4月28日地元紙の一面から

『皇位継承「危機感」72%』 女性天皇90%が容認 全国世論調査

 

 

共同通信社が27日に行った全国世論調査の結果を報じています。

表題の結果に続いて「女系天皇」は「賛成」「どちらかといえば賛成」が計84%。

旧宮家の男性子孫を皇族にし「男系・男子」の天皇を維持する考えには計74%が「反対」「どちらかといえば反対」。

「女性宮家」の創設は賛意が計77%を示した。

とあります。

 

合わせて4面の調査結果にある旧宮家の皇族復帰に反対する理由として、「旧宮家が皇室を離れ70年以上経過し、その子孫が皇室に入るのは違和感があるから」(31%)「女性皇族が天皇に即位できるようにすればよいから」(60%)も注目したいところです。

 

恐らくこれは前日26日に朝日新聞デジタルが報じた

皇族確保策は「妥当」、自民が衆参議長に伝達 連休明けに各党協議へ:朝日新聞デジタル (asahi.com)

を意識したものではないかと思います。

 

即ち、『自民は19日、政府の有識者会議が示した、①女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する、②旧宮家の男系男子が養子として皇族復帰する、の2案を「妥当」とする方針をまとめた。』(女性宮家の創設や女性天皇については消極的だった)

というものに対し、『国民はこれとは逆の考えを持っている』と反論しているのです。

 

同時に知っておきたい事として、政治家の考えとしては国民民主党代表 玉木雄一郎 衆議院議員が下記動画の中で『党内にも一般の方の中にも、「非常に優秀でお人柄にも優れている愛子内親王殿下を天皇陛下に」という声があることは承知している』(7:13ぐらいから。 因みに玉木 衆議院議員はこれに慎重な立場)と発言し

 

 

一般の人の他、国会議員の中にも愛子内親王への皇位継承を推す声がある事を伝えています。

 

これらを踏まえこの記事を読めば、その本旨は『愛子内親王を次の天皇として認めるべきであるし、安定した皇位継承のためには女系継承も、女性宮家も認めるべきである』なのであろうと推察できます。

 

確かに平成の天皇陛下つまり上皇陛下や今上陛下が、『現代におけるあるべき皇室の姿』として広く国民に触れ合い、国民はそのお姿をこそ尊敬している事を鑑みれば、70年以上前に皇族を離れかつ共通の先祖は室町時代の伏見宮貞成(さだふさ)親王(後崇光院:後花園天皇の父)まで遡らなくてはならない旧宮家を皇族に復帰しても国民はそれを受け入れられず、それよりも今の女性皇族とその子孫にこそ天皇とする道を開くべき、と多くの人が考えるのは分からなくはありません。

 

因みに自民党の河野太郎 衆議院議員もその考えのようです。

 

 

それに対するこのブログの結論を最初に書いておきますと、

『皇位継承に関する問題は歴史の先例に従うものであって、現代の国民感覚で語っていいことではない。マスコミは下らないことに精を出すのではなく、その先例がどういうものであったのかを国民に伝えるのが仕事である。』

となります。

 

 

皇位継承ないし皇統、つまり『万世一系』についての考え方や先例については後に譲るとして、個人的にはこうした議論をメディアが軽々に扱うのは非常に危険な事だと考えています。

 

なぜならそれは深刻な『国内の分断』を招くことになるからです。

 

古今東西、世界の歴史を見ても、現行の継承順位に基づき皇位ないし王位継承者が既に存在しているにも関わらず「いや、こちらの方が継承者として相応しい」と言い出しルールの変更を画策しようとする者が現れて碌なことなどありません。

 

碌なことがないどころか『内乱』の原因となります。

 

皇室典範の規定に従えば、今上陛下の次の皇位は後嗣たる秋篠宮殿下。その次の皇位は悠仁親王殿下となります。既に現行のルールにおいて、次に皇位を継ぐべき人物が既に存在しているのです。

 

ですから冒頭で引用しました玉木衆議院議員の発言にある「愛子内親王を天皇陛下に推す」声とは、純粋に皇室に弓引く行為に他なりません。

 

そして先程も書きました通り、世界の歴史を見ても、こうした煽動は『乱』の原因となります。

 

『こちらのお方の方が人物的に天皇に相応しいから』は理由になりません。制度というものは特定の人物を念頭において決めるものではないのです。そういうのは「依怙贔屓」というのです。

そもそも日本の天皇という存在は『個人崇拝』の対象として存在するものではありません。

 

『神武天皇以来の男系子孫』という、遡れば建国の神話に繋がるという所に皇位は由来しているのです。

 

日本人にとって極めて幸福なことに、私達の知る歴代の天皇陛下は国民に寄り添い国民のために祈る名君であられますが、それは歴代の陛下がそのようにお努めになられたことであって、実のところは『人格者であること』が天皇の条件ではないのです。

 

仮に世論が(今上陛下の御子であることについてはともかく)人格者であることを理由に『愛子天皇』を望んでいたとしても、歴史的に積み上げられてきた皇統の前では関係ありません。

 

そもそも世論などその時の国民の気紛れに過ぎず、歴史の積み重ねに比べれば全くあてになるものではありません。

 

皆さんは覚えていますでしょうか?

今からほんの10年前、世論は現在の皇后陛下である当時の雅子妃殿下の適応障害を責め、当時皇太子であった今上陛下に対し離婚や皇太子退位まで求める声があったのです。

(「皇太子殿下、ご退位なさいませ」2013年『新潮45』3月号、など)

 

今やそのような声は皆無です。

そして当時は待望論があった秋篠宮殿下の皇位継承は、今やバッシングの対象にまでなっています。

 

これが世論です。

如何にあてにならないもので、そんなものに従って皇室を語ることがいかに下らないことかを国民全体が知るべきです。

 

それをメディアが煽動し、あたかもアンケートの結果がよければ皇位までも介入できるのだと言わんばかりのこの手の記事は、まさに『平地に波瀾を起こす』類のものであり、国家にとって危険なものと私は考えます。

 

 

とはいえ、現在の皇室において今上陛下よりも若い世代の皇位継承資格者が悠仁親王のみということが「皇位継承の安定性の危機」であることは否定しようのない事実です。

 

また現行の制度では女性皇族は結婚によって皇族を離れることになるため、悠仁親王が即位する時代には「天皇陛下以外に皇族が一人もおられない」ことになりかねません。

 

そのため、冒頭の朝日デジタルの記事にも登場した『皇位継承有識者会議報告書』では①女性皇族が結婚後も皇族の身分を保持する、②旧宮家の男系男子が養子として皇族復帰する、という案が出ており4月26日自民党はこれを『妥当』とする考えを衆参議長に伝えたのでした。

 

日本維新の会もこれを『特に高く評価する』とする意見書を作成しています。

(独自)維新の皇位継承意見案判明 皇籍復帰を「特に高く評価」 - 産経ニュース (sankei.com)

 

 

さてこの話題を考えるためには「女性皇族」と「女性宮家」、「女性天皇」と「女系天皇」の違いを理解しなければなりません。

 

まず「女性皇族」とは何か?

これは文字通り「女性の皇族」となります。

名前の列挙はしませんが現在12方の女性皇族がおられます。

 

 

これに対し「女性宮家」とは何か?

