気を集中して手のひらを相手にかざすと、フワッーとした、風が吹くような、温かいような、ものが伝えられるヒーラーはかなり気の力の強いヒーラーです。

気の力の弱いヒーラーが相手に手を翳しても相手は何も感じないでしょう。

少しだけ気の力のあるヒーラーでしたら、何んなく、温かさが伝わるでしょう。

 

手のひらから光を放つ、写真を見せている気功師がいますが、この写真は自分で作った合成写真なのです。

この合成写真をさも自分のオーラが光ったように見せている人は、イメージのために作って見せているのでしょうか?

 

そのほかにも奇跡の写真と称して、見せているのがありますが、全て作ったものでしょう。

オーラというものは、見える人と見えない人がいます。

見える人から見ると、ぼんやりした、ボヤーとしたものが手のひらや手の外側から出ています。

体全身から出ている人もいますが、相当な気の力のある人に見られます。

 

天使などが頭に光の輪が描いてありますが、オーラなのです。

観音様やキリスト様なども全身からオーラの出ている絵が描かれているでしょう。

神様の様な人は全身からオーラが出ているのです。

 

このオーラには、いろいろな色があります。白色や緑色や黄色や紫色ですが、色の濃い薄いがあります。

色は薄黄色か薄緑色が一番多いのです。

薄い白色のオーラを放つ人もいますが、元気のない人に多い色です。

薄紫色のオーラは、体に不調のある人に見られる色です。

金色のオーラを持つ人はほとんどいませんが、先生はガンや難病のような重病の方に施術をしたときに金色のオーラが出ています。

 

このオーラを見られるのは先生の助手さんが見えるのです。

先生の助手さんは、先生から生まれ持った先天性の難病を治してもらってから人のオーラが見えるようになったと言っています。

 

結論から申して、オーラは、ぼんやりとしたもので、はっきりとは見えません。

オーラについてはE先生より教えていただいて自分なりに書いたものです。

 

このように、オーラは光らないことがお判り頂けたでしょうか。

 

お問い合わせはこちらから。 ◎病院の治療で治せない、ガンや難病や生活に支障のある病の方へお伝えします。
施術を受ける心構えとして、何を差し置いても病を治したいという必死の心境が必要です。
無難になんとなく治したいというのでは奇跡の効果を与えることはできません。
命の危機感をもってください。

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気の力が無くても雲の形を変えたり、雲を消したりする方法は、まず消えそうな雲を選ぶのです。

消えそうな雲は、フワアーとしたような小さな雲です。

その雲に向かって、雲が消えるように念を入れるのです。

すると、10分以内にほとんどの雲が形を変えたり小さくなって無くなるでしょう。

 

これは、手品のようなもので、相手にさも、雲が消えたように見せるものです。

 

中には、自分で雲を消せると思い込み、自分には凄い気の力があるのだと思い込む人もいると思います。

 

しかし、念の力で本当に雲の形を変えたり、雲を消すことができたならば、相当の気の持ち主だということが言えます。

 

良く雲を消したということを自慢している人がいたとしたら、大きな消えそうにない動かない雲に向かって、中心に念を入れて雲が消えるように念じてみたら、自分の気の力が分かると思います。

 

5,6分経っても雲の中心に何の変化もなければ、雲を消すことは無理なのです。

10分以上たてば、多少は雲の形が変化したり、雲が小さくなることもあるでしょう。

中心に念を入れることをしているのでしたら、中心の雲が薄くなって分裂しなければ、雲を消す気の力はないと思ってください。

 

雲を消す場合、両手を雲に向かって差し出して念を入れている光景が良くみられますが、気功施術の時には、人の体に手のひらを当てたり、少し手を放して気を送るので、両手は相手に向かって手のひらから出る気を与えるために手が葉の字になります。

 

雲消しなどあくまで余興にすぎません。雲を消したと錯覚しても、人に対して、難病などを治せなくては気の力は弱いと思うのが普通でしょう。

力の強いヒーラーでしたら、ガンや難病に高い効果を与えた事実を書くでしょうが、ただ何となく、腰痛に効果を与えたとか、体の調子が良くなったとか、少しの病が治ったとか、を自慢している気功師ならば、その程度の弱い力しかないということになります。

 

人にはそれずれに与えられた能力があります。

自分の能力を知り、自分にできた範囲内のことを自慢するには良いのではと思います。

 

いくら背伸びをしても到底太刀打ちはできません。ですから肩を並べようとはしないことです。

自分には自分の良さがあり、自分のできる範囲内で相手を癒せばよいことです。

大きなことや自慢をすればするほど、人からバカにされます。

自分の能力を知り、己を知ることで、恥をかかないで済みます。

 

先生も自分の能力の範囲内でしたことしか言っていませんし、自慢をしようとも思っていません。

先生には先生の宿命の中で、自分の役割を果たしているのでしょう。

 

