されていく。福田氏はまだ若く地位が低かったので、陸軍省担当の主計官として残った。(ご苦労さま!)
 
こうした話の中で、私が最も驚いたのが当時の「国家予算」である。昭和11年度予算は大蔵省が善戦健闘したので、軍事予算をだいぶ抑え込んだという。しかし、総枠22億8200万円のうち、軍事費(陸海軍予算)は10億7800万円、実に全体の47,2%を占めているのだ。
 ところが、2・26事件を経て昭和12年度予算になると、軍事費は何と69,0%に跳ね上がった! 総枠47億4200万円のうち、軍事費が32億7100万円になったのである。この急激な軍事費の膨張は、ほとんどが公債で賄われた。大蔵省にとっては最悪のパターンであったろう。
 こうして、日本は来たるべき大戦争へ向けて着々と準備を進めていったが、一主計官に過ぎない“福田君”にとっては、いかんともしがたい事態だったと思う。
 戦後の福田氏の政治歴はだいたい知っているので興味はないが、彼が青雲の志を抱いて大蔵官僚になった若い頃の姿が微笑ましい。あの日本最強の陸軍を相手に、奮闘している「主計官」の姿が凛々しい。福田氏も言っているが、“男子の本懐”とはこういうことなのだろうか。(2010年9月10日)

 

「死の商人」とアメリカ軍需産業 

昔から「死の商人」という言葉がある。嫌な言葉だ。死の商人とは、軍需品を製造・販売して大儲けをする資本家や会社のことだが、彼らにとっては戦争、ないしは戦争の危機がないと商売にならない。したがって、いつでもこの世を戦争状態に持っていこうとする。要するに“ハゲタカ”のような連中なのだ。

「死の商人」の定義はこのくらいにして、オルタナティブ通信の今日の記事(末尾にリンクしておく)によると、アメリカの軍需産業の兵器販売総額は2008年度で、公式には340億ドル、闇取引を含めると2700億ドル余り(約27兆円)に達するという。 この売上高は対前年度比で45%増という物凄いもので、大不況に喘ぐ他の産業を尻目に好景気を謳歌しているのだ。正にアメリカ最大の成長産業なのである。
アメリカに限らず、世界の多くの国は兵器を輸出しては儲けてきた。それは世界中に戦争や内乱などが起こるためであり、また 軍需産業は意図的に戦争を引き起こそうと努力する。よく「軍産複合体」という言葉を聞くが、これは軍需産業と軍部・政府が結託して戦争への準備、あるいは戦争の誘発を進める体制のことである。(少なくとも私はそう理解している。)
世の中が不景気になると、戦争でも起こせといった機運になることがある。今のアメリカがそうなのかどうかは知らないが、軍需産業が大好況ということはそういう面があるのかもしれない。アメリカはイラクから撤兵の方針だが、逆にアフガニスタンへの軍事介入は強めるようだ。それはオバマ大統領の就任演説からも窺えることで、軍需産業はこれからアフガンで大儲けしようとしている。いや、すでにアフガン地域で売上げを急伸させているという。

同じくオルタナティブ通信で興味深い記事を見つけた(これも末尾にリンクしておく)。 日本がアメリカから購入しているパトリオット・ミサイルはレイ・セオン社製だが、その経営者はチェイニー前副大統領である。一方、北朝鮮の核ミサイル開発を行なっているのはイスラエルのアイゼンベルグ社だが、その経営者もチェイニー氏なのである。 ほんまかいなと思ってしまうが、日本と北朝鮮がもし戦争寸前の状態になったら(そんなことは考えたくないが)、双方がミサイルを増強するから、儲かるのはチェイニー氏が経営する会社になるという“仕組み”である。これこそ「死の商人」の典型である。 チェイニー前副大統領はこれまで、湾岸戦争やイラク戦争などで大儲けしてきたが、そのことに触れるのは止めよう。(余談だがアメリカには、アジア人同士を戦争させて疲弊させ、その間に“漁夫の利”を占めようという戦略があることを付言しておく)

