こんにちは。
今日は祝日。
同じ時期去年はWBCを観てたのが昨日のようです。
残す平安丸の組み立てを完了させ、仮装巡洋艦のような塗装をしました
確か仮装巡洋艦を客船のように塗装するのはWW2では国際法違反だったので、国際法違反仕様ともいえますね爆
まぁ、おふざけしてみた仕様なので大目に見てください(^▽^;)
たまにブックオフの歴史書コーナーを覗くと良い本に巡り合えたりします
今日の午後流し読みしてみるつもりです
追記
我が家の梅が満開でした
上の本、ラテン帝国のとこだけ読みました
コンスタンティノープル占領後、十字軍指導者のボニファーチョ1世が皇帝の有力候補とされましたが、力を持ちすぎるのを警戒してフランドル伯ボードゥワンがラテン帝国初代皇帝として即位しました。
皇帝の即位式は十字軍が支援したアンゲロス朝を踏襲し権威の移行が正当に行われたように見せられましたが、ボードゥワン1世が支配権を行使できるのはコンスタンティノープルの四分の一区画のみでした。
一方でボニファーチョ1世はバルカン半島にテサロニキ王国を建国。
ボニファーチョの統治に不満を持った家臣が出奔し建国したのがエピロス専制公国らしいです。
が、これらの帝国はブルガリア帝国と国境を接ししばしば彼の国と争いました。
ボードゥワン1世はブルガリア帝国との戦争で捕まり消息不明、ボニファーチョ1世もブルガリア帝国との戦闘で戦死しました。
ボニファーチョ1世の戦死したテサロニキ王国では内紛が勃発。
これを好機と見たエピロス専制公がテサロニキへ侵攻し王国を滅ぼして同地で皇帝を僭称しました。
こうして出来たのがテサロニキ帝国ですが、この帝国もブルガリア帝国に大敗し自壊しています。
ボードゥワン1世の死亡が認定されてから、息子のアンリがラテン帝国皇帝として即位します(アンリ1世)
アンリ1世は隣国のヴェネチア共和国にギリシアの群島の支配権を割譲し相互軍事奉仕協定を締結しました。
海洋交易国家として栄えていたヴェネチア共和国にとって、これは海上航行権の拡大を意味し、軍事奉仕義務を差し引いてもメリットがあるものでした。
一方で、権力が不安定でブルガリア帝国や亡命政権のニケーア帝国など強力な敵性国家に囲まれたラテン帝国にとっても、この協定は旨みのあるものでした。