春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

坂東道『けつあぶり』に正法寺 ❷‐❶ 埼玉県東松山市。

2024-04-26 20:50:52 | 坂東札所


晴れた日は6月、人間の忍者の姿をした龍が、
胡坐をかいて、チチンプイと唱えると、
空に雪雲が湧いて、ここ比企地方物見山に、
有れよあれよと・・・雪が舞い始めた。
里人をいじめる性質の悪い龍。
と、蝦夷東征に向かう、鬼退治で有名な坂上田村麻呂が、
龍の成敗こそ、我の使命とばかり雪の中、
家来達に龍を探させた。

物見山に住む、龍の住処は99カ所もあって、
里人もどこで寝起きしているのか知らないという。


家来たち、灼熱の天候から雪の世界、
薄着の肌に凍えてつい、農家の納戸に有った麦を焚いて、
尻を温め、将軍は観音様に祈って、矢を放ったところ、

林の中にいた龍に刺ささり、比企の里に平穏な日が来た。

悪ガキ龍の伝説は、今でも残っていて、
6月朔日には、小麦ピーを焚いて、尻をあぶり無病息災、
灰を撒けば蛇除け、虫よけと農耕の行事として・・・

岩殿丘陵の最東端 物見山、
源頼朝の乳母、比企の代官、掃部允の妻、比企尼 の土地。
北条政子が帰依し、守り本尊だった巌殿観音を祀ってる、
埼玉県東松山市、坂東札所10番・岩殿山・正法寺。





戦国時代の後期には岩殿観音の本坊の他、
六十六の僧坊を、大伽藍を構え、
七堂あった伽藍はことごとく瓦葺きであったと・・記録















👇1322年鋳造の鐘・・


豊臣秀吉による関東征伐の際の、
度重なる戦で引きずられた傷跡👇が・・・













720年代の創建と伝える
寛永、天明、明治と3度
再建された観音堂境内風景・・は
込み合う道路を避け
悠々自適の、明日に・・・‼

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
坂東札所十番礼所 (サッ チー)
2024-04-27 10:40:33
 とよ様、おはようございます。
 埼玉県の東松山は、昔、テニスの合宿で主人に付いっていった時のことを思い出しました。
たしか、国営だったかな?
でも、この様な素晴らしい坂東礼所がある事は知らなかった。😅
720年代に創建とは・・苔蒸した階段や御堂・
鬱蒼と茂る樹木の中での鐘楼・岩殿山正法寺・
目が覚めました。
Unknown (とよ)
2024-04-27 17:01:29
祥子さん こんにちは
東松山市の正法寺、40数年前、私も3年ばかり赴任していましたが知りませんでした。
2度目の訪問でしたが、以前は彫刻を調べるたに、
今回は札所巡りで、と。
正法寺は、高台にあって、そこまでは、木立ばかり、とても清々しい散歩道でした。
Unknown (だんだん)
2024-04-28 16:44:34
比企一族の由緒ある地ですね。学生時代の友人に末裔の方がいらっしゃって、大河ドラマを見た時に、いかにもその雰囲気がある素敵な女性だったのを思い出しました。いつも往時の人々そして方々の信仰心へのリスペクトが深まるお写真を拝見させていただいてありがとうございます。花のお写真もとても素敵です。それにつけても、廃仏毀釈という文化大革命にも比肩されるような文化破壊の大愚策を止める賢人がいなかったのは、いかにも残念なことと悔やまれます。
Unknown (とよ)
2024-04-29 04:56:45
だんだんさん おはようございます
東松山市、この辺りは鎌倉幕府歴史に影響が有った地として、源頼朝の人間をも、浮き彫りにしたのではないでしょうか。
草笛道子さん、どっしりした、とてもいい雰囲気でした・・・

社寺巡りをするたびに、廃仏毀釈で歴史的文化財が消えているのを感じえません。
宗教が人民に与える影響を思えば、
1500年ほどの宗教の歴史を覆そうとした、突飛もない命令でしたね・・。

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