塩を売って緑を買う男・バンベンの日記

塩や重曹を売りながら内モンゴル・オルドスの砂漠緑化を進めるバンベンの奮闘記。商品についてはHP(バンベンで検索)まで!

2023春オルドス出張⑯:4月29日:「縁」

2023-06-27 | 出張(オルドス)
オルドス最後の夜は空港の近くのカンバシに泊まることにしました。ノリブがいろいろ連絡してくれて懐かしいメンバーが集まってくれました。
いつもの白酒の激しい宴会ではなく、ビールをチビチビ飲みながら懐かしい話が静かに繰り広げられました。
中でもゲゲリアとは10年ぶりの再会。彼女は2005年。僕の母校の明治大学に留学、2006年に行われた大学の留学生日本語スピーチコンテストで優勝しています。タイトルは「縁」。そこには僕とのほのぼのとしたエピソードが語られています。
このコンテストに出るにあたって当初は僕の緑化事業のことを訴えたかったようですが、メンターにバッサリ切られて、ほのぼのとした感じになったとのこと。彼女としては僕の緑化事業のことを多くの人に知ってもらいたいと思っていたのでちょっと不服だったようですが、結果的にそれがよかったのかもしれません。
いずれにせよ彼女に「最初に日本語を教えた者」として誇りに思います。
そして改めて「縁」を噛みしめました。30年来のオルドスの人々とのつながりで僕も活動を続けられているし、生徒や先生や最近はその子供たちも僕との縁で日本とのつながりができています。「縁」が「緑」を広げ、「緑」が「縁」を広げていく・・・そしてこちらの「塩」も。そういう活動にしていきたいと思います。
*最後に彼女のスピーチの原稿を貼っておきます。ぜひご覧ください!
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「縁」
1991年の秋、私の故郷、内モンゴルのオルドスに一人の日本人がやってきました。地元に来た初めての日本人の方だと思います。青年海外協力隊員で、モンゴル族の高校に日本語を教えに来ていると父から聞きました。小学校二年生だった私は何故かその人に強い好奇心を持つようになったのです。
その後、彼は週末になると、うちまで遊びに来るようになりました。彼の名前は坂本毅と言い、福岡県出身で明治大学商学部の卒業生だと知りました。私が彼から習った初めての日本語は、なんと「食いしん坊」という単語でした。実はこれは私のことを言っています。
坂本さんが家に持ってきた日本のビデオから、初めて、日本人の言葉、日本人が住んでいる町、神社などを見ました。子どもの私にとって全てが新鮮で、頭の中で何も知らなかった日本の姿が、だんだんと見えてくるようになりました。
そして、私の10歳の誕生日に、坂本さんが誕生日プレゼントとして、ある変わったぬいぐるみをくれたのです。形は見たことのない動物だったけれど、不思議なプレゼントをもらえて嬉しかったです。そして、10年後に私は日本の店で、見覚えのあるものを見付けたのです。思わず涙があふれました。昔のプレゼントのことを思い出したのです。あのぬいぐるみはトトロだったのです。ちゃんとしたおもちゃすらなかった小さな町にいた私が、あんな素敵なプレゼンをもらえたのは幸せだったなあとその時初めて気付きました。後で坂本さんに会った時、トトロは坂本さんが当時わざわざ遠い日本から送ってもらったと言うことを聞いて、もっともっと感動しました。
1999年、高校一年生だった私は日本の富山県へホームステイに来たことがありました。初めての来日で、毎日が不安と喜びでいっぱいの中で、私は既に帰国して大阪で仕事をしていた坂本さんに電話をしました。2日後、坂本さんはわざわざ富山まで会いに来てくれたのです。嬉しかった。6年ぶりだったのですが、いろいろな話で楽しい午後の時間はあっという間に過ぎてしまいました。
それから四年後、私が日本に留学に来て迷うことなく明治大学を受けることにしたのも、明治大学は私が知った初めての日本の大学だったからです。何故か自分にも分からないほど強く明治大学に受かることを毎日のように願っていました。大学受験の面接の時に、「何故明治を選んだのか」と聞かれ、「私が知り合った始めての日本人が明治大学出身だったからです」と答えました。そして、明治に受かったと報告した時の坂本さんの笑顔が忘れられません。
初めて坂本さんに会ってから15年経ちました。トトロは今でも私のいないオルドスの実家に飾られています。何年も連絡が途切れた時期があったにも関わらず、坂本さんと私の家族との付き合いは続いています。普通なら、自然と付き合いが途絶えてしまってもおかしくないでしょう。いつも思いますが、坂本さんに出会わなければ、もしかしたら今日本で勉強している私がいなかったのかもしれません。そう考えると、縁という物は本当に不思議なものだと思います。初めて会った時の坂本さんの年齢に私は今なりました。坂本さんが私に影響を与えてくれたように、私も将来誰かに影響を与えられたら良いなと思います。人生には、沢山の出会いがあるけれど、一つ一つに何か意味があると私は信じています。これからもそういった縁を大切にしていきたいと思います。
ご清聴ありがとうございました。







