感謝「乳がんステージ4で10年サバイブ」してしまいました。 (nya.2693)

ねこ、風太 巡回

風太と一緒にポンコツ事故車でドライブする楽しみを知った10年でした。(笑) (2024年3月15日)

まず最初に、天地人すべてに感謝します。

生まれ落ちた時代、国、風土、気候、天変地異、生まれ落ちた時私という種子を包んでいた知能、身体能力、容姿、性格、家族、友人、知人、同僚、好きな人も嫌いな人も、出会ったすべての人たち、本、音楽、アニメ、漫画、テレビ、日々の些細な選択、偶然も必然も当然も、永遠に知り得ない大きなナニカも、すべてひっくるめて一つでも欠けていたら、乳がんステージ4の体で10年間もサバイブすることは叶わなかったことでしょうし、「今、ここ」に私はいなかったでしょう。

このブログで励ましてくださった読者の方々も含めて、私を応援してくれた人たち、ほんとうにありがとうございます。

2014年3月12日(水)、46才、乳腺外科の診察室で、がん転移で真っ黒に映るほどの多発骨転移のPET/CT画像を見ながら「浸潤性小葉癌 乳がんステージ4」とがん告知を受け、「あ、こりゃ死ぬな」と思った日から10年経ちました。

正直に、今の私の感想はと問われると、シンプルに「なんとまあ・・・」と思っています。(笑)

自分が乳がんステージ4と知った時、当然のことながらすぐに「生存率」をググりました。

乳がんステージ4の「5年生存率は38.7%、10年生存率は19.4%」と知り、当然のことながら統計の「多数派」に自分を分類しました。

つまり5年後には6割、10年後には8割の同病の方がこの世を卒業しておられるのならば、自分は多数派に含まれるだろうと思い、「あと5年でこの世を卒業する」と仮定して、その間に身仕舞いをしつつ現実を受け入れた上で生きていこう「普通の暮らしを出来るだけ長く丁寧に生きよう」と思ったのです。

まさか10年後、自分が少数派へ分類されているとは、、、実際に「狐につままれたら」きっとこんな気持ちなんでしょう。

広い世の中のどこかに運のいい方がいて、乳がんステージ4でありながら10年後も元気に暮らされていることもあるのかもしれないけれど、「そんな」人はごく稀で、自分の身に「そんな」おとぎ話的なミラクルが起きると考えるほど厚かましくはなく、、、。

それなのに、、、今や私が「そんな」人なのですから、「なんとまあ・・・」としか言うほかありません。

でも、考えてみれば「10年生存率は19.4%」、同病の2割弱の方がサバイブされているということなのですから、「あり得ない」ことではないのですよね。

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ちなみに私の「闘病」の経緯は、がん告知時点で全身転移のステージ4でしたので、手術はせず、放射線治療とホルモン療法のみ、大小様々なすさまじい数の骨転移で骨がヤラレていましたので、最初の数年骨粗しょう症の治療をし、その間に多発骨転移が4か所に抑制されるミラクルが起こって、その後は現状維持、6年後にがん転移が10か所に再燃したため再度放射線治療をしてまたまた現状維持、今年になって腫瘍マーカーの数値が上昇したため分子標的薬「ベージニオ」の投薬を開始しました、、、以上です。

これらはすべて、基本月一の通院治療のみで行われ、2017年までフルタイムで働いていましたし、がん告知時点で「手遅れ」感が半端なかったために、酒もタバコもOKOK、何を食べてもOKOK、さらに幸運なことに多発骨転移でも激痛に見舞われることがなかったので何をしてもOKOK、どこへ行ってもOKOK、、、「入院」も「手術」もなし、、、。

つまり、ぶっちゃけ、要するに、何ということでしょう「闘病」らしいことなど何もせず現在に至っているのでした。合掌。

ですから、誰もが聞きたいであろう「乳がんステージ4で10年サバイブできた秘訣は?」という問いにも、「特に、、、何も、、、、ないです」と小さな声で答えるのが精一杯です。(笑)

強いて言うならば、生来の楽天的かつ大雑把な性分が幸いして「がんのことをあんまり気にせず、普通に楽しく暮らしていること?」くらいで、あんまり役に立たないんですよね。(嘆息)

