こんにちは、ロイヤル麦茶です。

今回紹介する神社は茨城県常総市向石下にあります向石下香取大明神です。

御祭神は経津主命、平将門公、豊田四郎政幹公。

昌泰年間(898年~901年)平将門の父、平良持(平良将)が下総開拓の府として境内から約700mの台地国生に下総国亭(府)を置いて政務を執るにあたり、任国一宮である東国創業の祖神、香取明神を総社として勧請したのが始まりと言われており、その後、平良持が向石下に本拠館を構える際に舘正門北方の当地に豊田本郷の総鎮守として遷座されました。

神社前方一帯の地は豊田武夫の集合場所とされ、平将門率いる郎党郷党の寄場で戦勝祈願の後、出陣した所と言われております。天慶3年(940年)2月14日、平将門が石井の地で戦死した後は逆臣の冤罪忌憚に触れ、祭祀が途絶えました。
天喜3年(1055年)、若宮戸住石毛赤須四郎平政幹は前九年の役に一族郎党を従え、源頼義・義家父子に従い、戦功により豊田郡を賜り、本拠を天然の要害豊田舘跡に構築して長子石毛太郎広幹を従わせ、香取大明神を守護神として再興しましたが、地名から人丸明神と称するようになりました。
天文5年(1536年)に社殿が炎上。元亀4年(1573年)正月、神祇に再建を願い出ましたが許可が出ず、寛永3年(1626年)神田神社の祭神として平将門が勅免された後、社名を香取明神と改め、正徳4年(1714年)社殿が改築されました。
 

向石下香取大明神の最寄り駅、関東鉄道常総線の石下駅までやってきました。

 

石下駅から歩いて向石下香取大明神に向かう途中、鬼怒川に架かる橋を渡りました。

 

石下駅から歩くこと約20分、向石下香取大明神の境内前に到着しました。

 

鳥居の左手前には水神宮と書かれた石祠がありました。

 

鳥居の後方には小さな水盤がありました。

 

参道を進みます。

 

参道脇にある切り株の上に力石が二つありました。

 

力石の先には休憩所がありました。

 

向石下香取大明神の拝殿前に到着しました。

 

こちらは幣殿と本殿(覆屋)です。

 

社殿の周囲には祠が多数ありました。

 

こちらは社殿の右手にありました祠ですが、ブルーシートが被せられたものがありました。

 

一体何でしょうか…!?

 

境内の西側にあります宮司様宅で御朱印や授与品を頂く事が出来ますが、お参りした後にお伺いしたものの、どなたもいらっしゃいませんでした。

 

この後、石下駅から上り列車に乗って東京に帰りますが、列車が来るまで時間があったので、しばらくの間、境内の休憩所にいるとご家族の方が帰って来られたので、再びご自宅にお伺いしました。

 

宮司様は終日外出との事だったので、書置きの御朱印を頂きました。

 

 

ちなみに、石下駅の近くにある稲荷神社の御朱印も頂く事が出来ますが、今回はお参りしていないので頂いておりません。

 

 

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