女性皇族が結婚後も皇室に残り(ここまでは『皇位継承有識者会議報告書』にも案が出ました。)、かつその女性皇族が『祖』となって『宮家』を創設することを指します。

 

『宮家』とは、皇位継承者に与えられる「宮号」が世襲されることによって生じる家名であり、その宮号の継承者(宮家の当主)は皇位継承権を有します。

 

日本の歴史においては過去1度だけ、仁孝天皇の第三皇女、淑子(すみこ)内親王が桂宮を継承したことがありましたが、淑子内親王は終生独身を通しその薨去とともに桂宮は断絶しました。女性皇族が『祖』となって宮家を創設した例はありません。

 

女性皇族を『祖』として宮家を創設するということは、将来女性皇族が一般男性と結婚し子供が出来た場合、その子供が宮家を継承していくことになります。そして宮家は存在目的がそうであるように天皇に後嗣がいない場合に皇位を継承する立場にあります。つまり皇統に属しない一般男性の子孫が皇位継承者となる可能性が生じます。

 

だからこそ過去存在しませんでしたし、『皇位継承有識者会議報告書』においても支持されていません。

 

 

続いて、「女性天皇」と「女系天皇」の違いです。

「女性天皇」は文字通り女性の天皇です。

日本の歴史において8人10代存在しました。(2人が重祚、つまり2回皇位についています)

 

皇位は現代においてまで神武天皇の男系子孫によって継承されてきており、この女性天皇においても例外はありません。

因みに男系子孫とは「父親を遡っていくことによって神武天皇に辿り着く血統」の事を言います。

 

※過去私は男系の説明について「父親を辿ると天皇に辿り着く」と書いたことがありましたが、後述する理由によって今は上記のように考えを改めました。

 

女性天皇のうち6人7代は父親が天皇です。

35代皇極・37代斉明天皇(同一人物)の父親 茅渟王は30代敏達天皇の男系の孫。

44代元正天皇の父親は天武天皇の息子 草壁皇子です。

 

但し元正天皇は母親が43代元明天皇であり、史上唯一母から娘への皇位継承例となっています。

人によってはこれを「女系継承」と言いますが、前述の通り元正天皇も男系子孫であり皇統の歴史に反するものではありません。

また元正天皇は甥(元明天皇の孫)の聖武天皇が長じるまでの「中継ぎ」的な役割で践祚した天皇でもありました。

 

これに対し「女系天皇」とは何か?

男系とは逆に「母親を遡っていくことによって神武天皇に辿り着く天皇」ということになりますが、本題においては「母親は皇統に属するが父親は皇統に属さない」天皇のことをいいます。

これは日本史上一人も存在しません。

 

それは日本の歴史、「日本人の総意」がいつの時代においても「皇統に属さない男性(特に権力者)が皇位を簒奪する」可能性を排除してきたからなのです。

 

さて今回共同通信の世論調査に、この日本史上一人も存在しない「女系天皇」の是非について質問があるのはどうしてでしょう?

それはそれが「愛子天皇」の誕生とセットになっているからです。

 

ここまで見た通り、過去において「女性天皇」は存在しました。

愛子内親王は今上陛下の御子ですので、神武天皇の男系子孫(父親を遡ると神武天皇に辿りつく)となります。

従って皇室典範の改正によっては皇位継承権者となることも考えられます。

(但し後嗣が既にいる中で、それを廃しての女性天皇の践祚は例がない)

 

仮に世論の後押しによって愛子内親王に天皇となる途が開けたとして、

愛子内親王が皇統に属さない一般の男性と結婚し子供を出生した場合にはその子供を次の天皇に推す声が上がる事は明白です。

 

世の中の多くの人は「女性天皇」と「女系天皇」の違いも、なぜ「女系天皇」が歴史上排除されてきたかの理由も知りません。

知らない事をいいことに、『世論』と名付けたその時々のいい加減な空気をよって、日本の皇室と伝統を破壊しようというのが共同通信の目的。そう邪推せずにはいられません。

 

では仮に万万が一、『愛子天皇』と皇統に属さない一般男性との間の子が皇位を継承した場合、それは何を意味するのでしょう?

それは『皇統断絶』を意味します。

 

度々書いています通り、『皇統』とは『父親を遡り続けると神武天皇に辿り着く』という『建国の神話』に由来するものです。

その由来から外れた天皇の誕生は日本が建国以来、公称で2684年、科学的に実在が確認できる天皇から数えても1500年以上、他国に例を見ない程の悠久の歴史を紡ぎ、国民がずっと護り続けてきた歴史と伝統が終わってしまうことを意味するのです。

 

 

因みによく皇室典範が皇位継承者を「男系男子」と限定していることに対し、「女性差別」「明治以降の権威主義によるもの」「男尊女卑」という批判があります。

 

しかしそれはミスリードというものです。

本当に男尊女卑であるならば、女性は結婚によって皇室に入る事が可能であるのに対し、男性にその可能性がない説明が出来ません。

全ては日本の歴史伝統を守るために培われた先人の知恵によるものなのです。現代の価値観で語るのは浅薄というものです。

 

 

ここまで皇族の数が減少していく中『安定的な皇位継承』に危機感は感じつつも、『女性宮家創設』『女系天皇』については否定的に語ってきました。

 

次は『旧宮家の皇籍復帰』がどうなのかを考えてみたいと思います。

歴史上皇族にあったものが臣籍に降下し、再び復帰した例は複数あります。

臣籍降下 - Wikipedia

 

臣籍にあった期間の長さで言えば60代醍醐天皇の第11皇子 兼明親王は延喜20年920年に臣籍降下し源朝臣兼明となるも、50年後の貞元2年(977年)に復帰しています。

 

その父親である醍醐天皇は父59代宇多天皇が臣籍降下していた頃に産まれたので、『臣籍として産まれた者が後に皇族となり天皇になった』例です。(59代宇多天皇は一度臣籍に降下した後、皇族復帰して践祚した例)

 

また旧宮家は現在の皇室とも下図のように近親関係にあり、宮中祭祀や宮中行事に各家の当主が出席するなど天皇や皇族と同席する機会が多く

 

 

現皇族・旧皇族をメンバーとして結成された親睦団体の『菊栄親睦会』を介して、皇室の慶事などで交流する機会をもっています。

 

 

現天皇家との共通の先祖が600年前の貞成親王まで遡ることを懸念する声もありますが、『男系で遡ると神武天皇まで辿り着く』という系譜はれっきとした事実であり、その事実こそが最重要です。

 

これについては『万世一系』について考える必要があります。

 

最近見たYoutubeの話で恐縮なのですが、私はこちらの論者の主張に深い感銘を受けました。

 

 

 

この主張は皇統、ないし外国の王朝における「皇(王)位継承」には、「男系ないし女系によって統一された『一系による継承』」、そして純粋に親から子へと引き継がれていく「直系継承」の二つがある。という所から始まります。

 

日本はいうまでもなく『男系による一系継承』です。この『日本の皇統は「直系継承」ではない』という部分が最も重要となります。

 

直系継承は『先代の王から王位を継承』しますので、その権威の由来は『先代の王』ということになります。

また具体的な名前を出してしまい畏れ多いのですが、現在愛子内親王の皇位継承を支持する声の論拠、そして女系天皇論者の論拠がまさにこれになります。

 

これに対し日本の『一系継承』は権威の由来が神武天皇という『建国の神話』にあります。

これが決定的に違うのです。

 

直系継承の場合、権威が今の王家にあり、それが『権威の私物化』を招きかねません。

『一系継承』の場合その権威はあくまで『歴史』にあり、現天皇家でさえその権威を借りているに過ぎないのです。だから私は冒頭においても『天皇は個人崇拝の対象ではない』と書いたのです。

 

