小笠原諸島・母島ジャイアン ブログ  -GIAN'S HAPPY BLOG-小笠原諸島・母島で自然農&便利屋

小笠原諸島・母島で持続可能な暮らしを目指しています。

その中や暮らしで学んだことを紹介したいと思います♪

感謝☆議員2年生になりました!! ~あっという間じゃあ☆

2024年04月23日 | 議員活動
■丁度1年前の今日、この時間。夜の22時頃。
春の統一地方選挙があり、今日が選挙の投票日。

母島は期日前投票なので、1日前に投票を終え、
投票日の今日は確か、家でゆっくりしていたら、
父島の開票立会人の方から開票のメモの写メが送られてきて、
人生初の村議会議員、そして沢山の票を頂いたことに驚いたのがちょうど1年前の今日です。

父島のとある場所に潜むコダマちゃん(#^.^#)

あれから皆さんの応援と励ましのお陰で、
なんとか無事に42歳の厄年(後厄)を乗り切り、
無事に議員になって1年が経過しました。
本当にありがとうございました!!

沢山の優秀な人がいっぱいいる中、
こんな頭も良くない僕が議員でいいのか?と今でも思っていますし、
この新人1年間の議員活動、議会活動がちゃんとできていたのか、
自分に自問自答してみても、いっぱい疑問は浮かびます(#^.^#)

議員としてポンコツな部分もいっぱいで、
沢山怒られましたし、うまくいかない事もいっぱいありました。
一緒に頑張っていきたいとこちらが思っていても、
相手がそう思ってないなんてことも幾度もありました。

それでも、仲間に恵まれ、
精一杯ポンコツなりに、できる事をやってきたつもりです!
こんな僕でも、少しずつ手応えを感じることも多くて、
議員という仕事はとてもやりがいのある仕事だと感じています。

辛く、シビアな案件もあったり、
本当に困った人に寄り添い、
願いが果たせない事もあったりで辛い事もあります。

それでも、
すごく感謝されたり、励ましてもらったり、
応援してもらったり、茶化してもらったりで、
楽しく、濃厚で、貴重な1年間でした。

僕一人では大したことは何もできませんが、
沢山の人が力を貸してくれて、応援してくれて、
色んな事を形にすることもできました。

至らない僕に色んな意見を伝えてくれて、
落ち込んだり、悔しかったりすることもありますが、
それらはすべて学びであり、糧となっています。

議員に限らず、
仕事、暮らし、家族、自然、仲間、すべてに
感謝の気持ちでいっぱいです!
どうもありがとうございます☆

これからもできる限り、
与えられたこの大きな役目を
僕なりの方法で、
楽しめる範囲で、
精一杯やっていこうと思います。
どうぞよろしくお願いします!!


■そんな議員になって1年が経ちました。
自分の作った議員活動のHPを眺めながら、
できたこと、できなかったことを見直してみたり。
(理想だらけの公約はこちら)

議員になる前はもっと辛く、何も成しえない時期が長く、険しいものと思っていました。
でも実際に議員になって色々動いてみると、
沢山の方の協力のお陰で、
事が動いたり、叶ったりすることがチラチラとありました。
みなさんのお陰で、
間違いなく議会に新しい風を吹かせることはできたと思います(#^.^#)

そちらはHPの形になったことに載せてあります。
住宅問題、
医療に介護、
シュロ葉屋根の葺き替え、応急処置、
丸ノミ石斧の再確認や、
文化資料の電子保存化、
プラごみ資源回収、
ドック期間中の物資問題、
おが高ぎんねむ寮改善、
議会改革(アーカイブ、議会だより等々)
など
一般質問はこちらにまとめてあります。

まだまだ母島の終末期介護など、
大きな課題はありますが、
少しずつ前進はしていると感じています。

一般質問や総務委員会が何かすらよく分かっておらず、
予算委員会、決算も初体験だらけのあっという間の1年でした。
もう毎日が勉強です!(議員じゃなくても!)

日々の活動の報告はFacebookページにアップしています。
facebookをしていなくても見れますので、こちらもぜひチェックしてみて下さい。


■議員2年生になった今、ようやく議員、議会の1年間がこういう感じかぁと分かって来たので、より意味のある活動ができる1年になる気がします。

無理のない範囲で楽しみながら活動するのがモットーなので、
そんなスタンスで日々、島の方の相談に乗ったり、
ヒアリングをしながら民意を議会や行政に届けて行ければと思います。

母島では便利屋の仕事やゴミ回収、宅急便の配達などで、
顔を合わせる場面が多いと思います。
父島にもほぼ月に1度くらいは行っています。
見かけた時はぜひ気軽に「ジャイアーン!」声をかけて下さい♪

僕にできることは限られますが、
議員という立場はとても可能性が大きくて、
色んな人の力になれます。
皆さんの声と応援が力となり、動けて、形になると思います☆

世の中、疑問に思ったり、首をかしげたくなることは多々ありますが、
少しずつ、みんなの力を借りて、いい方向に向かって行ければと思います。

今後ともどうぞよろしくお願いします!!




小笠原って春がないの⁉

2024年04月20日 | 母島 日常 日記
■今日は新学期が始まって初の授業公開の日でした☆
この春に新しく赴任した先生方、
可愛らしいピカピカの1年生、
学年が上がって雰囲気が変化したクラス(クラス替えはなし)、
色んなお披露目の意味のある春の授業参観日となりました。

その中で、ふと興味深いなと思った場面がありました。
低学年のクラスを担当している先生はこの春、
母島に赴任した先生でした。

母島小中学校の素敵な中庭です(#^.^#)

先生は教科書を参考に、春の植物や生き物の話をしていきます。
その中で子供達に問いかけると、おかしなズレが発生します。

本来であれば、
桜やチューリップ、ウグイスや新緑など色んな自然が織りなす、
日本の春の情景を思い描くでしょう。

しかしここは亜熱帯の島、小笠原諸島の母島です。
子供達が挙げる植物は、
・ハイビスカス(年中咲いてる)
・プルメリア(これも年中咲いてる)

春に巣立ち期を迎えるシロハラミズナギドリ

生き物はもっと面白くて、
・ゴキブリ
・カエル
・ミズナギドリ
・カツオドリ
なんて言って来ます(笑)。

確かに島は春になると温度が30℃近くになったりするので、
ゴキブリなどをよく見かけるようになります。
それを狙ってカエルも活発化してきます。

先生が「それは夏じゃないの?」と思っても、
島の子供達は普通に春の認識なのです(#^.^#)
先生が「春とかチョウチョを見かけるでしょ?」と言うけど、
島の子供達は「チョウチョあんまり見かけないよ」という始末。
そう、島ではチョウチョはいないわけではありませんが、結構レアな存在なのです☆

ミズナギドリに関しては、どんな鳥かも知らず、
カツオドリが実は渡り鳥で、島だと春先から増えてくるのも知りません。

子供達に一生懸命教える先生の教科書には、
島の春なんて、これっぽっちも載っていないのです☆

春と秋に実りを迎えるキバンジロウ

■そんな感覚の差を見ていて、とても面白くて、
困っている赴任したての先生に「島の春」を少し話してみて、
そんなエピソードを先輩先生に話してみると、
「そうそう!私も赴任してすぐの春の授業ですごく困った!!
 さらに秋とかも困るの!だってもみじを知らないし、
 紅葉も当たり前に分からないんだから(笑)!」

そんな先輩先生と話した後、
もう定年退職された大先輩の元教員の方とも話し、
そうなんですよね~と大笑い。

島の季語で俳句とか書かせると面白いですよね、と(#^.^#)。
そんな事を話していました。

そんな事をきっかけに、島の四季について色々思い出したり、考えたり。

そう、四季がハッキリしている日本本土に比べて、
亜熱帯の小笠原は春と秋が曖昧です。

冬に雪や氷が見れるわけではないし、
秋に山菜や紅葉、沢山の収穫があるわけではないのです。
春は出逢いと別れのシーズンです

もう20年くらい、本土の春を経験していないので、
大分忘れてしまっていますが、
島の桜なんて、2月に散ってしまうのですから(#^.^#)

島の季節で僕が感覚的に抜けてるな、と思うのは、秋です。
日本の秋というものは、冬に向けて様々な実り豊かに変移し、
色が、空気が、雰囲気が冬籠りに向かっていくと思っているのですが、
あの感じが島にはない気がするのです。

春は早目ではありますが、桜が咲き、菜の花(からし菜ですが)、
そして新年度に向けて出会いと別れがあり、ソワソワするのです。
入学式や、卒業式もそうですね。


■島の春を僕なりに考えてみると
・寒緋桜が咲く
・トマトの収穫が終わり、パッションフルーツに移行する
・ウミガメ漁の季節(新亀が食べられる!)
・カメ陽気にカメの交尾
・鳥たちの繁殖シーズン
・サイザルアサやオガサワラビロウの花が咲き、コウモリが集まる
・ザトウクジラ達が北上を始める
・夏野菜の作付け
・シロハラミズナギドリの不時着
・消防団の訓練
・出逢いと別れの季節
・ネムリブカのお見合い
こんなイメージです。

夏は豊富にあるし、よくイメージできるので割愛して、
島の秋のイメージは
・台風が多い
・御嶽神社のお祭り
・学芸会
・文旦の収穫シーズン
・暑くて海に入らなくなる季節
・トマトの定植
・オナガミズナギドリの不時着
台風以外はなかなか季語にしにくいイメージです(#^.^#)

これらはあくまで僕の独断と偏見ですが、
学校の授業参観で困っている赴任したての先生と、
先生の言っている意味がなかなか伝わっていない低学年の生徒たちの様子が、
とても興味深く、面白かったので色々考えさせられました☆

そして、自然界のカレンダーも時計もないのに、
季節に合わせてちゃんと巡ってくるのが凄いなぁと
改めて感動させられました!

