The Diary of Ka2104-2

エッセイ「私と作曲家マーラーのえにし」 ー 石川勝敏

 

作曲家グスタフ・マーラー(Gustav Mahler)と私とはえにしがある。

まず第一に私はマーラーをものにしたのである。

3年に及ぶコロナ禍のいずれかの時期、私は野外すり鉢状の舞台で小編成の管弦楽団が皆マスクをして高名なヨーロッパの指揮者のもとマーラーによる交響曲第5番第4楽章Adagiettoを演奏しているYoutube上の動画を視聴する機会に恵まれた。その感銘は私をして何度も同じ動画を視聴せしめる程だった。

私はある晩もいつもどおり、その動画の再生クリックをした。私はやおらA4コピー用紙を取り、流れるように楽曲に合わせて日本語をそこに綴っていた。その日本語はメインテーマのみならず、各パートの副旋律をも取り込み宛がわれた。見事に日本語がそのadagiettoに収まった。それが、若干の日本語詩修正と曲をアリアにする為の編曲を経た、私自身が歌うシンフォニー・アリアの「出会えてよかったと」である。Youtubeに何回かアップしている。

コロナ禍で多くの人が孤独を感じている中、コロナ禍で孤独ならコロナ禍でなくとも孤独であったろう私には我ながら身につまされる出来栄えとなっている。

第二のえにしはこうである。マーラーはMahlerという綴り字で表わされるが、全く同じ発音のドイツ語Malerとなると画家という意味になる。ドイツ語をかじっている身としては、hが母音のあとに置かれ日本語で云う長母音になるMahlerのMahの箇所と画家を意味するMalerが、後者alの綴りで等しう長母音化するのがわかりませんが、辞書上でも両者とも[ma:lər]となっている。この「マーラー」を使って私を表現すると、次のような言い方ができる。

私は音楽家であるけれど、マーラーでもある。

即ち私はオペラ歌手兼画家であると言っているのである。ここら辺もより私がマーラーに親近感を寄せる由縁で、私はマーラーの肖像写真のプリントを額装にして部屋に飾っているのだ。

肖像写真でみるマーラーは、粗野で無頼感があり、指揮者兼作曲家というより、画家などの芸術家風情である。そして色気がある。こういったところもあり私はマーラーを部屋に飾っている。

マーラーはユダヤ人の生まれであり、後にカトリックに改宗している。一口にユダヤ人と云っても、当時、「東方ユダヤ人」と「同化ユダヤ人」の区別が曖昧ながらなされ、これはキリスト教徒から見てもユダヤ人同士内で見てもなされていたむしろ心理的な駆け引きのような違いである。巧みに逐一操られ操りしていた方が抜け目なく勝者であった。マーラーもその点では賢明であったらしい。

マーラーが作曲家というより指揮者として一流へ登りつめたのは後年になってからであるが、作曲家として彼の書簡にあるように「僕の時代が来るだろう」ことに実際相成ったのはむしろ彼の死後であった。彼は弱冠50歳で亡くなっている。

私はメダカを飼っている。今ではもう表の水瓶の中でおいてのみだが、一時は屋内に水槽を置きそこでも飼っていた。私は水槽分の内3匹を看取った。一匹は変死で、あとの二匹は不審死と云ってよい。かくして残りは、もうこの水槽で飼ってはならぬと思い、表の水瓶に移した。そして、水槽のみならずかねてより水瓶でも謎の失踪が大量に出たのを心得ている。

水瓶に水槽のメダカの残存を移したあとのある日、私は死骸が一匹水上にあがっているのを発見した。その死体は指ですんなり掴めた。硬直があり粘液を出していない。死後まもなくだったのだろう。私はそのときの感触を今でも覚えている。水瓶で遺骸が上がったのを目にするのはそれが初めてであった。最近のことで、水瓶のメダカ自体は去年夏から飼っている。

