↑のつづき。


さて、
前回は全国一社の式内社『天村雲神社』。

天村雲命と五十猛命、
その父神スサノオと八岐大蛇、
天叢雲剣との関連性やいかに。

古事記では、
高天原を追放されたスサノオは、
空腹を覚えてオオゲツヒメに食物を求めた。

オオゲツヒメは阿波の女神で
もちろん、阿波に住んでいた。

つまり、
スサノオは阿波にいた。
高天原は阿波または、阿波の近くにあった
ことの証明となりうる。


天村雲神社から吉野川流域
さらに車で十数分。


杵築神社へとやってきた。



拝殿。

『杵築(きづき)神社』

鎮座地 徳島県吉野川市山川町字貞田
創建 不詳
祭神 大物主命 三穂津姫命 佐々良姫命

三穂津姫命は高皇産霊尊の娘で、
大物主命あるいは大国主命の后と言われる。

気になるのは、『佐々良姫命』。

弥豆佐佐良比賣命(みずささらひめ)
の神名の通り、水の女神であり、
『伊勢国風土記』逸文では
伊勢国造の祖天日別命(天日鷲命)の妻とされ、
伊勢神宮外宮の摂社第4位の
度会大国玉比賣神社などに祭られている。

前回の天村雲神社から程近い場所に
鎮座していることも含め、
同じく外宮の神官度会氏の原点が
この一帯にあるように感じる。


この杵築神社は、標高380mの
「種穂山(たなぼやま)」の麓にあり、
山頂にある式内大社忌部神社の論社
「種穂忌部神社」の摂社である。

種穂山の伝承↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
天日鷲命が天磐船に乗り、
穀木及び粟の種子を持ち携え、
種植る地を探し、
豊葦原中国の最も優れたる地である
鼓嶽に船を止めた。
五穀の種を国中に蒔きて
豊実なる種の穂を集めて天祖神を祭った。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~




横から本殿。



阿波特有の五角形『地神塚』。

これがあると何故か嬉しい。



さてさて、
↓の書籍を引用、参考に。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

須佐之男命は、

(ヤマタノオロチを退治した後)

「宮造作るべき地に求ぎたまひき。

 ここに須賀のちに到りまして

 詔りたまひしく

 吾此地に来て、我が御心すがすがし。」


「故、基地をば今に須賀の云ふ。

 この大神、初めて須賀の宮

 作りたまひし時、

 基地より雲立ち騰りき。

 ここに御歌を作みたまひき。」

と言って、

その地に須賀の宮を造営すると

『古事記』に書かれている。


さて、須賀の地に「須賀の宮」を

作ったと書かれているが、

徳島県吉野川市には、

前須賀、先須賀、東須賀、中須賀、

北須賀、西須賀など、

多くの須賀地名がある。


しかも吉野川市鴨島町牛島字先須賀には、

牛島(うしのしま)という地名がある。


「うし」は「大人(うし)」のことで

「主(ぬし)」が住んでいた所であるから、

牛島周辺もしくは、牛島の南にある

向麻山に須賀の宮があったと考えられる。


現在、鴨島町周辺は、

住宅が建て込んでいるが、

大河、吉野川に広がる須賀の地に、

雨上がりの後立ち上がる雲を見て

―――――――――――――――――

八雲立つ 

出雲八重垣 妻籠みに

八重垣作る その八重垣を

―――――――――――――――――

と歌ったことが、

その景観から容易に想像できる。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


吉野川市鴨島町を中心に

須賀』の地名が点在している。



そして、島の地名。

鬼瓦。

牛頭天皇とは関係あるまいねまさか。

 