そして現在の天皇家に一系継承にかなう後嗣がいなければ、その条件を備えるところまで系譜を遡り、新たな系譜を紡ぐことが『皇統』なのです。だからこそここが崩されてはならず、崩れた時こそが『皇統断絶』となるのです。

 

口にすることさえ憚られることですが、愛子内親王が天皇に即位できず今上天皇の系譜が絶える事や、

悠仁親王に男御子が誕生しなかった時に、『皇統』が断絶するのではないのです。

 

『神武天皇を始祖とする一系継承』が守られなかった時に、日本の歴史そのものである『皇統』が断絶するのです。

 

因みに現在続いている皇統を『正統(しょうとう)』と呼ぶのですが、これについて河内祥輔『中世の天皇観』(山川出版社)では以下のように言及しています。

 

曰く、『全ての天皇が一筋に繋がっているのではなく、幹と枝葉に分かれ、枝葉の天皇の系統は断ち切れており、幹は「一系」として続いていく。

幹は血統であり皇位ではない。

「正統(しょうとう)」は男系である。女性天皇は全て枝葉である。』

 

つまり、『神武天皇以来の男系の血筋』という太い幹があり、そこから枝葉が伸びていくように歴代の天皇達の系譜があるのです。

 

天皇系図をみると、決して一本では繋がっていないことが分かります。むしろ順番で追うのが難しいくらい枝分かれしています。しかし枝分かれしその先が断ち切れていても、そこいた天皇の継承順位の事実や功績は決して否定されてはいません。

そのようにして紡いでいくのが、まさに日本の『万世一系』なのです。

 

よく『万世一系は虚構。天皇の系譜は切れ切れ』という論者がいますが

 

 

それは『万世一系』と『直系相続』の違いや、『万世一系』の理念を理解していないだけなのです。

 

戦後の日本に産まれ、昭和天皇、平成の上皇陛下、今上陛下を見てきた私達からすれば、その系譜が絶えることは考え難く許容しがたく、別の系譜から産まれた天皇を素直に尊敬することは難しいのかもしれません。

 

だからといって、現代人の感覚で日本の歴史そのものである『皇統』に手を加え否定することなど、絶対にあってはなりません。

それを踏まえた上で『皇位継承有識者会議報告書』の内容はあるのです。

 

ですから結論を最初に書きました通り、マスコミは下らないアンケートなど取るのではなく、歴史的事実を伝え皇統についての理解を国民に深めてもらうための仕事をこそしなければならないのです。

 

 

 

(論文)中央銀行の財務と金融政策運営 : 日本銀行 Bank of Japan (boj.or.jp)

 

https://www.boj.or.jp/research/brp/ron_2023/ron231212a.htm
日本の財政問題を語る上で非常に重要な結論が先月日本銀行から出されました。もう本当に全国民必読を願いたい所です。

要旨は是非リンク先から読んで頂きたいのですが、重要な部分は以下

・管理通貨制度のもとで、『通貨の信認』は、(略)適切な金融政策運営により「物価の安定」を図ることを通じて確保される。

⇒つまり「財政赤字がたれ流れ続けると日本円の通貨信認が崩れハイパーインフレになる」が否定されています。

・中央銀行は、やや長い目でみれば、通常、収益が確保できる仕組みとなっているほか、自身で支払決済手段を提供することができる。したがって、一時的に赤字または債務超過となっても、政策運営能力に支障を生じない。

⇒巷間言われている破廉恥な『日銀破綻論』が否定されています。

・中央銀行の財務リスクが着目されて金融政策を巡る無用の混乱が生じる場合、そのことが信認の低下につながるリスクがある。このため、財務の健全性を確保することは重要である。

⇒つまり「通貨の信認」が揺らぐ時というのは「無用の混乱」が生じる場合であり、殊更に「日本の財政破綻」や「日銀破綻」を大声で主張すら輩こそが日本円の信認を下げる元凶となる。だからそれを意識するために財務の健全性の確保が必要となる。

最後の部分は特に重要ですね。
まさに「日本の財政破綻」を唱えている輩こそが、日本社会を混乱させ、国家の成長を阻害し、他国からの信認を棄損させている張本人なのです。

断っておきますがこれは私の主観ではありません。
日本の中央銀行たる日銀の公式見解です。

2024年の元日に発生した能登半島地震から10日超が経過しました。

被災された方々に心からお見舞い申し上げますと共に、一日も早い復興と生活の回復を心から願っております。

 

 

今回の能登半島地震において被害拡大の一つの要因となっているのが、『道路の寸断』です。

能登半島地震で道路寸断、救助・支援阻む 孤立2300人超 - 日本経済新聞 (nikkei.com)

https://www.bing.com/search?q

 

 

 

日本を将来に亘って守っていくためには、という観点から今回のブログでは『道路』について書いてみます。

 

さて上記記事によれば

ー 被害の大きかった地域につながる主要道路が寸断された。緊急車両や救援物資を運ぶ車が通る「緊急輸送道路(緊急道)」も多く含まれ、救助活動や物資輸送が滞る要因となった。緊急道の寸断リスクは過去の災害でもみられ、全国で路線強化や代替ルートの確保が急務だ。

 

とあります。

この『緊急道の寸断リスク』については対策が訴えられていたことでもありました。

 

次に挙げるのは内閣官房が令和2年12月に発表した『防災・減災、国土強靱化のための 5か年加速化対策』の冒頭部分です。

 

『近年、気候変動の影響により気象災害は激甚化・頻発化し、また、南海トラフ地震、 日本海溝・千島海溝周辺海溝型地震、首都直下地震などの大規模地震の発生も切迫している。』

 

『また、高度成長期以降に集中的に整備されたインフラが今後一斉に老朽化することか ら、インフラの維持管理・更新を確実に実施する必要があるが、未だ予防保全型のメン テナンスサイクルは確立できておらず、適切に対応しなければ、中長期的なトータルコ ストの増大を招くのみならず、我が国の行政・社会経済システムが機能不全に陥る懸念 がある。』

 

『 このような国家の危機に打ち勝ち、国民の生命・財産を守り、国家・社会の重要な機 能を維持するためには、防災・減災、国土強靱化の取組の加速化・深化を図り、災害に 屈しない強靱な国土づくりを進める必要がある。』

 

 

実は能登地方を震源とする地震は2020年末から続いており、22年6月には震度6弱、23年5月には6強の地震が起きており、石川県内に住む人によると「ここ数年、大きな地震が続いていたし、今後も起きる可能性があると言われてはいた」ということでした。

「能登半島地震」半年前に指摘されていた危うさ 地元テレビで識者が注意喚起した内容 (msn.com)

https://www.msn.com/ja-jp/news/other/

 

 

確かに、令和6年の元日にここまで甚大な大地震が能登半島で発生するなどとピンポイントで予測できる人間はいません。

それでも日本列島の「どこでも」、そして「いつでも」こういう震災は起こるものであり、いざそれが起きた時に『災害に屈しない強靱な国土づくりを進める必要がある。』と政府筋も言っていたことです。

 

地震が発生することは人間の力ではどうすることも出来ません。

 

ただ地震で発生した際に『被災された方々を守る』と言う事に関しては政治の力で対処できるものです。

しかし今回の震災において発生した『緊急道の寸断』それに伴う『被災者の孤立』に関しは、対策が必要との認識が政治にあったものの、それが不十分あるいは間に合わないものであった、と言うことが出来るのです。

 

 

そしてここからが本ブログの本題となりますが、

このような事はこれからも起こります。

 

 

そもそも日本は国土に対する道路網の整備が不十分なのです。

 

 

 