さあ、皆さんの思う島の春や秋ってどんなのがありますか?




母島の伝説のカフェがリニューアル・オープン!!

2024年04月17日 | 母島 おすすめ処
2019年の大台風で壊滅的な被害を受けて、
営業をやめていた母島伝説のオーシャンテラスの「CAFE MAMAYA」が
「COFFEE CAMP KUJIRA」になってリニューアル・オープン!!
やった~~~!!

この情報を知ってから、妻がずっとソワソワしておりました(笑)

とっても美味しいベーグルに
素敵なドリンク類が用意されています♪

今日は定期船ははじま丸が父島に向かう姿を見送りながら、
オープン初日という事で、
ワクワクしながら夫婦で行っみたら、偶然にT夫婦も来ておりました☆

大海原を眺めながら、
舌鼓を打ちながら過ごせる場所が、
こうして復活したことがとても嬉しいです☆


■営業時間は10時~17時でラストオーダーが16時。
営業カレンダーは静沢の坂道との分岐点に表示されています☆
手作りで雰囲気も最高です♡

ちょっと集落からは遠いですが、
だからこそのロケーションと言えます♡
※営業日でも風が強い場合はお休みとなる場合があるそうなので注意!

こちらがドリンクメニュー。

運転をしなくていい人はビンタンビールや角ハイボールもいいですね♪


ベーグルのトッピングなどは日替わりだそうです。
ベーグルはグルテンフリーの米粉100%のパンです。

風味も良く、とても美味しかったです(#^.^#)


■このキッチンカーで注文と支払いをしたら、調理を待ちます。


黒豆茶は無料で飲めます☆
いちいちセンスがいいですね~♡


飲み物と食べ物の準備が出来上がると、
呼ばれます。
テラスで待つもOKだそうです。


美味しい飲み物などをもっったら大海原が見えるテラスへ♪
ドキドキしますね~

僕らはブルーラムネソーダ、
オレンジ色タイミルクティー、
ベーグルサンド(生ハム、クリームサンド)
を持っていきました(^_-)-☆

妻も足取り軽く上がっていきます。
みんなワクワク♡

テラスは見事にウッドで作られ、
階段も丁寧に作られ、
立派な日陰もある素敵な場所!

まだザトウクジラがチラチラと見えました!
かなりイイ感じです♡

1人用の絶景スペシャルVIPシートもありました。

そこからの景色はハスベイと四本岩が見渡せます。


テラスは森の中にあって、
周りの木々が囲んでいてとても落ち着く雰囲気です。

みんなでワイワイする席もあります☆


母島でまったり気持ちよく過ごせるスポットが復活して、
また夫婦で通ってしまいそうな予感です(#^.^#)

テラスにあるこのゲーム。
この5列の〇×、どういうルールなのか分からず、
店主さんに聞いたら「タイで買って私も分からない。教えて~」
との事でした。

5個1列はゲームとして無理があるし、
3個1列は先手が圧倒的有利。
となると、4個1列が現実的がしたのですが、実際やいかに⁉
知ってる人、教えて下さい!
※翌日、ルールを発見しました!!

ちっちゃなサッカーゲームも
大爆笑しながらTさんと対戦し、3-0で勝ちました!やった!

そんな楽しくも落ち着く最高の空間が誕生しました!
これから通っちゃうぞ~
どうもありがとうございます!!




出逢いと別れの島の春2024

2024年04月12日 | 母島 日常 日記
■「いってらっしゃい!高校生活楽しんでね!」
つい数日前、父島の小笠原高校に進学する母島の生徒を見送りました。

3月から続いた卒業、離島、入学がようやくひと段落しました。
そう、春は出逢いと別れの季節です。
船というたった一つの交通手段しかない島だからこそ、
人の出入りがハッキリと分かるし、
その見送りと出迎えは盛大に行われるのです。

恒例のサッカー部の胴上げを見ると、
母島の卒業を感じます。

今年の母島を巣立つ卒業の生徒は3人です。
2人は内地の高校へ、1人は父島の小笠原高校へ。
小さなころから知っている島の子供達。
これまでにその兄弟も見送って来ました。

兄弟と共に島を離れる家族、
これまでお世話になった先生たちとその家族、
他地域に赴任していくみんな。

島でその顔が見れないのは寂しいですが、
新天地で精一杯楽しんで頑張って欲しいと思うのです(#^.^#)


■島を離れていくははじま丸。
それを見送る島のみんな。
毎年、切なくなるこの季節。

島を離れるみんなの首や頭には、
みんなが想いを込めて作ったレイがあります。

船が島を離れる時に海に向かって投げて、
そのレイが島に辿り着くと、
またその島に戻って来れるという言い伝えがあります。
ははじま丸が離岸して、大きな汽笛が鳴ると、
みんなが一斉にレイを投げていきます。

みんな大声で
「いってらっしゃい!!元気でね!ありがとう!」
と叫んで走って追いかけます。

見送られる人、見送る人の中には
大粒の涙が溢れる光景も目にします。

僕が高校を卒業して、小笠原に初めて行こうとするとき、
高校の恩師が
「その土地を離れる時、自然と涙が溢れるような、そんな出会いをして来いよ!」
と言ってくれて、実際に僕自身2002年に母島を離れる時に、
ずっと泣いていたのを思い出しました。

それから翌年には小笠原に移住しているのですから、
人生は何があるか分かったもんじゃありませんね(#^.^#)

海面を漂うレイを眺めていると、
色んなドラマを思い出して、キュンとなってしまいます。

楽しいだけでなく、色んな感情があると思いますが、
その人の人生において、この島で暮らしたという時間が、
かけがえのないものになるといいな、そう願っています。

その後、父島では何隻ものの見送り船が伴走する、
盛大な見送りが繰り広げられますが、
母島の見送る人と見送られる人の距離の近い、
素朴な別れも僕は大好きです♡


■この春はコロナ禍が明けて、
数年ぶりに盛大な見送り式、出迎え式が執り行われています。
この3年間ほど実施できなかった期間が、
このセレモニーの大切さを再確認させてくれました。

見送る人にとっても、
見送られる人にとっても、
大事な節目になっている気がするのです。
学校での卒業式。
母島小中学校では小学生2名、中学生3名の卒業でした。

高校のない母島にとって、
中学卒業はそのまま島を巣立つことを意味します。

沢山の方の準備と応援、関わりのお陰で実施できるセレモニー。
色んな想いが交錯します。
本当にありがとうございます!

島を巣立つ子供達、ひとりひとりによる精一杯のスピーチは胸を打つものがあります。
5年前、長女が卒業式でスピーチして、
その後カナダに飛んで行ったのがついこの間の様な気がするのですが、
今度は来年、次女が卒業を迎えます。

子供の小さい頃は、慣れない子育てに翻弄されていっぱいいっぱいでしたが、
子供が親とあまり一緒に過ごさない年齢になってからは、
あっという間に成長し、巣立って行ってしまう気がします。

人生において、子供と一緒に過ごせるというのは、
すごく限られた時間ですので、
大事にしていきたいと思います(#^.^#)


■そんなお別れを過ぎると、
今度は入学式に新しい赴任する先生や職員、家族が島にやってきます。

本土から1000㎞以上も離れ、
コンビニもバスも映画館もない島に来るって、
想像できない心境だと思うのですが、
その緊張感もどんどん和らいでいくのを見るとホッとします♪

今年の入学生は
小学校が4名。
中学生が2名。

母島は小中学校で、同時に入学式も卒業式も行います。
入学式では新中学1年生が、新小学1年生と手を繋ぎ入学します。

長女が中1の時、次女が小1のダブル入学だったのが、
もう8年も前のことだとは!



■長女は現在カナダから帰国して、
母島で住み込みで働いています。
もう少しは島にいるようですが、
せっかくの英語が喋れる20歳なので、
どんどん色んな世界を楽しんでいってほしいと思います☆

次女にとっては今年は受験生。
果たしてどんな進路を選んでいくのか?
親としては楽しみです♪

28年前、当時仙台の中学3年生だった僕は
仕事しながら学校に通っていましたが、
将来の事なんて、のほほんと捉えていました。

その後、昼間はサラリーマンをしながら、
夜は工業高校に通い、
さらにはその後に遊ぶという高校生活を送り、
そこのご縁で小笠原に来るなんて、
夢にも思いませんでした(#^.^#)

そもそも、中学生の時に硫黄島は知ってても、
小笠原はあまり知らなかった気がします(ゴジラで知ってる程度)。

島の子供達も、
自分の娘達も、
自分や妻のこの先も、
どうなるか分かりませんが、楽しみな春のひと時です♪



くろしお丸に感謝!おかえり、ははじま丸!~伊豆諸島開発のみなさんありがとう!!

2024年03月16日 | 母島 船舶
■3/10我らがははじま丸がドックを終えて、母島に帰ってきました!
お帰りなさい!