スサノオと言えば八坂神社


阿波古代史のバイブル

『道は阿波より始まる』その一 89頁より↓

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

日孁命須佐之男命からは、

天皇を名乗る大王達との血統のつながりが

明確になってきます。

日孁命により近代化された米作に加え、

須佐之男命によって初めて

鉄の生産が伝えられ、

急速に阿波国は発展してきました。


須佐之男命は大倭の真神原では阿波神社

岡山県玉野地方では八浜の快神社、

諸国では八坂神社、祇園社等で

祀られますが、阿波一国のみで

溶造皇(ようぞうすめら)神社

称されています。


また、伊太乃郡御所地方では、

吹越大明神とも称します。


以乃山(現 眉山)の山頂にあった神社は

現在の山下の蔵本八坂神社に

下され祀られていますが、

元来以乃山の山頂の溶造皇神社に、

登り口八坂あり、

八坂神社の別称が起こりました。


万葉学者 折口信夫がその最後の著書

『死者の書』の文中で、突然に一行

「須佐之男命が下ったのは阿波だった」

と書き残したのも、

たまたま折口氏の正家が

大倭真神原(現在の明日香村)で

阿波神社の氏子村であった関係でしょう。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


八坂」の由来について、

はっきりと述べているどころか、

かの折口信夫氏が最後の書籍で

スサノオが阿波に下ったことを記した。


奈良の阿波神社には、

たしかにスサノオが祀られていた↓





境内には、小さな祠があった。

小さくとも誇らしい。

祀られているのは、
合祀されたであろう佐々良姫命だろうか。


さてさて、
この杵築神社の祭神『大物主神』を
少し遠回りしながら繋げてみよう。


出雲大社杵築大社

島根県出雲市大社町杵築東に鎮座する
『出雲大社』は、1871年(明治4年)に
出雲大社と改称される前は、
杵築大社』だった。

それ以前は、出雲大社と言えば
京都府亀岡市千歳町千歳出雲に鎮座する
丹波国一宮『出雲大神宮』のことであり
元出雲と呼ばれているのだそうな。

築(きづき)』の地名の由来は
大社をき給ったことから、
また、『杵(きね)』の字を用いているのは、
出雲大社の宮司が「古伝新嘗祭」に使用する
燧臼・燧杵を受け取るために
熊野大社を訪れ、
出雲大社がを熊野大社に納める
『亀太夫神事』に由来…などの説がある。

また、『』の源字『』、
それ以前の『』の字には、
「うま」「交差する」などの他
さからう」などの意味があり、
それが明治時代には都合が悪かった為に
改名されたという説もある。


