大泉ひろこ特別連載

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日本の社会と社会政策(4)働き方改革

2024-04-01 10:01:48 | 社会問題

 安倍政権は安保法制を強化したことで知られるが、社会政策にも新たな取り組みを行っている。そもそも安部元首相は当選して間もない90年代前半は自民党社会部会に属し、社会政策に関心を示していた。筆者はそのころ、官僚として説明に行ったことがあるが、質問を受けたことはない。当時は寡黙な議員だった。社会部会は、若手で独自のテーマを持たない議員がとりあえず属する部会でもあり、大所帯だった。その安部首相は、2018年、入管法の改正(いわゆる移民法)と働き方改革を推進するための関係法律の整備に関する法律(いわゆる働き方改革関連法)を成立させた。

 ある意味ではこの二つの法律は画期的である。移民を毛嫌いする日本に対して、移民に対し表と裏と両方の門を開けた。半開きに開けたと言った方が正確だろう。そして、過労死が社会問題となり、長時間働き自慢の国柄を変える働き方改革という新しい観念をもたらした。働き方改革でよく引き合いに出されるのは、オランダとイギリスである。オランダは80年代からワークシェアリングの考え方が普及し、同一労働同一賃金を実行することによって、就業者の4割近くがパートタイム労働である。しかし、日本より労働生産性が高い。イギリスはアメリカと並んで労働時間の長い国であったが、子供の貧困や子育て対策の一環としもワークライフバランスの導入が2000年前後に行われた。日本はこれらの国に学び、かつ、EUの90年代からの労働規制の指令を採り入れて、働き方改革法を成立させた。

 この二法は、労働力と労働生産性に関わる画期的な法律であり、社会を変える内容であった。しかし、社会の変革がドラスティックに行われたわけではない。むしろ、徐々に労働の多様性と意識の変化が観察される。トラックの運転手や医師など分野ごとの労働規制が進んでいるが、人口減少と相まって、流通の迅速な対応や医療の休日サービスなどは困難になっていくだろう。若い人たちは、有給休暇の消化を権利として行い、時間外の職場仲間との付き合いを制限し、男女ともに子育て時間を増やす動きはあるが、まだ数値としては現れていない。

 移民と働き方改革が、中でも働き方改革がdecent work(尊厳を保てる働き方)をもたらすには、働く意味や価値が問われている。日本の文化では、長時間我慢して働くことが、会社への忠誠を表し賛美されてきた。働かざる者食うべからずの日本でもある。しかし、一方で、デレデレと長時間職場に居残って残業代を稼ぎ、また、上司が居残っていれば帰宅できない非生産的な労働もあり、労働生産性の低い働き方が指摘されてきた。こうした文化は、一挙には変えられない。日本は勤勉さを高い価値とみなす文化が元々あり、西洋では、マックス・ウェーバーが「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」に書いたように、ギリシャ時代から労働は悪で奴隷に任せるべきもの、カトリックはそれを受け継いできたがプロテスタント教会がその考えを覆し、勤労の美徳を教えた。プロテスタントの強い米英のアングロサクソン系が働き者なのはこのことによる。

 したがって、長時間働くことはいいことだ、の世代が消えない限り、非効率な労働環境は残っていくであろう。そして、その非効率さの最たるものが、霞が関官僚の労働環境だ。労働環境の改善を唱える野党ほど、夜に対応しなければならぬ国会質問を多く出し、役人は非効率と知りつつも、専門性の低い大臣サポートのためもあって、夜中資料作りに追われる。小熊英二著「社会のしくみ」によれば、身分制、給与、働き方などすべてが官僚の世界から始まり、大企業がまね、やがて全国に広がっていった歴史がある。霞が関の権威が明治以降で一番落ちた現今とはいえ、その働き方を変えねば、法律の趣旨を汲んで働き方改革に取り組む企業や団体は少ないのではないか。

 筆者がインドに在住していたころ、インドの官僚に聞けば、国会質問は2週間前に提出しなければならないとのことだった。イギリス系の制度をとる国々は、議場が日本と異なり、先生が生徒に答弁する教室型ではなく、与野党の閣僚などが一つのテーブルに向き合って座り、文字通り議論しあう。日本のような答弁読み上げは考えられない。数字など基本的なことを問う質問には資料で対応すれば十分であろう。議場では、政治討論して、まさにやりあうのが仕事だ。日本の議場は、紙で書かれたやり取りを読むのが中心で、だから、面白くなく、議員自身がよく眠っているではないか。

 国会の非効率、官僚の非効率を改めることによって、全国のさまざまの組織がまねて改められる可能性は高い。それには、日本の組織のトップが専門性を持つことも重要だ。日本は資格や職業教育を重視しないから、何の専門性もない大卒を組織の卵として育て、いわばたたき上げでトップまで登る。技術系を除き、事務方がみなジェネラリストという形態が多い。たたき上げに時間をかけるから、長時間労働自慢の文化が保たれるわけだ。

 働き方改革の究極の目的は、労働生産性の向上だろうが、それは、単に労働時間を削るだけでは達成されない。職務に専門的に従事できる教育を受け、かつその専門性を維持できる人事を行わねば、いつまでたっても、日本は労働生産性の低い、集団主義ジェネラリストの国をやめることができないであろう。大学教育まで遡らねば企業文化の改革はできそうもなく、安倍政権の遺産である社会政策は牛歩の歩みである。

 

 

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