木曜ドラマ「silent」終わってしまいましたね。個人的には、silentのドラマ自体よりもドラマについての意見や感想をTwitterで見る方が楽しかったですニコニコ

 

主人公の佐倉想くんは、難聴になった年齢や境遇が似てるな~と思いながら観ていました。ただ難聴になるまでの過程は全く違います。私は両耳聴⇒右耳失聴⇒左耳難聴と片耳失聴を経てるのに対して、佐倉くんは両耳聴⇒両耳聾と一気に両耳失聴したような感じだったので、その部分では私が経験していないことも多いです。

 

佐倉想くん

・18歳(高校生)のときに聴力低下が始まる

両耳聴⇒両耳聾

・若年発症型両側性感音難聴

 

 

考える人(私)

・18歳(高校生)のときに聴力低下が始まる

・両耳聴⇒右耳失聴(10年間左耳は聞こえていた)⇒左耳難聴 

・両側性感音難聴

 

 

経験してない、と言っても似たような感じかと言われる人も多いかもしれませんが、片耳難聴を経ていると自然に「生きていく術」を身につけていきます。私は片耳難聴時から口を読んでいたので、"口を読むこと"や"聞き取りやすい位置に立つ"ということが私にとっては生きていく術だったと思います。また、いつか左耳も悪くなるかもしれないというのも頭の中にあったので、両耳が一気に聞こえなくなるよりは準備ができていたというか...気持ちが全然違うと思います(障害の受容)。

 

かと言って、もし今後左耳も失聴してもすでに難聴を経験してる、心の準備ができているから大丈夫、とはならないです、絶対に。またどん底がやってくるのだと思います。

 

 

中途失聴特有のあれこれ

①失聴する時期、人生の節目

中途失聴や難聴になる時期によって苦労も全然違うと思っていて。これは一概に聴覚障害を語られている説明には載っていないと思う。本当に「中途」特有のもの。

 

人生には節目というかイベントがありますよね。silentでは佐倉くんは高校生の時に難聴になった。そのあとのイベントと言えば大学受験や就職活動かな。私も聴力低下し始めたのが高校生だったので、同じように大学受験と就職活動。

 

ちょうどこの時期を経験した私は

・メンタルが不安定な状態で進路なんて考えられない。

・どこまで聴力が落ち、どういう生き方をしていくか分からないのに、この選択でいいのか

 

など。どの中途障害でもそうだと思うけど、人生の中で大きな選択をしなければいけない時に自身のアイデンティティが揺らぎ、自分の身体がどうなっていくのか、このまま本当にやりたいことに進んでいいのか、正解が分からない中で決めなければいけない。

 

(色々余裕があれば、一年休学とかして、きちんと心を休めたかったな・・・。)

 

・大学受験では

例えばオレンジデイズというドラマの沙絵ちゃんはバイオリンやピアノ、音楽をしていた。沙絵ちゃんは音楽は好きだったけど、葛藤していた。やりたい気持ちはある、できる技術もあるけど、このまま本当にやりたいことに進んで自分は幸せなのか…と。

 

大学に入って、進路を変えるのは簡単ではないし、お金もかかるかもしれない。沙絵ちゃんは本当に音楽が得意だったし、音楽人生だったから、それを途中で奪われるのは想像できないほど辛いと思う。

 

・就職活動では

就職活動では障害者手帳を持っていると、障害者雇用に応募することができる。例えば障害者雇用の会社を受けるのか、受けないのか。自分は聴覚障害者として働くのか、また上司や先輩にどのように聴覚障害を説明するのか。

 

自身の障害を説明するためには自分自身である程度の知識や障害に対しての理解、説明力が必要になると思うが、これは障害を持ち、十分な期間を経て、自分を客観的に見れるようになっていないと難しいと思う。

 

・就職後に難聴になると

難聴になり、今まで通りに働けなくなり、職場を辞めざるを得なくなったり。悲しいけど、実際あるのが現実。今まで出来ていたことが出来なくなるというのは、自身の問題で解決することではなく、時に環境を変えなければいけないときもあると思う。これは先天性には少ない悩みだと思う。

 

・人生の途中で障害を持つということは

人生の途中で障害を持つということは、障害を受け入れる苦しみだけでなく、人生の方向性を見つめなおさなければいけないこともある。時に方向転換や割り切りをし、自身を再構成させる必要がある。

 