二拝四拍手一拝

出雲大社の参拝作法は
二拝四拍手一拝』。

同じ参拝作法なのが、
豊前国一宮
八幡総本宮『宇佐神宮』である。

そして、宇佐神宮の元宮と呼ばれる
『大元神社』の鎮座地は
大分県杵築市山香町大字向野。

宇佐神宮と出雲大社(杵築大社)は
繋がっていた。
※ウサギ繋がりもありますね。


宇佐神宮の元宮の元々宮

宇佐』の語源については諸説あるが、
個人的に一番しっくりきたのが、
徳島県神山町の伝承である。

勝浦川や鮎喰川の水源地である
上勝町内の最高峰『雲早山』。

雲早山を中心に祀られていた海人族の女神
『豊雲大神』のお社は、
元々「龍(辰)の宮」と呼ばれていた。


雲早山」の山麓から流れ出る
神通川」から流されて来た「龍の宮」が、
宇井の亀石に引っかかって
宇狭の宮」となった。

実際に、雲早山から神通谷川を降りると
川を挟んで『北井』『井』の地名がある。

程近い場所に『宇佐八幡神社』が
鎮座しており、別名は『辰の宮』である。
後日記事になります

流されてしまった辰の宮
井でまった場所」が
宇狭(宇佐)』の語源なのだ。

その後、
宇狭の宮」はさらに下流に流されて
「天佐自能和気神社」になっている。




スサノオ大日孁貴

あえて、アマテラスではなく
大日孁貴(オオヒルメムチ)』と
書いております。

スサノオとオオヒルメの物語は
古事記でも最も知られる物語。

スサノオの乱暴に怒ったオオヒルメ
天岩戸に隠れてしまう『天岩戸隠れ』。

その後、
神々総出でオオヒルメを引っ張り出す
天岩戸開き』。

そして、高天原を追放され、
スサノオオオゲツヒメと出会う
『五穀の起源物語』。

八岐大蛇を退治して
オオヤマツミの孫である
櫛名田比売を娶り
「すがすがしい」と言ったことで
名付けられた『須賀の地』。


さらに杵築宇佐の繋がりまでもが、
ぜーんぶまるっとこの徳島県に
収まっているのである↓


杵築神社(祭神 大物主)今回のメイン
雲早山
神通滝
高根山(大日孁貴の神陵説有)
宇井橋(北宇井・宇井)
宇佐八幡神社(辰の宮)
出雲神社
上一宮大粟神社(祭神オオゲツヒメ)
天岩戸立岩神社
天岩戸別神社
須賀山(すがすがしかったところ)
名田河の板碑群(櫛名田比売)
↑※ここから須賀山が拝める
⑬雨返八幡神社(天返し)高天原との境
↑※須佐之男命櫛名田比売が出逢った場所説有
⑭船盡比賣神社
徳島市入田町天ノ原(高天原入り口)
⑯大御和神社(祭神オオナムチ)
溶造皇神社(祭神スサノオ)
天佐自能和氣(あめのさしのわけ)神社
名田橋(櫛名田比売)
吉野川市鴨島町先須賀
鹿江比賣神社式内社論社(葦稲葉神社境内)
㉒大山寺(オオヤマツミ)
鹿江比賣神社式内社論社(大麻比古神社境内)
鹿江比賣オオヤマツミの后。
鹿江比賣の別名鹿屋野比売神が祀られる
愛知県あま市の古社『萱津神社』は、
別名『阿波手の社(あわでのもり)』である。

前回記事では、天村雲命から、
八岐大蛇吉野川説を書いたが、
書籍『道は阿波より始まる その一』では↓
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
櫛名田姫
有名な大蛇退治はこの地、以津毛(いづも)
鮎喰川上流にまつわる伝説で、
くし名田比売」の「くし」は
くしぶる高千穂、くし渕などと同様の古語で
まがりくねるとか、非常に変化に富む
地形を述べる場合に使用される形容詞です。

古代神山への陸路は、
以津からの道は現在の一宮町赤坂を経て
広野に出ます。
重量物の運搬は水路舟を利用、
神代山分と海路をむすぶ
重要な港の一つでした。

その途中に名田河(ナダコウ)があります。
ではなく、谷を挟んだ高地の表現で
阿波では「山河内」「赤河内」
「佐那河内」「名田河内」の如く、
そのような地形の土地に、
全県にわたり付けられています。

この名田河の比売が「くし」名田比売で、
殯宮跡と呼ばれる場所には
多数の石碑が立てられ、
古えには古寺があった様子です。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
八雲立つ 
出雲八重垣 妻籠みに
八重垣作る その八重垣を

有名なこの歌も当然阿波の歌、
須佐之男命が宮を定めた須賀の地、
東須賀、西須賀、横須賀、沖須賀、
総称を阿須賀と申します。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

阿須賀(アスカ)

ここで出てくる重要な地名。


上記の地図を全て説明するのは大変な上に、
これでもまだ一部です。

地図上では書ききれないほどに
スサノオオオヒルメに関連する
史跡や地名が点在する。

いずれまた深掘りしたいところだが、
今回は『杵築神社』の記事。

杵築神社の祭神は大物主命


オオヒルメオオゲツヒメと言えば、
阿波では上一宮大粟神社

スサノオは、
上一宮大粟神社の鎮座する
神山町でオオゲツヒメ
出逢っていたのだろうか。。


実は、
上一宮大粟神社の鎮座する
神山町神陵には、
オオゲツヒメが訪れる前は、
別の神様がいらしたのだそうな。


とっても素晴らしい宮司さんが書かれている
宮司家の祖神として
宮司家の屋敷内の神社で祀られていました。

祭神を大物主神、または大山祇神とします
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

宮司さん曰く、
元々の神は
大物主なのだそうな。

ここでやっと、
杵築神社の祭神と繋がるわけなのです。

上一宮大粟神社は後日記事になりますよ


杵築神社さん、
気づきを与えて頂き、
ありがとうございました。



さあ、大変なことになってきた。

多種多様な阿波の神社に
行けば行くほど、
調べれば調べるほど、
とんでもない逸話が飛び出してくる。

徳島市から出発して、
吉野川を西へ西へと進んできたが、
そろそろ時間的に折り返し地点。

次回は、
吉野川の河幅が
狭ぁーくなっている場所に建つ
古代文字の歌碑❗


またしても衝撃の展開です。。



つづく。


ではまた❗




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