3/9入港日の父島~母島の往復を以って、
今期のははじま丸代船、くろしお丸は本来の青ヶ島航路に戻って行ったそうです。

ははじま丸は広島県呉市の神田造船所でドックをしてきたそうです。
なんと同じく僻地離島航路を支える伊豆諸島開発の「あおがしま丸」は9日まで青ヶ島航路に就航した後、
八丈から直接鹿児島のトカラ列島の応援に向かったそうです。


■トカラ列島十島と鹿児島を結ぶ航路ですが、
去年12/29、悪石島沖で運航中の十島村営船「フェリーとしま2」
の機関から火災が発生し、乗客11名、乗員18名が全員が無事に救助される出来事がありました。

唯一の公共交通機関での火災で、三島村の「フェリーみしま」などで臨時運行などを行ってフォローしているそうですが、やはり村民生活に支障が発生しているとのことです。

鹿児島への医療、物資、仕事の出張移動など色々と不便が生じているようです。

そこで、なんと伊豆諸島開発のあおがしま丸が十島航路に応援しに向かっているというのです!

宝島に接岸するあおがしま丸。
これはトカラ列島宝島に住む友人が画像を送ってくれました。
トカラ列島応援のあおがしま丸の運航についてはこちら

過去にはくろしお丸の前の船、「ゆり丸」がフェリーとしまの改造ドックの際に代船として応援に行った経緯があるそうです。
その時はフェリーとしまのバリアフリー化という事で、
エレベーターを増設する長期ドックだったとか…



■去年は、おがさわら丸に漁網が絡む事件、さるびあ丸のプロペラ故障、新島~式根島の連絡船「にしき」の座礁など色々な船のトラブルが続き、その予備船の存在が本当に大切である事が見えてきました。

近海資格という特殊な資格を持つ、
くろしお丸とあおがしま丸のポテンシャルの高さ(貨物も旅客もできる!)はかなり凄くて貴重な能力と思いました。
※ははじま丸はドックに行くときのみ臨時で近海資格を取っているそうです。

今回のくろしお丸がドック明けに母島に来てくれて、
ははじま丸はドック入り。
その間も母島の生活に支障がないように日々、動いてくれていました。
船員さんは船で寝泊まりをして、時化の時は沖留めでずっと海の上で揺られて過ごしています。

私たちの生活は、こうした皆さんに支えられている事を忘れてはいけないと思います。
つい、当たり前になると忘れがちですが、こうしたインフラを支えてくれているから、普通の日常が送れているのです。

昨日は母島航路を離れるくろしお丸の船員さんに、
目一杯の感謝を込めて、声をかけて、手を振ったら、
船員さん達も船長も大きく手を振って応えてくれました。

本当にありがとうございます!!

■母島~父島航路の応援運航を終えて、くろしお丸が父島を経由して、八丈~青ヶ島航路に戻っていきます。
父島に到着すると、沖合にドック帰りのははじま丸が父島の二見湾に帰って来ていて、素敵な交替の場面があったようです。

今回、僕も議員の出張で内地に行って来たのですが、
内地からの戻りが初のくろしお丸乗船でした♡

過去に母島でくろしお丸の内覧会があり、
そこで内部は見たことありましたが、
運航しているのに乗ったのはなんとこれが初めてでした(^.^#)

くろしお丸の誕生が2022年1月だったので、
なんと2年も乗っていなかったわけです!!

■そしてようやく、我らがははじま丸がピカピカになってははじま丸航路に帰って来てくれました!

2月3月は学生の春休みやクジラのシーズンということで、
入港日に父島に戻り、翌日朝にまた朝から父島を出て来るという、
普段より1往復多い臨時運行をしてくれています。

これが観光面でもすごく有難く、
年度末の仕事の行き来している方々にもとても助かっている状況です。
しかし、船員さん達はガッツリ仕事が増えてしまっているので、
リスペクトの気持ちも込めて、
なんとか船員さん達が心地良く過ごせる雰囲気作りも、
島側からやっていきたいと思っています。


■さてさて、そんな赤字な超僻地離島航路に
ははじま丸、くろしお丸、あおがしま丸と3隻の船を就航させている、
伊豆諸島開発さん。

議員の2月の内地出張の合間に、
芝浦にある事務所を始めて訪ねて行って来ました!!
お忙しい中、山本社長と沢山の話をさせて頂き、
これからの小笠原との関り、未来についてお話させて頂きました。

たった450人の人しか住んでいないははじま丸ですが、
こうした色んな方々に暮らしが支えられています。

毎朝、ここから島の海況を連絡を受けて、
くろしお丸、ははじま丸の運航の決定などの連絡、発信をしてくれています。

その情報は東海汽船のHP、アプリで確認できます。
一番、多くの人がリアルタイムで情報を知れるように更新してくれていますが、こうしてその方達の顔が見えてくると、
グッと嬉しくて応援したくなってきます。
今後も色んなアクションをしていきたいと思うので、
よろしくお願いします!

芝浦の伊豆諸島開発の事務所には、沢山の島の写真が飾られています。
その中で、よく知っている方のポストカードが展示されていて、
思わず山本社長にお願いして写真を撮らせてもらっちゃいました♪

こんなに島の事を考えてくれてるっていうのが伝わり、
とても嬉しくなってしまいます!!

明日はまたまた議会で父島に行くので、
ははじま丸に乗ってきます。

いつもいつも、
そしてかなり厳しい海況でも、
島の航路を支えてくれています。

本当に有難うございます!!




①8年振りの硫黄島 ~議員・行政視察

2024年03月02日 | 硫黄島
■今回8年ぶりに激戦の地、硫黄島にやってきました。
前回は小笠原村民として、訪島事業に参加しての訪島でした。
今回は初めて村議会になって、議員として、行政視察としての訪島になります。

村議会議員全員で硫黄島にやってきました。
遠くに見えるのが有名な摺鉢山です。

前回は2代目おがさわら丸で硫黄島に渡ったのに対し、
今回は自衛隊の厚木基地から輸送機で渡るというものでした。

そして、前回は戦跡がメインだったのに対して、
今回は硫黄島の旧島民の暮らしを見るというのがメインでした。
硫黄島で生まれた1世、その子供世代の2世、孫世代の3世と共に
色んな話を聞きながら硫黄島で過ごすことができて、
本当に全く違う目線で硫黄島を体験、学ぶことができました。

79年前の2月19日。
それは米軍が硫黄島に上陸してきた日です。

これは摺鉢山から見える米軍上陸の二ッ根浜です。
僕たちが今回、硫黄島に訪れたのが2月15~16の1泊。

79年前のこの日は、
連日、地下に壕を掘る作業をしていつつ、
沖合に並ぶ艦隊を睨み、
空襲や機銃掃射が続く頃だと思います。

その時、この同じ硫黄島から見る景色は、
その時の心情はいかなるものだったのでしょうか。

硫黄島にある村の施設「平和祈念館」前での夕陽

1日でも米軍の本土上陸を遅らせるために、
とにかく時間稼ぎをするために、
自分たちの命を顧みず、
徹底抗戦をした硫黄島決戦。

80年経っても、毎年遺骨収集が続いています。
まだ約1万のご遺骨が残り、
島民の帰島が許されていない、
いわば戦後が終わっていない硫黄島。

その視察を分野分けしながら振り返っていきたいと思います。

8年前の訪島事業の3日間ですら、
学ぶことが多く、沢山の記事を書きましたが、
今回はさらに新しい学び、視線が入り、
それ以上のボリュームになりそうな気がします。

現在、以前のようなおがさわら丸での訪島事業が叶わない状況です。
去年から自衛隊の輸送機による訪島事業が再開されましたが、
こうして議員の行政視察として訪島できる立場として、
自分が硫黄島で見て感じたことをしっかりと伝えていかなければと思っています。

戦争で全てが焼け野原になった硫黄島ですが、今は緑に溢れています。

■今回の硫黄島への渡航は厚木基地から自衛隊の輸送機C130で渡る予定でした。
朝7時に相模大塚駅に硫黄島旧島民、村長、村議、北関東防衛局のメンバーが集まり、
厚木基地へ向かいました。

しかし、なんと海上自衛隊のC130機体のトラブルが見つかり、
今日中に飛ぶかどうかも不明とのこと。
一同、暗雲が立ち込めた状況でした。

そんな不確定の中でしたが、村長が機転を利かせてくれて、
硫黄島出身の奥山登喜子さん(90歳)のお話を聞く素晴らしい時間となりました。
詳しくは次の記事で触れたいと思います。

そして今回、硫黄島に渡るのは難しいいのかな?と誰もが不安を持っていた時、
航空自衛隊からC2輸送機に乗る隊員を下ろして、
代わりに乗りませんか?という提案を頂き、すぐに承諾しました。

空自のC2(ジェット機)は予定されていたC130(プロペラ機)よりも速く、
1時間半ほどで厚木から硫黄島に渡れてしまうそうです。
(C130は2時間半ほどだそうです)

予想外の展開に一同、有難い気持ちでいっぱいでした。


■C2であっという間に1200kmを越えて硫黄島に着きました。
船で行くのと違い、あっという間で気持ちが追い付かないほどです(笑)。
2月の内地の寒い乾いた空気は一変し、
湿気を帯びた大好きな島の風が僕たちを迎えてくれました。

今回、去年夏に発刊された、酒井聡平さんの著書「硫黄島上陸-友軍ハ地下ニ在リ」と一緒に硫黄島へ渡る事を決めていました。
ちなみに今、ベストセラーになっています!!