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2023春オルドス出張⑮:4月29日:ウランダワ砂漠

2023-06-15 | 出張(オルドス)
9時ごろ起きて遅い朝食を食べて、10時ごろノリブと出発。

ウーシン旗から100㎞ほど西にあるウランダワ砂漠へ。昔はでこぼこのアスファルトの道と未舗装の道を半日かけていっていましたが、今ではほぼ直線のきれいな舗装道路を快走して1時間半。本当に便利になりました。

「ウランダワ」とはモンゴル語で「赤い丘」という意味です。数十年前まで「紅柳」という枝が赤い灌木が一面に生い茂っていたところ。過放牧や伐採によりあっという間に砂漠になってしまったということでした。

2005年から2011年までここで村の人々と植林を進め、600haの砂漠を緑に戻すことができました。

その後、教え子や植林パートナーがこの村を去ったためにいったんここでの緑化活動を中断し第2の植林地のノリブ実家で活動を続けていますが、ノリブの実家で「環境と経済の好循環モデル」が完成したらまたこの地に戻って活動を再開しようと思っています。

まずは石碑のある丘へ。気持ちのいい空間。

そして1時間ほど周囲を歩きました。

ポプラや乾柳などの木は立派に育ち、緑の葉っぱを広げています。草や潅木は一見枯れているようですが、よく見るとうっすら芽吹いています。

2005年の最所の植林の時の一面の砂漠、それから数百人の方々に植林に参加していただき、今の緑がある。いろんな場面を思い出しながら、じっくり噛みしめるように散歩を楽しみました。

毎回ここに来ると決意を新たにできます。「第2の創業」を謳った今年、どういう動きをすればいいが、いろんなアイデアが湧いてきました。

そして、オルドス最後の夜。懐かしい人たちが待つカンバシへ。(つづく)






2005年の写真


2022年の写真

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2023春オルドス出張⑭:4月28日:宴会(夜編)

2023-06-14 | 出張(オルドス)
統万城からウーシン旗に戻りましたが、ホテルの部屋で休む間もなく、宴会場へ。

EFポリマーの実験をやってくれる農場の社長さんからのお誘い。オルドスでは仲良くなる儀式みたいなもの。断れません。
大きなテーブルを20人近くが囲む。2日連続の羊のしゃぶしゃぶ。そして53度の白酒。まだ昼の白酒が残っているので最初からきつい。あいさつで乾杯、一人一人個別に乾杯、歌って乾杯、1人1本コース、エンドレス・・・。

結構フラフラですが、宴会の時間が長いので潰れそうで潰れません。日付が変わるころやっと解放されました。

そして次はノリブの友人たちとカラオケ。ここはビールを好きなだけ。なぜか復活。90年代に覚えた中国語の歌を歌いまくりました。

ホテルの部屋に戻ったのは4時過ぎ。朝から第一の植林地「ウランダワ」です。(つづく)







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2023春オルドス出張⑬:4月28日:統万城

2023-06-13 | 出張(オルドス)
昼の宴会を何とか耐えて、そこから30分ほどのところにある統万城に行くことにしました。

統万城は五胡十六国時代末期の夏が413年から427年まで首都とした都市でNHKの「大黄河」でも紹介されました。

10年位前に行ってその白い美しさが印象深い城跡。10年前は舗装されていない道を何時間もかけていって、地図もないのでなかなかたどり着かず、途中、道に溝を掘って車を通れなくして、通行料を払えば通してやるという山賊みたいな農民集団の関門を突破してやっとたどり着いたところ。

今は高速と舗装された立派な道路を通ってあっという間に着きました。

10年前は周囲14キロほどある城壁や楼閣をじっくり歩きましたが、今回は風が強かったし時間がなかったので外から見るだけ。
大きくて白くて美しい姿をしっかり目に焼き付けて、ウーシン旗に戻りました。