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中途失聴によって喪うものは、聴力だけではありません。その人自身の”健聴者”としての自己イメージやアイデンティティ、家族や友人などの重要な他者との関係、さらには職業や人生の展望も喪われる可能性があります。(「難聴者と中途失聴者の心理学」かもがわ出版2020年)

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・先天性も後天性も同じコミュニティで仲良くできたらいいな

ただ中途障害者は障害になった当時は何もかも「初心者」。同じ障害を持つ仲間のコミュニティもありません。自分から入っていかなければいけない。自分が属したことのないコミュニティに参加するのはいささかエネルギーが必要なので、そのときにぜひ温かく迎えてあげてほしいです。

 

 

②家族との仲

今回のsilentで私的に一番リアルだなと思ったのは家族とのいざこざかな…。

 

そこまで踏み込んで脚本を書いていたんだ…と少し感動。ただ、本人だけでなく家族も手話を覚えているという家庭は少ないと思う。なぜいざこざが起こるか、というのは、「難聴者と中途失聴者の心理学」という本にも書かれています。

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「中途失聴者の場合、家族は『健聴者』として普通に会話ができる姿を見続けてきたがゆえに、その人を『失聴者』としてとらえなおし、家族関係やコミュニケーションのかたちを変容していくことが困難なのでしょう。」(「難聴者と中途失聴者の心理学」かもがわ出版2020年)

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・家族が求める「自分」

「昔の自分」と「今の自分」。私は今の自分(障害を持っている自分)で生きていきたいのに、両親は昔の自分(障害を持っていない自分)を求めているということ。やはり自身の身体に起こっていることは受け入れなければいけないので、自分が「今の自分」を受け入れるスピードと、両親や他の人が私の「今の自分」を受け入れるスピードは違うのは当たり前だと思う。

 

ただ、両親が求めている「昔の自分」で生きる気はさらさら無いので、早く諦めるというか割り切ってほしかった。

 

 

あと、個人的に付け加えるとしたら、「家族だから本音が言えない」こともあるのではないかと思うのです。家族に「聞こえないから辛い」と言える人はどのくらいいるのだろうか…。少なくとも私は言えなかったな。

 

嫌でもコミュニケーションを取らないといけないから、ものすごくエネルギー使ってたな・・・。そしてなぜか自分も両親が求める「昔の自分」でいようとしていたことが、自分自身を苦しめていた。silentのように家族全員が手話を覚えて、手話で会話ができるなんて、夢のようだと思ってしまう。

 

 

 

③コミュニティ

この千咲(ぽにょ)さんの動画に言いたいことが全部詰まっています。

 

silentの想くんが友人関係を絶っていたけど、とても気持ちが分かる。属していたコミュニティ、居心地がいいと思っていたコミュニティから離れるということ。そのコミュニティの友人たちも話したら分かってくれるだろうし、理解してくれると思う。けど、結局気を遣わせてしまうということは想像できるから、自分から離れていってしまう。

 

無理に付き合うことは無いと分かっていても、やはり昔の友人は一生作れない。大人になってから友人になった人とは少し違う。それくらい貴重な存在だと思うけど、コミュニケーションの壁はできてしまう。

 

分かっているけど、自分から離れてるのも理解しているけど、辛い。

 

 

おわりに

中途失聴は先天性の方が持つ悩みや苦しみとは異なり、さらに中途失聴者の中でも失聴する時期によって事情が全く異なると思っている。私は時間が解決してくれたと思う面は大きかったけど、その時間は私にとって大切な時期だったから苦しかったなあ。今思うのは、あの心が苦しかったとき、十分に休みたかった。ただそれだけ。結局休んでも何も変わらなかったかもしれないけど、あのときくらいは少し休んでもよかったと思う。それくらい走り続けてきた。

 

 

ドラマ「silent」は聞こえないことは悲しいことだと言われているような感覚になったから、終始辛かったけどネガティブ、世間には中途失聴を広めるいい機会だったと思う。あと手話もね。

⑴中途失聴者という人がいること

⑵しゃべれるけど聞こえない人がいること

⑶手話だけでなく、音声認識アプリやメモなど使ってコミュニケーションはいくらでも取れること

⑷手話も音声言語と同じようにコミュニケーションツールだということ

 

このsilent効果で、手話に興味を持った人が多いと聞き、嬉しい限り。中途失聴者も千差万別なので、相手に寄り添った対応をしてくれると嬉しいな。

 

チューリップ最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

今回引用した書籍はこちら⇩

中途失聴者の「こころ」が書かれています。ぜひ。

 

 

 

 

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