Facebookで著者の酒井さんと繋がっていたので報告すると、
「わー、嬉しいです☺️「硫黄島上陸」が硫黄島上陸。
まるで我が子が渡島するような喜びを感じています!」
とても嬉しい返事を頂きました♪

摺鉢山の上でも撮影。
酒井さんの祖父が戦争当時、父島で無線をしていた方だそうで、
酒井さん自身もその経緯と熱意で、硫黄島の遺骨収集に参加しています。
詳しくはぜひ著書を読んでみてほしいと思います。

今までの硫黄島の本では知らなかった事実が沢山載っています。

硫黄島は現在も火山活動が活発で、至る所が隆起で地形が変わっています。
8年前に来た時には何でもなかった摺鉢山の道がこんなになっていました。

頂上に上がる時は足場の階段が必要になっていたほどで驚きました。

以前、おがさわら丸から通船で上陸した場所もすっかり地形が変わっていて、驚きました。
この火山活動も硫黄島に一般住民の帰島が許されない、大きな理由のひとつと聞いています。


■そして、今回の硫黄島は人生初の島での泊りだったのですが、
小笠原村の施設「平和祈念館」に宿泊させて頂きました。

これはこれまでずっと遺骨収集、墓参と自衛隊の施設にお邪魔していた所、
硫黄島旧島民の会の皆さんが村へ要望し、平成14年に建てられたものです。

「硫黄島への帰島が叶わない旧島民が訪島事業、墓参、遺骨収集などで硫黄島を訪れる際、
短い時間でも故郷の島で宿泊出来る施設として、平成14年に小笠原村が整備しました。」
村のHPに書かれています。

平和祈念館は電気は自衛隊の発電所の電気を使っていますが、
水はすべて雨水を使用し、その雨水を管理するための設備もありました。
ここはまた別の時に詳しく紹介したいと思います。

夜には硫黄島旧島民の奥山登喜子さん(硫黄島出身、11歳で強制疎開)のお話、
2世、3世のお話を聞きながら、北関東防衛局や自衛隊の皆さんと沢山のお話を聞く機会を得られました。
本当に大切な涙溢れる話ばかりで、
登喜子さんが11歳まで生まれ育った硫黄島でお話を聞けたことは生涯、忘れられません。

硫黄島基地の自衛隊有志の皆さんで結成される阿波踊り「千鳥蓮」の皆さんが、
訪島歓迎の披露をしてくれました。

キレッキレの阿波踊りで感動し、硫黄島の夜が更けていきました。


■後日アップ予定ですが、旧島民の集落、現在の遺骨収集の現場、
自衛隊の施設を見学させてもらい、夕方に硫黄島を離れ、夜に厚木基地に帰りました。

帰りは行きに載る予定だったC2がトラブルが直ってやってきました!!

無事に厚木に着陸できて、ホッとしました(#^.^#)

その翌日は明治大学で硫黄島強制疎開80周年シンポジウムが開催され、
そこにも議員全員で出席してきました。


一緒に硫黄島に行ってきた旧島民メンバーも揃い、
90歳という高齢の登喜子さんが、あんなに移動して体力を消耗したと思っていたのですが、
しっかりと登壇して、硫黄島の色んな様子を話していました。

故郷の為なら、亡くなった兄の眠る硫黄島の為なら、と言っていたのが脳裏をかすめます。

この様子はYotubeにアップされていますので、ぜひご覧ください。

第1部(1時間35分)


第2部(59分)


これから細かく、
今回硫黄島で学ばせてもらった事をアップしていきたいと思います!












涙が溢れる料理と活き活きした人々~町田再訪問編

2024年02月21日 | 議員活動
「僕は料理で涙が溢れたのは人生で初めてです。
 味はもちろん、盛り付けの美しさ、彩り、
 これだけの地元野菜をそろえる地力、
 作り手の真心が詰まっていることに感動しました!」

久しぶりに町田にやってきて、
特に印象に残っていたのが、
人生初の料理で涙を流すという経験でした。

こんなご縁を繋いでくれた秋田しづかさんに心より感謝いたします。

料理そのものも、
それに携わる人たちの雰囲気、
場の素敵さに感激してしまいました。

そんな町田の感動の物語。


■今回の議員内地出張のメインは硫黄島行政視察でしたが、
それ以外に空いた日程や休日があったので、
そこを利用してまたまた町田を訪問しました。

メインはワールドウィングスというジム訪問と、
町田市議会議員の秋田しづかさんに逢いに行くというものでしたが、
あまりに素晴らしい出逢いの連続が待っていたので、
ここに記しておこうと思います。

町田には古くから伝わる小野路という風情のある地域があり、
そこに「ヨリドコ小野路宿」という病院が運営している
訪問看護ステーション併設のコミュニティがあります。

そこで美味しい食事や竹林整備や竹細工体験など、
みんなで作る地域の心と体の拠り所となっていて、
そこの「とまりぎ」というカフェで感動の料理に出会いました。

そこで頂いた地元野菜たっぷりの食事で、
メニューは日替わりで一つだけなのですが、
その素晴らしさに冒頭の感動の言葉、涙に繋がりました。

美味しいデザートもあったのですが、
その写真は撮り忘れました(笑)。

とにかくそちらで料理している小川由紀さんの人柄も最高で、
料理から伝わる心にひたすらシビれてしまいました♡

僕自身、初対面で面識もない方の料理に、
ここまで感動したのも初めてなので、
自分自身でも心底驚いています♪
それほどに素晴しい料理だったのです♥

小野路宿ヨリドコの食事処とまりぎ、オススメです!
紹介してくれたしづかさん、
店主の小川由紀さん、本当にありがとうございました✨
かならずまた来たいと思います♡


■そのヨリドコでは奥の方で竹細工にハマっている方を紹介してもらい、
竹の素晴らしさ、竹の可能性について熱く想いを聞かせて頂きました。

4年前に竹と出逢い、その素晴らしさに魅了されたそうです。
話を聞いていて、僕もうんうん頷く言葉ばかり!!
ゆきのさん、最高過ぎます♡

僕自身も大して器用ではないのですが、
以前から竹の利用についてはとても興味がありました。

父島の漁協で働いていたころ、
漁師さんに
「俺らは退化してるんだよ。
 昔の年寄りは、カゴとか道具はみんな手作りで作ってしまう。
 今の俺らはプラスティック製を買って、使っているが、
 作ることはできない。年寄りはすげぇんだよ」
と話していた記憶があり、
本当にすごいなぁと感じています。

母島のロース記念館に島のタコノキを使った工芸品が展示されていて、
実際に今も島の方が手作りで作っています。

沖縄などでもシュロ(クバ)で様々な道具が作られていて、
何度も感動させられた記憶があります。

どうか各土地の伝統工芸というものをもっと大事にしていきたいと願うばかりです♪


■他には前からずっと訪問したかったワールドウイングスというジムを訪問してきました!
こちらは独自に開発された器具を使い、
体をメンテしながらより健全な状態にしていくというもの(だと思っています)。

かねてから島の方から、健康寿命を延ばすためにこの器具と運動を導入してほしいとリクエストがあり、
過去に何度か訪問の計画を立てていたのですが、
僕の発熱やタイミングが合わず、ようやく実現しました♪

島の方から、加齢でなかなか歩くのが不安定になって悩んでいたが、
このジムを経験したら、サクッと歩けるようになり、驚いたという話を聞いていました。

今回、こちらのジムのトレーナーの方に丁寧な説明を受けて、
しづかさんと一緒に体験をしてみました。

独特の身体を捻る動きも取り入れて、
なんと手や足を置く場所のボックスの中に、
その加減を調整する秘密の仕組みが入っているとのこと。(#^.^#)

体の固くなっている可動域が広がり、
トレーニング前には前屈で指が地面につかなかったのが、
あっさりつくようになっていて、驚きました!!
こんなにも早く効果が表れるとは!

何より、体がすっきりしていて気持ちよく、
これは今後も何度か来てみたい!と思わされました。

実際にジムでトレーニングをしている方に話を聞いてみると、
ジムに来る前はマッサージとか色々通って、
なんとか日常を暮らせるようにしていたけど、
このジムに通うようになったら、そんなのはいらなくなり、
日常もすごく動けるようになって、最高だ!とのことでした(#^.^#)

プロ野球選手のイチロー選手や、
色んなプロスポーツ選手も愛用している器具のようです。

トレーナーの加藤さん曰く、
世の中の8割くらいの人が、こうした機械を使わず、
歩いたり、走ったり、ストレッチしたり自分でやっているけれど、
こうした機械を使うことで、効率的に身体をケアできて、
より健康な状態に持って行けるのだとか。

今回は初心者向きのマシンを経験させてもらい、
90分があっという間に過ぎて行っちゃいました。

これは島にあってもいいのでは?と思わされちゃいました☆
若いスポーツ世代のトレーニング、
シニア層の健康寿命を延ばすのにとても効果を感じました!

そして、こんな素敵な事務が近所にあるしづかさんが、
羨ましくなってしまいました。

トレーナーの加藤さん、どうもありがとうございました‼



■そして、しづかさんに案内してもらったのが、
みんなの居場所「陽だまりカフェ」です。

ここのオーナーの足立さん、
僕たちが訪問した時は、
昼に行うイベントの料理の仕込みの真っ最中でした。

テキパキとナイスな太巻きを作りながら、
色んなお話をしてくれました。

ここは足立さんの自宅の1階のスペースを利用して、
福祉制度の限界を住民でカバーすべく、
徒歩圏内の人々の多世代が繋がる場として、
ご夫婦で「集いの場づくり」として挑戦している場所だそうです。

具体的には認知症の方が自分たちで調理などを行い、
軽食や飲み物を提供しつつ、みんなで集まって活き活きと過ごしているようです。
まさにコミュニティーカフェ!!