日本も戦後間もなく、朝鮮戦争が起きたため「朝鮮特需」で経済が復興した経験を持っている。別に日本が武器を輸出したわけではないが、戦争に絡むいろいろな需要が起き、どん底の経済状態から一気に回復への道を進むことができた。
そう考えると、嫌な言い方だが戦争も“ビジネス・商売”なのだ。アメリカの年間軍事予算は約50兆円、日本の防衛費の10倍ほどの巨額のものだが、米軍需産業はその恩恵にあずかるだけでなく、世界中に兵器を輸出して大儲けしている。
戦争は良くない、戦争は止めようと言っても、世界の経済構造がそうなっているのだ。したがって、どこで戦争が起きてもおかしくない。それが現実なのだ。
はたして、人類はこうした「戦争経済構造」からいつ脱却できるのだろうか。人類が戦争を行なう限り、死の商人は決して無くならないだろう。(09年1月30日)

http://alternativereport1.seesaa.net/article/113375096.html
http://alternativereport1.seesaa.net/article/73617435.html
 

酒 

「酒は百薬の長」と言うが、それを良いことに私は毎晩飲んでいる。だいたい夕方5時頃から食事を挟んで飲む。発泡酒、ビール、焼酎、日本酒、ワイン、ウィスキーなど何でもござれだ。必ず3~4種類は飲む。
昨夜は発泡酒、日本酒、ワイン、焼酎だった。もちろん少量ずつだが、4種類も飲めばかなりの量になる。最近は飲み過ぎに注意しノンアルコール・ビールをたしなむこともあるが、これは酒ではない。匂いはビールとあまり変わらないが、清涼飲料水みたいなものだ。したがって酒量にはカウントしないが、なんだか(酒を)飲んだ気持にはなれる。
のん兵衛とは困ったものだが、しかし、飲めるうちが“華”だと思っている。飲んでいる時の方が感覚が冴えて良い文章を書けることもある。他方、最近は年を取ってきたせいか、飲んでいるうちに意識が朦朧(もうろう)としてベッドに横たわってしまうことがある。
これはいけない。時に窓は開けっぱなし(寒いというのに)、照明もストーブも点けっぱなしで寝てしまうから、翌日、家内に文句を言われることになる。最近は注意しているが、酒が減ることはない。
こういう“飲み助”を人は「アルコール依存症」と言うが、誰だって何かに依存しているのではないか。ゲーム、携帯電話、パソコン、たばこ、テレビ、DVD、CD、ブログ・・・それに、読書癖も依存かもしれない。あるいは念仏やお祈りだって依存かもしれない。私の場合はそれが単に酒だということだ。

若い頃は酒による“失敗”もよくあった。警察に連れていかれたこともある。しかし、最近はほとんどない。こんなものは自慢できることではないが、失敗はずいぶん減った。それは家で飲むケースが多くなったからだろう。
たまに知人や旧友と酒を飲むのは楽しい。談論風発のアルコール・コミュニケーションは最高だが、酒に呑まれてはいけない。それはまず無くなったが、年のせいかトイレに行く回数が増えたようだ。
日本画壇の巨匠・横山大観画伯(89歳で没)は人生後半の50年、ほとんど飯を食わず酒と肴(さかな)で生きていたというではないか。そういう人もいるのだ。

最後に、中国・盛唐の大詩人で“詩仙”と称される李白(りはく)が詠んだ詩を、酒を愛する人たちに献上したい。
題は「将進酒(しょうしんしゅ)」と言って「酒を酌んで客にささげる」という意味だ。長い詩なので、私が好きな最後のフレーズだけを記しておきたい。もとより現代日本語文にする。
『ただ長酔(ちょうすい)を願って 醒むるを願わず 古来 聖賢 皆寂寞(せきばく) ただ飲者(いんじゃ)のみ その名を留むる有り』
『ただ望ましいのは、いつまでも酔いから醒めずにいることだ。昔から聖人も賢者も死んでしまえばそれっきりなのだ。ただ飲兵衛(のんべえ)だけが歴史に名を留めている。』(出典・・・岩波文庫「中国名詩選」松枝茂夫編より)(09年11月18日)

 

普天間基地をテニアンへ! 

一昨日の転載記事で、沖縄の普天間基地移設先に北マリアナ諸島のテニアンが浮上してきた話を紹介したが、これが実現すれば素晴らしいことだと思っている。
テニアンについては2月上旬、地元のデラクルス市長が共同通信の取材に対し、普天間飛行場の移設先に前向きな姿勢を示していた。(以下に関連記事・http://sankei.jp.msn.com/world/asia/100210/asi1002101314001-n1.htm
また、すでに報道されているが、北マリアナの上院議会は今月16日、移設先の最適地として北マリアナの検討を求める誘致決議を“全会一致”で可決している。これに続いて、下院議会も27日に同様の誘致決議を行なうことが確実視されている。
 
