円安のため外国人観光客がどんどん増えてて、京都の寺社なんて行く気にもならなくなってます。
十数年前、円高だった時1ドル91円だった時に、わりとまとまったお金をドルに替えたんですよ。
その後、115円になったぐらいで円に戻してだいぶ儲けたのですが、すぐに必要なお金でもなかったし、今まで替えずに置いておいたらよかったなって思ってます。
あの時の自分に言ってやりたい。
『まだだ!』
東小浜から戻ってまりまして敦賀市へ。
敦賀駅で下車した目的はもちろん気比神宮です。
二度目の参拝ですが、初回は家族旅行の途中で寄る形になりましたので、じっくり境内散策できなかったんですよ。
南参道よりお邪魔します。
境内
やっぱり、とりあえずは正面回ろうかな。
表参道の両部鳥居
すごい立派です。
狛犬
参拝者がいたので、写真撮るの後になった猿田彦神社の鳥居。
長命水
亀というか贔屓っぽい風貌。
手水舎
瑞垣で囲われた本殿エリアへ。
寺院だと伽藍に相当するこういうエリアって何て呼べばいいんでしょうね。
その手前になにやらありました。
旗揚松の旧松根だそうです。
詳しく調べないよ。
拝殿
御祭神は伊奢沙別命で、気比大神または御食津大神とも称されます。
相殿に仲哀天皇と神功皇后、本殿左右の四社の宮には、東殿宮に日本武尊、総社宮に応神天皇、平殿宮に玉姫命、西殿宮に武内宿禰命を祀ります。
神宮号が与えられた神社というと、伊勢の神宮をはじめとして多くありますが、御祭神は皇祖神、天皇、神宝、そして鹿島と香取が国家守護として例外的に祀られています。
氣比神宮の御祭神の伊奢沙別命ってどれにも当てはまらないんですよ。
応神天皇とのいきさつが関係してるのかも知れませんか、これがよくわからんのですよ。
武内宿禰に連れられた当時太子であった後の応神天皇は、伊奢沙別命と名の交換を行ったとする伝承があります。
説話によれば、太子が角鹿(敦賀)の仮宮を営んでいると、夜の夢に伊奢沙別命が現れて名を交換するよう告げられ、太子が承諾すると伊奢沙別命は翌朝に浦に出るように言い、太子が言われたとおりにすると浦には一面に伊奢沙別命の献じた入鹿魚(イルカ)があった。
これにより太子は伊奢沙別命を御食津大神と称え、のちにその名が気比大神となったという。
よくわからんでしょ?
伊奢沙別命という名が元の名前なのか、太子時代の応神天皇(誉田別尊)と名前を替えて伊奢沙別命になったのか、どっちかわからんのですよ。
名は魚(な)であるという説もあるようですが、それならもっと神宮号を名乗れる意味がわからなくなります。
本殿エリア出て左手の摂末社エリアへ。
九社の宮と呼ばれる九つの社がありますが、まずは北面した二社。
伊佐々別神社と擬領神社です。
伊佐々別神社は本殿御祭神の別名とされる御食津大神荒魂神です。
擬領神社の御祭神は武功狹日命であったり、大美屋都古神、又は玉佐々良彦命とも言われてるようです。
残りの七社は東面です。
以上が九社の宮です。
ざっと箇条書きで紹介していきますね。
天伊弉奈彦神社
御祭神は天伊弉奈彦大神
式内社に比定
天利劔神社
御祭神は天利劔大神
式内社に比定
仲哀天皇が奉納した宝劔の霊験を祀る
鏡神社
神功皇后角鹿に行啓の際に捧げ奉った宝鏡が霊異を祀る
林神社
御祭神は林山姫神
垣武天皇の勅に依り、最澄が氣比の宮に詣で求法を祈り、同年再び下向して林神社の霊鏡を請ひ比叡山日吉神社に遷し奉ったとされ、比叡山にある氣比明神の本社であるとされる。
金神社
御祭神は素盞鳴尊
こちらは空海が詣でて、大般若経1千巻を転読求法にて渡唐を祈る。
後に復び詣でて当神社の霊鏡を高野山に遷し、鎮守の杜としたといわれる。
これが高野山の氣比明神であるとされる。
劍神社
御祭神は姫大神尊