夜は農業会社の社長が手ぐすねを引いて待っていました。(つづく)






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2023春オルドス出張⑫:4月28日:オルドスの宴会(昼編)

2023-06-13 | 出張(オルドス)
砂嵐のため、農場でのEFポリマーの実証実験は延期。現場の担当者と意見交換をして帰ろうとしたのですが、ちょうど昼時。なかなか帰してもらえません。
そのまま村の食堂へ。昼間から50度を超える白酒の宴会が始まりました。静かに淡々と1人1本白酒を飲みました。もうフラフラ。
オルドスではまだまだ酒を飲んで親交を深める文化が残っています。でもここで仲良くなっておくと後がスムーズに進んだりします。命を削りながら(笑)の交流が続きます。
15時ごろやっと解放してくれました。ウーシン旗に帰る前に久々に統万城に行きたくなったので、お酒が飲めないシュワンダライさんに運転をお願いして行くことにしました。(つづく)









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2023春オルドス出張⑩⑪:4月28日砂嵐

2023-06-13 | 出張(オルドス)
ウーシン旗南部にある畑でEFポリマーの実験をやることになっていましたが、朝から風が強い。いやな予感。
9時に車で出発。どんどん風が強くなり、台風並みに。あちこちで砂塵が舞い上がっています。アスファルトには砂の波。

そして砂嵐の中、車で2時間かけて農場に着きました。しかし砂嵐は収まらず残念ながらEFポリマーの実験は延期。後日現地の人たちでやってもらうことにしました。
砂漠化が進んだ大地の他、こういう開墾地からも黄砂が飛んでいきます。防風林の整備や飛びにくい土作り(有機土壌、団粒化)なども考えなくてはなりません。



