無職定年退職者の経済的リスク

夕暮れ時 #162825

 年金受給開始年齢まであと3年とちょっとというところで、完全無職となりにけりでありますが、もちろん無職、つまり勤労収入がない状態となったことによるリスクは認識しておかないといけないです。というか、定年後の金勘定においては、すべてにおいてリスク認知とその管理が大前提だと思ってます。流行りの新NISAにしても、どれに投資するか以前に、リスク認知とそれへの対応がまずありきかと。で、無職定年退職者には大きく二つの経済的リスクがあるかなと思ってます。これは、100歳までのキャッシュフローを想定していてなお発生するであろうリスクについてです。

勤労収入がないことによるリスク

 ひとつは、勤労収入も年金収入もないということは、生活の糧としてストック資産とそこからの収入のみに頼るという状態なわけで、通常想定していないような突発的な生活環境の変化には弱いと思います。病気やケガぐらいなら、まぁある程度保険でカバーとかもできますが、超巨大地震とか戦乱は対処しきれないですね。前者は南海トラフとかずっと発生しない時期が続いていることで発生確率は上がっていきますし、後者は周辺環境の悪化でこちらも発生確率が上がってます。そしてもうひとつは、年金やら税制やらの社会制度の変化です。インフレリスクや年金の所得代替率低下程度は織り込めますが、時にやっぱり来たか、でもしかし織り込んでないしどうするべ、みたいなやつが来る可能性があります。直近では、金融所得に社会保険料を強制的に掛ける検討がされているという報道があったりしましたが、つまりはこういうやつです。このケースだと、国民健康保険に加入している無職定年退職者は影響大です。金融資産を取り崩して確定申告している人は身に染みているかと思いますが、今までは、取り崩しによる金融所得額を勘案しながら、申告するかどうか判断していたのが、まぁ、強制的に申告状態となって国民保険料のアップにつながるわけです。

リスク対処法

 どちらのリスクも個人で対処する限界を超えているわけですが、まず言えるのは、老い先見えてきているしジタバタしてもしょうがない、ですかね。まぁ、それぐらいの気持ちでいないと無職定年退職者はやってられません(笑)。そのうえで、私は以下のようなことは心がけております。

  1. 定石のリスク分散
  2. 生活にかかる貨幣経済部分の縮小
  3. 消費中心の娯楽から、自ら働く動楽へ

分散投資

 1.は定番の分散投資。国外と国内に分散したり、株式、金(ゴールド)、国債、不動産と分散したりというやつですね。金(ゴールド)は、現物かつドル建て資産ということろがユニークで、今の時代に注目されるのは頷けます。また、掛かる税制が他とは違うのも留意点です。私も数十年前から金の積み立てやってますが、含み益はどえらぁことになってます。とはいえ、配分している比率が低いのでたいした額ではないですが、だからと言って比率を変えるつもりはありません。また、不動産については、私は今までREITには全く投資していませんでした。比較的新しい投資対象でよくわからんし様子見な感じでした。が、全くポートフォリオに入れないのもどうよ、とちょっと前にかなり下がったところで買いました。こちらは超巨大地震が来れば暴落どころの騒ぎではないでしょうが、ポートフォリオに色を添える程度の比率で加えておくのはありかと判断したわけです。このあたり、リスク分散にはどういう比率で分散するかも考慮しなければならず、なかなか思案のしどころがあります。

貨幣収支部分を意識的に減らす

 2.の貨幣経済部分の縮小ってどういうことかというと、勤労による貨幣収入が減ったのだから、出費も貨幣によるものは減らそうという考えです。私の場合は、大きなところでは株主優待の活用と賃貸から持ち家への変更です。人によっては自家農園とかもありかもしれません。株主優待については、定年退職する前から、相場を見ながら必要になりそうな銘柄を物色してきました。いや、そもそも数十年まえに株式投資を始めた頃から、株主優待は目的の一つでもありました。その頃は無類の映画好きでしたので、映画の株主優待券がもらえる株を買ったわけです。定年退職を控えた数年前からは、コメとかのもらえる銘柄とか食品メーカーや外食系と鉄道・空輸系の株を加えました。現在、コメと砂糖は買ったことがない生活となってます(笑)。鉄道・空輸系はコロナ禍の時に買ったので安く手に入れられました。持ち家については、実家を片付けて平屋で建て替えを計画中です。持ち家は最も真っ当な不動産投資かと思います。そして、家賃分の貨幣収入を見込まなくてすみます。このように貨幣収支部分を少なくすることで、社会保険料を含めた節税対策にもなります。

ビジネス優先思考からの脱却

 さて、このようにミニマリスト的な生活となると、なんかこじんまりした魅力の薄い生活になるんじゃないかと思うかもしれませんが、まったく逆です。無職定年退職者は、時間をどう使うか自分で決めることができるのです。時間を金で買う必要もなければ、過大なストレスを消費で紛らわす必要もありません。そのことで可能となるのが、3.のお金を使う消費中心の生活から、自分の頭と手足を動かして楽しむ生活への移行です。私はこれを道楽にかけて「動楽」と呼んでます。無職定年退職者は自ら動いて楽しむのです。もちろん、勤労収入のある職について楽しいのであればそれで構いません。私の場合は、写真制作とそれにともなう撮影旅行、プログラミング、自転車での遠乗り、自分でごはんをつくることなどが楽しみの源泉なので、無職で働くという選択をしたまで、と思っています。また、無職となることで、よりビジネス思考から離れやすくなります。ここでいうビジネス思考とは、効率や生産性を優先しより多くのリターンを目指すことを第一として活動する考え方です。現役時代はこれでまったく問題ない、というかむしろそうあるべきかと思いますが、人生の終盤に入った者は、この思考法からは距離を置いて生きることで残りの人生をさらに歩んでいけるのではないかと感じているからです。

 となんかいっちょまえの論説を唱えたりしていますが、定年退職前にここまで思いをめぐらしていたわけではないです。定年前にいろいろと事前準備をしてはいましたが、コロナ禍とかその後の社会の動きや投資環境、社会制度の移り変わりなんて念頭になかったですし、身近なところでは両親の介護がいつまで続くかもわからなかったわけです。正直なところ、危ないところを通り抜けてきたと思ってます。だからこそのリスク認知かなと思います。そもそも、今後体や頭が動かなくなってきたらどうするのかという大問題がありますし。しかしながら、そのときに備えていろいろ考えるのも楽しいぐらいに構えて、気楽に動楽でやってみなはれ、と今は思っています。

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