『高規格幹線道路』というものがあります。

高速道路を中心に一般国道の自動車専用道路と本州四国連絡道路を加えた全国的な自動車交通網を形成する自動車専用道路のことをいうのですが、この要件には

 

・全国の都市、農村地区から概ね1時間以内で到達し得るネットワークを形成するもの。

・災害の発生等に対し、高速交通システムの信頼性の向上に資するもの。

 

というものが含まれており、

高規格幹線道路 - Wikipedia

災害対策用道路としての意味も有しています。

 

 

しかし日本が有する高規格道路については、国土交通省より以下の問題点が指摘されています。

 

・諸外国に比べ、日本の都市間連絡速度は10km/h以上低い

 

 

・規制速度80km/h以上の道路ネットワークを比較した場合、日本の約7,800kmに対し、ドイツは約4倍、 フランスは約2.4倍の延長となっており、日本の都市間連絡速度が低い一因と考えられる。

 

 

80k以上の速度で走れる道路がドイツ・フランスは国土中に張り巡らされているのに対し、日本のそれはやはりスカスカである印象を受けますし、特に今回被災した能登半島にはそのような道路がないことも分かります。

それが今回緊急部隊の移動や救援物資の輸送の遅れに繋がっている事は否定できないでしょう。

 

 

・日本の高速道路は約4割が暫定2車線であり、諸外国にも例を見ない状況。

 

 

ただでさえ高速道路が少ないにもかかわらず、車線が少ないので渋滞が発生しやすくスピードも出しづらいです。

地元ネタになりますが、東北自動車道よりも新潟市内を走る新新バイパス(片道3車線の6車線)の方が余程走りやすくスピードも出せます。

 

 

こうしてみますと、やはり日本の高規格道路は『日本全国どこでも災害が発生した場合に緊急車両が即座に現地に駆け付けることができる』ものになっている、とはいい難い状況にあります。

 

私はよく『ヒト・モノ・カネ』の動きは人体における血流と同じ。という言葉を使用しますがその例えでいうならば幹線道路は血管・大動脈そのものです。血管が体内に十分に張り巡っていてこそ、人も国も健全さを保つことが出来ます。

 

改めて整備が必要ですし、必要であると、内閣官房も国土交通省も言っているのです。

 

 

 

 

ではそれに対し、その整備をするための予算は十分なのかを見てみます。

 

既出の内閣官房の『防災・減災、国土強靱化のための 5か年加速化対策』は予算に関しても言及しています。

これは道路整備だけに限らず老朽化したインフラ整備に要する予算も含まれてはいますが、要は日本を絶え間なく襲う災害から国土と国民を守る『防災・減災、国土強靭化』ためには5年で15兆円を要する、とされています。年間では3兆円ですね。

 

 

そして実際その通りに予算も集められています。

 

 

しかし、おそらくこれは十分なものではない、私は考えています。

と言いますのも国交省は2018年に今後30年で必要となる道路や河川などインフラの維持管理、更新費用の推計をまとめて発表しており、そこでは2019年度から48年度までに必要な費用は最大195兆円であると見込んでいたのです。

 

インフラ補修、30年で195兆円 国交省推計 - 日本経済新聞 (nikkei.com)

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO38391690Q8A131C1EA4000/?fbclid

 

 

これは年間で直せば6.5兆円ですから、今付けられている予算では全く足りません。

 

そして実際に地方において老朽化したインフラが放置されている現状が報じられてもいます。

 

老いるインフラ、地方で放置深刻 - 日本経済新聞 (nikkei.com)

修繕必要な橋、6割未着手 脆弱な予算・職員響く

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO77562860Q4A110C2EP0000/

 

修繕が必要な橋に関して、国が管理するもので4割、地方自治体が管理するもので6割が未着手とあれば、地方で大地震が発生した際に被災地が孤立することになるのは、もはや『当たり前』だとさえいえます。

 

国の公共事業費の推移を見ても

 

 

令和に入ってからは補正込みで7-9兆円予算が付けられていますが、やはり老朽化されたインフラをキチンと整備し、尚且つ時速80km以上で走れる4車線以上で高規格道路を全国に張り巡らせるためには、平成10年頃の10兆円を超える予算が必要なのではないでしょうか?

 

 

 

かつて日本では高騰する社会保障費を賄うため、公共事業を「税金の無駄使い」と呼びカットを続けてきた経緯がありました。

しかしそのことの弊害が今生じています。

 

震災から日本人を守り、将来に亘って国を守っていくためには、やはり今一度公共事業にかける予算を増やす必要があります。

 

そして今後30年に亘って国が公共事業に高いお金を出し続けるというコミットメント(公約)を出したならば、建設業者も設備投資や人材確保のためにお金を使います。

今までは「昔に比べ仕事が減っている」ことが、企業に設備投資や人材確保にお金を投じさせることを躊躇させていたのです。

企業が設備投資、人材へ投資を行うようになれば、それが日本の経済成長にも繋がります。

 

ここで必ず問題視されることになるのが『財源』ですが、『建設国債』以外にはありえません。

『建設国債』は財政法でさえ認められている財源調達方法です。

将来に亘って恩恵をもたらすものですから、現在の人達が税でそれを担う必要などないのです。

 

 

それでも、絶対にいかなる名目であれ国債発行がどうしても嫌だというのなら、

他の国では計上されていない、日本でしか予算に組み入れていないお金、『債務償還費』16兆円を使えばいいのです。

 

少なくとも先進国と呼ばれる国家で、債務償還費は計上されていません。それは財務省の資料においても言及されています。

なぜなら自国通貨を発行できる国家は国債の債務償還を『借換債』で行っているからです。

 

公共事業費は日本人の命を災害から守るため、国家を将来に亘って維持するために必要な金なのですから、

どちらに優先してお金を使うかは、もはや議論の余地もない、悩む必要もない話です。

 

 

震災が発生する日本だからこそ、それを前提にした「日本列島の『再』改造計画」。

それこそが今の日本に必要不可欠なことなのです。

 

新たな『戦前』に備えよ

 

間もなく2023年が終わろうとしていますが

新聞を読めば今も世界は『平和』『安定』とは遠いことが起きています。

 

ロシアによるウクライナ侵略はウクライナの反転攻勢がおもわしくなく、

イスラエルとガザ地区を実効支配するイスラム原理主義組織「ハマス」との戦闘も

終結の兆しが見えないまま、年を越そうとしています。

中華人民共和国による脅威は増し、尖閣での闘争を強化する指示が出されています。

 

2024年は今以上に日本の安全保障環境が厳しくなることが考えられます。

 

私は、日本人はもっと戦争について語るようになるべきだと考えています。

好戦的になった方がいい、というのではありません。

「日本が再び『敗戦国』にならないようにするためにはどうすればいいか」

について、もっと国民が考えるべきだと考えています。

 

そう、私の望みは

「日本が再び敗戦国とならないこと。再び国土や国民が焼かれることなく、30年後も50年後も日本が豊かで反映し続けること」

にあります。

 

 

日本人は戦争を

1.昔話

2.地球の裏側で起こるもの

3.戦争について語ることは好戦的な行為であって、戦争を誘発するものであること

4.戦争を回避するためには、ひたすら『平和』を訴え続け、戦争について語ることをタブー視すること

5.日本が自主的に戦争を始めたり終わらせることが出来るもの

 

と思っているように、私には感じられます。

特に5.は要注意で、戦争外交は相手があって起こるものだという当たり前の前提を無視しています。

だから今でも日本の言論界は「日本はどうして無謀な戦争に突っ走ったのか」「どうして終戦を早めることが出来なかったのか」などの議論は日本側の事情のみで語る愚を犯しているのです。

