象が転んだ

たかがブロク、されどブロク

数学はイカサマを超える〜誘惑に負けない為に

2024年03月28日 15時13分43秒 | 独り言&愚痴

 違法賭博自体がいけないのか?賭博そのものが違法なのか?そもそも賭博自体がインチキなのか?
 かつての天才数学者も賭博にハマってた時期があったのだ。”青銅の輝きをもくすむ500年先を行く・・”と謳われた数学の天才児ヘンリク・ニルス・アーベル(1802~29)だが、彼もまた”賭けトランプ”の誘惑に打ち勝つ事は出来なかった。
 オスロ大学時代の彼は、図書館から次々と数学の書物を取り出しては読みふける毎日だったが、違法トランプは唯一の楽しみだったのかもしれない。


天才アーベルのケース

 18歳で国会議員の父を亡くし、貧困の淵に落とされたアーベルだが、”長生きすれば世界一の数学者になれる”と教授らに太鼓判を押され、国費でのヨーロッパ大陸留学が認められた。当初のスケジュールには、ゲッチンゲン大学のガウスに逢う予定が入ってたが、”ベルリンではガウスの事は神様みたいに言われますが、腐りきった講義をする事でも有名です”と書き残し、友人らの誘惑に負け、南ヨーロッパの大旅行を企てた。
 しかし、このプランが後々大きな借金を背負う羽目になるのだが・・・
 半年後、パリに戻ったアーベルだが、既に資金が底をついていた。自信を持って書いた”パリの論文”は全く相手にされず、一方で、友人たちには借金の申し込みを乞う手紙を書きまくる始末だ。
 その後、知人の多いベルリンへ戻り、仕方なく”賭けトランプ”で生計を立てた。薬剤師の家に押しかけては必ず勝って帰るのだ。
 ”僕はイカサマをした。でも僕にはお金が必要だし、それにイカサマは簡単だった”
 誘惑に弱い天才青年は賭けトランプと並行し、楕円積分論の第1論文を書き上げ、友人のクレルレ氏に送り、僅かばかりの原稿料をもらった。だが、クレルレの数学ジャーナルも経営危機に陥り、アーベルは仕方なく借金塗れのままノルウエーに帰国する。

 貧困の彼を待ってたのは、奨学金の打ち切りだった。更に、オスロ大学にはアーベルを受け入れる予算もポストもなかった。その上、(毎年多額の寄付を約束していた)亡き父の借金も重なり、更に、弟のヘーゲルはアーベルの名を使い、借金をしまくっていたのだ。
 アーベルは数学・ドイツ語・フランス語・賭けトランプと、ありったけの知識を総動員し、家庭教師に埋没する日々が続く。
 第1論文が世に出て、アーベルの名はヨーロッパ中で囁かれる様になり、続けて書いた第2論文も好評だった。まさに、楕円積分論が数学史上に現れた瞬間でもあった。が、アーベルにしては学生時代にほぼ完成してた研究で、退屈凌ぎに書いた論文に過ぎなかったのだ。
 アーベルが夭折する1年前、ヤコビの論文を見て、天才の顔は青ざめた。自らの独壇場だと思ってた楕円積分の公式が証明なしに書かれてたのである。これらは全てアーベルの理論から容易に導かれるものだが、彼の名は一言も記されてはいない。つまり、パリアカデミーに無視された楕円積分論(パリの論文)が無断で使われたのだ。 
 アーベルは気を取り直し、蒸留酒を飲み干しながら、ヤコビの公式を遥かに凌駕する第3論文を一気に書き上げ、「天文学報告」のシューマッハーへ送った。
 ”アーベル君の証明は実にエレガントで、深い所まで展開している。少なくとも私の1/3は先を行っている。お陰で私の仕事はなくなった”と、楕円積分論の著書を出す予定だったガウスを深く落胆させた。
 ”パリの論文”が紛失した事を薄々感じ取ったアーベルだが、その特殊な場合を扱った「超楕円積分論」(積分法)を書き、クレルレに送り、翌年の1月に発表された。”積分を計算する事なく、積分関数の性質が判るという定理には全くの驚きです”と、ベッケルがガウスに宛てた手紙には、論文紛失の疑惑についても書かれていた。
 この今世紀最高とされる”パリの論文”は、今では”アーベル=ヤコビの定理”と呼ばれ、”以降150年先に渡る宿題を数学者らに残してくれた”とルジャンドルに言わしめた。
 この3ヶ月後には、アーベルは帰らぬ人となる。
 以上、「天才数学者はこう解いた」(木村俊一著)を参考に纏めました。


