母と私のこれからの関係。 | うつ病母の介護生活を経て、自分らしい人生へ

うつ病母の介護生活を経て、自分らしい人生へ

3年にわたる壮絶な介護と7年の施設と精神科の通院付き添いの後、親から卒業し、40代にして自分の人生を歩み始めた私が
幸せに生きるヒントをお届けします。

シンボリックセラピスト齋藤浩美です。

昨日は、母の施設にお見舞いに行ってきました。
母は今、市内のグループホーム(※)に暮らしています。

一緒に暮らしていた時と違い、通院時も施設のスタッフの方が助言してくださるので、家族の負担は大分楽になりました。

母自身も色々と問題はありますが、比較的ノビノビとやりたいことを見つけては、スタッフの人の力を借りて過ごしているようです。

そこでタロットに聞いてみました。
これから母とどんな風に向き合っていけば良いのか?


(右)運命の輪 (左)隠者

王冠をかぶったスフィンクスが車輪の猿と犬を上から見ている絵です。
それを隣で老人がランプで照らしながら、スフィンクスを見守っています。

どちらかというと、運命の輪は、母の施設の事を、私はその隣の隠者のようです。
ここから
母の施設の様子を見守ること。何かあったら、病院の先生や施設の上の人に話し、一緒に対処すること。母、他の入居者、施設スタッフ、病院…全体を見て、よく考えてから判断すること。

と、二枚から感じました。

それから数日。
先月、母の病院付添い日で、スタッフに家にあった昔の洋服を渡しました。
スタッフの方から要望があったのです。

母の洋服は今も施設にもたくさんあり、スタッフの方が整理してくださっている状況。

お話を聴いた時に、まだいるのかな?あせると正直渋っていました。
お気に入りの洋服を洗っても他の服には目もくれずに、すぐ着るそうです。
他の入居者の部屋に入ることもあったそうですあせる

そこで、先月から少しずつ家にあった洋服を持っていくと、その行動が無くなったとの連絡が。

ああ、そういうことなのか・・・。
改めて私は、この二枚を思い出しました。

これからは、私中心で母を見て判断するのではなくて、母と私の間にスタッフが入って、私にはわからなかった母の気持ちや要望を教えてくれるのだなと思いました。

離れて暮らすのは、こういうことなんだなとしみじみ痛感しましたえーん

母の事を理解してくれる人が増えて、私一人が抱え込まなくてよくなった反面、どこか寂しさを感じます。

そして、昨日施設に行くと母の部屋を見ました。

大好きな氷川きよし、気になる新聞を切り貼りしては壁に飾ってあったり、塗り絵には、私の家族(母の中には、私が結婚して子供が二人いる事になっている)の名前が書いてあるのを見て、私はいたたまれなくなって泣きました。

母は口にはしませんが、孫を望んでいたのだなということ。
自分の好きなもので、部屋を満たして自分の世界を楽しんでいるのだなということ。

私には話すことはありませんが、こうして飾っているのを見ると私にはすごく申し訳ない気持ちになります。

この私と母の状況はうつ病が始まった12年前と変わらず、平行線のままです。

それならば…
もう私は、施設で穏やかにすごせるように外から見守ろうと改めて決心がつきました。
外側からできることは決まっていますが、それを残りの課題としてやっていこうと思いました。

何となく気になっていた母との今後の関係。
タロットで思いを整理して、実行することの大切さを再確認しました。

※グループホームとは?
認知症の高齢者が共同生活を送りながら、専門スタッフやヘルパーによる身体介護と機能訓練、レクリエーションなどを受ける施設。
入居者は、1ユニット=9名と決められていて、病院的な雰囲気のある特養施設と違い、一人一部屋割り当てられていて、比較的家庭的な環境です。


※画像のタロットは、mamanmiyuki様のタロットを使用しています。