ただ、あんまり何もしないのも、小市民的小心者である私には居心地が悪いので、「楽にできる」体にいいことで10年間継続しているものが5つあります。

①毎朝、「にんじん、りんご、レモンジュース」をスロージューサーで作って飲む

②毎晩、「枇杷の葉こんにゃく温湿布」をして1時間程度体を温める

③毎週、「鍼・温灸」治療院へ通ってメンテナンス・調整してもらう

④お風呂は必ず湯船に浸かり汗をかく、カップ1杯のお塩とお酒で体を洗う

⑤気が向いた時、愛猫風太と家の近所を1時間くらい散歩する

まぁ、これを「闘病」というのも「10年サバイブできた秘訣」というのは、いくらなんでもアレな代物です。(笑)

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ともあれ、そんなこんなで10年です。

自分の身におとぎ話的なミラクルが起きたことに驚きつつ、思いがけず10年という時が与えられたからこそ得られたものが多くあり、改めて「人間万事塞翁が馬」と感謝せずにはいられません。

最も感謝していることは、自分に「乳がんステージ4」という転機が訪れたことで、それがなかったら決してできなかったと確信している多くの物事を手離し、「本来の自分」に立ち返りつつあることです。

幼少期、学生時代を通じて、親や先生から多くの「大人になったら必要になるかもしれないもの」を教わって身に着けました。

実際に大人になってみると、それらの中に「結局いらなかったもの」が多々あることを発見しました。

折に触れて、不要なものを捨てて身軽になると同時に、今度は社会人として求められる様々なものを身に着けたり、時には自分を変質させたりすることが求められました。

私は28年、馬車馬のように働き続ける社会人生活を送りました。(嘆息)

自分にとっての「要不要」を顧みる余裕などなく忙殺される日々、新入社員の頃に苦痛に感じていたことも、いつの間にか社会人としてサバイブするために必要で当然のスキルとして馴染んでいきました。

そんな時に「乳がんステージ4」という超ど級の転機です。

生活も価値観もすべて再構築し、「生き直す」ことを求められます。

「乳がんステージ4」という病を得たことは決して「幸運」ではありませんが、転機の後、捨てられるものの多さを実感した時、いっそ清々しい解放感を覚えました。

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社会人として忙殺されていることを言い訳にし、拾うことはあっても捨てることを怠ってきたために、抱え込んだままになっていたアレコレを捨ててみて、不要なものを抱えていることを「重い」と感じる感覚すら麻痺していたのだと知りました。

10年前、がん告知を受けてすぐ、まずは物理的に自室から段ボールで10箱分も捨て、諦めきれずに並べていただけの靴を何十足も捨てました。

数年後、会社を辞め、年賀状も止め、人間関係を整理しました。

そして最後に、根源的に自分を拘束し、最も長く苦しめていた承認欲求という「呪い」を脱ぎ捨て、「もう2度と、自分を責めない、裁かない、戦わない」と不戦の誓いを立てた時、本当の意味で身軽になった自分に、ふつふつと喜びを感じました。

もちろん、キングオブ凡人の私が「超ど級の転機」を得たからといって、一度に捨てられたはずはありません。

もんもんとし、ぐずぐずとし、ウロウロし、オロオロし、人の心にも「慣性の法則」があるのだと噛みしめながら、未練たらたらで捨てたのです。(笑)

「ああ、身軽になったなぁ」と思えるようになったのは最近のこと、私が身軽になり「本来の自分に立ち返りつつある」と思えるのに、「10年」という膨大な時の流れが必要でした。

2014年3月に「浸潤性小葉癌 乳がんステージ4」と診断を受け、「あ、こりゃ死ぬな」と思った日からの10年、望外に私に与えられた猶予があったからこそたどり着いた地点、「今、ここ」に私は立っていますし、その猶予が与えられた僥倖に心から感謝しています。

ほんとうにほんとうに、「人間万事塞翁が馬」です。

ねこ、風太 巡回

今なら、道元禅師の言葉『放てば手に満てり』の意味することが、身に沁みてよく分かります。

そして、私のような凡人は「超ど級の転機」でもなければ、自発的に『放つ』ことなど決してできなかっただろうということも、よぉ~く分かります。(笑)

たとえば、馬車馬のように働いていた頃には「自分は忙しくしているのが性に合っている」のだと思っていましたが、退職して何年もプータロー生活を送り、飽きることなくぐうたら生活を楽しんでいる私は、「忙しいのが大嫌い」だったことを思い出しました。

社会人時代「陽キャで仕事が出来て頼れるリーダー」に擬態していましたが、本当は休日に予定を入れることが大嫌いで、「ひとり時間」が確保できないと苦痛に感じる陰キャ、そのために「趣味は読書」と公言し防衛ラインを引いていたことも思い出しました。

