↑のつづき。


さて、
阿波市から吉野川を渡って
吉野川市鴨島町にやってきた。

吉野川市は元々「を植えた地」を意味する
麻植(おえ)郡』と呼ばれた。

麻植の地名は阿波忌部氏の祖神
天日鷲命が麻種を植えたことから
名づけられたのだそうな。

鴨島町の向麻山(こうのやま)は、
元の名は『神ノ山(こうのやま)』であり、

麻植の神天日鷲命の御陵が

あったと伝えられている。


周辺の駅名にもなっている
麻植塚』の由来もソコからである。



また、古語拾遺では
上古、忌部の祖神天太玉命の孫
天富命』がを植えた地とされている。

天富命はその後、
千葉の房総半島を開拓したのだった。

その後の阿波忌部の足取りは、
徳島編の後に控える関東編の記事で
書いていけたらと思います。


事代主神社から車で十数分。

『中内神社』にたどり着いた。

鳥居には、式内社 中内神社の扁額。


阿波徳島では、
こぢんまりとしたこの神社でさえ
とても重要な社なのだ。




拝殿

延喜式内社 麻植郡
秘羽目神足浜目門比売神社 二座 論社
『中内(なかうち)神社』

鎮座地 徳島県吉野川市鴨島町西麻植中筋
創建 不詳
別称 中の内宮
祭神 秘羽目神 足濱目門比賣神

忌部神社の仮宮の伝承がある。


祭神の足濱目門比賣神
「斎部宿禰本系帳」によると、

阿波忌部の祖神であり、
麻植神とも称される
天日鷲命(アメノヒワシ)』の后神。


もう一柱の祭神秘羽目神(ヒワメ)は、
ヒワシ」の訛化であり、
夫婦神を祀るという説もあるが、
目(メ)」を『女(メ)』とも書き
天日鷲命(アメノヒワシ)』のを表すとも。

つまり、事代主神の后神
ヒワメ阿波咩(アワメ)。

寛保元年(1741年)には、二座に加えて
天日鷲命も祀られていた記録があり、
やはり、
秘羽目神秘羽と見てよさそうである。



式内社秘羽目神足浜目門比売神社の
論社は他に、

徳島県吉野川市鴨島町の『杉尾神社』や
吉野川市川島町の「鎮守八幡神社」がある。

鎮守八幡神社の由緒書き↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~
もとは秘羽目神社と称して、
現在の社地の南側に鎮座していたが、
天正年間、
武士の起こした戦により火をかけられ
神宝・社記など社殿とともに
すっかり焼失した。

その後、現在の位置に
式内日羽(ひわめ)神社として再建した。

ところが、
蜂須賀氏が阿波藩の領主となり、
式内日羽神社の社号は
さしつかえがあるとされ、
名前を変えるように申し渡された。

その結果、誉田別命を合祀して、
鎮守八幡神社と改称したと伝えられている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

元々の社名に八幡神を合祀するパターンは
よく見かける。

つまり、
蜂須賀氏に社名を変えられてしまったのだ。

日羽女は文字通り『羽女』となった。


その理由とは一体…



天正13年(1585年)、
四国を平定した豊臣秀吉は
阿波国を蜂須賀家政に与えた。

尾張国海東郡蜂須賀村出身である蜂須賀家は、
阿波入国後に
色々と怪しげな動きをしていたようだ。
※元が「八須賀」だったのなら、
スサノオに繋がりそうな姓名である。

実際、
阿波国初代藩主となった蜂須賀家政は
土着の豪族を優遇せずに
尾張や播磨の出身者を重用したのだそうな。

古代から続く、
大切な阿波土着の信仰にも
メスを入れていったことだろう。

徳島の素晴らしさに感動し、
阿波古代史が大好きになった者としては、
多少なりとも思うところはある。

しかしながら、蜂須賀家が
阿波の伝統文化に貢献したこともあるようだ。

そのひとつが、『阿波藍』である。


横から本殿。

千木は女千木である。

さもありなん。


小さな祠の後ろには
石が積まれている。

原初の信仰がひっそりと残されている。



藍産業振興協会Webサイトの
徳島城博物館館長 根津寿夫氏によると↓


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
三草」という言葉がある。 
人々の生活に有用な三種の草をいい、
紅花、そしてを呼んだ。
東南アジア原産のは、
蓼科の一年草で葉や茎から染料をとった。
日本には奈良時代までに中国から輸入され、
江戸時代には栽培が本格化した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
阿波での栽培は、
室町時代から行われていた。
阿波の気候と土壌が
藍作に適していたことに加え、
徳島藩蜂須賀家の保護によって
藍作は次第に拡大していた。
藍作の行われた吉野川流域は、
江戸時代には無堤防地帯で、
吉野川の適度な氾濫が肥沃な客土を運び、
藍作に貢献した。
藍作に必要な肥料や藍玉を運ぶのにも
吉野川が使われたから、
吉野川の恵みを受けて
成長していったことになる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

阿波藍商人たちは、
江戸から明治大正にかけて
海上交易を通して阿波藍を全国に流通させ、
日本経済に大きな影響を与えた。

そんな阿波藍商人の信仰対象は、
海の神エビス様だったのだそうな。
※同じく海上保安の神
金比羅さんの信仰もあったようだが、
大物主として見れば、
エビス(事代主)と同一神となる為、
結局同じ神を信仰していたのかもしれない↓


藍染の色は、
世界では「JAPAN BLUE」として
日本を代表する鮮やかな青色。

サッカー日本代表のユニフォームも
藍色」を表現しているのだそうな⚽

弓弦羽神社↑


後日、実際に阿波藍を見たのだが
本当にステキだった。

倭国の探求心や向上心は
ワタシ達も見習い、
受け継ぐべきものである。


ちなみに、
同じく徳島県の佐那河内村の
とある神社には『藍神様』が祀られている。

どうやらその正体は、なんと
『○田彦大神』なのだそうな。
後日、記事になります🐒

大切にしたい『阿波藍』。


今ワタシの中で溢れている思いは
阿波愛』ですけどね(=゚ω゚=)❗



さてさて、
まだまだ吉野川市の旅は続きます。

次の神社には、
善入寺島(粟島)で爆破されたアノ神社が
合祀されていた。

そして、向かう途中になんと、



雪が降ってきた…⛄

※参拝日2023/12/21



つづく。


ではまた❗



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