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2023春オルドス出張⑨:懐かしい友人と飲み会

2023-06-03 | 出張(オルドス)
4月27日のつづき:
植林が終わって、ウーシン旗のホテルにチェックイン。しばらく休んで夜はまた宴会。近くの羊火鍋のお店へ。
そこで待っていたのがオルドスモンゴル族高校で同僚だったシュワンダライさん。約30年ぶりの再会。当時、僕の部屋の隣に住んでくれて生活面でいろいろ面倒を見てくれていました。
当時は酒飲みで有名で一緒に飲むときは大変でしたが、今はお酒が飲めなくなったとのこと。ちょっぴり残念でしたが、白酒なしでビールをほどよく飲んで、懐かしくも楽しい時間を過ごしました。
そしてまた午前様。翌日は有機農場の視察です。
*シュワンダライさんとの思い出話は「体験記オルドスの風」で紹介しているのでここに貼っておきます。
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●となりのクマさん:
1992年9月ようやくボクの家が完成した。場所は校舎の北側、生徒たちの寮の隣。若手の先生数人と生徒たちが手伝ってくれたので引っ越しはあっという間に終わった。レンガ造りで外門があり、中庭もある。平屋の建屋は2つに分かれていて奥が僕の部屋、手前が若手の先生、クマさんの部屋だった。僕の部屋の広さは8畳くらい、校舎のときより心持広くなった。台所・シャワー・トイレはない。水道もない。基本的な条件は何も変わっていない。まあ、食堂や水場が近いので少しだけ便利になった。それと働く場所と寝る場所が別々になったので、プライベートは保てるようになった。これは大きい。今後は夜自習の時間に息を潜めて過ごす必要もなくなった。
僕の部屋にはお湯を循環させる暖房(暖器)があった。そして暖器のお湯を沸かすのは隣のクマさんの仕事。隣の部屋には石炭を汲む炉があって、石炭を燃やすことによってボクの部屋もあったまる仕組みだ。クマさんは人付き合いがよく友だちも多い。「気は優しくて力持ち」そんな雰囲気を持っている。ボクとも気さくに接してくれた。暖器のこと以外にもいろいろ世話を焼いてくれて、とても助かっていた。
ただ彼は酒が大好き。夜よく酒を飲みに出かけていたようだ。帰りはだいたい深夜になる。冬、彼が酒を飲みに行くとき、だいたい石炭を汲んで出かけるのだが、何度かそれを忘れるときがあった。ある日の夕方、2,3人の男が彼の部屋に来てしばらく話していただが、そのうち一緒に出て行ったようだ。その時点で暖器はほとんど温もりを失っていた。部屋の中はかなり寒かったが、そのうち帰ってくるだろうとダウンジャケットを着て本を読んでいた。夜10時になっても帰ってこない。部屋はますます寒くなる。外はマイナス10数度くらいか。入り口のドアや窓の隙間から容赦なく冷気が流れ込む。悪い予感。
12時。電熱器でお湯を沸かし、それを飲んで暖をとっていた。いつもは寝る時間だが、これでは寒くて眠れない。ひたすら本を読みながらクマさんの帰りを待った。そして深夜1時。部屋の温度は限りなく外に近くなっていた。クマさんは一向に帰ってくる気配はない。こうなったら、寝るしかない。意を決してまず靴下を2重に履いて、ズボン下も重ねてはいた。上はシャツにカシミアのセーター、マフラーを耳元に巻き付け、仕上げはダウンジャケット。その状態で「オルドスバイチュウ」グイッと煽り布団をかぶって眠りについた。
ほっぺたが冷たい。布団の隙間から冷気が体に巻きついてくる。もしかしたらこのまま凍死してしまうかも。しかし、60度のオルドスバイチュウの威力は絶大で次第に思考がなくなり、いつのまにか眠りについていた。
次の日の朝6時。起きてみると部屋には暖かさが戻っていた。暖器は熱くて触れないほどガンガン効いている。隣からは鼾が聞こえてくる。怒りに行きたかったが、眠気が勝っていた。いつも寝るときのトレーナー姿に着替えなおし、もう一度暖かい布団に入り込んだ。
昼前にクマさんがボクの部屋に来た。「ごめんごめん。昨日は幼馴染が訪ねてきて、ちょっとだけのつもりで飲みに行ったが、ついつい酒が進んで部屋に戻った時にはもう4時を回ってしまった。今度から気をつけるよ。」と屈託のない笑顔・・・。
クマさんは人付き合いがいい。友だちがたくさん彼の部屋を訪れる。夜だとたいていその後、外に出かけるか、その場で酒盛りが始まる。ボクも時々誘われた。楽しめることもあったが、酒はたくさん飲まされるし、それ以外のときはモンゴル語でしゃべり合うのでボクは蚊帳の外。つまらなくなり先に引き上げるというパターンが多かった。
時々、彼らの酒盛りは深夜まで続く。隣で寝ていると、大声で騒ぎ歌い、まさにドンチャン騒ぎ、当然寝られない。寝られないだけじゃなく徐々に自分が惨めになってくる。隣がにぎやかになればなるほど、一人さびしく異国の地で眠りに着くボク自身が情けなく思えて、いたたまれなくなるのだった。校舎に住んでいたときのあの静けさが懐かしくもあった。
明け方まで酒盛りが続いた日、ボクは思い切って彼に言った。「昨日はぜんぜん眠れなかった。それだけじゃない。ボクはとてもさびしくなった。外国で1人で暮らしてみるとわかると思うが、となりでドンチャン騒ぎ、こちらは一人ぼっち。こんな状態が一晩続くと、とてもやりきれなくなる。」彼は「それなら僕の部屋で一緒に飲もう。さびしくなくなるから」「そんな問題じゃない。とにかく12時以降は部屋で飲まないでくれ。飲むんだったら外で何時まででもやってくれ。ただし石炭は汲んでからね。」彼は快く承諾してくれた。それからしばらく彼の部屋での酒盛りは少なくなった。あっても12時までには収束していた。
しかしある晩、12時を過ぎても酒盛りが続いていた。クマさんは必死に友人たちを帰そうとしているようだが、客のほうはもう酔いが回って、帰ろうとしない。一応、クマさんも努力したみたいだし、仕方ない。と思おうとしたがやはり眠れない。だんだん空しくなる。2時を回って、クマさんももう開き直って大声で歌っている。こちらは居ても立ってもいられず、思わず外に飛び出した。隣にわかるように外門を思いっきり蹴った。
とりあえずグランドまで行ったが、真冬の真夜中。寒さがずっしり凍みる。誰もいないグラウンドを息が切れるまで走った。そしてグラウンドの真ん中で、仰向けに大の字になって倒れた。星がとてもきれい。流れ星も見えた。壮大なプラネタリウムを独占しているようで爽快だった。が、すぐに寒さがボクを現実に引きずり戻した。「なんで、もっと大らかになれないんだろう。酒が唯一の娯楽ともいえるクマさんもボクの隣に住むことになったばかりに酒を飲むのも気を使わなければならないのだ。たまに眠れなくてもいいじゃない。むしろ、あんな中でも眠れるぐらいにならなきゃ。」必死にそう考えてみたが、目からは涙がこぼれていた。どこにも行き場はなかった。とぼとぼと部屋に戻った。
翌朝、10時ごろ起きた。幸いその日の授業は昼からだ。コーヒーでゆっくり目を覚まし、外の公衆トイレでしゃがんでいたら、クマさんがやってきて隣に座った。「昨日は本当に済まなかった。12時になって友だちを帰そうとしたが、聞かないんだ。きのう外に行っただろう。音がして心配したけど戻ってきてほっとしたよ。これからは絶対夜遅くまで部屋で飲まないことにするよ」「ボクも隣で騒いでいるくらいで外にとび出したりして子供みたいだった。でもあの時は本当にああするしかないくらい寂しかった。これから修行しなきゃね。」
その後も、隣のクマさんとはいろいろ衝突があった。そしてよく一緒に酒も飲んだ。隣の人とうまくやっていくのは難しい。でも今ではこんなに心の狭いボクの隣に住んでくれたクマさんに感謝している。