 

私はもうこれらの考えは修正しなければならない時期に来たと思います。

 

今それを修正しないと現時点ではまだ何も起きなくとも、

私達の次の世代の人達には重大な危険が及ぶことになると

私は確信しています。

 

過去の戦争についても、日本は民間人80万人を含む310万人の犠牲を出し敗れました。

これについて今の日本は「だからもう二度と悲惨な戦争を起こしてはならない」以外の話は出来ませんが、

それだけに終わるのではなく、では旧軍の失敗はどこにあったのか、どこに日本としての勝筋があったのかの軍事研究を

もっと広く民間ベースで行う必要があると思います。

 

そして、表題にもしましたが、

日本はチェンバレンよりチャーチルを手本とすべき、です。

第二次大戦勃発前後のイギリス首相チェンバレンは戦前、第一次世界大戦の反省からヒトラーという独裁者の登場に対しても戦争回避のための宥和政策を取り、

ヒトラーによるチェコスロバキアのスデーテン地方の帰属を全面的に認めミュンヘン会談の後にはイギリス帰国後に「話し合いによって戦争は回避された」と平和宣言までしています。

 

その後首相となりイギリスを戦勝国へと導いたチャーチルはこれに否定的で

著書『第二次世界大戦回顧録』の中で「第二次世界大戦は防ぐことができた。宥和策ではなく、早い段階でヒトラーを叩き潰していれば、その後のホロコーストもなかっただろう。」と述べました。

合わせて事実は定かではありませんが、『平和主義者が戦争を起こす』と語ったと言われています。

 

日本においても、隣国の独裁者に対し「話し合いで問題を解決しろ」という主張は極めて多数を示します。

これについて私達は、歴史を正確を直視し、客観的な事実を踏まえ、次の世代の日本人を護るためにも

 

戦争について、歴史について、「悲惨だった」「もう繰り返してはならない」という感情論以外の議論を

活発化させていかねばならないのだと、私は考えます。

 

 

最近は自分自身の投稿が出来ていなかったのですが、この記事を読んだ時には思わず「これについて意見を書きたい」と思いました。

 

 

『防衛拠点に32空港・港』

左傾の人達からは物凄く非難されるでしょうが、私はずっと新潟を本州日本海側の防衛拠点にすべきだと考えていました。

ですからこの記事を読んだ際には、ここに新潟空港や東港を加わらないものなのだろうかと真剣に思いました。

 

(因みに、今年(令和5年)4月に行われた新潟市議会選挙においても私はその事をテーマにしたのですが、周囲には「市議会のテーマではない」とすこぶる不評でしたし、実際全く市民の心には刺さりませんでした。)

 

記事を読みますと、対象となった32か所は北海道、福井、香川、高知、福岡、長崎、熊本、鹿児島、沖縄の9県の空港、港であったということです。

機会があったら是非防衛省の方に質問してみたいのですが、自衛隊にとって新潟は防衛拠点として相応しくないのでしょうか?

 

新潟市には本州有数の平野があり、国際的な空港があり、港もあり、水があり、食べ物が採れ、尚且つ高速道路と高速鉄道によって首都と2-5時間で直結しています。

 

大陸側から日本に対し侵攻が行われる場合、勿論西日本からの侵攻が最も考えられるでしょうが、日本海から上陸し新潟空港や東港を占領することでそこを橋頭保とし、関東へ南下するルートも十分考えられるはずです。

 

何よりも新潟市には日本海から北朝鮮の工作員が自由に侵入し、日本国民を多数拉致し国外へ脱出していたという 『 前 歴 』 があります。間違いなく新潟市は日本の安全保障における『ザルの目』なのです。

 

そして北朝鮮による拉致事件がどれだけ社会問題として取り扱われようと、それによって『日本海側を外国から守ろう』という意見は全く聞くことがありません。

 

また新潟が外国からの侵攻口にならなかったとしても、関東で有事が発生した場合、新潟空港が高速鉄道によって首都と直結していたなら日本海側からの補給物資を最短2時間で首都に届けることが可能となります。

 

三国峠を挟んで日本海側に首都機能をバックアップする都市機能を備えることは、日本の安全保障において絶大な意味を持つと私は考えています。

 

だからこそ、新潟を防衛拠点化することは日本にとって非常に意義のあることですし、それが認められたなら新潟に『日本国中』から膨大な『ヒト・モノ・カネ』が流入してくることになるのです。

 

新潟は単なる本州日本海側の地方都市としてではなく、日本における日本海側の確かな要所として、もっと認識されるべきなのです。

 

 

先日、親戚から「新潟空港の新幹線延伸は無理。何をやっても新潟空港は流行る事はない。それはもはや県民性の問題なんだ」と言われました。それは確かにその通りなのでしょう。新潟空港を、というか新潟市を、新潟の中だけで活性化させていくことはもはや不可能かもしれません。

 

しかし、ことが国家プロジェクトとなれば全く話は変わるのです。

そして上記の『備え』は必ず将来の日本人を救うことになるのです。

 

『自衛隊の基地があると有事に巻き込まれる』と人は言うかもしれません。

有事に空港や港を自衛隊が利用することになる、由々しきことである、そういう人もいます。

 

しかし自衛隊は国と私達の身の安全を守ってくれる大切な存在です。

国民は敬意を抱いて接しなければ自衛隊に対し失礼ですし、『基地があると有事に巻き込まれる』など笑止千万な話です。

 

『要所』という場所は、必ず敵には狙われます。

だから基地を設けてそれに備えなければならないです。

基地がなければ自由に敵が侵入してきて、私達の安全が脅かされるのです。

 

そして前述の通りそれは新潟において既に起きていました。

可視化されてないから、被害にあったのが周辺の人でなかったから気付かなかっただけで、私達はもう既に有事に巻き込まれています。

目を覚まさなければなりません。

 

あまり愉快な話ではなかったかもしれませんが

以上が私の新潟に対する基本思想です。

ガソリン代の値上げが止まりません。

8月6日の時点で全国のガソリン代平均は実に176円。15年ぶりの高値で過去最高額である2008年の185.1円はすぐそこです。

 

 

 

これは昨年1月から始まった政府のガソリン代補助が9月末に終了することになり、6月から段階的に縮小されることになったからです。

私が生活している新潟もそうですが地方の殆どが車社会でガソリンを消費しなければ生活ができません。

政府はそれを知っていて、人々の生活を更に苦しめる政策を実行したわけです。

 

 

補助金の計算方法は説明するのは複雑ですが、価格の変遷については資源エネルギー庁のHPによって確認できます。

これを見ると過去には最大で41円補助金によってガソリン代が抑制されていたのですね。

それが直近ですと9.1円の政府からの補助でガソリン価格は8.1円抑制されている、ということになります。

やっぱり1円は業者が自分達の利益にしているんですね

 

しかし去年の6月の本来のガソリン代は215円であったようなので、これは恐ろしい価格です。

しかしその時に店頭販売されていたガソリン代の全国平均価格は173.9円ですから、補助金を縮小された結果その時よりも今の方が販売価格が上がってしまったことについては制度の趣旨にあっていません。

 

そもそも何故この時期にガソリン代の補助を決めたのかの理由が分かりません。

理由を検索したら

・原油価格の高騰が落ち着き(実際グラフを見るとそうですね)補助金を止めても1リットル168円の店頭価格に抑える事が可能と考えたかららしいのですが、だとしたら国民の負担を軽減する目的で行った施策なのに最後は国民の増負担で終わることになります。明確に失政です。