最近、効果のあった病のことを書いてませんでしたので書きます。

何時もの様にガンや難病の人の施術は続けていて結果は出ていますが、こまごまというのも、マンネリ化をして奇跡の出来事が、さも当たり前のように思われても仕方ないので、書かなかったのですが、先実来た人は、全身凝りの塊で、首肩はがちがち、背中は固く、腰も悪く、歩くのが大変な人でした。

 

施術後は、肩こりもなくなり全身残りも取れて(体がかる子なり楽になった)と喜んでました。

驚くべきは、回らなかった首が楽に周り、腕もくるくる回り、腰を曲げると天井を見られ、左右に体を振ると、反対側を向けるようになり、足は軽くなったのです。

 

一回の施術でここまでよくなったのです。

ガンや難病のような病院で治せない病に高い効果を与えられる、先生の気の力をもってすれば、この程度の病は観単に治してしまうのでしょう。

 

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バカの壁という本を出す人を何人かいます。

私はその人の本を読んだことはありませんが、どういう意味なのかは予測が付きます。

自分が思ったことや考えたことが良いと思っても、間違ったことだと気が付かず、反省もしない、変えようともしないで、自分がしたことは正しいと思い込んでいる。

 

間違ったことを分からずにそのことが絶対に良いと思い込み、何回でも過ちを繰り返す。

馬鹿とは自分の考え方の中で生きているが、利口な人間から見るとなぜそのようなことが分からないのかというように思えるのです。馬鹿と言われた人は反省して考え方を勉強してバカの壁を乗り越えなければ、馬鹿の地域にとどまり続けるのです。

 

馬鹿と言われる人は、人の意見も聞き入れず、自分が正しいと思い込み、自分の考え方を変えない人なのでしょう。

 

ホリエモンから見たバカの壁は、こんな簡単なことが分からないのか、という上目線から言っているのですが、人には能力の差があって、ある人から見ると簡単に分かることでも、ほかの人から見たら難しく理解できないのです。

この世のなかには様々な能力の人がいて、自分の能力の範囲内で生きています。

 

ホリエモンが良く言いますが、中学の先生が教える授業は、全然参考にならない、無能なのではないか、とか言っていた記憶がありました。

このことは自分では分かることでも能力の差で分からない人もいるのだという事を理解しなければなりません。

 

たまたま頭の良い人間に生まれただけですから、人より優れた能力を持った人間は、能力の低い人間をけなしてはいけないのです。

生きている中で、人それぞれ、自分の能力の範囲内で理解をしようとして努力をしているのです。

 

私の知り合いに、器用貧乏というのか、何をしても何をやってもすぐに、そこそこ覚えてしまうのです。

その人の友人に覚えの悪い人がいたのですが、(あいつは何回も同じことを教えても間違える、馬鹿な奴だ)このように言っていたのです。

 

先ほどから説明しているように、能力の差があり、一つのことを一日でできてしまう人もいれば、二日で覚える人、一週間で覚える人や努力をして一年間かかって覚えた人など、その人の能力や理解力の差は必ずあるのです。

能力のない人を馬鹿にした場合、上には、さらに上の能力のある人間がいいるのです。ですから、少しくらい頭が良いと思っていると、もっと上の能力のある人に馬鹿にされるのです。

 

馬鹿とは、馬と鹿と書きます。馬や鹿は驚いて一度走り出すと止まることをせず、先に崖があっても足り続けて、崖から落ちてしまう、ということから、馬鹿とは自分の考え方を見直そうともしない、復習能力もない、自分の能力もわからない、自分では最高のことを言っても、人はどの様に受け止めたのか、など周りの人のことを考えようともしない。人を指すのです。

 

人間は過ちの繰り返しや失敗の繰り返しで生きています。

その失敗や過ちを反省して、失敗や過ちをしないように、次はどの様にしたらうまくいくのかなど、失敗を反省して、失敗を繰り返さぬようにすることでは馬鹿とは言いません。

 

馬鹿なやつとは何回失敗や勘違いをしても、失敗の反省や勘違いの反省をしようともせず、相変わらず、前回失敗したことや勘違いをしたことを何回でも繰り返す人間のことなのです。

 

自分ではできない大きなことや自慢話をしたり、(自分でその気になっていても自分の能力の分からない人間

は馬鹿というのです。)このような人間は恥という言葉も知らないでしょう。

馬鹿は幸せだということは、自分の能力を知らず、恥をかいたことも分からない人のことを言うのです。

 

馬鹿と言われないためには、もう一度自分を見つめ治し、反省することはして、努力をすることをして、自分の能力を判断して磨き、自分を人間としての向上を図り、人に施しの心を与えれば、恥をかくことも馬鹿にされることもなく、人から素晴らしい人だと言われるでしょう。

 

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