上院議会の決議では、普天間飛行場の移設先、在沖米海兵隊の移転先について北マリアナは「最適地」とし、「移設を心から歓迎している」と強調。「最適地」とする理由については、(1)東南アジアにおける防衛戦略上、地理的に優位。 (2)自然環境が豊かで近代施設、娯楽施設も提供でき、在沖米海兵隊員や家族の生活に適している。 (3)テニアンは1999年、土地の3分の2をアメリカ国防総省と賃貸契約している。 (4)志願兵の割合が高いなど米軍に対する協力体制ができていることなどを挙げている。
つまり、北マリアナは14の島を挙げて普天間飛行場の受け入れに積極的であり、テニアンのデラクルス市長も「島の土地を米軍に貸しているが、有効利用されていない。受け入れ能力は十分にある」と述べているのだ。
 
当面は、27日の下院議会の決議を見なければならないが、予想通り誘致決議が可決されれば、日本政府にもアメリカ国防総省にも働きかけがあるはずだ。
そうなれば、鳩山政権はどのように対応するのか。鳩山首相はこれまで、普天間基地の移設先は国外か沖縄県外のどちらかだと明言してきたのだから、前向きに対応して然るべきである。
県外の“候補地”と見られる鹿児島県の徳之島では、すでに強硬な受け入れ反対運動が起きており、移設先とするにはとても無理がある。そう考えれば、正に“渡りに船”ではないか。全島を挙げて、北マリアナがテニアンへの移設を求めれば、これほど都合の良い話はないだろう。
 テニアンはグアムからもそう遠くなく、先に紹介したように防衛戦略上、地理的に優位だというのだ。私は軍事専門家ではないので軍事上の話は控えるが、在日米軍基地が少しでも国外へ撤去されることに大賛成である。
鳩山首相は「国外か県外」と明言してきたし、連立政権内の社民党も国外移設を強く主張している。
したがって、北マリアナから正式な話があった場合、当然、前向きに対応すべきである。5月末決着を鳩山首相は公言してきたのだから、もう時間はほとんどない。むしろこの際、普天間基地のテニアン移設を積極的に進めるべきであろう。(10年4月25日)


機密費 

“官房機密費”が問題になっているが、機密費について考えてみたい。
国家がある限り、機密費は必要だと考える。古来、どんな国家にも機密費はあったと思う。例えば日本の場合、最も有名なのが日露戦争の頃の明石元二郎陸軍大佐の「工作資金」である。
日本は大国・ロシアと戦争に突入したから、どんな事をしてでもロシアに勝たなければならない。このため、明石大佐は当時の金で100万円、今で言えば400億円以上といわれるほどの巨額の資金を持って、ヨーロッパ中で工作活動に当たった。(末尾のウィキペディア記事を参照)
彼は亡命中の革命家・レーニンとも会い資金援助を行なった。要するに、ロシア国内に革命運動を起こさせ、内部からロシアを混乱させ崩壊させようという狙いがあったのだ。明石大佐はこの他にもあらゆる謀略・諜報活動を行ない、日露戦争の勝利に大いに貢献したのである。なお、工作資金はもちろん「機密費」なので返す必要はないが、律義な明石は使い切れなかった27万円を、明細書を付けて全額陸軍に返却したという。
 
官房機密費の10数億円に比べると、余りにもスケールが違う話をしてしまったが、事ほど左様に「国家」には機密費が必要なのである。
現代に話を移せば、6年前に高遠菜穂子さんら3人の日本人が、イラクで武装グループに拘束され、その救出のために多額の“身代金”が支払われたという。一説には20億円(?)とも言われるが、これも我々の税金である機密費から出ているのだ。
あの時は、人道支援と言いながらも危険なイラクになぜ行ったのだという非難の声が上がった。「自己責任」論などが噴出したのだが、高遠さんらはとにかく日本の機密費によって救出されたのだ。このように、有事の際や外交問題を考えると、機密費というのはどうしても必要なのである。
 
問題は官房機密費である。1年間に14億6千万円といえば国家予算の中では微々たるものだ。しかし、この金が国会議員や政治評論家などにバラ撒かれていたとすれば、黙ってはいられない。前の某官房長官は退任する時に2億5千万円を引き出したという。前述の明石大佐に比べると、余りにも卑しいではないか。
機密費というのは、国家の一大事や外交問題が起きた時に使われるもので、一政権の要人が、自分の私利私欲のために使うべきではない。あくまでも「公用」のために使うもので「私用」のためにあるのではない。
こう考えると、官房機密費の使途についてはやはり公表すべきである。公表することになれば、受け取る方も慎重にならざるを得ないだろう。また、使う方(官房長官)も私利私欲のためにこれを流用するわけにはいかなくなる。
戦前は「機密費」というのは予算の一費目として認められ、議会にも使途を明らかにする必要はなかったが、戦後は機密費自体が認められていない。われわれが“官房機密費”と呼んでいるのは「内閣官房報償費」であって、本来は使途を明確にすべきものであろう。
14億6千万円とはいえ国民の税金なのだから、不透明な“裏金”にならないよう公表を義務付けるべきである。(2010年5月20日)
 