いくつになっても、認知症になっても、
生きがいや役割を持つと人は人のためにも力を発揮する、
自分の好きなこと、得意なことを生かして参加して楽しむなど、
とてもワクワクした取り組みを実践している場でした。

地域の包括の仕事もなさっている足立さん、
テキパキと料理をしながら、笑顔で色んな話をしている様、
そしてどんどん色んな人が集まってきていて、
場が本当に活き活きしていて、
島にもこういう場があったらいいなぁと思うほどでした!!


■BLG(Barrier Life Gathering)
認知症と共に生きる人が、地域社会で、仲間と一緒に、役割を持って暮らすための拠点。

そんな拠点を日本に100個作りたいと町田を拠点に前田隆行さんが2019年に、
100BLGという活動を始めたそうです。

認知症に限らずですが、人生の先輩方の生きる知恵、経験、知識というのは素晴らしく、
もっともっと地域で活かされてほしいと思ってきました。

僕自身、介護の仕事をしていても、そう思うことの連続です。
託幼老所の可能性を模索したこともありました。

今回、母島の終末期の問題を解決すべく、
悠翔会の方にお話を伺ったりしてきて、
母島に看取りができる小規模なグループホームがあればいいのになと
思っているのですが、
その中でのヒントもこの町田の陽だまりカフェで得られた気がします。

行政任せばかりではなく、
民間もコラボしてどんどん動いていければと思うのです。


■他にもごみ処理の施設や、
小野路の古民家を利用したお店や展示など、
しづかさんに色々案内していただきました。

そこで出逢う人々がみんないい笑顔で活き活きしていて、
しづかさんが関わってきている人や場の素晴らしさを感じました。

それはただ明るく楽観的なのではなく、
人生の色んな山と谷を乗り越えて得られる、
とびっきりの笑顔とスタンスなのだなとしみじみと感じる町田の出逢いでした。

僕より1年先輩の新人議員さんで、
小笠原村よりももっと大人数の自治体だし、議会も大きいです。
その中でマイノリティに苦しんでいる様子もありましたが、
どうかその庶民の素朴な目線や気持ちを代表して、
頑張ってほしいと思いました。

奇遇にもなんと同世代であることも発覚し、
なんだかこれからもお互いに切磋琢磨して、
頑張っていきたい!そう思える町田視察となりました。


どうもありがとうございました!!

中里小学校「小笠原」出前授業

2024年02月15日 | 母島 日常 日記
「絶対に小笠原に行って、ジャイアンに会いに行くよ!!」
「うお~移住してぇ!」
「三軒茶屋もいいところいっぱいあるんだよ!!」
資格今回、世田谷区三軒茶屋にある中里小学校4年生に授業をしてほしい!とリクエストを頂き、ゲストティーチャーとして昨日の午前中フルで授業を行ってきました。

2クラスで42名の生徒、2コマずつで計4時間の授業です。
4年生だけで母島小中学校全生徒の人数を超えてしまう人数。

しかも内地の都会の学校。
授業の前はどんなことになるのかドキドキでした。

担任の先生からは「割と初対面だと大人しいと思います」とのことだったので、楽しく小笠原を紹介できるか心配でしたし、
僕自身が4時間も集中力が続くか自信がありませんでしたが、
終わってみればそれは杞憂に終わりました♪

2クラスとも授業を終えてみたら、冒頭のような嬉しい言葉の連続、記念撮影の時なんていっぱい近くに絡んでくれて、
見えなくなるまで手を振ってくれて、
すごくいい時間でした☆
と同時に学校の先生のすごさを垣間見ました。

■授業の内容は小笠原の紹介(概要、自然、暮らし)、
質疑応答、
あとは気になるテーマ9パネルからみんなに選んでもらって、
輪になってフリートーク。

やっぱり海やクジラのことが気になるし、
なぜかオジサン(魚の種類)をみんな知ってるし(笑)、
ごみ問題、環境保全、ネコ問題にとても関心がありました。

僕も消防団やアイボでこれまでになんども学校で授業をしたことはあるのですが、
島の子供も三軒茶屋の子供も何ら変わりなく、
元気いっぱい、素直で好奇心旺盛なかわいい子供たちばかりでした。

最後に小笠原だからすごいんじゃなくて、
みんなの地元にもすごいところいっぱいあるでしょ?と問いかけ、
キャロットタワーや三軒茶屋の名前の由来になった茶屋が今も1件残っているなど、
子供たちが誇れる地元の宝物を教えてもらいました♪

■一方、三軒茶屋にはなんと子供嫌いの大人が複数人いて、
公園で遊んでいると怒鳴ってくる人がいるからほんと残念と嘆いていて、
こんな子供たちの声を大人はどう拾っていけるのか等、色んな問いかけにもなりました。

子供たちは先生に「卒業旅行は小笠原にしてね!!」と懇願し、
いつか小笠原に遊びに行くよ!ジャイアンに会いに行くよ!と言ってくれて、
なんだか沢山パワーを頂いちゃいました☆

こうした活動が島との交流、観光、そして議会にいい相乗効果になればいいなぁと思っています。
こんな授業の機会を与えてくださった小島さん、
どうもありがとうございました!!

まずは知ることから~小笠原でガザの映画上映会!!

2024年02月11日 | 戦争と貧困
■ガザ上映会(母島)が終了しました。
「こんなにも理不尽に人の尊厳を、
 子供の命までも失っている、
 現在進行形の状況をリアルに知って、
 溢れる想い、辛い気持ちで胸がいっぱいでした。
 ぜひ多くの人に知ってもらいたい。」
島の若きホープ、宮澤かれんが企画して実現した小笠原でのガザ映画の上映会。
冒頭が僕の感想です。
この映画を観るまでガザの現実の厳しさをよく理解していませんでした。
どんな機会からでもいいので、まずは知ることから始めなければと思いました。

主催の宮澤かれんの報告はこちら

住民の5%を集めた父島の翌日は母島での開催でした。
1/27(土)父島 3本立て 動員111人。
1/28(日)母島 2本立て 動員74人。
なんと人口比でいうなら父島を超える多くの島人が映画を観に来てくれました!

僕は大したことはできないけれど、準備や運営に関わらせてもらい、
涙が出る程嬉しい島の若者のアクションで素晴らしい学びの機会を頂きました。

かれんの呼びかけで、学校や島の中学生、卒業生なども準備や運営に関わってくれて、かれんの人徳をヒシヒシと感じました。
本当にお疲れ様でした☆

昼の部、夜の部と2回映画を観て、
ガザにも行き、今も支援、伝える活動をしてきている並木麻衣さん、
ガザに行った経験で平和実現を目標に様々な映画事業をしている関根健次さんのお話を聞いて、
本当に知らない事ばかりで、
このイベントに関わらせてもらって本当に有難かったと思いました。

12月の議会でも停戦を訴える決議に関わったし、
前々からうっすらと知ってはいましたが、
こんなにも丁寧にガザの現状とこれまでを知る機会はありませんでした。

去年11月にかれんが「ガザの事を知りたい!」を思って観た映画なのです。
映画を観て島での上映会を決意し動いた事に本当に感謝です。どうもありがとう!

■映画を観終わり、並木さんの講演を聞いて、
あまりの現実に言葉を失い、気持ちが重くなりました。

ガザが名古屋市程度の大きさと人口であること、
2007年から封鎖され、物資も人も自由に外と行き来できないこと、
200万人の人が限られた土地と物資で暮らしているので、
飢餓、貧困、病気、精神的な重圧などに悩まされている事、
ガザにある大学はすべて破壊され、小中学校も避難所になていて、子供達が学ぶ機会も奪われている事、
若者が未来に絶望し、イスラエル側に投石をして撃たれて、亡くなったり、手足を失う日々が今も続いている事、
そんな中でも3年おき位に戦争が勃発し、特に去年の10月からのハマス討伐の為の攻撃があまりにむごい事、
この3か月で2万2千人が亡くなり、そのうち5千人を超す子供が亡くなっていること…

それに向けた歴史背景も少しだけ学ぶと、
同じ夢を持ち、当たり前の日常を夢見ている人々の暮らしが
こんなにも蹂躙されている事に言葉を失いました。


■現在進行形の
ロシア・ウクライナでも、
チベット、モンゴル、ウイグルでも、
東ティモールでも、
知れば知るほど、人の愚かさ、恐ろしさが伝わって来ます。

と同時に、
どこでも同じ人間の普通の営みがあって、
戦争、ジェノサイドに巻き込まれたりしているのは
一般の市民・子供達だという辛い現実を
どうにかしていけないものかと感じさせられました。

今、自分にできる事はお金の支援や、
こうして人に伝える事だけだけれど、
もっともっと人の根源に関わるこの問題に
向き合って動いていきたいと思いました。

■僕が所属している小笠原村議会は12月の小笠原村議会定例会で、
清水良一議員からとても大切な発議があり、
全会一致で可決されました。

平和都市宣言をしている小笠原村の村議会からの平和へのメッセージです。

●パレスチナ自治区ガザにおける平和の早期実現を求める決議

「平和都市宣言をしている小笠原村は、世界中の人々が、恒久平和を誓い、
 平和を分かち合えることを願っている。
 パレスチナ自治区ガザにおける戦闘において、
 多くの人々が傷つき亡くなり犠牲となっている現状は、決して看過できるものではない。
 小笠原村議会は、平和的解決による「人道的即時停戦」のための努力を強く求める。

 以上決議する。
                           令和5年12月14日
                             小笠原村議会」

僕は村議会議員としても、イチ個人としても、
清水議員のこの提案に賛同し、調整に関わらせて頂きました。

戦争はいつも罪のない一般市民や子供達が命を落とすことに深い憤りを感じています。
あまりに悲しいニュースが日々流れてきます。

小笠原は激戦の地、硫黄島があります。
今も1万のご遺骨が眠ったままです。

父島にも母島に戦跡が残り、
大砲跡はあるし、
今も畑からは弾薬が出てきます。

もう二度と戦争なんて馬鹿な真似は
起こさせたくないと思っています。

どうか、少しでも戦争が無くなることを祈っています。


■今回、次女もガザの事を自主的に学び、積極的に関わり、
家に帰ってからもガザの事を話していました。
学校でも先生がガザの事を教えてくれていたそうです。

長女も当日、色々準備や運営を手伝ってくれて、
未来にも微かな手応えを感じました。
本当にお疲れ様でした!!