マーラーの葬儀について。以下、音楽之友社刊「作曲家/人と作品/マーラー」からの抜粋。「マーラーは、何万もの市民が行列をつくるウィーン伝統の葬儀、とりわけ音楽を伴う葬儀を嫌がったので、葬儀は近親者だけでおこなわれることになった。入場許可証が発行され、それを持たない者は墓地への立ち入りが禁止された。それでも死の四日後、雨の降りしきるウィーン郊外、グリンツィングの墓地には数百人が集まった。パウル・シュテファンの回想は、棺が墓穴に納められる段になると、にわかに雨がやみ、空に虹がかかるとともにナイチンゲールのさえずりが聞こえた、と第二交響曲の終楽章ばりの情景を描いている。早くも始まったマーラー「聖化」のひとこまであろう。シェーンベルクはこの埋葬の情景を絵に描いているが、《六つのピアノ曲》作品一九(1911)の第6曲もまた葬送の鐘が重々しく、とぎれとぎれに響くマーラーへのオマージュになっている。そこでは、まだ初演も出版もされていない第九交響曲第一楽章序奏部のハープのモティーフが引用されている。マーラーの墓標はもちろん今も、長女マリア・アンナも眠るグリンツィング墓地にある。ヨーゼフ・ホフマンのデザインによる白い墓石には、グスタフ・マーラーという名前以外、何もしるされていない。『僕の墓を訪ねてくれる人なら、僕が何者だったか知っているし、他の連中にはそれを知ってもらう必要はないから』。」

私は私の大事な人2人の最後を看取れなかった。私は母の死に顔、続いて父の死に顔を見届け、お見送りすることができなかった。2人ともの葬式もその後の法要も同様で取り仕切っていた実弟から呼ばれることなく、私の知らないところでその後歳月は流れていっていた。今でも最後に立ち合うことなかったことには相当悔やまれてならない。

マーラーの資産形成は大概に云うと、いわゆるエスカレーター式だった。幾多の苦難や病気があったにせよ、その意味では凡庸である。私はこの20数年、生活保護でのみ生活し、生き続けている。ここのところ、労働者の給与上昇と物価上昇の二輪がうまく噛み合いこの両輪でもって経済は立ち直るとの議論が活発である。だがそれでは我々生活保護に頼る身としては身も蓋もない。物価だけ上がるだけ上がって、身入りが同じなのだから、世に取り残される身となるのは必至であろう。現に物価が上がり出してこの方、生活保護支給額は全く上がっていない。

マーラーは画家クリムトと親交があったらしい。私には誰もいない。福祉施設へ行けばそのときだけ話の花が咲き、感謝はしこそ、これは私の絶対的な孤独を打ち消すことは決してない。

私は近頃、自分が潰れるのではないだろうかとひそかに恐れている。このままではいかない。早く人間関係を作らねばならない。私のメールアドレスは、ここの記事「第15回OpenAIでのチャット/私を拾ってくれる人や団体とマスメディア」の最後に載っているが、誰からもどの団体からもフィードバックは来ていない。

マーラー曰く、「僕の最後の詰めの大事なところで、いつも誰か何かの邪魔が入る」という。私はこの言葉にいたく共感する者の一人である。私が従来このブログで申し上げてきた「あれ」もしかりだ。幻声を入れ込む向こう側が「あれ」の真相を実証することには、メダカの失踪、家の壁にある木材にくさびを打ちめりっと一部を剥がす、夕食のプレートの大半を食べた空きスペースに突如大きな大きな毛虫が載っている・・・・。いわゆる遠隔操作で体内をも侵襲する。だいたい幻声なんぞ日がな一日いまだに陽性期の統合失調症状は考えられんことだ。こうときたら「放射能に暴露されている」と同じ表現が使えそうである。つまり「幻声に暴露されている」と。

丸くて大きな赤い月にも

歩行者に危険な街へ出る坂や

そこを夜間走る四輪が風を切る音も

 

まだ冷たい春先の風に揺られるタンポポの花や

しがない床屋が私を無造作に扱っても

そこの傍の街の中央道で向こうから来る通行人が

その顔に一人悦入って笑顔を載せていても

 

私には何らの感興も呼び起こさない

 

私の心にはなんびとも存在しない

いわんや幻声が繰り返しわめき立てる

私と接触したことがある昔人なんぞ

何をか言わんや

 

私の心に存するのは

新しい知己たちを受け入れるための

空白だけ

カイコの繭(まゆ)のように

正絹できらきらまばゆく堅牢なそれは

膨らみ過ぎることはない

 

そこにはドラマもなんらの温かな妄想も

要らぬのだから

 

                 2024年3月20日 石川勝敏

 

 

 


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