数学はイカサマを超える

 アーベルの様に、500年先を行く天才ならイカサマをしても負ける事はないだろうが、ギャンブルにおいてはプレイヤーが儲かる事は殆どない。そこで、ギャンブルの危険性を数学の視点から考察する。
 賭博に相手を引き摺り込みたい時に、胴元らが囁く、以下の”必勝法”がある。
 例えば、最初は1万円を賭け、負けたら2万円を賭け、また負けたら次は4万円を賭ける。この様に、負けた時は次に倍の金額を賭ける事にすれば、いつかは勝ち、その勝った時点ではトータルして1万円の利益が出る。更に、勝った時の次は再び1万円の賭けから始める方法を”マーチンゲール法”と呼ぶ。
 以下、「ギャンブル依存”いつか勝つ”が難しい数学的根拠」より簡単に纏めます。

 一見、必勝法にも思えるが、この方法の一番の問題点は”いつかは勝つ”という所にある。
 事実、”n回目までに必ず勝つ自然数nは存在するのか”と自問すれば分かる様に、nをいくら大きくしてもそんな自然数は存在しない。一方で、どんな資産家でも賭け金には上限があり、連続して負けられる回数にも上限がある。つまり、その回数を超えないうちに勝たなければ、マーチンゲール法は成立しない。
 これは数学と言うより人間の限界である。

 一旦、ギャンブル依存症に罹ると、いくら数字や統計学を使って説明しても、その危険性に耳を傾けなくなる。実際、「新体系・大学数学入門の教科書」の著者・芳沢光雄氏はポアソン分布の様な”稀に起こる事象”を扱う統計分布を使い、パチンコで大当たりが何回か出て”勝って帰れる”確率を実際に計算した。
 例えば、1球当たり大当たりになる確率は1/3333、1時間に5000球打てるとして、その間に大当りが4回以上出る確率は僅か約6.6%だ。
 その程度の確率にも関わらず、大当りが出るとドーパミンが大量に噴出し、まるで世界を牛耳った様な錯覚に陥る。一方で、全く出玉なしの時は、帰る時には”もう2度としない”と心に誓い、項垂れた様に帰宅する。

 ギャンブル依存症が怖いのはここからで、数日後にはその反動からか、負けた時の”誓い”より勝った時の”思い出”が強くなり、再び店に出向く。そんな事を繰り返すうちに、借金がかさみ、クレジットカードの限度額を超え、更にはヤミ金にも手を出す。
 この段階に至ると、もはや合法賭博のパチンコでは満足できず、バカラやポーカーなどの闇賭博にも手を染めてしまう。つまり、一気挽回を目指すが故に、違法賭博に浸かる。
 賭博自体は何も生産せず、人々が既に得た収入の一部をかすめ取るだけのものである。
 以上、東洋経済からでした。

 数学はあらゆる生産の基礎となるだけに、”数学的なものの見方”が生きていく上でもとても重要になる。
 賭博でも、数学的ものの見方が出来れば、頭の中は常に論理的で、どんな状況に陥っても冷静さ取り戻す。故に、勝っても負けても自分を見失う事はないであろうか。
 野球も同じで、点差が開くと選手は冷静さを欠き、打者は大振りを繰り返し、緩慢なプレーが目立つ様になる。やがてチームはバラバラになり、ゲームが雑になる。強いチームと弱いチームが明確になり、野球賭博の格好の餌となる。
 私が思うに、野球賭博が存在するのはどんなに点差が開いても9回までダラダラと行うからで、高校野球のコールドゲームの様に、10点以上点差が開いたらその時点でゲーム終了にすれば、違法賭博には不向きになる。言い換えれば、野球という競技は違法賭博に都合がいいのだろう。


