むらくもは ねをのしふくふ あみしろし みあふくふしの をねはもくらむ
叢雲は 嶺を載し葺く布 網白し 見仰ぐ富士の 尾根はも眩む
網目も白く布引の雲に頂を載せ上半分の富士の尾根が輝いている
下半分は編みがかったような雲の中だ
はも:は‐も [連語]《係助詞「は」+係助詞「も」》感動・詠嘆を表す。…はまあ。…だなあ。
斑雲羽根を伸し吹く風 網白し 見仰ぐ富士の 尾根はも眩む
大風に吹かれ斑雲が羽根の形に長く伸ばされている
残雪と山肌が作る網目のような山体模様も羽根の形の繊細な雲の様子も白さが眩しい
叢雲は 峰を除し覆く布 網白し 見仰ぐ富士の 尾根は潜らむ
網目も白く布引雲が富士を取り除いたように覆い隠し
富士はすっかり潜っている
叢雲は 音を伸し噴く怖 畢知ろし 見仰ぐ富士の 尾根はも暗む
叢雲は轟音と共に吹き上げる噴煙だった
恐怖を噴き 畢=終わり を知らしめる尾根は暗く
回文和歌 富士四態相重奏
おぼえがき
この歌は2016年11月23日に出来た歌です。
「叢雲は~は潜らむ」を思い付くとすぐにすんなり出来たのですが、途中で噴火の様相が重複している事に気付き今までに感じた事の無い静かで重い震撼に震えたのを覚えています。この時の「暗さ」と怖さは、日本の終わりを知らせる暗さとその怖ろしさでした。悪い人が過半数を超えると富士山が怒って噴火して日本の国土から人間を追い出すというシナリオがあるようですね。日本から日本人が居なくなるという事は民族の滅亡で、それは地球から日本が無くなる事でそれは地球の終焉です。富士山の噴火=地球の終わり。
この歌を始めて歌集に入れたのは2017年1月の「鏡 歌」でした。これを出す時に見直しているとさらに2つ重複している事に気付き全部で4つの富士の様相が重奏になっていてまた震えました。
たぶんおそらく4つだと思います。今回玉置神社に奉献させていただこうと再度過去の作品を見直していて「斑雲羽根を伸し~」に気付いて、また増えた5つかなと思った事もあったのですが、漢字を整理してみてやはり4つだと思いました。
いつ噴火してもおかしくない富士山の噴火ですが、無難を願っています。
先日に、玉置神社の摂社三柱神社の初午祭に参列させていただきました。玉串奉納までさせていただけるとは知らずに思いがけない事で感激でした。2月半ばくらいにはがきで参加不参加のお問合せが届き、今は無理だと思って不参加に丸を付けたのですが、手が止まったのです。それでも、なんとか「残念ながら欠席を・・」と書くと、それ書いちゃうの?行かないの?と胸まで痛く悲しくなってきたのです。え??と、でも待って、今行ける?こんなで?と、でも胸が悲しくしている。無理だと思っていたのでそんな予定は排除していたけど、行かないの?と言われると行くことを想像しただけでもちろん嬉しい。でもこの仕事の山を?!いいの!?その間1分くらい。で、もう半分以上行くことにしている。するとなんだか急に私の今までの和歌を奉納させていただきたくなった。それから徹夜続きで今までの作品を見直し編集し折本を手作りした。この叢雲の富士四態相重奏はこの見直しでやっと完成出来たと感じました。今までの最速記録製本作業でした。途中無理かなとあきらめたのですが、徹夜して出なければいけない時間の直前に出来上がりました。心残りは、折本は本当はフノリを使いたかったのですが、粉もあってでも溶いてノリにしている時間も乾かす時間も無かった。
そのはがきからほどなくして修繕寄付の凄いお礼のお品が届いて、やはり参拝させていただくのだと思いました。
本当に素晴らしい参拝でした。
最後に3000年の神代杉にご挨拶しようと再度その場所まで行くと、敷居を跨いで目に入った途端、「また来なさい」と胸に浮かびました。「はい」と言いました。
この参拝でやはり行って大正解だったと思いましたのは、
玉置神社では現在続いている令和の大修理ですが、いよいよ本年から本殿に着手されるとの事で、いつになるかは言及されませんでしたが、いよいよ本殿に建屋が掛けられ全て覆われてこれから先何年も本殿を見る事が出来なくなるのでした。境内の全てが終わるのは最大20年と言われていました。
またいつか必ず行くことでしょう。