5/9(木)に「和田岬砲台」「明石藩舞子台場跡」を見学した後、「舞子」からすぐ近くの「明石藩」の「明石城」へ登城しその後「西宮砲台」へ向かいましたが、「砲台」繋がりで先に「西宮砲台」(兵庫県西宮市)をお届けします。

 

「明石駅」からは、JR神戸線で「三ノ宮駅」まで新快速に乗車し、「阪神電車」に乗換えて「香櫨園(こうろえん)」まで普通電車に乗りました。

 

「香櫨園駅」は、大昔(私が小学校低学年の頃)、両親に連れられて泳ぎに行って足が届かなくて怖い思いをした海水浴場があった駅で、ウン十年ぶりの下車です。勿論周囲の記憶は殆どありませんが、「夙川」沿いの土手を歩いた記憶が微かにありました。

 

この「夙川」沿いの土手は、北に向かっては「JR神戸線」「阪急神戸線」の各線路を潜り、「阪急甲陽線」沿いの「苦楽園駅」辺りまで続きます。一方、南へは「阪神本線」から河口近くまで続き、途中「酒蔵通り」と交差する散歩道です。松や桜並木となっているので、春は頗る綺麗な道です。

 

散歩道(夙川オアシスロード) ↓

 

今は、「夙川」に両岸から数mごとに「鯉のぼり」が吊られ、風に泳ぐ「鯉のぼり」を見ながらの散策もいい雰囲気です。

 

「夙川」に吊られた「鯉のぼり」 ↓

「夙川」に吊られた「鯉のぼり」 ↓

 

並木道や「鯉のぼり」を見ながら歩くこと15分位で河口に出ます。大昔は、はるか沖まで見える海でしたが、現在は海の向こうは埋め立て地となり、マンションや倉庫地帯となっているのが少し興ざめでしたが、砂浜が東側に続き、まるで小規模な砂丘が形成されていますし、海の中ではウインドサーフィンを楽しんでいる姿も見られました。

 

「夙川」の河口 ↓

河口の西方向にはマンション群 ↓

海ではウインドサーフィンを楽しむ人が ↓

 

以前は車で来たので、こんなに砂浜を歩いた記憶がなく、「西宮砲台」はそこから約5分くらい東側の砂浜の中に建っています。

 

手前には(西側)には、「土塁」が残りそこには松の木々が生い茂っていました。

 

「西宮砲台」とその外郭の一部(松の木の所から北へ) ↓

 

「西宮砲台」も、「外国船」の脅威に対応するために「今津砲台」と共に築城された砲台で、「和田岬砲台」「湊川崎砲台」と併せて4基が「石堡塔(せきほとう)」という19世紀のヨーロッパで実用化されていた「マルテロ・タワー」という海防施設を参考にして造られました。

 

「石堡塔(せきほとう)」(北方向) ↓ 

 

「勝海舟」が建議して、門下の「佐藤与之助」が設計をして1863年に着工して1866年に完成しました。しかし、実戦に使用されることなく1884年に火災にあい、木造2階建ての内部と天井を焼失しました。

 

その後修復がされましたが、幾度もの風水害で「外郭の土塁」は現在一部だけ残っているだけとなりました。

 

1975~6年にかけて大修理が施され、内部は鉄骨で補強し外壁は築城当時の姿に復元されました。

 

基本的には「和田岬砲台」と同じような円筒型で末広がりの形をしていて、入口は1階北側に1カ所あり、2階には大砲が撃てるように砲眼が周囲に開いています。「石堡塔」部分は、周囲の囲いで保護されていますが、自由に写真を撮ることができます。

 

「石堡塔」の1階入口 (南方向) ↓

「石堡塔」(東方向) ↓

2階の「砲眼」 ↓

 

また、「外郭」の一部が西から南西にかけて残存していて「土塁」とそこに生えている松が見られるほか、南から南東にかけては「外郭石材」が残ります。

 

「石堡塔」(北西方向、外郭の「土塁」と「石材」) ↓

外郭の「土塁」と「石材」) ↓

 

全国には、幕末に約1,000基以上もの「台場」が造られましたが、その中で「石堡塔」を用いたのは大阪湾沿いの4基だったということから、非常に貴重な砲台であるということです。

 

以上、「和田岬砲台」「明石藩舞子台場」「西宮砲台」と見てきましたが、「大阪湾」沿いにある未だ見ていない砲台・台場にも興味が湧いてきたので、また見学に行こうと思いました。

 

次回のブログは、後回しにしてしまった「明石城」をお届けします。

 

 

 

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