穢銀杏狐月

書痴の廻廊

事は起すに易く、守るに難く、其終りを全くすること更に難し。努力あるのみ。一途に奮励努力せよ。

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壁に耳あり障子に目あり、ならもう全部焼き払え


 屋根に関して、まま行政はやかましい。


 東京、神奈川、京都あたりの一部地域でソーラーパネルの据え付けが義務化されつつあるように。


 明治四十年代も、市民の頭上に「官」が嘴を入れてきた。茅葺屋根の根絶を、「お上」の威光を以ってして推し進めんとしたものだ。

 


「家屋其他建物の新築改築又は増築を為さむとするものは、瓦石其他の不燃物質を以て其屋上を覆復し、現在の燃質物屋上は十箇年以内に改葺する事とし(中略)…違背したる者は二円以上十円以下の罰金に処す」

 


 警視庁の名に於いて、如上の趣旨のお達しが発令されたわけである。


 時恰も明治四十年、五月十六日だった。

 

 

江戸東京たてもの園にて撮影)

 


 まさか当時の警察幹部が瓦職人あたりから賄賂をもらった所為でもあるまい。


 東京を不燃の都にするために。――維新早々、由利公正が掲げた理想。昔日の大目的に近付くための、正当な努力であったろう。方針は一貫しているのである。


 裏を返せばこの頃までは華の東京市内といえど、まだまだ古色蒼然とした茅葺屋根が立ち並ぶ、江戸の面影を完全に拭い去れてない、新旧混和の姿であったということか? 理屈の上では、どうもそうならざるを得ぬ。


 日露戦争の勝利から、二年を経たにも拘らず――。

 

 

Tokyo street 1905

Wikipediaより、銀座煉瓦街、1905年頃)

 


 戦勝といえば、これよりおよそ一年以前、すなわち明治三十九年に寺内正毅陸相が、「勝って兜の緒を締めよ」的な良い演説をやっている。


 本意はしかし、機密保持に関連しての四の五のだ。

 


「軍事上の事は凡て機密を要するは勿論なるに、頃日往々機密の事項が世間に漏洩せるを見る」――本来固く守られていて然るべき、大事な大事な暗号文の解読表がたかだか5000フランぽっちで売買されていたことは、忘れようにも忘れられない痛恨事であったろう――元来軍機の秘密は戦役中に於て緊切なるは論を待たずと雖も、亦平常に於て之を持続せざれば毫も其効なし、今や我国は高貴なる鮮血を以て購ひ得たる軍事上の経験の多くを有す、而して此等の一部分でも他に漏洩せんか、細密にして周到なる探訪者は巧みに之を綜合して、遂に其全般をも観取せらるゝに至らん、果して然らば折角の苦心も水泡に帰するを以て、此際最も注意を要するの時期なれば、決して弛廃すべからざるなり」

 

 

Masatake Terauchi 2

Wikipediaより、寺内正毅

 


 およそ寺内正毅の政治能力に関しては毀誉褒貶の付き纏う、だいぶ触れにくい男だが、上の訓示に関してのみは単純だ。正論も正論、非の打ちどころの見当らぬ名演説といっていい。


 スパイ防止法、セキュリティ・クリアランス制度の導入、総じて防諜体制の整備が急務である現下、味わう価値がきっとある。あると信じて、引っ張らせていただいた。


「戦時でも平時でも、政治でも財政でも諜報がすべてである」――ツヴァイクに俟つまでもなく、情報戦に優位を占める重要性は、それこそ万古不易ゆえ。

 

 

シュテファン・ツヴァイクの書斎)

 

 

 

 

 


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