・販売価格への転嫁が不十分であったため、

という理由も書かれており、それは事実でしたが、

 

ガソリン補助金「価格に全額反映されず」 財務省指摘

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA07BW50X01C22A0000000/

 

しかしそれは始めた当初から「そうなる」と指摘されていたことですし、

実際にそうなったからといってそれは事業者の責任であって国民がその皺寄せを喰らう意味が分かりません。

 

そもそもこの制度を始めた目的は、国民の生活の負担軽減のためにガソリン価格168円を目途としてそれを超える部分については補助金を出すと言う事で始まったはずなのに、未だ実価格が168円を安定的に下回っていない段階で補助を打ち切るというのは理屈に合いません。単に「カネを払い続けるのが嫌になったから」という気分の問題で政策を打ち切ったに過ぎません。

国民を愚弄した話です。

 

政府を擁護する意見としては、「日本の財政上仕方がないこと」という方もいるようですが、カネがないはずがないのです。

財務省発表では令和4年度から5年度へ繰り越される「繰越金」は17.9兆円もあるからです。

そんなに余らすなら国民の負担をもっと軽減してくれよ、というのが一般的な人々の感覚ですよね。

 

因みにこれについては、『国債発行額を減らせば良い。財政赤字はまだ大きいので、減税などの理屈はおかしい。』

とツイートしている方がいました。

いかにも国民生活よりも財政健全化の方が重要だと言わんばかりです。

 

 

生活必需品がこれ以上値上がりするのは切実に人々にとって苦しいことなんです。

ガソリン代が高くなれば、運送代金も高くなり、全ての物の値段に影響することになります。

それが分かっていないんです。

 

 

 

そして補助金を終わらせるなら、ガソリン代に関するトリガー条項を発動すべきです。

このトリガー条項は昨年与野党の間でかなり大きく取沙汰されましたが、結局これを実現せずに補助金でガソリン代を抑えることにしたのですから。

 

トリガー条項についてはJAFなどのHPに詳しく掲載されていますが、簡単にいえば

「ガソリン代1リットルあたり160円を3か月連続で超えたら、ガソリン代に含まれている『上乗せ税』分25.1円を差し引く」というものです。2010年の民主党政権時に出来ましたが、2011年の東日本大震災の復興財源確保のために凍結されたものです。

 

 

 

 

事業者に中抜きさせずにガソリン代に直接関与させたいのであれば減税するのが一番ですし、そもそもガソリン代には税金が含まれた価格に更に消費税がかけられているというに二重課税の問題まであるのです。

 

 

政府がこのトリガー条項をしたくないのは分かります。トリガー条項は発動されれば、再び凍結するのに『130円を3カ月連続割る』という条件が発生します。恐らく数年、或いはもうガソリン代がそこまで安くなることはないかもしれません。

そうすると政府としては貴重な財源を失うことになります。

 

しかしそれとて悲観することではありません。

財務省の試算によればトリガー条項による減税効果は約1.5兆円とされています。

2022年ガソリン代補助の開始から今年3月までに執行した額は約3兆円ですから

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA268FP0W3A520C2000000/

寧ろ安上がりです。

 

 

しかもこの減税による経済効果によってGDPは0.6兆円から0.8兆円押し上げられ

 

2年目からは税収増となる計算なのです。

 

単純な損得勘定名でいえばこのトリガー条約は発動すべきなのですが、今の政治家・財務官僚の思考は「国民からカネをむしり取って、それを配って恩を売る」ことにあって、人々の生活を守り国を豊かにするという至極一般的な考えは『むしろ邪魔でしかない』んです。

 

というか、そもそも論として「ガソリン価格170円だとしたらそのうちの70円は税金」

というのは如何にも異常な話です。

 

だったら戦うしかないですよね。こういう人達とは。

「何を言っても無駄。仕方がない。負担も耐え忍ぼう」

などという姿勢は却って私達の生活を困窮させることになります。

 

 

私達の生活を守るために、正しいと思う事に声をあげ、行政に働きかけていくこと。

それこそが私達の取るべき道だと私は思います。

先日、大変貴重な経験としてデイビッド・アトキンソン氏から直接「財政拡大は経済成長率に直結するものではない」と言う指摘を受けました。正直面食らい恐縮しました。

 

 

 

そこで目にしたのが「相関関係であっても、因果関係を示すものではない。」と言う言葉でした。

 

 

私の不勉強でアトキンソン氏の主張については確認しておらず(「新自由主義者」と言われていたので私の中で拒絶感があった)、「相関関係であっても、因果関係ではない」という主張がそもそも理解出来ませんでした。

その後のツイートを読み進めたところ、この方は政府支出がどれだけ乗数効果として経済成長に結びついたかのデータを取っていたのですね。

 

 

私自身、国債発行額がそのままGDPに直結せず、政府負債対GDP比が増えることについて以前から疑問を感じていたので、「あなたが言っているのは概念論。こちらはれっきとしたデータ」と言われると反論出来なかったわけです。

 

とはいえ、国民総支出の計算方法は

 

Y=G+(政府支出)+I(企業投資)+C(民間消費)+(X-M(貿易黒字))

 

で、政府支出がGDPを構成する大きな項目である以上、ここに因果関係がないはずはないのです。

これに関しては、アトキンソン氏が提示した資料で判明しました。

日本においては企業投資が減少しているのです。

 

だったら公共事業の停止や、増税や増負担による需要減退に問題があるのであって、その対策にはやっぱり減税と積極財政が必要ではないかと思ったわけですが、結局これも概念論でしかありません。

 

 

しかしこの人の主張もやっぱりおかしい。

GDPの構成要件はあくまで「その年の政府の支出」であって「赤字国債の累計発行額」ではありません。

 

 

この資料。

国債の累積残高は毎年積み上がるのに、それと名目GDPのグラフを出して「国債はこれだけ積み上がっているのにGDPが横ばい」だなどと、財務省が使う詐術そのまんまです。

 

それならこちらの資料を見るべきでしょう。

 

 

 

2020年のコロナ禍で大規模な財政出動をするまで、やはり2000年からの日本の政府支出は横ばいだったのです。

それを右肩上がりになるのが当然の累積国債残高に挿げ替えて、さも財政出動が意味のない物に見せるなど、良識を疑うレベルです(悪いのはそんな資料を作った財務省なのですが)。

 

さて、政府支出とGDPの相関に関しては「政府支出が伸びたからGDPが伸びた」という見方も出来ますが、「GDPが伸びたから結果、政府支出も増えた」という見方も出来ます。

 

勿論後者の場合もありますが、「GDPが増えなければ政府支出が増やせない」わけではない事は2020年の日本がまさに証明しています。(まあ、これについては「あくまでそれは後世へのツケで、その結果増税が必要になるんだ」と彼らはあくまで言うのでしょうが)

 

因みに「GDPの変化は政府支出に影響しない。が、政府支出の変化はGDPに影響する」ことは朴勝俊氏がレポートにしています。

PEP DISCUSSION PAPER 2022-1 朴勝俊「タマゴが先かニワトリが先か? : 政府支出と GDP のグレンジャー因果性に関する検討」 - People's Economic Policy

https://economicpolicy.jp/2022/06/29/1262/

 

 

と、今であれば反論することも出来たと思うのですが、ともかくやっぱり痛感したのは、

まだまだ積極財政論というのは社会的コンセンサスを得ていないということ、そして大切なのは相手をムキになって論破しようとするのではなく、その主張を理解し「結局どうやったら日本のためになるのか」の意見を冷静に交わし合うことなのだと思いました。

 

 

【定期的に自分が好きなものをひたすら褒め称える投稿をしています】

 

大変稀有な機会を頂きまして、石﨑徹支部長のお誘いで【Rafvery ワンマンライブ 『 UNISON 』】に行ってきました。

 

本当に素晴らしかったです!感動しました!

