オールドゲーマーの、アーケードゲームとその周辺の記憶

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新・幻の「アタミセンター」を求めて(2):初日の記録その1

2024年04月07日 19時06分33秒 | 歴史

3月15日金曜日、横浜駅9時24分発の踊り子3号に乗車。特急料金(1020円)は貯まっているJREポイントで支払うが、期間限定キャンペーン中とのことで、通常720ポイントのところ500ポイントで済んだ。熱海到着は10時20分。成田空港に行くより早い。

熱海は、バブル崩壊以降観光客が年々減少しているとか、2000年代半ばには財政危機宣言が出されたなど景気の悪い話ばかりが耳に入っていたので、寂れた斜陽の観光地をイメージしていたけれど、到着してみれば平日の午前だというのに駅前のアーケード商店街はかなりの賑わいが見られました。興味深い店が次々と目に入りつい立ち止まって覗きたくなりますが、明日の帰り道でまたここを通ると自分に言い聞かせ、後ろ髪を引かれる思いでほぼ素通りして熱海市立図書館に向かいます。

スマホの地図を頼りに駅から歩くことおよそ15分、熱海市立図書館に到着。カウンターで1950年代から70年代の熱海の地図を探していると尋ねると、閉架から1961年、67年、73年、74年、79年の住宅地図を出して来てくれました。抜けている年が多いのは、欠けなのか、そもそも出版されていないのかは不明です

まず、最も古い1961年発行の「熱海市明細図」(新日本明細地図社、1961)を見ると、当然ながら町名の索引に「浜町」があります。期待を込めて当該ページを開くと、ありました

「熱海市明細図」(新日本明細地図社、1961)より、アタミセンターとその周辺部分。アタミセンターの番地は「421」となっている。

後に「加奈」が開業する場所には「アタミセンター」と記されています。併記されている「銀馬社」は、ひょっとしてフライヤーの写真の外壁に見られる「高級喫茶 階上」の事でしょうか。これにより「アタミセンター」は遅くとも1961年には既に存在していたことは確認できました。

フライヤーのアタミセンター画像の部分拡大図。赤線建築の特徴である面取りされた角の壁面に「高級喫茶」と「階上」の文字が辛うじて読み取れる。これが「銀馬社」なのだろうか。

ただ、フライヤーでは「浜町四一六」となっている番地が、地図では「421」となっている点が気になります。道を挟んだ下に見える「ヤブソバ」が「417」なので、「四一六」はこの「ヤブソバ」が建つブロックのどこかのはずです。これはつまり、「スーパーホームランゲーム」のフライヤーが作られた時期は、この地図が発行された1961年ではなかったということでしょうか。「浜町」が記載されている地図はこの1961年版しかないため、残念ながらこれ以上はわかりません。

次に古い地図は、「浜町」消滅後の1967年に発行された「ゼンリンの住宅地図 熱海」(善隣出版)で、ここでは、「銀馬|アタミセンター」と記載されています。1961年の地図と比較すると、他にも表記名や土地の区割りが異なる部分があちこちにあり、精度はさほど問題とされていなかったようです。

1967年発行の「ゼンリンの住宅地図 熱海」(善隣出版)より、アタミセンターとその周辺部分。この時点で「浜町」は「銀座町」に統合されており、「アタミセンター」は銀座町2丁目7番となっている。

この地図が出版された1967年は「クレイジー15」リリースされた翌々年ですが、当時の日本のAM機メーカーはまだ比較的単純な構造の機械しか作れていなかったので、「スーパーホームランゲーム」が1948年製の米国製ピンボール機のコピーであっても、まだ「国産」と言う意味では先進性は残っていたとは思います。

しかし、この時期はもうセガなどが米国製の最新フリッパーゲーム機を輸入販売しており、そしてそれらは観光ホテルやボウリング場などのゲームコーナーに導入されていたはずで、今さら得点表示を電光で行う旧式の「スーパーホームランゲーム」が出る幕はそろそろなくなっていたのではないかと思われます。

三番目に古い「ゼンリンの住宅地図 ’71 熱海」(善隣出版、1970)」でも、4年前の1967年版と同じく「銀馬車|アタミセンター」と記載されています。

「ゼンリンの住宅地図 ’71 熱海」(善隣出版、1971)より、アタミセンターとその周辺部分。「銀馬車|アタミセンター」の記載は67年版と同じ。

ここまで時代が進めば、「アタミセンター」はもう「スーパーホームランゲームの直営宣傳場」ではなくなっていたと考えるのが自然ですが、では何をやっていたのかというと、これがまた全くわかりません。

「アタミセンター」の記載が変わるのは、「ゼンリンの住宅地図 ’73 熱海市」(善隣出版、1973)です。この版から「銀馬車」の名が消え、代わりに「喫茶 加奈」が記載されます。

「ゼンリンの住宅地図 ’73 熱海市」(善隣出版、1973)より、アタミセンターとその周辺部分。「銀馬車」が「喫茶 加奈」に代わっている。

ということは、「加奈」は「銀馬車」の後釜で、「銀馬車」は「射的場(もしくは空気銃の遊技場)」関連記事:幻の「アタミセンター」を求めて(2):旧浜町で発見した看板建築)だったということでしょうか。仮にそうだとして、では「アタミセンター」とは何だったのでしょうか。 

ゼンリンの住宅地図 ’74 熱海市」(善隣出版、1974)、そして「ゼンリンの住宅地図 ’79 熱海市」(善隣出版、1979)も、1973年版同様、「アタミセンター」と「加奈」が併記されていました。

上が「ゼンリンの住宅地図 ’74 熱海」(善隣出版、1971)、下が「ゼンリンの住宅地図 ’79 熱海」(善隣出版、1979)の、アタミセンターとその周辺部分。周辺に若干の変化があるが、「アタミセンター」と「加奈」に変化はない。

今回参照した地図での記述を整理します。
 1961 浜町421番地に「アタミセンター 銀馬社」
 1967 「銀馬車|アタミセンター」
 1971 「銀馬車|アタミセンター」(67年版と同じ)
 1973 「喫茶 加奈|アタミセンター」
 1974 「喫茶 加奈|アタミセンター」(73年版と同じ)
 1979 「喫茶 加奈|アタミセンター」(73年版と同じ)

今までワタシは、「アタミセンター」はスーパーホームランゲームの直営宣傳場の名称だとばかり思いこんでいましたが、それはアタミセンターの限られた一時期に過ぎないものであることがわかったのは小さな収穫でした。

(つづく)

★ここに掲載している地図の画像は、図書館に「調査研究用」として申請した上で複製したものです。


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