uparupapapa 日記

ようやく年金をいただける歳に。
でも完全年金生活に移行できるのはもう少し先。

鉄道ヲタクの事件記録 第4話 妻の目標と日記

2024-05-05 05:53:58 | 日記

 妻の体調の異変に気付いたのは、島村の来訪から数日後だった。

 相変わらず多忙な僕が妻の日常の微妙な変化が分る筈はないが、何か言いたげなのは流石に空気で読める。

 だがそれ以上の意思表示をしようとしない。

「あなた、行ってらっしゃい。」

「ああ、行ってくる。」

「お気をつけて。」

 

 この繰り返し。

 

 だが、それからまた数日後、妻の百合子は改まって

「あなた、お伝えしたいことがございます。」

「何ですか?」

「今夜は早く帰ってこられそうですか?」

(いつになく真剣な表情で突然そうこられると、身構えちゃうよ。)

「ああ、約束はできないが、百合子が早く帰ってきて欲しいと云うのなら、出来るだけ早く帰ろう。」

「そうしてくださると嬉しいです。」

「分かった、出来るだけ早く帰ろう。それじゃ、行ってきます。」

 

 百合子の言いたい事?何だろう?

 随分勿体ぶって念を押したな。

 何だかチョット怖い・・・。(脛に傷を持つ身、勘の鋭い百合子がそう改まるというのは今までなかったし、僕が何かしでかしたか?それとも島村関連か?)

 悶々としながら仕事に向かうのは心と身体に良くないな。

 悪戯いたずらにあれこれ考え悩んでも仕方がない。どうせ仕事が終わって帰宅したら分かる事だし、今現在分からないなら対策のしようがないし。

 え~い!なるようになれ!

 

 普段はあまり悩まないたちの秀則だが、こと妻百合子に関しては案外心配性で小心者なのかもしれない。

 

 そんな訳で一日中気もそぞろのまま強引に仕事を終わらせ定時に帰宅した僕は、玄関で待ち受ける百合子の表情を見て、僕にとって不都合な話題ではなさそうなのに安堵した。

 

「あなた、お帰りなさいませ。お待ちしておりました。」

「あぁ、今帰った。ところで折り入って話って何だね?」

「まずはお着替えを済ませてから。さぁ、どうぞ。」

そう言って居間へ誘う百合子だった。一息ついた頃合いに

「あなたに大切なご報告がありますの。

 今まで不確実の状態だったのでちゃんとご報告できませんでした。

 実は・・・赤ちゃんができたみたい。」頬を赤らめ俯く百合子。

「そうか・・・・。」

 僕は百合子の言葉の意味を認識するより、自分が持っていた懸念が払しょくされたことに対する安堵が先に立っていた。

 そして次第に聞き流していた百合子の言葉の意味を認識し、理解しようと思い始める。

 だが明晰なはずの僕の頭が働かない。

「あれ?今なんて言ったっけ?」

「赤ちゃんが出来ました。」

「誰の?」

「あなたの。」

「なんで?」

「そういう行為をしたから。」

「なんでそういう行為を?」

「・・・あなた様は『お馬鹿』でございますか?」

 

 

 そうして今夜のご飯は、いつものルーティーンから思い切り逸脱し、お祝いの出前の特上寿司と最上級のお酒が食卓に並んだ。

 もちろん僕の喜ぶ様が尋常ではかったのは言うまでもない。(と言っても晩ご飯がいつものルーティーンでなく、お寿司だったからではない。念のため。)

 

 その日以降、僕は百合子の体調を気遣い産休の里帰りをするまで残業をせず、定時で帰宅する日が続いた。

 これまで私が仕事に行っている間は、百合子の実母ナツがちょくちょく様子を見に来ていたが、娘の妊娠中の生活が心配な母は、かねてから実家に戻り過ごすよう説得している。

 ある日、切迫流産の危険があり緊急入院した時、たまたま母が来訪していたため事無きを得たが、それが引き金となり、当たり前のようにに母が百合子の付き添いを買って出る。

 その日、私がいつものように帰宅すると、誰も居らず母の置手紙がテーブルの上にあった。

『百合子が入院。入院先は○✖町の△◇総合医院。』とだけ書かれている。

 私は飛び上らんばかりに驚き、玄関で靴に履き替えるのも忘れ、スリッパのまま駆けだした。

 病院に到着すると、母が病室の中で娘の手を取り、すがりつくように居た。

 状況の説明を求めると、母は気が動転している状態から冷めやらず、どうも要領を得ない。

 たまたまその時病室に看護婦がやってきたので、改めて何故妻が入院しているのか?病名や容体、今後の処置や、いつまで入院するのか?等を聞きだした。

 看護婦によると、妻は切迫流産しかかって緊急入院する事になったが、今のところ胎児に深刻な影響はない事、母体も回復し予断を許さない状況ではない事、でも暫くは入院しなければならない事など説明を受けた。