チームで支えてくれた皆さん!
映画を作ってくれた皆さん、
並木さん、関根さん、
大金額を抱えても企画、主催してくれたかれん
どうもありがとうございました!!

そして大切なのはこれからどうするか!?だと思います!

参考URL ガザ地区とは?

映画『ガザ 素顔の日常』予告編

母島のPTA活動-ホエールウォッチング

2024年02月04日 | 母島 日常 日記
今日は母島小中学校PTA校外部によるイベント、ホエールウォッチングでした♪

普段は島の子供も保護者も、
日常的に丘からいっぱい見ているザトウクジラ達。
PTAの保護者の漁師さんが船を出してくれて、
子供達は勿論、先生や保護者をホエールウォッチングに連れて行ってくれました(^_-)-☆
小笠原ならではのPTA活動だと思います(#^.^#)
本当にありがとうございます♪

子供達もクジラのその存在感を間近で感じて、
その圧倒的な様を味わえる機会があるのが
とても大切な気がするのです。

漁船が走っていて、
小学生「ねえジャイアン、この下の白いの何?」
と指を指します。
僕が「お!これクジラだよ!!真下にクジラいる!!」
小学生「へぇ~こんなに白く見えるんだねぇ」
ザトウクジラの胸ビレの裏側の白い部分が見えたのです。
漁師さんが船を止めたら、
すぐ横で大きな2頭の潮吹き(ブロウ)が。

「おおお~~~!!」とみんなの歓声。

なんと船の上までザトウクジラの歌声が聞こえてきました!

船上での子供達の鋭くもトンチンカンな会話がたまらなく愛おしい♡

夏の北極海で採餌し、
冬は小笠原や沖縄、ハワイで繁殖をするザトウクジラ達。
何千キロも回遊をするクジラ達にとって、
この地球の大きさは僕たちの感覚と同じなのだろうか?
ふとそんな疑問が湧いてきます。

北極から南極までの渡りをするキョクアジサシやハシボソミズナギドリ、
ヨットやカヌーで地球を周ったり、
飛行機で地球上で一番の速さで移動するヒトの感覚。

子供の頃に近所の行動圏が世界のすべてと感じていたけど、
大人になるとなんて小さな空間を広大に思っていた感覚、
みんなはありませんか?


■僕にとって、普段はカヌーやSUPでクジラと対峙していることが多く、
接近に気を付けてはいますが
その圧倒的な存在感にいつも身震いをしています。

こちらは木の葉の様なものだと思っています。
大自然にお邪魔している感MAXです。

しかし、こちらがクジラより大きな漁船等に乗って対峙すると、
その存在感が少し違って感じられます。
言うなれば、少し恐怖感や畏敬の念が少し薄くなっている、そんな気がするのです。

SUPだと自分自身たった一人です。
カヌーだと舵取りをする事が多いのですが、
他メンバーの命を預かっているので、緊張感の種類が全然違います。

そして、エンジン付きと違って速さも、大きさも違うので、
クジラに対する印象もだいぶ違うなと感じました。
漁船だと安心して1眼カメラを持てる点も違います。

北海道で車の中と外でヒグマと対峙するのと、
自転車に乗ってヒグマと対峙する感覚に近いのかも知れません。

より安全な側に立つと、どこか麻痺してしまう部分がある気がするというのでしょうか。
僕は野生の存在が恐ろしく感じる経験が、
僕にとってはとても大切なのだと思っています。

わざわざ身を危険にさらす必要はないのですが、
時々、大自然を感じる場に身を置いて、
自分の小ささ、力のなさを味わう、
そんな時間がとても大事なのです。

そうすることで、僕は自然に対して謙虚になれる、
大事な感覚を再確認して、アップデートできる。
そんな気がしています。

暮らしの空間からすぐにこんな事を味わえる、
母島に暮らせていることにとても感謝です!


■そしてなんと2日前の2/2、久し振りのシャチの出現のニュースが届きました!!
大好きなオルカですよ♡キラーホエールです!!
小笠原ホエールウォッチング協会の報告によると、
聟島列島嫁島の西沖、水深2000mを越える地点での目撃との事です。
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子供の頃からずっと大好きだったシャチ。
数年前に初めて生の野生のシャチをカナダのジョンストン海峡で見ることが出来ました!
全世界の海に生息するシャチは、小笠原の海にも時々出現します。
僕はまだ小笠原の海でシャチを見たことが無いので、
いつかあの高さのあるオスの背びれを小笠原の海で見かけるのが夢の一つです(#^.^#)

2016年かもうちょい前(調べてすぐでてきませんでした)にも母島でセミクジラ出現というニュースもありました。
小笠原ではあとコビレゴンドウも生きたのを見てないですし、ニタリクジラもみたいですね~
世界で言うなら、イッカク、ホッキョククジラ、ヒモハクジラ、シロナガスクジラと、
まだまだ見てみたい鯨類は沢山います♪

夢は膨らむばかりです!




拝啓、20年前のクソガキへ

2024年01月22日 | 大切にしていること
■今回、3泊ほど父島に行って来て、
相変わらず素晴らしい出逢いと感動の連続だったのだけれど、
とびっきりの嬉しい言葉を頂きました。

それは24年前、僕が仙台の高校を卒業して、初めて19歳で小笠原で出逢った人からでした。
今回、本当に久しぶりに父島で話そう!となって、話す機会を作ることが出来ました。

僕自身は当時も今も大して変わった気がしていないのですが、
その人曰く、
「最初会った時はあなたは本当にクソガキで、
 うるさいし、人の話は聞かないし、
 そりゃすごいもんだったけど、
 20数年経って、今では尊敬できる人になってる。
 結婚して、子育てして、色々あったろうけど、
 本当にあなたは変わったよ~」
と言うのです。

おお!それはとても嬉しい!
わざわざ言葉にして言ってくれて、ありがとう!
しかし、自分で変わった自覚がまるでない(笑)。

今でもうるさいし、人の話を聞かない事もあると思います。
しかし、その言葉はじんわりと嬉しかったのです。

そして、母島に帰って、妻と話しても
「うん。今も変わらないクソガキだよねw」
とお互いで頷く状態(笑)。

■20年前のクソガキよ。
僕は今、あなたに逢いたい。

20年前と全く同じとは思わないけれど、
そんなに42歳になったクソガキを見て、
どう思うか聞いてみたい。

当時、仙台以外は知らなかったし、
結婚もしてないし妻も子供もいなかった。

それから大切な家族が出来て、
一緒に旅をしたり、
泣いたり笑ったり、
時には死にかけたりもした。

沢山の人に支えてもらっている。
何なら今この瞬間も沢山の人に支えてもらっている。

ああ、確かに19歳のあの頃は、
あまり感謝という気持ちはなかったかも知れない。

やりたいことが星の数ほどあって(今もだけど)、
新しい世界に飛び込みたくて(今も少しある)、
でも自分中心ばかりだったかも知れない。

家族が出来て、
小さな赤ちゃんが成長するのが奇跡で、
無事に育つなんて、親だけではとてもできないと思えてきた。

何でもできると思っていたけど、
それは色んな人、自然、世界に支えられている事に気付いた。
沢山の人と出来事が気付かせてくれた。
すると自然と感謝と尊敬の念が溢れてきた。


20年前のクソガキよ。
いっぱい人に迷惑をかけることもあるだろうけど、
感謝の気持ちは忘れず、
自分が助けてもらった事は忘れず、
自分に余裕がある時、
目の前に困った人がいたらフォローするんだよ。
それが恩送りってもんだ。

今日も、
昨日も
一昨日も、
なんか毎日色んな人に
嬉しい言葉を頂いて、
本当に生きていて良かったと思えます。

全然、議員らしい振舞いどころか、
大人らしいこともできちゃいないけど、
沢山の人に支えられて今があります。
どうもありがと~~!!

4年振りの島のどんど焼き復活!!