時間的余裕も体力的な余裕もなかったためにすっかり忘れていましたが、大学時代に自炊をしていた私は、音楽を聴きながら料理をすることが好きだったことを思い出しました。

こうして時間をかけて「本来の自分は、人と群れることも歩調を合わせるも不得手、自分のペースでまったりすることが好きだったんだなぁ」と自分を再発見する、そんな具合です。

10年という歳月のお陰で、私の内面世界は大きく変容を遂げたのですが、もちろんそれが「ゴール」を意味する訳ではありません。

生きている限り、迷いの森を手探りで歩いていくことに変わりありません。

山頭火が前書きに「解くすべもない惑ひを背負うて行乞流転の旅に出た」として詠んだ歌

『分け入っても分け入っても青い山』

のように、生きている限り迷いに終わりはないのであり、ある時、必ず訪れる「この世を卒業する瞬間」に立っているソコが、自分の人生の「ゴール」なのだと思い定めて生きる他ありません。

その地点を高いとか低いとか、遠いとか近いとかと嘆くのも詮無いこと、ただただ「ああ面白かった、私なりに、なかなかよく頑張りました」と思いながら目をつむれたなら優勝です。合掌。

ねこ、風太 巡回

2014年3月12日、「浸潤性小葉癌 乳がんステージ4」とがん告知を受け、強制的に「生き直すこと」となった時、時間の使い方も考えるようになりました。

幼少期と学生時代、自分が何者かも知らず、体の成長に追い立てられるかのように変化することを余儀なくされ、歳月は飛ぶように過ぎ去りました。

社会人となり、社会に仕事に求められる人材となるために、「成熟と変質」の曖昧な境界線上で、生活も仕事も「クオリティを保ちつつ時間内に終わらせる」という達成感を栄養として、体の悲鳴をねじ伏せ、馬車馬のように働き、やはり歳月は飛ぶように過ぎ去りました。

そして、10年前の3月、がん告知を受けた私は、ようやく人生の時間は有限であることを実感し、「歳月は飛ぶように過ぎ去りました」だけではない生き方を模索し始めたのです。

これまでは自分の持つ「意志や意識」の方が、体の発する快不快よりも優先されると思って、大小様々な人生の選択をしてきました。

魂が主人であり、体は従者、魂が運転手で、体は運転手の意を受けて走る車。

幸運なことに五体満足な体で生まれ、よく走る車を得た私は「こんな所に行きたい、こんな風景が見たい」と望めば、体は、坂道でも夜道でも暴風雨でも、うんうんと唸りながら走り、最大限望みに応えようとしてくれました。

ドライブに夢中になっていた私は、体のあちこちから聞こえていた不調を示す異音を無視して車を走らせ続け、結果、大事故、体という車を「乗りつぶして」しまったことを知ったのでした。

慌てて修理し、何とかドライブを続けられるようにはなったものの、以前のように走らせるなんて怖くて出来ないポンコツ事故車になってしまいました。

、、、、、ところが、人間万事塞翁が馬、こいつがなかなかいい奴なんです。

、、、、、実のところ、案外気に入っています。(笑)

ねこ、風太 巡回

ポンコツ事故車はいつもどこかが不調で、やっとの思いで治してもすぐに別の不調が現れます。

最高時速を試すなんて恐ろしいことはせず、定期的にメンテナンス、ノロノロ運転しているのに、予期せぬ時にガス欠、エンスト、異音発生、急いで修理業者に連絡することもしょっちゅうです。

ただ不調があっても、イライラすることもなくストレスフリー、そこが気に入っています。

まず、誰がどう見ても立派な「ポンコツ事故車」の私は、「どうしてもっと普通の速度で走らないの」とか「どうしてそんな所で停まっているの」という外野の雑音と無縁になりました。

また、10年前の大事故の後、どんなに修理しても走らせることが出来ずに廃車になっていたかもしれない「ポンコツ事故車」なので、いつまで走ってくれるのかは「神さまの領域」、考えることを放棄しています。

私は自分が「ポンコツ事故車」をダマシダマシ走らせていることを知っていますし、自分が壊してしまった「ポンコツ事故車」が、想定よりずっと長く快適に走ってくれていることに感謝しています。

立ち往生するような不調に見舞われる度に「遂にその時が来た、ここまでだったのか」と、氷の刃で胸をつかれたようにヒヤリとすることには慣れませんが、もしその通りだったとしても「うんうん、よくここまで頑張って私を運んでくれたねぇ、ありがとうありがとう」と思わずにはいられません。