 妻はまだ眠ったままだったので気がつくまで一緒にいたかったが、百合子の母が、

「緊急入院だったので何の準備もしていません。済みませんが、お着替えなど持ってきてくださいませんか?その間百合子は私が診ています。大丈夫、今の娘は心配いらない程落ち着いてきましたので。」

 と、そう言われた。でも僕だって妻のそばに居たいのに。

私は「着替えの準備とか、その他諸々の必要なものなど何も分かりませんが。」と云ったが、「ホントは私が戻って用意するのが一番でしょうけど、如何いかんせん気が動転して足腰が言う事を聞きません。明日にでも頃合いを見定めて家に戻りますが、今は動きたくとも動けないのです。百合子の大切な旦那様をこき使うようで心苦しいんですが、今はどうぞお願いします。」

 そう懇願されたらイヤという訳にはいきません。

 この僕が入院に必要なものを取りに帰る?何をどうしたら良いか分からないけど、ひとまず自宅に戻る事にした。

 

 さて、自宅に戻ってはみたが、何を持ち出せば良いものやら・・・。

 妻の物にしても何が何処にあるかもわからないし。

 取敢えず下着類は何処だっけ?箪笥の中、中・・・・。

 妻の物が一体何処にあるかも分からない自分が少々情けなく、イラついてきた。

 着替えの他に何か必要なものは何か?歯ブラシ?タオル?

 よく解らぬまま部屋の中を見渡し、箪笥の上の小物入れの一番上の引き出しを開けた。

 どうしてそんなところを開けたのか?自分でも分からないが、何も考えず開けてしまった。

 すると中には数冊のノート類が入っている。

「【私の目標帖】?【diary】?何だ?日記か?」

 また僕は何も考えずパラパラと中を見てしまった。

 こんな所をもしまた島村に見られたら「ダ~メなんだ、ダメなんだ!」と囃し立てるように鬼の首を取るだろう。

 妻とは言え、人の物を盗み見する趣味は無かったはずなのに。

 自分がそんな恥ずかしい人間に成り下がるのは自分自身許せないが、偶然手に取ってパラパラしてしまったものは仕方ない。(どう仕方ない?!)

 最初に目に入ったページには、百合子が女学校時代に書き記したらしい記述が。

 

 そこには普通の(?)女学生らしい願望が記されていた。

『全科目で学年一番になる』から始まって、『在学中に素敵な王子様に出会う』とか、『道を行き交う男性から笑顔が綺麗と思われるような洗練された女性になる』とか・・・。

 その記述は進むにつれより具体的になってきた。

『一年以内に雑誌【モガ・モボ】(モダンガール・モダンボーイが当時のトレンド)の表紙を飾る』とか、『それを皮切りに二年以内に映画のヒロインになる』など、結構攻めた過激な事が書かれていた。

 嘘だろ?百合子がこんな身の程知らずの向こうみずな野心家だったなんて。

 今彼女がこれを改めて読んだとしたら、きっと〘自分の黒歴史〙だと思うだろう。

 悪いが読んでしまった私まで恥ずかしくなってしまったくらいだから。

 

 だが、最後に書かれたページを見て、もっと恥ずかしくなり驚愕した。

 

『秀則さんのお嫁さんになる』と書かれていたから。

 

 これはいつ書いたのだろう?ここには日付が無い。

 罪を犯しついでに改めて重罪を犯す事にした。なんと私は罪深い生き物なのだろう?

 それは即ち、妻の一番人に見られたくないであろうはずの『diary【私の日記】』を手に取ってしまったから。

 

 だって百合子がいつの段階で、どういうシチュエーションで僕にそんな感情を持ったのか?知らずにはいられないだろ?僕は今だけこの世の中で最悪な悪魔になる覚悟を決めた。

 この日記帳は私との初めての出会いから始まっていた。

 

 大正13年5月吉日 今日は姉の結婚式。

 有紀子姉さんの一生で一番の華やかな日。私が見た有紀子姉さんは、幸せそうで緊張している。文欽高島田がこんなに似合う女性ひとだった?疑わしい程素敵だった。

 でもそれと同じくらい印象に残る人がいる。

 父や母の晴れ舞台の様子より、強い印象を鮮烈に残したお方。それは秀種義兄の弟さん。秀則さんとおっしゃる私の王子さま。

 と云ってもまだ『私の』王子さまではないが、いつか必ず私の王子さまにしてみせる!

