「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

青天の霹靂 Long Good-bye 2024・04・12

2024-04-12 05:41:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」 、今読み進めている本の

 中から 、 備忘のため 、抜き書きした 文章 。

  下巻の頭の方で 、藩を揺るがす三度の騒動の原因と

 なった 経緯 、事情が明らかにされ 、物語は いよいよ

 佳境に入っていく 。

  初めて読んだ十代のころは 、こうした大人の事情が 、

 全くと言っていいほど 、呑み込めなかったものだ 。

  引用はじめ 。

  「 主水正は肩にふりかかる落葉を払った 。
  三十一歳になった彼の顔は 、陽に焼けて 
  黒く 、眼尻に皺が刻まれ 、額にも三筋の
  皺がはっきり刻まれていた 。」

  「 人の生きかたに規矩(きく)はない 、ひと
  りひとりが 、それぞれの人生を堅く信じ 、
  そのほかにも生きる道があろうなどとは考
  えもせず 、満足して死を迎える者が大多
  分であろう。小出先生は小出先生なりに生
  きた 。それはむしろ祝福したいようなもの
  だ 。それに反しておれ自身はどうか 、お
  れはそうではない 、今日のおれはおれ自身
  が望んだものではない 。おれは殿にみいだ
  されたいとも思わなかったし 、三浦氏を再
  興し 、山根の娘を娶(めと)ろうとも望みは
  しなかった 。
   ―― いや 、これはおまえが選んだ道だぞ 、
  と云う声が耳の奥で聞えた 。尚功館へ入学
  したいと 、おれのところへ頼みに来たとき 、
  おまえの将来はきまったのだ 、誰がなにを
  したのでもない 、これはおまえが選び取っ
  た道だ 。
   谷宗岳の声だと主水正は気づいた 。そう
  だ 、こんなことになるとは思いもよらなか
  ったが 、慥かにこれはおれ自身の選んだ道
  だ 。両親を嫌い 、徒士組のみじめな生活
  からぬけ出ようとしたとき 、おれはこの道
  へ足を踏み入れたのだ 。なにごとが起ころ
  うと 、もう引き返すことはできない 。ど
  んなにもがいても 、この道から脇へそれる
  ことはできないのだ 。主水正はそう思い 、
  唇を噛んだ 。」

  「 相手はむずかしい人だ 、たやすくは会え
  ないだろうと思ったが 、滝沢邸ではまる
  で待ってでもいたかのように 、主水正を
  客間へとおし 、すぐに主殿があらわれた 。
  じかに二人だけで会うのは初めてである 。
  主殿はとし老いていた 。もう七十歳に近
  いのであろう 、もとは人並みより高かっ
  た背丈が 、ちぢんで低くなり 、すっかり
  しらがになった髪も薄く 、頬の肉がこけ
  て 、ぜんたいが枯れ乾いた古木のように 、
  しらじらと痩せていた 。」

 「 照誓院といわれる佐渡守昌吉のとき 、
  将軍家重が娘を昌吉の妻に与えた 。そ
  れは明祥院時子という婦人だったが 、
  すでに身ごもって三月(みつき)の躯(か
  らだ)であり 、将軍家の娘ではなく 、
  側室だということはわかっていた 。そ
  こで江戸と国許の老臣たちが合議のうえ 、
  佐渡守には側室をすすめ 、明祥院の生
  んだ子は 、病弱という名目で早くから
  しりぞけ 、十八歳で病死するまで表へ
  は出さなかった 。佐渡守の側室は一人
  の男子と 、二人の女子を生んだ 。その
  長男が佐渡守昌親であり 、十九歳にな
  ったとき 、すなわち明和四年 、将軍
  家治の娘が輿入れをして来た 。和姫と
  いう人だったが 、明祥院時子の場合と
  同じように 、将軍家の側室であり 、
  妊娠四カ月であった 。
  『 そのとき 、江戸老職の一部に公儀
  と通ずる者があって 、和姫さまの産ま
  れた若を 、正統に据えようと主張し 、
  反対する老職たちと激しく対立した 』
  と主殿は云った 、『 御家の血筋を守
  ろうとする者たちは 、事が公儀に伝わ
  るのを恐れ 、立ってその一派を除いた
  のだ 』
  『 それが巳の年のことでございますか 』
  『 天明五年乙巳(きのとみ)の年のことだ 』」

  「 亥(い)年のときはその三度めで 、飛騨守
  昌治に輿入れした松平氏の姫は 、やはり
  身ごもっていた 。巳の年のときもそうで
  あったが 、自分は江戸家老の津田兵庫ら
  と慎重に手を打って 、昌治には側室をす
  すめ 、松平氏の正室には近よらせなかっ
  た 。そして松二郎さまは正室和姫のお腹
  から出ると 、御幼少のころから実際に病
  弱だったため 、ずっと江戸中屋敷で育て
  た 。
  『 こういうやりかたは自然ではない 』
  と主殿は続けて云った 、『 私も若かっ
  たから 、お家の血統 、ということを必
  要以上に大切だと思いこんだ 、しかし
  それは誤りだった 、とし老いたいまに
  なってみればわかるが 、大切なのは血
  統ではなく人間だ 、―― こんなことを
  云うと若い者には訝(いぶか)しく思われ
  るかもしれないが 、妻の生んだ子がし
  んじつ自分の子であるかないかは 、ど
  んなに厳密に詮議をしてもわかるもので
  はない 、その真偽の判別は人間以上の
  問題であるし 、われわれ人間に与えら
  れた能力では 、血統の正否よりも 、
  生まれた子にどんな資質があるか 、そ
  の子をどこまですぐれた人間に育てあ
  げることができるか 、というところに
  現実の問題と責任があるのだ 』」

  引用おわり 。

 

   

  

  

  目つき悪いな 、君たちは 。

 

 

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