◆舞鶴城碑
かなり空いてしまいました。フォロワーの方には申し訳ございません。投稿も1年前の7月の福島県の続日本100名城の「三春城」で、かすかな記憶で書いてます。
青春18きっぷを利用して行きは、北へ向かうには乗り継ぎ乗り継ぎで郡山、そして磐越東線で三春へ。帰りは、乗り継ぎ乗り継ぎは時間的に無理があり郡山から宇都宮までワープ(新幹線)して攻城してきました。(直流と交流の両方対応の電車でも気動車を考えて‼️)
2022年7月22日(金)
🚊鉄道総乗車距離:478.9km 🚍バス:14.8km
品川発【06:57】🚃-(東海道本線 宇都宮行 25駅)-🚃宇都宮着【08:58】
宇都宮発【09:12】🚃-(宇都宮線 黒磯行 10駅)-🚃黒磯着【10:04】
黒磯発【10:22】🚃-(東北本線 新白河行 5駅)-🚃新白河着【10:45】
新白河発【10:51】🚃-(東北本線 福島行 8駅)-🚃郡山着【11:30】
昼食:🍚🍜 (ラーメン 「あさくさ」)
郡山発【13:24】🚃-(磐越東線 いわき行 2駅)-🚃三春着【13:37】
🛤品川から三春までの乗車距離 245.4km🛤
三春駅から約20分
🏯三春城
◆続日本100名城スタンプ:三春町歴史民俗資料館
徘徊時間:約1時間
三春城跡は、中世から近世の田村地方を治めた大名の居城跡です。美しさから「舞鶴城」とも呼ばれています。
1504年に戦国大名の田村義顕が築いたと言われていて遺跡などが発見され、南北朝時代には城館として機能していたようです。
1590年、豊臣秀吉の奥羽仕置きにより田村氏は改易され三春は伊達領から会津に入った蒲生氏郷の領地に組み入れられ若松城の支城の一つとなりました。
1645年、秋田俊季が三春藩主(5万五千石)となり明治維新まで秋田氏11代の居城となり、新たに山麓に居屋敷を築き、本丸御殿は儀式にだけ使用しました。1785年の火災で城がほぼ全焼してしまい、三階櫓以外は再建されませんでした。
戊辰戦争では、三春藩は奥羽越列藩同盟に加わりますが、新政府軍の攻撃を受ける直前に開城。維新後は、建物のみならず石垣や礎石まで払下げられ公園として整備がされた。
◆公園案内図
◆大広間跡からの眺め
◆搦手門跡
◆本丸への登城道
◆矢倉跡
◆竪堀跡
◆二之丸跡
◆大広間跡
三春町役場前にある、南町バス停まで下城後2・3分
南町バス停【15:07】🚍-(福島交通 郡山行 32バス停)-🚍郡山駅着【15:45】
🚏乗車距離:14.8km 790円🚏
郡山発【16:12】🚄東北新幹線 なすの292号 東京行 3駅)-🚄宇都宮着【17:04】
🛤郡山から宇都宮までの乗車距離(新幹線) 117.2km🛤
宇都宮発【17:15】🚃-(宇都宮線 熱海行 25駅)-🚃品川着【13:18】
🛤宇都宮から品川までの乗車距離 116.3km🛤
思いつき ぐたぐた 旅日記
前回の龍岡城に続き、関東エリアから日帰りで行けて、スタンプが押せていない日本100名城、続日本100名城を物色して探しあてた三春城。白河越えは黒磯駅を境に在来線は車両の電流違いで必ず乗り継ぎで、黒磯から新白河も独自の車両を使わなければならない等で、青春18きっぷではとっても不便!!!仕方なく片道だけ白河から宇都宮間は新幹線を利用しました。
生憎の天気でしたが、三春に到着時は霧雨で本降りは免れました。最近山城の攻城は天気に恵まれません。
三春駅からは徒歩約20分で三春町歴史民俗資料館に到着。続日本100名城スタンプとマップをゲットして攻城。民俗資料館からはお城坂までは2・3分です。
お城坂からの攻城。途中に時期的に満開ではなかったのですが、「アジサイ」の紫の花が所々に咲いていて、小雨のなかのアジサイが鮮やかでした。 急な坂を上がって行くと、所々に石積みや石垣、竪堀などが見られますが、草むらに隠れハッキリと見えませんでした。もう少し整備していただけるとありがたいです。
お昼は、郡山駅前のアーケード内(ちょっと外れたかな?)のラーメン屋さん「あさくさ」でした。シンプルな醤油味でコーンと青ネギでおいしかったですよ。
今年2023年も、郡山までは同じ行程で、磐越西線で、向羽黒山城(未攻城)と会津若松城を計画してます!!!
◆本丸跡入口
◆大広間跡からの眺め
🍽 郡山駅のそば屋の山菜そば。
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