 あのお方は東京帝大の学生さん。でも少しも鼻持ちならないインテリっぽくなく、気さくで人懐っこいお人柄。それでいて他人に何か説明をしようとすると、ドモリがちに汗をカキカキ、一生懸命が過ぎて滑稽なくらい。

 私が「クスッ!」と笑うと、首を傾げて私を凝視するの。

 その眼差しのクリンクリンしたお姿が愛らしくて、愛らしくて、一目ぼれしてしまったわ。

 男の方なのに、なんて可愛いの?

 今度はいつお会いできるのかしら?

 その奇跡的だったり偶然だったりする日を一日千秋の思いで待ちわびるなんて、私にはできない。

 何としても策を講じて、もう一度お会いしてみせるわ!

 

 さてどうやろう?今から[私と私と私の間]で作戦会議よ!待ってらっしゃい!秀則様!

 

 ここでこの日の記述は終わっている。

 

 

 罪深い悪魔の僕に、ここで見るのを止める自制心はもう無い。

 恥はかき捨て、罪もかき捨て!あれ?こんな言葉あったっけ?

 

 僕は次のページを迷わずめくる。

 

 次からは巡る季節が綴られていた。

 

「6月1日 今日は一日雨。ツツジからアジサイの季節になってきたというのに、あの方に今日もお会いできない。

 傘を差しながら一緒に眺めたい。薄い青紫や赤っぽいピンクの花びらを見ながら、これはあなた、こっちが私。そんな会話が出来たらなぁ。」

「6月5日 今日も鬱陶しい雨。傘を差すのも飽きたから、目の前にあるお店の軒先で持っていた傘を下ろし、雨宿りとしよう。

 雨はまだ暫く止む気配はない。退屈しのぎにお店の窓の中を覗いてみた。

 すると、何と!あのお方が!あぁ、秀則様!どうしてこんなところに?

 お人違いかしら?何だか気取ってらっしゃるみたい。

 あのお持ちの本は何?やっぱり違う人?思わずお店の中に入り、コッソリ物陰に隠れて盗み見した。はしたない?ええい!構うもんですか!どうせ私ははしたない女よ!あのお方にお会いできるなら、はしたない地獄に落ちても構いませんわ!」

「6月6日 今日もあのお店に足が向かう。今日はいらっしゃるかなぁ?ドキドキしながら窓の外から中を伺う。

 あ!いらっしゃった!あのお方は今日も昨日と同じ本をお持ちになり、同じ姿勢で。一体なにが目的なのだろう?

 お話がしたい。でもあの状況の目的や意味が分からない以上、やみくもにシャシャリでてはいけないわ。もう少し慎重に確かめてみないと。

 明日はいらっしゃるかしら?絶対にお会いできますように。」

「6月7日 もう我慢できない!私の感情が溢れそうよ!あのお方は今日もいらっしゃる。

 よく見て見ると、持ったご本を読んでいる様子はないみたい。

 チラチラと周囲を伺うように視線を上げ、密かに観察するように見える。

 何をしようとしていらっしゃるの?辺りは女性ばかり。ここのお客の女性が目当てなの?でも、特定の方ばかり見る風でもないのね。どうしてだろう?やっぱり私にはあのお方にお声をかける勇気がない。頑張れ私!明日こそは!明日こそは!」

「6月8日 今日こそはと意を決し、お声をかけてみよう。

 あのお方に近づこうとすると、私の心臓の鼓動が乱れるのが分る。せっかくさっきまで辛うじて保っていた勇気がチリヂリに四散してしまったわ。

 ダメよ私!ここで逃げたり引き下がったら、絶対に後悔するもの。

 四散した勇気を再び搔き集てあのお方のテーブル席に向かい、目の前に座る。

 けれど一向に気づかない。お持ちの本は時刻表?どうして時刻表?

 しかも今日はいつになくご本を読みふけるように没頭し、あたりを見渡すどころか、目の前の私にさえも気づかないご様子。私はコトリと咳払いをしてみた。

 ようやく私の存在に気付いたあのお方は、飛び上らんばかりに驚いていらっしゃる。

 やはりとても可愛らしいお方、胸がキュンとするわ。

 ここからが私の一世一代の勝負の時よ!さぁ、頑張れ!私!

 

 ようやく第一段階の目途がつき、私の生涯で一番の嬉しい日になったわ!