2023春オルドス出張⑧:植林

2023-06-02 | 出張(オルドス)
4月27日、9時起床。植林の日。前夜の宴会のダメージはそれほどありません。50度を超える白酒もあまり残っていません。平日なので参加できる教え子も限られていましたが、何とか6人集まってもらいました。

10時半にノリブの実家着。お茶を飲んでから作業開始。

植えるのは楊柴というマメ科の潅木。EFポリマーの実験を兼ねているので、何も施さないところ、EFポリマーだけ施したところ、有機肥料だけ施したところ、EFポリマーと有機肥料を施したところと4か所に分けて植えていきました。

秋には結果が分かると思うので楽しみです。

今回の植林の様子は日本テレビが取材したいということでしたが、諸事情でスタッフが来ることができず、僕のスマホで撮った映像を提供して後日ニュースにすることができました。

植林が終わって、遅めの昼食。羊の干し肉とジャガイモの煮込み。味付けは塩のみ。これが最高に美味い!植林の疲れが一気に吹き飛びました。

しばらく、ゆっくりしてノリブの実家を後にしました。夜は懐かしい人との宴会が待っているようです。(つづく)

*只今クラウドファンディングに挑戦中!詳しくはこちらまで。
https://camp-fire.jp/projects/view/677228

*日テレニュースはこちらまで。
















【お知らせ】クラウドファンディングに挑戦します!

2023-06-01 | お知らせ
2004年に「塩を売って緑を買う会社・バンベン」を立ち上げ、規模は小さいものの着実に緑化の歩みを進めてきました。

しかしコロナ禍に見舞われ、主力の飲食店向けの販売が激減。この3年間何とか耐えてきました。やっとコロナ過が終わろうとしている今年は「第2の創業」という決意で臨んでいます。

やれることは何でもやってみよう、ということで、
まず、「みんなの夢アワード」に挑戦。1次2次審査を突破して、ファイナリストとして1500人の聴衆の前で自分の「夢」を思い切り語ることができました。

次に、4月には3年半ぶりのオルドス。教え子たちと今後の緑化方針を確認するとともに持続可能なビジネスにするための新たな商材も見つけました。

そして今月から、今まで低迷していたビジネスを成長軌道に乗せるために、クラウドファンディングに挑戦することにしました。

ぜひより多くの方々にこの活動を知っていただきたい、また以前から応援していただいている方々に現状や今後の取り組みを改めてお伝えしたいと思います。

7月21日の終了まで、様々な場面で活動や商品などについて情報発信していきたいと思います。
ご支援のほどよろしくお願いします!

黄砂を止めよ!砂漠を緑に!「塩を売って緑を買う男」~第2の創業~

豊前で梅ちぎり

2023-05-30 | 家族
5月28日(日)

9時に豊前にある親が所有する梅林に到着。毎年恒例の草刈り&梅ちぎり。

まずは僕が一人で道路側の梅の周りを草刈り。草刈りが終わったところで妻と健が梅ちぎり&枯れ枝の整理。

薄曇りの天気で風が涼しく、去年に比べたらだいぶ作業が楽でした。12時半に終了。

今回は梅シロップ用に5㎏だけ収穫。あとはほったらかし。枯れ枝は袋に詰めて、キャンプ用の薪にします。

近くの「卜占の郷」の温泉でゆっくり汗を流し、これまた恒例のラピュタファームへ。(つづく)