三国志に釣られクマー

三国志に釣られクマー

三国志好きの三国志好きによる三国志好きのための何か

孫異(そんい) 字:不明(?~?)

さて、今回は孫異の紹介じゃな。彼は孫韶の息子に当たる訳じゃ。と言っても孫韶を知らない人もいるのではなかろうか。彼の伯父であった孫河は元は兪姓であったが、孫策に気に入られ、孫姓を賜り、皇族の一員となった経緯があるんじゃよ。

 

目次

案内人 

くまの爺・・・三国志好きのタダの爺さん、もちろん某く〇モンとは何も関係ない(それ以上はいけない)。三国志好きが高じて史書に載っているほぼ全ての武将のDB化をしてやろうと大それたことをもくろむ。終わりの目途は・・・全く立っていない。

弟子・・・師匠の無茶な道楽に付き合わされる可哀そうな弟子。最近は張郃とのやり取りが多いせいか、無駄なツッコみは減っている模様。実は弟子と書いて「ていこ」と言う名前だったりする(師匠は最近思い出したようだ)。

張郃・・・くまの爺が一番好きな武将とお話ししたい、と謎の技術で召喚された可哀そうな人物。もっとも本人は現代生活を結構楽しんでいるよう。無理やり召喚されたためか、くまの爺の持ってる範囲の記憶しか残っておらず、ちょっと残念。 

四方山話 

さて、今回は孫異の紹介じゃ。彼は孫韶と言う人物の息子なんじゃよ。

父孫韶の伯父の孫河は元々兪姓だった、と言うことは孫韶も元々兪姓だった、と言うことですよね。

どこかに養子にでも行かない限りはそうであろうな。 

そう言うことじゃからこの孫異、孫姓を名乗り皇族の一員であるが、孫権との血縁関係はかなり薄いと思われる人物じゃな。

能力評価 

爺評価(Max.200)
   軍事   統率   知謀   政治 
 孫異(20歳)  100 55 45 50
 ↓ ↓ ↓  ↓↓
 孫異(45歳)  134 84 73 79

さて、それでは各項目について見ていくとしようかのう。

軍事・統率・知謀・政治

さて、孫異の記述じゃが、その記述量は少ないようじゃな。

(孫韶の死後)孫胃は領軍将軍まで昇進した。(『孫韶伝』)

永安六年(263年)、将軍の丁封と孫異とには沔中(漢水流域)へと軍を進めた。これらの行動は魏をけん制して蜀を援護するためのものであった。(『孫休伝』)

かなり記述は少ないですが、実力で将軍の地位を勝ち取っているようですね。 

蜀への救援として漢水流域まで進出している辺り、実力の高さがうかがえるな。 

 

三国志14(Max.100)
   統率   武力   知力   政治   魅力 
 孫異  69 69 55 62 59

 

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簡単解説

それにしても孫一族も知らない人物が多そうな感じですね。

皇族だからと言う理由で名前が残っている人物も多いからな。孫異も正史の記述量は少なく、呉は元々演義でも出番が少ないことから、知名度が低いのは仕方あるまい。  

蜀でも劉備の孫世代ぐらいになると、名前が出てくるのごくわずかになりますものね。

実際諸葛亮死後は三国志に興味なくして、その先をあまり見ないと言う人も多いからのう。さて、今回はここまでじゃな。次もよろしく頼むぞい。

よし、それでは自分も今日は帰るとするか。  

張郃さん、今日はお疲れさまでした。次もまたよろしくお願いしますね。