明石元二郎・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E5%85%83%E4%BA%8C%E9%83%8E

 

平山画伯と竹下元首相 

日本画壇の第一人者と言われる平山郁夫さんが昨日死去した。享年79歳。
さて、絵画について素人の私は平山画伯を語る資格はない。ところが昨日、平山さんが他界されてふと、どうでもいい話を思い出した。以下のことは絵画という芸術と関係ない話だから、何だつまらないと思われたらここから先は読まないでほしい。断っておくが、あくまでも閑話・無駄話なのである。

さて、もう20数年前のことだが、私がテレビ局の記者として旧大蔵省(現在の財務省)を担当していた時、大蔵大臣は竹下登さんだった。竹下氏は後に首相を務めるなど自民党の大物議員として活躍したが、当時は“ニューリーダー”として着々と力をつけている時期だった。
「記者懇談」というものがある。これは原則、内容を記事にしてはならないもので、仮に記事にするとしても、誰が話したかを明らかにしてはならないものだ。
ある日、竹下大臣の記者懇談があった。その日は大した話はなかった。そうなると大臣と記者の“雑談”になるのだが、竹下さんは議員在籍25年になるというので、中身はその話題になってしまった。

すると竹下氏は、同僚で同期当選の金丸(かねまる)信氏について「金丸は面白いヤツだ。肖像画を○○という有名な洋画家に頼んだそうだ。その画家は鼻を高く描くのが上手いそうで、そうなるとあの“団子っ鼻”をどう描くのだろうか」と皮肉っぽく言ったので、われわれ記者団は大笑いした。
議員在籍25年になると、その人の肖像画が国会内に掲げられるのだ。そこで金丸さんはある有名な画家にそれを頼んだというのだが、竹下・金丸両氏は子供同士が結婚しているから親密な縁戚関係にある。したがって、二人ともいつも「金丸」「竹下」と呼び捨てにする間柄だった。
金丸信を肴(さかな)に話をしていたが、ある記者が「大臣、あなたは誰に肖像画を描いてもらうのですか」と聞いた。

その時の竹下氏の表情は今でも忘れられない。待ってましたと言わんばかりに、彼はおもむろに低い声で「平山郁夫さんです」と答えた。ほう~っという溜息のようなものが記者の間から漏れ、その場は静まり返った。しばし沈黙が続いた。
いかに無粋な仕事をしているとはいえ、大蔵省(財研)担当の記者でも平山郁夫画伯の名前ぐらいは知っている。後で考えると、竹下氏は自分の“肖像画”のことを聞いてほしかったに違いない。内心得意だったのだ。だから、まず金丸さんのことを肴にして話を誘導していったのだろう。

『大蔵省』の記者なら当然、平山画伯に肖像画を頼めば値段がいくらかと聞きたくなるだろう。しかし、誰も聞かない。私も聞かなかった。聞いたって答えないだろうし、もし本当の値段を言われたら、腰が抜けたかもしれない。(笑)
それはともかく、平然と「平山郁夫さんです」と答えた竹下氏は、当時ニューリーダーと呼ばれていたが、これは総理大臣になるのかなと思った。事実、それから数年して彼は総理に就任する。

さて、絵画の値段など全く知らないが、ゴッホほどではなくても、平山画伯の絵は非常に人気があるので大変な値段らしい。1号(ほぼ葉書大)で100万円とかそれ以上と言われるから、肖像画だったらどのくらいするのだろうか。
まあ、そんな話は止めといて、平山画伯が死去したことに伴い、竹下登氏の昔の話を思い出したので記したまでだ。そう言えば、これは“オフレコ懇談”だったか・・・まあ、いいだろう。あれから20数年たっているから、とっくに時効のはずだ(笑)。(09年12月3日)

 

