尼津彦は雨津彦であるというのはお馴染みのことかと思いますけど、この頃は雨に遭遇しなくて雨男ではなくなってるみたいです。
この日もそうでして、東海道線乗ってたら岐阜あたりで降ってきたんですが、尾張一宮駅に着くと止みました。
帰りも電車に乗ったあたりから降り出して、滋賀での途中下車やめよかなって思いつつもとりあえず降りたら小雨になって、瀬田の唐橋に着くまでに止みました。
これまてとは真逆になってますわ。
そんなわけで、携帯していた折り畳み傘を使うこともなく歩いてきましたら、神領って交差点名見つけました。
建部大社の領地が由来の地名だと思います。
こういった地名好きだわ。
建部大社来ましたよ。
授与所の時間があるので急ぎます。
この絵見たら、TMやん思い浮かべてしまいます。
境内図
一の鳥居
ニの鳥居
御祭神である日本武尊の千円札
僕が子供の頃、祖父の遺品にこれあったんですよ。
大人になって価値を知ってから、家中探したのですが見つからず、家の建て替えの時にも出てきたのは、あまり価値のない古銭と板垣退助と二宮尊徳の札束だけでした。
手水舎
神門
三本杉
孝徳天皇の御代、大己貴命を権殿へと奉祀された際、一夜にして成長したと伝わる御神木だそうです。
拝殿
狛犬
もうちょい奥行けました。
狛犬
本殿と権殿がありました。
御祭神は、本殿が日本武尊、権殿が大己貴生です。
父である景行天皇は日本武尊の永逝をいたく歎かれ、御名代として建部を定め、その功名を伝えられたのが、建部の名称の起源です。
景行天皇46年、神勅により、御妃の布多遅比売命が御子である稲依別王と共に住まわれていた神崎郡建部の郷に日本武尊の神霊を奉斎されたのが草創だといわれています。
その後天武天皇白鳳4年、当時近江国府の所在地であった瀬田の地に迀祀し、近江一宮として崇め奉ったのが現在の建部大社です。
摂社・末社
摂社・末社
願い石とお喰い初めの石
本殿に近いほうから、聖宮神社、大政所神社、行事神社、蔵人頭神社です。
聖宮神社には日本武尊の父である景行天皇、大政所神社には景行天皇皇后で日本武尊の母である播磨稲日大郎姫命が祀られています。
行事神社と蔵人頭神社には日本武尊の家臣であった吉備臣武彦、七掬脛命が祀られています。
向かって左から、藤宮神社、若宮神社、弓取神社、箭取神社です。
藤宮神社には日本武尊の妃の布多遅比売命、若宮神社には日本武尊の御子である建部稲依別命が祀られています。
弓取神社と箭取神社には、こちらも日本武尊の家臣である弟彦公と石占横立が祀られています。
こうして八つの社を見てみますと、本殿に近いほうの計四社が日本武尊の家族を祀る摂社で、残りが家臣を祀る末社ということでしょう。
ここまで摂末社に祀られる人物の理由がわかりやすい神社も珍しいです。
大抵のとこは、こういうとこに稲荷や八幡、天満宮が割り込んできますからね。
なんかホッとした。
絵馬所
神馬舎
宝物殿
狛犬ちゃうね、ライオンやわ。
伊勢神宮遥拝所
松の根みたいです。
松根を同音の商魂にかけてるみたいです。
八柱神社
稲荷の鳥居
武富稲荷神社
大野神社
建部大社がこの地へと遷し祀られる以前、この地域の地主神として祀られていた神社だそうで、御祭神は草野姫命です。
この白石を持ち帰り、願い事を石に書き朝夕願掛けを行い、願い事が叶ったならば石を返すシステムです。
その周りの小さな石が、お喰い初めの歯固めの石だと思います。
前回来た時には見にも行ってなかった本殿裏に行きました。
本殿裏にはこのようなメダルゲームのような、お賽銭スライダーがあります。