それよりも、今の私には、予期せぬ場所で立ち往生するような不調に見舞われる度に、こんなことでもなかったら、じっくりと見ようともしなかった風景が目の前に広がっていることへの喜びがあります。

快適な車でドライブしていたなら、「のんびり行こう」と頭では思っていても、ついつい次のサービスエリアのグルメに気を取られてアクセルを踏んでしまうのが人情ですが、今の私に高速道路は無縁の存在です。

道端に季節の野の花が咲いていたら減速、スピードの速い車が近付いてきたら路肩で停車、一服して走り出した途端にエンスト、「おお、今日の雲の形は面白いな」と空を眺めて笑うばかりです。

速く、遠くに、効率良くとは真逆のドライブ、こういう「時間の使い方」が私には合っていますし、幸せを感じます。

ねこ、風太 巡回

「人生は有限で、残された時間を有効に使う」なんて勤勉な生き方は、自分には「とんと向いていない」と得心する10年でした。

死の渕を覗き込むような大病を患っても、もともと大雑把な人間が急に繊細な人間に変わるはずもなく、むしろ「私という人間は、生死がかかった薬でも飲み忘れるのか」と愕然とすると同時に、ブレない自分に安堵もするのです。(笑)

10年前の2014年3月、「これからも、普通の暮らしを出来るだけ長く、丁寧に生きていこう」と心に決めて「生き直し」を始めた時は、もう少し勤勉な自分を想像していましたが、実際には、愛猫風太と田舎の自然の中に身を置き、四季を感じながら散歩することが、私にとっては最も自分らしく、心底幸せを感じられる「時間の使い方」でした。

風太と笑いながら抜きつ抜かれつ散歩をする時、夜ベッドに入り、横向きに寝た私の顔の前で、風太が顔に背中を押しつけるように丸まって、小さなゴロゴロ音を聞く時、満たされているなぁと思います。

「ああ風太、私たちって幸せ者、雨露を防ぐ家、寒暖や飢えに怯えなくてもいい暮らし、美しい自然、降り注ぐ太陽、四季の風、体調を優先して疲れずに営む生活、笑い合って、互いを温め合う体温、これ以上の幸せってある?」と、何度も思います。

がんの治療も人の生き方も「正解」はなく、「正解を求めて楽になりたい」という気持ちが返って人を苦しめます。

人生は有限で、残された貴重な時間を「ポンコツ事故車に乗ってドライブ、時々風太と散歩」、なかなか人におススメしずらい「時間の使い方」ですが、自分が幸せを感じられたなら「合格」です。(笑)

以上が、乳がんステージ4で10年サバイブするという僥倖を得た私の、10年目の感想です。

末尾ながら、皆々様のご健康とご多幸をお祈りいたします。

これからも何とぞよろしくお願いいたします。合掌。

ねこ、風太 巡回

田舎猫、風太、男、10才、「今年、相方56才と同い年になりました。元気です。」

追伸、このブログを書くにあたって「10年間サバイブ」した私を励ましてくれた曲は何だろうと考えました。

昔々から吟遊詩人が人々の心を慰めたように、旋律を伴って語られる詩は、幾千の言葉を連ねた散文よりも心の奥深くに届く魔法の力があると思うのです。

一つ目は、『千と千尋の神隠し』のED曲『いつも何度でも』。

『生きている不思議 死んでいく不思議 花も風も街もみんな同じ』と何度くちずさんだか分かりません。

二つ目は、『ハイキュー!!』のOP曲『ヒカリアレ』

思えば私は、がん告知を受けた時から今まで「光を失った」と感じたことは一度もないのです。

だから、もっともっと「ヒカリアレ」と「フルボリュームで叫び」たい気持ちに共鳴するのでしょう。

『君の今日の輝きが 迷える友の明日を照らすよ』

私がポンコツ事故車でのんびりドライブ、風太とポテポテと歩いて散歩しながらサバイブした10年間は、決して「輝いて」はいないのですが(笑)、私が「今、ここ」にいることが、同病の方の慰めになればいいなぁと、祈りながらこのブログを続けました。

三つ目は、『プロフェッショナル 仕事の流儀』のOP曲『Progress』

『ずっと探していた 理想の自分って もうちょっとカッコよかったけれど ぼくが歩いてきた 日々と道のりを ほんとは”ジブン”っていうらしい』

『世界中にあふれているため息と君とぼくの甘酸っぱい挫折に捧ぐ… “あと一歩だけ、前に 進もう”』

この曲が今の私の「にゅうがん4な私と風太(日本猫)のららら田舎生活」の心境にピッタリだと思っています。

(おしまい)