2024年01月15日 | 島のイベント
■昨日は母島青年会主催のどんど焼きでした☆
コロナ禍でやれてなくて、なんと4年振りの復活です♪
去年までは正月飾りを預かって、お焚き上げを行っていました。

なかなかゴミに捨てにくい正月飾りや破魔矢など、
こうした場があることで、しっかりと天に還せるのが大事な気がします。

今回からコロナ禍が明けて、ようやくみんなで美味しい芋煮を食べて、餅を焼きながらのどんど焼きが再開できてホッとしました。

みんなで火を囲んで色んな話をしながら、それぞれの過ごす時間。
コロナ禍でそんな当たり前と思っていた光景が3年も失われていました。

一心不乱に餅を焼く人もいれば、
ひたすら火を観察している人、
火には目もくれず、芋煮や餅のみにフォーカスする人、
おしゃべりが大好きな人、
みんなそれぞれ思い思いに過ごしている光景が戻ってきた事、本当に嬉しく思います♪


■気付けば台所もIHの人も増えてきて、
暮らしの中から火が無くなってきている昨今なのです。

焚火やキャンプすらなかなかできない島暮らしでは、
このどんど焼きという場が直火に触れる貴重な機会だと思うのです。

島の子供達も、「熱い!煙い!」とか言いながら、
火のそばを離れません(特に男子w)。
大人も子供もなかなか火の扱いは慣れない様子です(#^.^#)

母島伝統(?)の竹で挟んだ餅焼きも、
最初は黒焦げにしちゃうのが、
次第に上手になってくるから面白いです♡

途中から売店でマシュマロを買ってきて焼くことに気付いた人もいて、
気付けば餅からみんなマシュマロ焼きにシフトしていたり(笑)。


何故か大量の完熟シークワーサー(ヒラミレモン)が振舞ってあったり(#^.^#)


動物の中で唯一、火を扱い、進化したヒト。
焔の揺らめきを眺めていると、
どこか太古の気配を感じて、
ずっと飽きずに眺めていることが出来ます♪

きっと、石器時代の島の民も、
同じような景色で焔を眺めていたのでは?


青年会が前の日から仕込んでくれていた芋煮が温かく、とても美味しかったです(#^.^#)
どうもありがとうございました!


みんなお椀と箸を持参していて、
これが多様で実は面白かったりするのです(#^.^#)

日中は半袖で過ごせる1月の母島ですが、
日が落ちると途端に肌寒く感じます。

そんな時に火の暖というのは、とても心地良く感じます。
火の周りにも自然と人の輪ができるのです☆


元旦からの震災で寒さに凍えている地域の方も、
無事に暖を取れていることを願ってやみません。

母島青年会の皆さん、嬉しい行事の再会、
準備に片付けとどうもありがとうございました!!

小笠原消防団母島分団の出初式

2024年01月08日 | 島のイベント
■武道初めに父島へ行き、帰って来た6日はそのまま消防団の出初式に団員としての参加でした。

今回、僕は班長が不在なので班長役で参加。
慣れない掛け声もなんとかうまくいったと思います(#^.^#)

父島からも、母島からも沢山の来賓の皆さんが来てくださり、
地域の皆さん、子供達も見に来てくれて、
無事に終えれてホッとしています。
本当にありがとうございました!!

父島では14日に出初式が執り行われます。
コロナ禍が明けて戻って来た、
島の子供達向けの体験乗車。
来賓と団員での懇親会(カメ煮付!)。

少しずつ、大事な部分が戻って来て本当に嬉しいです。
懇親会の場で副団長が話していましたが、
小笠原には消防署がありません。
生業を持つ団員が集まる消防団。

今は定員を大きく割って、少ない状況です。

●現在の団員数
父島 32名
母島 18名
合計 50名
有事の際には招集がかかりますが、
全員が集まれるとは限りません。
それだけに分母が大きい事に意味があります。

消防団はボランティアではなく、
大きな金額ではありませんが、
報酬があります。

そして毎年訓練で、様々な知識を身に付けることが出来ます!
色んな方と交流する機会にもなります。
出動時、必ず出なければならないわけではなく、
団員が出れるタイミングの時だけで構わないのです。

ぜひ興味のある方は消防団に挑戦してみませんか?

●年報酬
団員 36500円
出勤手当(1回)5000円
点検整備 2000円
警戒 3500円
※福祉救済制度で補償あり

現在も被災して、救助が続いている能登半島震災。
報道を見るたびに、胸が締め付けられます。

現地でも地元の住民の暮らしと顔を知る消防団は、
とても大事な存在として活躍しているはずです。
若手議員の僕も、父島の平野議員も消防団に所属しています。

僕はもうすぐで15年くらいになりますが、
学びが本当に多くて、
所属していて本当に良かったと思っています。

火災も捜索も様々な事がありましたが、
どれも本当に大事な場面でした。

元々は沖縄で海難で救助されたことがあり、
その恩返しの為に入団しました。

小笠原に限らず、どの地域にも消防団は組織されています。
大変な事もありますが、とても自身の為にもなります。
どうか地域住民の生命、財産を守る為に、
活動してみませんか?

■今回の12月議会で防災の話がありました。
3人の議員が一般質問で防災面を質問していたのです。

年々、全国的に団員が減っていることが問題になっています。
地域の顔と土地を知っている団員がいざという時にとても重要と言われていますが、
離島にはそもそも消防署が無く、消防団だけという島が沢山あります。

せっかくの機会なので、小笠原に近い規模の新島や式根島と比較してみました。
各島の役場の担当者さん、ありがとうございました!

     人口  団員数  定員
父島   2153   38   67
母島   458    18    26

新島   1974  114  200
式根島  481   45   80
神津島  1775  163   -

そもそも人口比から考えると、小笠原に比べて定員数がそもそも多い!!
今日は新島と式根島の消防団の方とお話したのですが、
島の若い方はほとんど所属していて、
そうした風潮があるそうです。

地域の生命財産を支える消防団。
小笠原も定員を割っている現状ですので、
ぜひ団員が増えて行ってほしいと思います。

ボランティアではなく、報酬もあります!
ぜひあなたも自分の地域の消防団に入りませんか?


謹賀新年2024 ~2023年を振り返り新年を思ふ

2024年01月04日 | 母島 日常 日記
■改めまして、新年明けましておめでとうございます。
長女も無事に島で成人式を迎え、
母島では普通に平和な元旦、正月を迎えることが出来ました。

しかし、元旦から能登半島の大地震に津波、
1/2には羽田空港のJAL機と海保機の衝突事故など、
多くの人命と生活に関わる災害、事故が続いています。
余震もまだ続いているみたいで、本当に心配な状況が続いています。
被災された皆様、亡くなった方々へお見舞い申し上げます。


そんな元旦からの災害や事故の前になりますが、
母島の月ヶ岡神社で新年を迎えました。

年末格闘技RIZINの試合を観て、感動した後、
大晦日の夜に神社の境内の焔を眺めながら、
去年、この場所で厄年でもある2023年の挑戦を決める大きな出来事がありました。

ここでのおみくじで、人生であまり出た記憶のない大吉が出たら、
4月の小笠原村議会選挙に挑戦してみようという決意でした。
結果、僕にとってレアな大吉を引き、
1か月ちょい悩みに悩み、選挙に出る決意に至ったのです。
丁度去年の元旦の記事に書いていました。


■そんな訳で2023年の4月の地方総選挙で生まれて初めて、立候補しました。
結果、沢山の票を入れて頂き、初めて議員になるわけですが、
他の立候補者の皆さんに比べると、スタンスは少し違うと思っています。

スーツも着ず普段着で、街頭演説もしませんでした。
どうも選挙の時だけ良い事言って、
大音量で演説するのがいいとは思えなかったのです。

やったことは父島、母島で合同演説会をやって配信する事。
自分のマニフェストは動画で配信しました。
あとはポスターと葉書のみでした。

正直、僕は元々色んな地域活動をしていたので、
議員になろうがなるまいがあまり変わらないと思っていました。
(後で全然違うことがわかりました)

選挙の一番のメインは、受かる事よりも、
選挙公報がほとんどない小笠原において、
多くの人が立候補者の主張を知れて、
ちゃんと投票に行く事、興味を持ってもらう事の方が重要でした。

受かるかどうかは本当に二の次でした。
ただ、供託金15万円が戻って来る17票という投票数だけは超えたいと思っていました。

そもそも議員になるなんて自分の力でなく、
島の皆さんが選ぶことだと思っていたので、
素直に選挙中の演説ではなく、
20年間の僕の島の暮らしや主張で選ばれるかどうかだと思っていました。

蓋を開けてみれば、本当に沢山の島の皆さんの負託を受けて、
過去最高票で当選という、こんな自分でいいのか?と思うほどの票を頂きました。
当選の連絡を母島で受けた時は、その票数に心底驚き、気持ちが引き締まりました。
本当にありがとうございます!

今回の票は4年前の村議会選挙が無投票選挙で、
議会も高齢化も進んでいて、
40代という若手であること、
議会に新しい風を吹かせてほしいという願いと
色んなタイミングの意味もあったと思います。

これだけの負託を受けたということは、
しっかり議員としての役目を努めなければいけません。


■そんな訳で議員になって活動をしてみたら、
驚くほどただの個人による地域活動とは全然違うことが分かって来ました。

動けば動くほど、
今まで変わらなかった事がどんどん変わって行くのです。

議員として出向いてみれば、しっかりと対応してもらえて、
その後にリアルに活かせる場面が幾度となくあるのです。

元々は食わず嫌いをせずに、
まずはやってみて考えるの精神でやってみた部分は大きいのですが、
とてもとても手応えのある仕事ということが分かりました。

ぜひ4年後の選挙で色んな年齢、色んな性別、色んな人が選挙に出てほしいと思っています。
報酬はそれだけで暮らせる額ではありませんが、
すごく学びが大きく、やりがいのある仕事です!