最後に〜水原一平のケース

 水原氏は典型の苦労人である。学歴詐欺だって苦肉の策だったであろう。
 苫小牧市の地元ですし店を営んでた父が、91年にロスで板前を始める事となり、一家で移住。元々気が優し過ぎるせいか、20代の
水谷氏は職探しに苦労してたという。
 その気持ちの優しさが、同じ様な大谷選手とは気があったのだろう。だが、その優しさと人の良さが今回は大きな仇となった。勿論、優しい人が全てギャンブル狂に陥る筈もないが、内心はかなりの葛藤があったろう。
 一方で、水原氏は派手さはないが、真面目でよく働く青年だった。将来の事を考え、父はカジノのディーラー養成学校を勧めた。が途中で挫折する。縁があった筈のギャンブルだが、悪い方の目が出てしまったのだ。

 ただ、今回の件があっても、私には水原氏を他人には思えない。誘惑に弱い彼の優しさは私の優しさによく似ているからで、彼の脆さも私の脆さとよく似ている。一方で、大谷の優しさは”ダメなものはダメなんだよ”と言える優しさである。つまり、誘惑に強い優しさにある。
 しかし今回の会見では、その大谷の口から何度も”嘘をついた”との言葉が出た。私はこの大谷の言葉は本心ではないと思うし、会見での虚ろな目はそれを証明していた。
 7億近くもの大金を本人以外が簡単に送金できるか?という疑いには、簡単に出来るという声と、システム上不可能だとの声もある。
 どちらにしろ、7年も身を寄せて付き合い、大谷選手が水原氏のギャンブル狂に気付かない筈がない。
 発言を撤回した事が水原氏の優しさだったとしたら、今回の一番の犠牲者はやはり、水原氏である。
 そういう意味で言えば、大谷の記者会見はやるべきではなかったし、あの会見で一番傷ついたのは大谷自身であろう。


追記〜私のケース

 天才アーベルや水原氏に負けず劣らず、私も誘惑に弱い。
 昨晩も呑みすぎてほろ酔い気分になってた時に電話が鳴る。何時もの飲み知人だ。但し、友人ではなく知人である所に注意です。
 ”久留米もコロナ渦が明けて2年にもなる。そこそこ店も再開してるらしい。久しぶりに羽根を伸ばそうじゃないか”
 ”いや久留米はもう終わったね。昨年11月に行った時は、誰もおらんかった”
 ”それが今は女の子が戻りつつある。昔程じゃないけど・・”
 ”行きたいのは山々だけど、もう飲んでるし、柳川の駅前なら・・”
 ”俺はまだ飲んでないから迎えに行くよ。帰りは代行を使えばいい。平日だし安い店知ってるから・・”

 私は”安い”という、この言葉にまんまと騙された。誘惑の第一歩は”安い”という決めセリフである。
 知人はすぐにやってきた。途中コンビニで僅かばかりのお金を下ろし、久留米の繁華街へと向かう。ただ平日なせいか、人混みは思った以上に少なかった。
 某会館の無料駐車場に車を停め、少し距離はあるが裏通りを抜け、近道を辿る。確かに知人が言う通り、昔ながらの飲食店は復活してるみたいだ。
 結果を言えば、3件をハシゴしたが、どれも外れだった。日本人も含め、子持ちのシングルマザー系のアルバイトばかりで、若い娘もいたが体型は微妙に崩れていた。
 教育を受けていない農村出身の娘が多く、殆ど会話が弾まない。若い時はそれでも誤魔化せるが、30過ぎたら確実にアウトである。多分彼女達は、バクテリアの様に日本に棲み続け、子供の為に働くだけの無機質な人生で全てを終えるだろう。

 そういう私も”生産性がない”と判っていながら夜の誘惑にしばし負けてしまう。どうしても、若い頃の魅惑に思えた夜のイメージが頭から離れないのだ。悲しいかな、誘惑とはそういうものである。
 前述した様に、誘惑は何も生産せず、収入をかすめ取るだけである。
 それでも天才アーベルは難病と戦い、”500年先を行く”論文を書き上げ、ヨーロッパ中にその名を轟かせた。一方で、水原氏と私はこのまま誘惑に負け、無機質な人生を終えるのだろうか。



6 コメント

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オオタニはいったい何者? (tomas)
2024-03-28 19:12:16
という声がアメリカでは多いですよね。
日本とは正反対の現象ですが
”大谷は何者なのか全く分からない”というイメージが根強いみたいです。
他方でこの事件により大谷の素顔が暴露されるのではという期待もあるようです。