どの曲も心に響くものでしたし、MCも凄くカッコよかったです。声のトーンとか身振りとか、率直にあんな風に喋れるようになりたいと思いました。

 

アーティーストは本当に凄いですよね。

自分自身の深くて大きい想いを作品という形にして人に届けることが出来て、

初めてそれに触れる人の心さえ動かし、会場に来た人を感動で泣かせ或いは笑顔に変えて家に帰すことが出来るのです。

それは私から見たら魔法のようですよ。

 

そういう凄い人達と、かたや落選しか出来ないカスの自分がやっていることを平行して語ったのではあまりに申し訳ないのですけど、、

マイクで自分の想いを語って、見知らぬ人であってもそれが届いて欲しいと願って活動しているという部分については共通している所もありましたから、私としてはひたすら憧憬の眼差しでステージを見ていました。

 

 

色んないい曲があったのですが、特にこの「歩」は印象に残りました。

 

 

 

 

「苦しみだらけの今日や

耐えきれない痛みの 傷口さえ覆えない

意志を信じれなくもなるけど

 

こんな世界を それでも愛していると誇れるから

耐えろ 少しだけ今の記憶を忘れず明日へ

 

それでも進め 前へ 笑え

そんな君はやわじゃない

 

不安 嘆き 弱気な自分をまた乗り越えて

命の鼓動 夜明けの下

少しづつ 少しづつでも

歩み続けろ 」

 

という歌詞がサビで出てくるのですが、

(大変失礼で申し訳ない話なのですが)

初めて聴いたものですから最初は歌詞が分からず、「いいメロディだな」と思って聴いているわけですが、

謳っている内容が理解出来た時には思わず心を揺さぶられる想いがしました。

 

ライブでしたから客席に直接訴えかけるような歌い方や振り付けが余計に胸に刺さりました。

本当に素晴らしくて感動しました!

 

メンバーのU-HEY(ユーヘイ)さんは私と同じ新潟市東区出身とのことで、猶更憧れる想いが強くなりました。

ライブ中ひたすらガン見してました。

ラフベリー、推します!

 

 

 

 

5月22日の日経新聞一面トップから。

G7、ウクライナ支援結束 ゼレンスキー氏「強い協力達成」

について。

 

 

 

タイトルにある事態について、一方では

 

「G7の首脳がロシアを批難するより『一にも二にも停戦だ。我々が仲に入るから双方銃を置け』と言うべきではないでしょうか。武器供与、資金援助したら戦争が長引くだけです。子供、女性、お年寄り、それぞれ世界でたった一つの命です。何故命を守ることを考えないのでしょうか」

 

という意見があるようです。

 

 

考え方は人それぞれだと思いますし、この主張は一見すると正しく、そして美しく聞こえもします。

 

 

ただ私には「耳障りはいいけど『道理』には外れた主張である」という風に感じます。

 

 

とにかくも現実を確認しましょう。

 

 

 

 

まず大前提として、

「ウクライナはロシアから侵略を受け、領土を蹂躙され、都市は破壊され、国民は殺され、東部を支配されている」

のが現実であることを理解しなければなりません。

 

 

これが仮に、双方自国領土の外まで軍隊を展開し、互いの領土を削り合いながら大規模な戦争を行っているのなら、『双方銃を置け』も分かりますが、この戦争においては『銃を置くべきなのはロシア側』なのです。

 

 

国連憲章2条4項には

「すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない。」

 

とあります。

 

つまり、国連加盟国であるロシアがウクライナに行っていることは、れっきとした国連憲章違反であり、国際秩序に対する挑戦であり破壊行為なのです。そこに擁護すべき事由などありません。

 

 

反対にウクライナが行っているのは侵略者たるロシアに対する撃退行為であり、『自衛行為』です。

先に挙げた国連憲章においても51条において

 

「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、(略)個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」

 

と規定されています。

 

 

そう、国家において『自衛』とは『固有の権利』であって、決して害されるものではありません。

 

それが国際ルールであり、秩序であり、『道理』なのです。

 

 

仮にロシアの側に

「ウクライナは元々ソ連の構成国であるのに、NATOに入りたいだのEUに入りたいだの、そんなことは決してロシアの安全保障上看過できる話ではない。」「そもそもミンスク合意を反故にしているウクライナにこそ非がある」

との主張があっても、

 

 

それによって第二次世界大戦を経て国際社会が(曲りなりにも)築き維持してきた秩序を、破壊していい道理などありません。

 

 

武力を行使し世界地図を描き換える、つまり『武力による現状変更』を国際社会は認めない、それがこの世界における最も大きなルールなのです。

 

 

 

実社会について考えてみてください。

住居侵入罪(刑法130条)を犯し、住人を暴行し、傷害を負わせた罪(同204条)を犯した犯罪者と、

それに抵抗し正当防衛(同36条)を行っている住人を、社会或いは法は同一に扱いますか?

そんなはずないですよね。

 

逆にこのようのような事件が生じている最中で遠方から「二人とも喧嘩はやめて―!」と叫んでいる人がいたら周囲の人はどう思いますか?

恐らく口には出さずとも「いや、これ喧嘩じゃないでしょ、、」と呆れることでしょう。

 

 

国際秩序を破り他国を侵略した国家は、世界からその行為を認められてはなりません。

仮に侵略国がその行為によって何か得るものがあって、それを世界が認めてしまえば、それによって第二次大戦以降の国際連合下での国際秩序は崩壊するからです。

 

 

そして次の「武力による現状変更」を試みる国がすぐに現れることになります。

実際日本のすぐ隣にそれを公に表明している国があります。

 

 

それに対して侵略を受けている当事国ウクライナが徹底抗戦を主張し、実際に戦っている。

だからこそG7は国際秩序維持と、その破壊者を否定するという『道理』から、これに協力するのです。

 

 

 

勿論、この戦争の早期終結は全人類が望んでいることです。

実際、ウクライナとロシアはそのための協議を1年前から行っています。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220330/k10013558751000.html

 

このNHKの報道によれば、

ウクライナはNATO加盟について「NATO加盟にかわる新しい安全保障の枠組みを提案」し、ロシアは「提案を検討する」と言っており、またウクライナのEU加盟についてはロシアは「否定しない」と言っています。

 

 

 

     

 

 

しかし国境については、ウクライナが協議を持ちかけているのに対し、ロシア側は「獲ったものを手放すつもりはない」という強固な姿勢を取っており、協議は妥結されませんでした。

 

 

結局ロシアがそういう姿勢である以上、話合いでは事態は解決しません。

ロシアは侵略を行っている側で、他者から『奪っている』側である限り、話合いを行っても相手の態度がこちらへの屈服ではない以上は、侵略を継続するだけなのです。

 

だから「ロシアを批難するより『一にも二にも停戦だ。我々が仲に入るから双方銃を置け』と言うべき」

 

との冒頭の主張は、いかにも絵空事なのです。

 

 

更にいうなら冒頭の主張には「ゼレンスキーだけ呼んでどうする」と、プーチン氏のG7出席も呼びかけるべきとの認識が示されていますが、どう考えてもプーチン氏は呼んでも日本に来るとは思えません。

プーチン氏にしてみれば日本に来たところで意に添わむ撤兵を迫られるだけですし、場合によって身柄を拘束される危険もあるからです。

 

 

ただ、来ないことは承知の上で日本としては格好だけでもプーチン氏に呼びかけを行えば、よりこの戦争の責任がプーチン氏にあることをアピール出来たのかもしれません。

 

 

「武器供与、資金援助したら戦争が長引くだけです。」との論調については、正直、真意を測りかねます。

それはつまりウクライナに『早期に屈服をしろ』ということなのでしょうか?