有難い事に、沢山の方々の応援のお陰で、
想像よりも議員の仕事はずっと面白く、やりがいのある仕事だと思います。
議員に挑戦してみて、本当に良かったともいます。

もちろん、願った事がすべて叶うわけもないし、
力不足を感じる部分、至らない点、反省すべきところはありますが、
今のところはずっと前向きに活動出来ています。

この1年でも沢山新しい風を吹かせて、
変わってきた部分が幾つもあります!

色んな方々に迷惑をかけたりしながらも、
同時に沢山の応援や協力で支えてもらって、
本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
どうも有難うございます!
どうぞ今年もよろしくお願いします!


■月ヶ岡神社の初詣を娘たちと過ごしながら、
そんな事に想いを馳せていました。

長女が4年間のカナダ滞在を終えて、一時的に島に帰ってきた2023年。
長かったコロナ禍が明けて、色んな事が戻ってきた年。

そんな2023年は良い事ばかりではなく、
悲しい事も沢山ありました。

一番は大好きな人達の急逝が相次いだことです。
友人、知人、親族、憧れの人が天に召されていきました。
とても嘆き悲しいことです。

2023年はミュージシャンの訃報が多いと感じていたら、なんと31人も亡くなっていました。
去年までそんなまとめのデータが見つかりにくいので、
今年は顕著なのだろうと思います。

僕にとっては、
Hi-STANDARDのツネさん、
The Birthday(ミッシェルガンエレファント)のチバさん
BUCK-TICKの櫻井敦司さん、
X JAPANのHEATHさん、
BOWWOW(スラットバンクス)の新美さん、
デルジベットのISSAYさん、
坂本龍一さんの急逝がとても大きくショックです。
僕の青春に大きく影響を及ぼしています。

友人、知人親族もこの2年で、
若い癌の罹患や急逝が続いていて、
僕が40代になっただけなのだろうか?と疑問を持っています。

がんがこの10年ですごく増えたのも、
こうした急逝が増えているのも、
東日本大震災の原発事故、
新型コロナワクチンは無関係なのだろうか?と思ってしまいます。

自然発生的な急逝は素直に受け止めれますが、
やはり人為的な影響での急逝はなかなか受け止めきれません。

心よりご冥福を祈ります。


■気持ちが暗くなってしまいがちですが、
この年明けから島の新成人が集まって、成人式やこれからの未来を感じる嬉しい出来事は、
沢山の癒しと力を頂けました。

元旦の海開きで新成人による鏡開き。

島のみんなに「おかえり~」
「立派になったね!」
「綺麗になって!」
と言われる彼女たちを眺めては、
これからの未来への希望を感じています。

幾度となく、このブログでも書いていますが、
ハワイのことわざでもある「島はカヌー、カヌーは島」という言葉。

価値観が異なる人々が、
目的意識を持って、互いを尊重し合いながら、
共に活動していくという意味と僕は捉えています。


母島というカヌー、
小笠原というカヌー、
日本というカヌー、
地球というカヌー、
色んな事に例えて考えてみるととても大切な教えであることに気付かされます。

そして、僕にとってのクレアナ(責任、役目)が、
この1年でも明確に変わってきているのを感じています。

議員となってももちろん、
イチ親としても、
イチ個人としても、
自分に課せられた役目というのを感じて、
この2024年も活動していけたらと思います。

いきなり今日から父島へ行き、
武道初めに来賓として出席します(心は完全に母島柔道・剣道部の応援!)。
6日に母島に帰って来たらすぐに消防団出初式です。
こちらは議員としてではなく、団員として参加します。

すでにもう3月くらいまで予定が色々入りまくりですが、
どうぞ今年もよろしくお願いします!



祝!!20歳を祝う会 長女の成人式

2024年01月02日 | 母島 暮らし 子供
■新年あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします!

元旦から能登方面で大きな災害が発生しています。
どうか1日も速い復旧と復興を祈ります。
亡くなった方、被災された方へのお見舞いを申し上げます。

そんな複雑な気持ちの元旦ですが、母島は特に何事もなく、
初詣に始まり、年賀状の配達、海開きと怒涛の様にイベントをこなしていました。
そして、長女がこの冬に帰島し、一番の目的だった成人式。
(今は18歳が成人になったので、正確には表題です)
無事に同級生4人全員が集合しました♪

元旦の海開きの後というスケジュールの中、
幼いころから知る4人の晴れ姿を見て、
ああ、ここまでよく無事に育ってくれたなぁと
しみじみと思いました☆
本当におめでとう!!

女子たちらしく、綺麗な晴れ着が揃うととても華やかです(#^.^#)

■一人一人の20歳のスピーチを聞いていて、
それぞれに想う事があって、目頭が熱くなりました。
この4人がここまで揃うのは卒業式でもなかったので、
それぞれのドラマを思い浮かべ、
本当にこの日を迎えれて良かったと思いました。

この4人は島の保育園から一緒ですが、
途中に抜けたり戻ったりと色々なドラマがありました。
※小学生時代は素敵な男子も1名仲間にいました(#^.^#)

島を離れて、内地で過ごしてみて、
初めて島の温かさ、優しさに気付かされたと話していました。

たった4人ですが、みんな個性豊かで、全然違う4人。
内地での何百人という学校であれば、
関わらない、話したこともない、名前も知らない同級生が沢山います。

しかし、母島は圧倒的少人数なので、
家族同士で知らない人はいないし、
人の子供も叱るし、
人の子供の成長を見守ります。

本土にはない環境で、ないものも多いですが、
ここでしかないものも沢山あります。

僕はここにしかないものに大好きな要素が幾つもあるので、
島で子育てを楽しんでやって来れましたが、
こうした島の子供達のスピーチを聞いていると、
本当に島で子育てできて良かったと感じました♪


■親ばかですが肝心の長女のスピーチもとても良かったです。
彼女の精神的成熟を感じさせてくれる内容でした♪

こうして生きて行きたいという部分は、
随分と僕と考えと似ているんだなぁと
不思議な気持ちになりました。

故郷の島に帰って来て、みんなに「おかえり~」と言われる喜び、
家族や関わってきた人への感謝、
人を大切にすると同じく、自分も大切にすること、
価値観の違う人を尊重できること、
どんな逆境でも楽しめるセンスを持つこと、
挑戦を恐れず、まずはやってみることなどを話していました。

人生のゴールなんて、
きっと死ぬまで分からなくて、
実はありはしないのだろうと思うけれど、
こうして自分らしく前を見て生きて行っている
成人した娘の姿と言葉はとても頼もしく感じました。

その頼もしい成人の娘を見て、親としてのゴールをひとつ感じたのです。

長女のスピーチを聞いていた島の友人が
「内面から出てる美しさを物凄く感じて、
 こちらまでなんだか素敵な気持ちにさせてもらいました。
 人間、内面の美しさって本当に滲み出るんだなぁと思いました!
 娘が、凪穂(長女です)みたいな女性になってくれたら嬉しい」
とコメントをくれて、とても嬉しかったです☆

他にも色んな島の方から嬉しい言葉を頂いています!
どうもありがとうございます


■そんな長女ですが、4年間のカナダ生活で、
前から弱かった日本語はさらに弱くなり(笑)、
英語でスピーチを作ってからわざわざ和訳し、
さらにその日本語のおかしさに悩むという前日夜でした(#^.^#)

親として、近くにいればそのツッコみ所が満載なのは相変わらずですが、
島でも別に暮らし、仕事をして、
経済的にも精神的にも自立できているので、
素直に今後が楽しみです♪

スピーチでも語っていましたが、
明確な将来の夢とかではなく、
生きたい場所、やりたいことは無数にあるので、
色々挑戦して、その時にホットな事をどんどん突き進んでいけばいいと思うのです。

そんな話をしたかどうかは覚えていないのですが、
そんな考えがとても柔軟で素敵だと思ったし、
間違いなく20歳の頃の僕には考えも及ぼないセンスと思いました☆

妻が作ってくれた色んな色のティーリーフローズが、
コンパクトだけど素敵に長女の頭を飾っていました♡


■そして、年末年始にも関わらず、
この式の為に準備、運営に動いてくれた関係者の皆さん、
元旦なのにわざわざ出向いてくれた
来賓の皆さん、島の皆さん、
みんなの着付けをしてくれた島の大先輩さん、
これまで娘たちに関わってくれたすべての皆さん、
本当に有難うございました!

子供の頃から、
小学生の頃の高遠、山村留学、
カナダでの留学に社会人生活、
コロナに帰国に今現在も、
ありとあらゆる人にほんと~~~~~にお世話になり、可愛がってもらっています。

この人のご縁が、彼女にとって本当に最高の財産と思います。
感謝してもし尽せません。

僕はこのご恩を、目の前の困った人をサポートする恩送りをしていこうと思っています。


■最後に
元旦から能登半島を中心に甚大な被害を及ぼした、大地震と津波がありました。

おめでたい元旦の時間だったのに、
被害に遭われた皆様は
余震が続く寒空の中、
家屋の損壊や津波、避難と大変な状況と思います。

亡くなった方々にご冥福の気持ち、
被災された皆様にお見舞いの気持ちでいっぱいです。
そして改めて、自分たちが住む小笠原の防災対策、
各家庭の災害時への見直しをしなければと思わされました。

少しでも速い復旧と復興を祈るばかりです。
どうかご無事でありますように。