日々是好日日記

心にうつりゆくよしなしごとを<思う存分>書きつくればあやしうこそものぐるほしけれ

復元名古屋城の「金の鯱」は何のシンボル?

2024年05月10日 07時49分03秒 | 政治
 「名古屋市の河村たかし市長は22日、市が条例で定めた「なごや平和の日」の意義を問われ、「(戦争で)死んでいった人たちに思いを寄せないといけない」と述べたうえで、「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」と発言した。河村氏はこの日の記者会見で、空襲で名古屋城天守が焼失した5月14日を<なごや平和の日>に制定し、平和を祈念する式典を開催すると発表した。その際、戦闘が続くウクライナやパレスチナ自治区ガザに言及。『国に命を捧げるのは、大変勇気のあること。サンキューベリーマッチと言わなきゃ、みんなの福祉も平和も保てないんじゃないんですか』と持論を展開した。さらに、学校現場でもこうしたことを『一定は考えないといけない』と主張。『国が守られるのは当たり前であるとの考え方は、日本にものすごい不幸を導く』と強調した。ただ、河村氏は会見終了直後、記者団に『(命は)捨てない方がよい。誤解してもらってはいけない。<捨てよ>とあおっているわけではないが、残念ながら戦争は起こる』と釈明した」(2024/04/23朝日新聞)
日米戦争の戦間期、名古屋市は実に全部で63回の空襲を受け、その全体で総死者数7,858人、同負傷者10,378人、全被害戸数135,416戸に及ぶ被害を受けた。その中で1945年5月14日の空襲は特に激しく、ついに名古屋市民が誇る1615年徳川家康創建の名古屋城が消失、金の鯱鉾(しゃちほこ)も猛火に消失してしまうという「悲劇」となった。上記記事の「5月14日」を<なごや平和の日>に制定するというのは、この金鯱への強い思い入れがあればこそであろうに。
それなれば、そんな大切な市民の財宝が失われる原因となったのが、「国に命を捧げるのは大変勇気のあること」として米国を敵としたあの愚かな戦争の結果であって、<なごや平和の日>は、二度とそういう愚かな選択をしない日とすることこそが、市長がこの記念日制定の眼目であろう。それ以外に、市長さんとして言うべきことがあるとは思えないが、彼はここに何を追加し、名古屋市民に何を要求したいというのであろう?
「金の鯱」を再び載せて再登場の計画の新名古屋城には、エレベーターを付けるのか?、付けないのか?、市長は上記の如き意図不明の「妄言」を語る暇が有ったら、己には暖かい血も流れているというところを見せる志向もした方がよくはないか? 無謀な戦争で焼失した名古屋城は戻ってはこない。それと寸分違わない建物を復元したからと言ってもそれは徳川家康の残したものではなく、「令和の復元名古屋城」に過ぎない。これをまた再び無益な戦争で焼失しない知恵を絞りだすこと、それは、今と未来を生きるすべての名古屋市民と国民が考えることではないのか? まして、毀誉褒貶の激しい人の言い種をや!・・・。

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2 コメント

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Unknown (integrale)
2024-05-10 13:13:45
国とは、人々が生きてゆくための手段であって目的ではありません。したがって、手段のために命を捧げることが道徳的とは言えないでしょう。
Unknown (ewkefc)
2024-05-13 03:26:41
『復元名古屋城の「金の鯱」は何のシンボル?』に対する意見https://blog.goo.ne.jp/genyoanki/e/41d7d4eaeeb95b4d5bc54b406aa19573


>「(戦争で)死んでいった人たちに思いを寄せないといけない」と述べたうえで、「祖国のために命を捨てるのは高度な道徳的行為だ」と発言した。


確かに、大日本帝国は教育現場で純粋無垢な子どもたちに天皇教の教義を刷り込んでいましたから、天皇のため国のために戦争を戦った方々もいたでしょう。
しかし、一方では徴兵逃れや徴兵逃れ祈願が全国的に行われていたのですから、行きたくもない戦争に否応なしに狩り出されて国家に殺されて行った方々も大勢いたのです。
河村氏が行きたくもない戦場に放り出されて死んで行った方々に対して思いを寄せているのかといえば、甚だ疑問です。
人の上に国家を置くのは作り物のナショナリズムである公定ナショナリズムを刷り込まれている証拠であり、決して高度な道徳的行為ではありません。

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