 早く明日にならないかしら?一刻も早くまたお会いしたい!楽しみで、楽しみで、夜も眠れそうにない。

 これが恋と云うものなのね。これが幸せと云うものなのね。

 

 おめでとう!私!」

 

「6月9日 今日はお会いする前に今後の目標を書き留めておかななきゃ。

 あのお方との結婚式まで具体的な行動を。

 まず、当初の作戦通り数学を教えてもらい、ふたりの仲を深める。

 恋愛の神様!どうか私にお味方ください。」

 

 その後の事は読まなくとも分かる。

 ここまで盗み見してしまった僕は、卑劣の誹りを免れない。

 僕の父は裁判所の判事。

 その息子である僕が他人の日記を盗み見て良いのか?

 確かに他人の日記を読んだだけでは罪にはならないのかもしれない。

 しかし、世の中には道義というものがある。

 良識というものがある。

 処罰されなければ、何をしても良い事にはならない。 

 妻の心情を図り知れず、どうして僕なんか?と今までは懐疑的だった。

 こんな思いで僕と接していたなんて・・・。

 そんな妻に内緒でこんな大事な内容を記した日記を読むなんて。

 妻に対する冒涜である。なんと卑怯者な僕。

 これは判事としての父の名誉を汚す行為であり、親不孝の愚息の誹りを当然受け止めるべきだろう。

 そして一番真摯に謝罪すべきは妻である百合子に対して。

 百合子よ、許して欲しい。

 だからと 言っては何だが、僕が百合子の日記を読んでしまったなんて、口が裂けても告白できない。

 一生この罪と秘密を胸の奥に隠し、共に生きてゆく。それが僕の運命なのか?

 島村とのくだらない賭けでさえ罪なのに、罪と恥の上塗りだな。

 

 こんな恥ずかしい男で、百合子に相応しいとは到底言えない不甲斐ない夫だが、一生をかけて百合子の夫として正当な資格を得られるよう、死にもの狂いで精進しよう。

 人として恥ずかしくないよう、せめてこれからは相応しい人格を得られるよう頑張ろう。

 

 妻が入院した日の秀則の固い決意だった。

 

 病院に着替えなどを持って行くと、妻は目を覚ましている。

 やつれていたが、この世で一番美しいと改めて思う。

 

「あなた、ご心配かけて申し訳ございません。」

「ウウン!」思いきり首を振る僕。涙が自然に出て来た。そしてかけがえのない人との思いが溢れ、寝たきりの彼女を抱きしめるように覆いかぶさる。

「エヘン!ゴホン!」義母が慌てて咳払いした。

「お邪魔のようね?でも私がいる事もお忘れなく。」細い目で皮肉っぽく義母が呟く。

「アレ?居ました?

済みません、お義母さん!ついウッカリしていました。」

(私の愛するおバカさん!)百合子がはにかむように、心の中で呟いた。

 

 その数日後、退院した百合子は義母に伴われて実家に里帰りする。

 

 

 

 

 

      つづく

 


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2 コメント

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Unknown (tatsuno)
2024-05-06 15:45:20
先日NHKスペシャル未解決事件下山事件を観ました。
自殺なのか他殺なのか、もし他殺なら誰に何故殺害されたのか、謎に包まれた事件でした。

今回までの穏やかで平和な話しも面白い反面、この先、国鉄総裁になるまでの過程や事件の真相をどういう風に描かれるのか、とても興味深いです。
Unknown (uparupapapa)
2024-05-06 21:15:51
@tatsuno tatsuno 様

コメントありがとうございます😊

今後の物語の動きをどうするか?
私も分かりません。
(ホントにまだ着想が見えていないのです。)
ただ、下山総裁のその後の人生の経歴等は大まかに分かっているので、その史実に沿って創作を被せていくつもりです。
次話も次の日曜日UPを目標に、推敲を練っています。
多分ですが、長男誕生を中心に描写するのかも?
ともかく、今は起承転結の『起』から『承』に移る過渡期。
今後の展開にご期待ください。

私がこの物語に挑戦するに至った動機は、下山総裁がアメリカの謀略で簡単に謀殺された事に対するいいしれぬ怒りがキッカケです。

下山総裁もごく普通の人であり、夫であり、父である日本人です。
その普通の人がアメリカ占領軍の思惑ひとつであたかも虫ケラのように謀殺された史実を、その不条理を訴えたい。
そのために下山総裁とその家族の生い立ちを、生き様を、創作を含めながら再現しようと思っているのです。
占領された敗戦国日本の無念を表現したいです。
そのためにこの物語を発表しています。
決してミステリーのカテゴリー物語ではありません。
アメリカの理不尽を告発する物語。それが今後のスタンスです。

今後の展開のプランは存在せず、具体的にどう展開するかは私もよく分かりませんが、どうぞご期待ください。(無責任なコメントですみません)

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