流石に週刊文春は鋭い所を突いてきます。
私も今回の件は半々だと思ってます。 
tomasさん (象が転んだ)
2024-03-29 02:23:11
確かに
文春砲は憎いとこ突いてきますよね。
今回の違法賭博の件については
日米で真っ二つに分かれそうです。
国民性の違いと言えばそれまでですが
水原氏はスケープゴートにされたって意見も未だ根強いです。

誘惑に弱い私が言うのもなんですが
大谷が水原氏の違法賭博に早く気付いてたら、ここまで事が大きくなる事もなかったんですが、初動で何かあったんでしょうか。

言われる通り
私も大谷選手に関しては、”こいつナニモン”って所はあります。
あまりに出来すぎてますからね。
でも農耕島民は漫画の世界でしか存在しない様な完全無欠な人種が好きなんですよ。
でもこれからはその化けの皮が次々と剥がされていくでしょうね。
数学の必要性 (paulkuroneko)
2024-03-29 09:15:28
アメリカは、「A Nation At Risk」(危機に立つ国家)1983年にを教育省が発表し、全米科学アカデミーは”数学的な問題解決法を学ばなければ世界から取り残される”との危機感を打ち出しました。
更に97年、教育省は「数学により広がる将来」を発表し、数学の意義を訴えました。

日本も80年代から90年代にかけ技術立国として名を馳せましたが、その裏には数学力の支えがありました。
敗戦後、焦土と化した日本と落ち込んだ経済を立て直すには、”数学が必要だ”という強い認識があったからだと思います。
しかし、戦後の高度成長で天狗になったバブル期は、”これからは文化だ”と”ゆとり教育”に突入しました。
このゆとり教育が日本人の学力、特に数学力を崩壊させた要因ですが、”失われた20年”も単にアメリカのせいでもなく、こうした数学力低下によるものでもあると考えます。
Unknown (tokotokoto)
2024-03-29 14:51:10
教育受けてない娘ってですね
よく見ると動物に近い顔してません?
本とか新聞は全く読まないから時事についての話が出来ない。
でも転んだサンがそういう店に行くのは
誘惑もそうですが
彼女らに対する同情もあると思います
私はガールズバー専科ですが
彼女らもオツムがいいとはお世辞にも言えませんね。
勿論流行やブランドにはとても詳しいのですが。それだけだと我ら庶民がキツい。 
paulさん (象が転んだ)
2024-03-29 15:02:55
確かにです。
芳沢氏も述べておられますが
1998年の学習指導改訂で、数学授業の3割削減などの目標が設けられ、特に中学校での数学授業時間は3年ともに週3時間で、これは世界でも最低レベルとされます。
その上、”3割削減”はゆとり教育の上限に過ぎず、90年代後半には数学の授業時間数が減り、高校の数学教員がゼロ採用になっただけでなく”数学の教員は役に立たない”とまで言われるようになりました。

もうこうなると、国家は破滅ですよね。
TVは旅やグルメバラエティ一とTV通販一色で、朝から晩まで延々と流れてます。
日本人がバカになるのも当然ですが、日本政府もバカになってしまった。
tokoさん (象が転んだ)
2024-03-29 15:04:49
そう言われれば・・・ですが
若い時は特に20代前半まではそれでも”バカほど可愛い”となりますが、30過ぎたらアカンですね。
逆に憎しみが湧いてくる。

昨晩も少し腹が立って、簡単な自然科学の話をしたんですが、その時の顔がもう気持ち悪いくらいに無表情で、知識に対する好奇心ゼロと言うか・・・
”アンタはヘビか?”って言いたくもなります。
それに比べれば、水商売と言えど日本のホステスはまだマシな方ですが、フィリピンと同じで田舎に行くほど教育レベルはかなり低くなる。

私が博多中洲の娘と気が合ったのは、彼女らはそこそこの勉強家で、それに高級クラブみたいに客を値踏みしないし、敷居も低い。ブランド物で身を飾ってる訳でもないし・・・ごくごく普通の娘なんですよね。
つまり、知性は色気でもあるんでしょうか。

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