 

 

国家がその主権をかけて侵略者に対し徹底抗戦することを選び、実際に国民の流血を顧みず戦い、戦闘によってはロシアを撃退する場面もある。だからこそロシアの支配地域が東部に限定されているという状況で、侵略者を撃退するために参戦は求めずとも武器の供与や資金を協力してほしいと、そう求めてきた相手に『早期に屈服し、国土を侵略者に明け渡せ』と言うのが正しいことなのでしょうか?

 

 

それは、自分の家に住居侵入してきた犯罪者と戦っている最中に、外から『抵抗することを止めて家を明け渡せ』と言われるのと一緒ではないのでしょうか?

 

 

考え違いをしている方も多いようなのですが、アメリカがウクライナにF16を貸与するのは侵略してくるロシア軍を撃退するためであって、アメリカ・バイデン大統領は「F16をロシア領内では使わない」という確約をゼレンスキー氏と交わしています。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2318ff7ead8355398e52f46c8ced04599945b4c4

戦線を拡大し、戦争を長引かせるためではありません。

 

 

この戦争を早期に終わらせるためには、ロシア軍に大きな損害を与えることによってプーチン氏に侵略に対するリスクを強く認識させ、それによって侵略継続を断念させる必要があります。

 

 

逆にロシアが「ウクライナに戦力なし」と見做せば、どんなに周囲が停戦を呼び掛けようがそれを無視することでしょう。

その能動的な判断は「攻めている側」にしかないのです。

 

 

結局、戦争が起こるかどうかと同様に、戦争を終わらせらるかどうかも、互いの戦力比によって大きく影響されるのです。

 

 

だから私はG7のウクライナ支援が無駄なものとは思いませんし、逆にロシアに停戦を決意させるには足りないぐらいだとさえ思っています。

 

 

しかしまあ、それも私個人の考えでして、人それぞれに考えがあるかと思います。

ただ日本国内にも、国際社会にも、『法』というものがあり、守るべき『道理』というものはあります。

 

 

日本人は『戦争』という言葉にアレルギーがあって、すぐに「命が一番大事。喧嘩を止めて双方銃を下ろせ!」という論調に走って、あたかもそれが唯一絶対の正解であるかのように振る舞います。

 

 

でも現実はそういうものではありませんし、

冒頭の意見に関しては例えるなら「住居侵入罪」「傷害罪」を犯している人間と、それに対して「正当防衛」を行っている人間を一緒くたに扱い、不遜にも「お互い喧嘩を止めるんだ!」と言って、それでいて自分は正しいことを主張していると勘違いして悦に浸っている愚を犯しているように私は感じました。

 

 

 

 

大前研一「10年かけて日本を貧乏にした黒田日銀の金融緩和を検証する」 岸田政権の"貯蓄から投資"はなぜ完全に間違っているのか (3ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

 

 

個人的な批判は極力しないようにしたいとは思いますが、この人って巷では「天才」と呼ばれているらしいですね。ふーん。

ある一定以上のお年を召した方が現在の経済を語っても1mmも役にたたないばかりか、却って社会に有害でしかことが分かります。

 

因みにこの方は毎年「日本の論点」を出版しており私もパラパラ読んでみますが、出版社や読者は何を期待して毎年この方に仕事を発注しているのか分かりません。

 

必要なのは「貯蓄から消費へ」

に関しては全くその通りですが、そのための方策が銀行利子を「(銀行)金利を上げて、その利子を消費に回してもらえばいい」と書いています。

 

「高度成長期から80年頃までの金利は5~7%。当時と同じ水準で金利を5%に引き上げると、個人の現預金1000兆円の利子は年5兆円になる。」

 

この発想職場の人も言っていましたが、やはりバブル以前の人が政治・経済に関与し続けていると碌なものにならないということを端的に感じ取れます。根本的に何にも分かっていません。

 

平成6年(1994年)に普通預金金利は自由化され、各銀行は自由に預金金利を設定できるようになりました。

ですからこの方の主張は日銀総裁に対してではなく、各銀行に要求すべきものです。

 

しかし各銀行が預金金利を5%にするには、必然的に企業融資や各種ローンの利息をそれ以上にしなければ経営が成り立ちません。

では現在の「重要不足」ともいうべき景気状況で、果たして企業は5%以上もの金利で融資を受けようと考えますでしょうか?

あり得ません。

 

逆にローン返済が出来ずに倒産企業や破産者が急増することでしょう。

ますます景気が悪くなります。

 

大体金利引き上げは景気過熱期に行い、不景気には金利引き下げを行う、というのは経済の教科書にも書かれている事です。

 

結局日本の景気がずっと良くならない理由は「教科書にも『それやったらダメですよ』と書かれていることを、声だけはうるさく経済の事も分からない。そのくせ自分は誰よりも経済に詳しいと勘違いしている輩がやたらとやりたがる」からなのです。

 

2ページ目の中段には「ヘリコプターマネー」という単語が批判的に登場しますが、そのヘリコプターマネーを行ったのが同ページの最後に「世界の頭脳」として名前が出ている「ベン・バーナンキ」元FRB議長ではないですか。しかもその人は昨年ノーベル経済学賞を取っていますが、それ分かっているんでしょうか?

 

「日銀は異次元緩和で国債を買い入れ続けている。リフレ派は『満期がくれば繰り延べればいい』と主張しているが」

リフレ派があたかもトンデモ論を言っているかのように書いていますが、それが日本以外の世界全ての国がやっている事です。

 

「日本の政府債務は対GDP比262%に達して、」

はいお得意の政府負債対GDP比。GDP比が問題ならなぜ『GDPの方を増やそう』と言わないのでしょうか?

因みに政府負債残高でいうなら、日本は20年で政府負債を1.8倍にしましたが、アメリカは5.6倍、イギリスは5.1倍、中国は38倍にしました。

ここからも「政府負債を積み上げること自体には何の問題もない」ことが『世界基準』であることが分かります。

 

「国債残高の半分以上を日銀が保有する事態になった。」

それの何が問題なんですか?市場の歪みですか?それって社会経済よりも大切なものですか?

 

いわゆる『日銀破綻論』ですか?日銀が保有する大量の国債の価格が下落する(いわゆる「長期国債の金利が低下する」)ことによって、日銀が多額の国債の含み損を抱えて債務超過になる、というやつですよね。

これ、株や債券を買ったことのない人にはピンとこないので『なるほど、そうなのか』と思うのでしょうね。

 

株をやっている人はね、『含み損』という単語に『それは大変だ!』と思うのですが、債券は満期保有している分には損することはあり得ませんし、そもそも日銀は国債を転売で利益を上げる目的で売買しているわけではないですので。

 

本当にこの手の記事は読めば読むほど1から10まで理屈として成り立っておらず、ただ単純に『アベクロ政策』(著者曰く)を否定するという結論ありきで書かれています。

 

それは何が目的なのか?詳しくない人をペテンにかけるためにやっているのか?ただ単に勉強が足りないだけなのか?

ただ一つはっきりしていることは、現状この手の輩の方が社会で声が大きいがために、日本はいつまでたってもよくならないという現実がある、ということなのです。