大泉ひろこ特別連載

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日本の社会と社会政策(1)Z世代とは団塊孫世代

2024-03-12 09:23:14 | 社会問題

 Z世代とは、アメリカでジェネレーションZと呼ばれる世代を日本に充てたものである。世代論は例によって多様な定義があるが、一般的には21世紀ちょっと前の1996年から2012年生まれとするのが多い。つまり、現在の青春期から新社会人を含む若者像が浮かび上がる。時代背景は、日本がデフレ真っただ中にあって、小泉政権の「自民党をぶっ壊す」政治が実は市場原理で立て直そうとし、一時期待された民主党政権があえなく崩壊した間に生まれた人々だ。

 世界中で最も消費意欲があるのは若者だから、社会学者が目をつけるより先にマーケティングの関係者はその動向を見守り、分析してきた。新大久保で韓国グッズを買い漁る女の子や、カエル化現象と言って変心の速さが好奇の目で見られることも多いが、何のことない、明治以来「近頃の若者は何だ、けしからん」の年寄りの時代遅れ感覚が語られるのすぎないのかもしれない。年寄りはデジタルネイティブの彼らについていけないし、「ヤバイ」「ムズイ」「キモイ」の新日本語が理解できない。尤もこれらの特徴はZ世代以前に始まっているのだが。

 しかし、Z世代の呼称を団塊孫世代と置き換えたならば、年寄りには戦慄が走る。団塊ジュニアの中心が1971-74年生まれであることを考えれば、Z世代は紛れもなく団塊孫世代なのである。1990年代に、人口学者は団塊ジュニアが創る第三のベビーブームが来ることを予想していた。したがって、89年の1.57ショックは、やがて人口増加の戦後第三の波によって収まると指摘していた。政府も、今となっては言わずもがなであるが、その楽観論に与し、方策の貧しさも加わって今日の「絶対的少子化」を招いた。90年代の予測によれば、Z世代は今の2倍存在していなければならない世代なのだ。

 まさに、Z世代はその存在からして「失われた世代」と言えよう。筆者は団塊世代であるが、同世代に聞けば、「息子が二人とも結婚しないので、孫はいない」「娘は高齢で結婚、妊活したがもう孫はあきらめた」「独身の息子のために年老いた母親が毎日メシをつくっている」との会話になる。別名就職氷河期世代の団塊ジュニアたちの重荷を背負うのが団塊世代だ。団塊ジュニアにとって、結婚するのもエリート、子供を持つのもエリート、複数の子供を持つのはさらにエリートである。小熊英二著「日本社会のしくみ」によれば、昔ながらのお父さん大黒柱の中産階級は団塊ジュニア世代の三分の一であり、エリートと呼ぶにふさわしい数になった。

 政府は少子化という名の人口政策を人口の量的部分だけとらえて、それに対応する金銭給付や保育所整備の数量増加だけを念頭に置いてきた。しかし、三分の二の非エリートを顧みることをせず、もっぱら三分の一のエリートに給付を施してきたのだから、もう間違いは明らかである。団塊ジュニアは「生殖期」を過ぎた。彼らは人口学者の期待を裏切り、第三のベビーブームどころか自分たちの半分にしかならない団塊孫の世代を形成したのである。政府が今の認識のまま少子化政策を続ければ、Z世代が日本を「取り戻す」ことに期待はできない。

 確かに、団塊ジュニアは就職氷河期にあって父母世代より厳しい経済環境にあったことは事実だが、彼らは、大卒は父母世代の2倍になり、習い事や玩具や旅行など近代家族の恩恵も受けた。この世代が人口学者の予想を裏切ったのは、量的にのみ人口問題をとらえる政府関係者ではわからない理由が潜む。団塊ジュニアは質的に団塊世代と異なる考えを持つ集団に育ったのである。団塊世代が大量生産大量消費を受け入れ、自分もその歯車になって社会におもねり、豊かさと成長を重視する人間であることを選んだのに対し、団塊ジュニアはもう少し洗練されていた。では、その団塊ジュニアという人口集団は、何を考え、Z世代に何を伝えて、日本を形成してきたのか、日本の人口の行く末に影響を与えていくのかを考えるべきではないのか。それがZ世代の活躍する日本を予測することになろう。

 それを考える糸口になるのが、ベネッセ教育研究開発センターが2006年に出した「幼児の生活アンケート報告書ー東アジア5都市調査」である。団塊ジュニアが子育て真っ盛りの時期に当たる調査である。中国(北京、上海)、韓国(ソウル)に比べ、日本(東京)の団塊ジュニアたちは、子供の早期教育や高学歴を目指さない傾向がある。明らかに、経済成長を目指す中国やアジア危機後の韓国は、がつがつと言っておかしくないほど、子供への投資や期待をあらわにしているのに対し、日本は、もう有名大学の時代ではない、お受験の時代ではないとの意見を多く持つ。日本は、低成長時代にあり、団塊ジュニアそのものが高学歴は身に着けたけれど、親以上の所得を得たわけでもなく、成長神話から身を引いている。

 団塊ジュニアは意外に、優しい、冷めた目を持つ存在だったのだ。優しさと客観性の中で育ったZ世代は、ドラスティックではなく、しなやかに日本を変えていく存在であると筆者はとりあえずの結論を書いておく。

 

 

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