遅い日本、速い中国

中国の温州で起きた高速鉄道事故は日本でも大きく報道されている。少なくとも39人が死亡、192人以上が負傷したというから大変な事故だ。
事故の詳細をここで述べるつもりはないが、日本人から見ると、信じられないような驚くべきことが相次いでいる。なにしろ、脱線事故直後に問題の車両を穴に埋めたり、わずか1日半で線路を開通させたりしている。また、事故から3日目には、犠牲者の遺族に50万元(約625万円)の賠償金を支払うことを決めたというのだ。
事故車両を穴に埋めたのは、証拠隠滅を図るものだとして強い批判を受けたせいか、今度は車両を掘り出したりした。日本人から見ると何もかも異例だ。
それはともかく、中国の高速鉄道は安全性に疑問があると指摘されていただけに、日本のマスコミは「それ見たことか」と鬼の首でも取ったように騒ぎ立てている。それは当然だろう。中国のネットやマスコミも安全性に問題があったと批判しているのだ。今回の脱線事故は原因もまだ分かっていないのだから、大いに問題視すべきである。
 
ただ、私がここで言いたいのは、中国の「事後処理」というのが、日本では考えられないほど速いということだ。事故車両を穴に埋めるとは言語道断だが、1日半で線路を開通させたり(これも問題があると思うが)、早くも賠償金の話をしている。
これが日本だったら、線路の開通に何週間もかかったり、賠償金については何年もかかるかもしれない。裁判沙汰になることだってある。
要するに、中国は何もかも“拙速”という感じがするが、日本は何もかも遅いように思えるのだ。どちらが良いかは分からないが、どうしてこんなに違うのだろうか。社会体制が違うと言ってしまえばそれまでだが、果たしてそれだけだろうか。
中国が良いなどとは全く言えないが、大震災や福島原発事故のことを考えると、日本は事後処理があまりにも遅いのだ。何もかもグズグズ、モタモタ、ノロノロしている。
これは放射能汚染の問題一つを取ってみても分かる。ここで●●シーベルトだとか○○ベクレルなどと具体的なことを言うつもりはないが、汚染が明らかに深刻であり広がっているというのに、政府の対応はいつも後手後手だった。「大したことはない」「人体に直ちに影響はない」などと“気休め”みたいなことを言いながら、結局、やれ避難だ、やれ出荷停止だなどとなってしまう。どうして日本は、こんなに対応が遅いのだろうか。
 
例えば中国で、福島やチェルノブイリみたいな原発事故が起きたと仮定しよう。私の想像では、中国政府は事故直後に、危険な地域の住民を直ちに「強制退去」「強制移住」させただろう。
これは国土が広いとか狭いといった問題ではない。緊急事態に対応する能力、スピードが日本と中国ではあまりにも違うのだ。中国政府は拙速と言われようとも、直ちに事後処理を決め実行するだろう。これに対し、日本政府は「パニックを起こしてはならない」「住民を混乱させてはいけない」などと考え、スピーディーな対応が遅れるに決まっている。現に福島原発事故の時がそうだった。
つまり「危機管理能力」の問題である。日本は戦後、平和ボケしてずっとやってきたから、いざという時にスピーディーに対応できないのだ。これに対し、中国は体制の違いもあるが、号令一下、迅速に動く習慣が出来上がっているのだ。その辺が日本と中国は決定的に違うと思う。
 
高速鉄道の事故は、中国にとって大きな痛手だったろう。これで外国に新幹線を売り込むことも難しくなるかもしれない。高速鉄道自体については、日本の方が中国よりもずっと安全で信頼性があるだろう。
ただし、何か事故があると、私は中国の方が日本よりもはるかに対応が速いと思っている。それは“拙速”かもしれない。今回の事故処理が正にそうだ。もう賠償金の話だなんて、日本では考えられないことだ。
しかし、拙速であっても、中国の処理能力とスピードを侮ってはいけない。日本は何もかも遅すぎるのだ。遅くても巧くやればいいじゃないかという意見もあるだろう。それも一理はある。
ただし、福島原発と高速鉄道の事故処理を見比べると、対応があまりに違うので驚いているのだ。日本風が良いのか、中国風が良いのかは分からない。どちらも一長一短があるだろう。
問題は突発事件や事故、有事(戦争)などの緊急事態にどう備えるかということだ。最後に、有名な孫子の兵法から一言借りよう。
『巧遅は拙速に如(し)かず』・・・意訳すれば、「出来が良くても遅いのは駄目、出来がまずくても速い方が良い」ということか。(2011年7月27日)


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 過去の記事(5) | トップ | 過去の記事(7) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

過去の記事」カテゴリの最新記事