大泉ひろこ特別連載

大泉ひろこ特別連載です。

日本の社会と社会政策(8)なぜ北欧の真似をするのか

2024-04-30 10:01:11 | 社会問題

 今回の衆議院補選は、必要以上に自民党の凋落を印象付けた。しかし、これは紛れもなく国民の気持ちである。2009年の総選挙で民主党政権が成り立った時、国民の多くは「今回ばかりは自民党にお灸をすえねばならない」とマスコミの街頭マイクの前で語ったが、今回も同じ言葉が聞かれた。お灸をすえるということは、反省すれば許してやるとの意味も残し、その実、3年後には民主党政権の失政で自民党政権が復帰した。今回も「お灸」でいいのか。野党が力不足ゆえに、様子見の政権交代だけを示唆してるだけでよいのか。

 倒幕は英国が薩長に資金を出し、下級武士のクーデターという形をとった。敗戦後はアメリカの傀儡を受容する保守勢力によって政治が担われてきた。黄色いアングロサクソンとなった日本は、資本主義、民主主義、日米同盟を金科玉条とし、それらは日本の表面を埋め尽くしているが、根無し草であり、巨大な力が働けば変わる可能性を持っている。IMFの予想では近々、GDPはインドに負けて世界5位に落ちる。国の借金は先進国ダントツのGDP比2.6倍。賃金上昇が物価上昇に追いつかない貧しさ感覚。数値は氷山の一角でその下にある巨大な氷山が動き出している。

 「新しい資本主義」は、岸田政権とともに風前の灯となり、むしろ、資本主義で気候変動や人口減少に対応するのは無理だと諭し、マルクス主義の斎藤幸平や大西広は読者を拡大している。マルクス主義ではないが、グローバル視点の社会は資本主義の枠では達成できないと主張するのが広井良典である。これに対し、富山和彦や成毛真は産業構造の変革とそれに合わせた教育改革で、よりアメリカ的な資本主義を主張する。国民の気持ちは、ソ連を崩壊させたマルクス主義も忌み嫌うし、リスクの大きいアメリカ的資本主義に進むのも御免だ。

 北欧の国々はしばしば日本人の理想に掲げられる。社会保障、環境問題、開発途上国援助、移民受け入れなどで功を奏してきた。社会民主主義的な傾向が強く、税負担率の高い国々である。北欧は第一次世界大戦のころまでは、貧しい国であり、人身売買なども行われていた後進国だった。しかし、二度の世界大戦に参加せず(厳密にはドイツの侵攻を受け、抵抗運動はあった)、荒廃したヨーロッパの中で豊かな国を築き上げた。その北欧が社会保障制度を整えた理由は、隣国ソ連の共産主義が流入しないように社会主義国以上の社会政策を目指したからである。ソ連崩壊後も、社会保障立国の看板は下ろさない。

 日本は、戦後のドサクサを対象とする生活保護法、児童福祉法、身体障碍者福祉法のあと、世の中の経済がよくなるにつれ、老人福祉法、母子寡婦福祉法、精神薄弱者福祉法(現・知的障碍者)へと対象を拡大した。その過程で、枠組みこそ、イギリスのベバリッジ報告に従って社会保険制度が中心の制度を構築したが、特に老人福祉は、きめ細かな福祉政策を擁する北欧を参考にするようになった。北欧も、日本のみならず世界中からくる福祉見学者のためにバスツアーを用意し、行き届いた老人施設に日本の見学者は憧れた。その北欧も、施設主義を是正し、地域に住む在宅福祉に流れを変え、また、公的サービスを民間に委託するようになって、「大きな政府」の方法を逐次替えた。

 北欧が政策を替えるたびに、日本の評論家は日本も変えろと言及し、戦後の日本はあらゆる分野でアメリカ追従が多い中で、この分野だけは北欧一辺倒になった。老人に個室が必要であると北欧ではユニット方式がとられていたが、日本は模倣して、郡部では個室に慣れていない年寄りが必ずしも歓迎しなかったり、ユニットのせいで入所者数が抑えられ、人手も必要になるなどの問題が起きた。それでも、北欧は日本の老人福祉のモデルであり続けた。ただ、北欧でも、政策は揺らぐことが避けられず、在宅主義も、認知症老人の徘徊が増えると施設の必要性が問われるようになった。

 日本が北欧の真似をしなかったのは、介護機械の採り入れであろう。北欧の老人ホームでは、機械に載せて老人を運び、老人の意識も「若い人の力を借りたくない」と肯定的である。日本では、まだまだ「人の手で介護することが必要だ」の考えが、介護者も介護される側も強い。また、公衆衛生の分野では、スウェーデンは、コロナ禍にあって、ワクチンを強要せず、自然免疫の獲得を政策としたが、日本は、半ば強制的にアメリカから買い付けたワクチンの接種を行った。学会では、国内で治験の行われなかったワクチンの検証が必要とされていて、日本の政策に否定的な結果を生む可能性もある。

 北欧は一番人口の多いスウェーデンでも一千万人であり、政策は機動的に変えることができる。1992年のエーデル改革では、高齢化が進む中で、いち早く、年金の賦課方式を積み立て方式に変えた。一億2千万人の人口で利害関係調整の難しい日本では、こんなことはできない。また、国民性が大いに違い、スウェーデンでは、やたらに抗生物質などは投薬しないが、日本では出来高払い制度のおかげもあって過剰投薬が当たり前になっている。ワクチンがタダならば打っておこうという軽い考えも多い。

 資本主義が行き詰って、向こうに見えるマルクス主義に移るのはほぼあり得ない。北欧のように、社会主義国を超える社会政策を見出し、危機を乗り越えていくしかないのではないか。

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 日本の社会と社会政策(7)... | トップ | 日本の社会と社会政策(9)... »

コメントを投稿

社会問題」カテゴリの最新記事