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感謝「乳がんステージ4で10年サバイブ」してしまいました。 (nya.2693)” に対して10件のコメントがあります。

  1. May より:

    ふるゆらさん

    10年、おめでとうございます✨
    とてもとても感慨深くなりますね。
    これからもメンテナンスしながら、ゆったり進めそう。
     
    ブログにある「楽にできる体にいいこと」、私は何一つやっていないので焦りました 笑

    今後も自然のエネルギーを写真を通して送ってください。穏やかに健やかに過ごしてまいりましょう♪

    1. ふるゆら より:

      Mayさん、ありがとうございます。

      乳がんステージ4で10年サバイブしたのですが、感じるのは「私の力ではない」ということです。

      私が自然に囲まれた暮らしをしていなかったら、どんなことになっていたのでしょう、、、。

      ちっぽけな人間があわわあわわと右往左往しながら生きている時の流れとは別の、大きな自然の循環する時の流れが傍らにあることを感じられることが、私の心の健康を大いに助けてくれています。

      「ああ、きれい」と思った風景を自分以外の人にも見て欲しくて、それに共感してくださる人がいるなんて素敵なことです。

      「楽にできる体にいいこと」は、本当にいいかどうかは置いておいて、無理のない範囲で「やっている」感が持てることが重要なんですよ。(笑)

      これからもお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

  2. 絵里 より:

    ふるゆらさんが綴る、風太くんとの二人三脚の毎日に、どれだけ力づけられているか。ありがとうございます。せっかちな私は、がん治療にともなうあれこれの不調にふりまわされて、疲弊しがちでいます。そんな時、ふるゆらさんのブログで「自分のペースでゆっくり生きていく大切さ」を思いださせてもらっています。感謝です。

    1. ふるゆら より:

      絵里さん、ありがとうございます。

      こちらこそです。

      絵里さんをはじめ、同病の方から折に触れてコメントをいただいて、「みんな一緒、生きていればいろいろあるのが普通」と、ざわつく心を慰めていただいています。

      身近にいてくれる愛おしい小さな命に心を温めてもらいながら、これからもポテポテ歩いて、この星の長期滞在型リゾートを大いに楽しみましょう♪

      これからもお付き合いのほどよろしくお願いいたします。合掌。

  3. たにぞう より:

    お疲れさまです。
    引き続き、ぼちぼち、ふるゆらで♡
    いつもありがと!

    1. ふるゆら より:

      たにぞうさん、ありがとうございます。

      がん告知を受けた早春、空を見上げて、あと何度桜の花を眺められるのかと思いましたが、何と11回目の春が巡ってきました。

      12回目も眺められそうな気がしています。(笑)

      これからもお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

  4. sizu より:

    ふるゆらさま おめでとうございます。
    長い10年!!本当に無事に超えられて良かったです。
    手術を受けられずに10年保つことがどんなに心配だったか
    覚悟や選択がどんなにあったことか想像します。
    昨日拝読いたしましたが、簡単には直ぐに書けず、ごめんなさい。
    本当におめでとうございます!
    とにかく現状維持で充分に普通の生活されていますし、稀有なことと思います。
    人間の寿命とは、不思議なものです。

    1. ふるゆら より:

      sizuさん、いつもコメントをくださり、励ましてくださってありがとうございます。

      日々を平凡に生きることしか出来ない私ですが、そんな凡人が、乳がんステージ4で10年サバイブしている事実は、誰かの心に希望の火を灯すかもしれないと思うので、これからものんびり生きていこうと思います。

      これからもお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

  5. タコス より:

    ふるゆらさま
    ずっと続けてくださってありがとうございます!
    感謝の気持でいっぱいです。

    みんなで喜びを選択しながら生きていきましょう。
    末永いお付き合いをよろしくお願いします。

    1. ふるゆら より:

      タコスさんありがとうございます。

      ステージ4の「のら患者」同士、これからもお付き合いのほどよろしくお願いいたします。

      足元に咲く野の花を見逃さないように、のんびりポテポテ歩けば、この星は美しい風景でいっぱいです。

      がん告知を受けた早春、あと何度桜が見られるのだろうと見上げた花吹雪、なんとまぁ、この春で11回目です。(笑)

      そして12回目も見られるのでは?と思っていますよ♪

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