スマホ悪魔により自殺した20歳青年
 
                              toshichan-man*
 
 
 
【はじめに】  
 発症は高校1年時。5年間、大学病院を始め、様々な病院に「うつ病性障害」の診断の下、通院入院を繰り返していたが、軽症化の傾向が見られなかった。なお、電気ショック療法は再三勧められたが、受けなかった。
 最近、ある医院に転院し「統合失調症」との診断・告知を受け、risperidone の投与を受け始める。症例(以下、U君とする)は長年の激しい倦怠感から解放されたが、新規の抗精神病薬による「悲しい絶滅的な現実の認識」が起こり、自ら命を絶った。U君の周囲には「統合失調症への古い偏見」が強く存在していた。
 
【症例】
 4人兄弟の末っ子。母親はU君が小学生の頃、病気で他界した。以来、父親と4人の兄弟で育ってきた。
 小さい頃より著患無し。3人の兄は00の繁華街である00に於いて3人で料理店を営んでいた。U君も手伝いに行くこともあったが、その料理店に手伝いに行くと目が回るような強い倦怠感に襲われ横になっていることが多かったという。
 U君は幼い頃より剣道を行い、中学・高校時代も剣道を行う。しかし高校1年の終わり頃、強い倦怠感を自覚。また朝の起床困難が始まる。様々な医療機関を回り、結局、「慢性疲労症候群に良く似た病態」または「うつ病性障害」と診断された。そして抗うつ薬(三環系)を投与される。抗うつ薬を服薬しているときは倦怠感は軽減していた。しかし抗うつ薬の副作用のため授業中の居眠りが極めて多く、意志強固なU君も眠気に打ち勝つことができなかった。そのため抗うつ薬の服薬を中止する。そして再び多数の医療機関を受診する。しかし「慢性疲労症候群に良く似た病態」または「うつ病性障害」という診断と治療法は同じであった。U君はそれ故に剣道の練習も休みがちとなり、期待されていたにも拘わらず、高校時代、剣道の実力は伸び悩んだ。それでも幾つかの大学から剣道での特待生の勧誘を受けたが、倦怠感強く、大学での厳しい練習に付いてゆく自信が無く、特待生の勧誘を全て断り、高校卒業とともに00港の仕事に就く。
 筆者初診時、倦怠感の訴えのみであり、抑うつ・意欲減退・低い自己評価・睡眠障害などは存在しなかった。また、抗うつ薬(三環系)を服用して仕事場までクルマの運転を行っていたため、居眠りによる事故を何度も起こし、借金で苦しんでいた。
『膝から下がこんなにパンパンに張っているのです。これだから身体が怠いのだと思います。』とU君は主張した。U君の下腿は確かに異常なほど強く張っていた。
 そして「慢性疲労症候群(疑)」「うつ病性障害(疑)」の診断の下(U君には「慢性疲労症候群もどき」「うつ病もどき」と言っていた)、鍼治療を下腿を中心に来院の度に施行し、抗うつ薬を主要処方とする投薬治療も平行して行ってきた。しかし、病状は一進一退であった。
 うつ病性障害に特有の、朝の起床困難、午前中に強い倦怠感が存在しないため、抗うつ薬に上乗せする方法で haloperidol 1.5mg/day、trihexyphenidyl  2mg/day を試験投与したが、倦怠感が強くなるのみで1週間で投与中止とする。次に、同じく抗うつ薬に上乗せする方法で bromperidol 3mg/day、trihexyphenidyl 2mg/day を試験投与したが、これも倦怠感を強くするのみで1週間で投与中止とする。また、これも抗うつ薬に上乗せする方法で sulpiride 400mg/day、trihexyphenidyl 2mg/day を試験投与したが、倦怠感が強くなるのみであり、1週間で投与中止とする。
 筆者が故郷に帰る直前に『うつ病が起こった原因が分かれば、うつ病は治る、ということを聞きました。自分は高校1年の3学期にある友人と諍いを起こし、その友人も自分も傷付きました。その友人も自分も悪かったのです。今、思えば、幼い故の正義感のぶつかり合いでした。同じ剣道部の友人でした。それが自分の病気の原因と思えます。』と主張始めた。
 筆者が故郷の病院に転職したのちも頻繁に電話を掛けて来て、当直中に1時間近く話をしたことも多々ある。
 4月29日夜、当直先の病院にU君より電話が掛かってくる。
『最近、ある医院に転院しました。そこで「統合失調症」と診断を受け、risperidone  1日3mg の服用を始めました。すると長年の強い倦怠感が消失しました。自分の11年間の激しい倦怠感は「うつ病」ではなく「統合失調症」だったんです。』という内容だった。長年の強い倦怠感から解放され、喜ぶべきと思ったものの、U君のいつもの元気な声は沈み込み果てていた。そして、いつもの長電話がそのときは非常に短かった。
 5月3日夜、再び、当直先の病院にU君より電話が掛かってくる。そして自身が統合失調症という世間で最も忌み嫌われている病気である事への苦しみを長々と述べる。筆者はU君に言った。『統合失調症は忌み嫌う病気ではない。忌み嫌うべきものはエゴイストという病気だ。イジメなどに見られるエゴイストという病気だ。U君のは病気に入らない。エゴイストこそ、どんな薬も効かない、最も忌み嫌うべき病気だ。その病気つまりエゴイストに罹っている人間は沢山いる。現在の社会はエゴイストに覆われている。いや、ずっと昔からエゴイストという病気は恵まれた人間に偏蔓している病気だ。U君のは薬が効くから軽い病気だ。U君にはエゴイストが無い。だから立派な人間だ。U君はエゴイストがないからとっても素晴らしい人間だ。U君ほど立派な人間はあまり居ない。U君のような人間で世の中が一杯になれば世の中は幸せになれる。それなのに世の中はエゴイストに満ち溢れている。これはどうしようもない悲しい現実だ。U君の考えていることと全く逆だ。U君は悲観する必要は全く無い。生き抜くんだ。』
 しかし、5月6日、U君はビルの10階より投身自殺する。
 U君は長年の強い倦怠感から解放されたが、「悲しい絶滅的な現実の認識」により死を選んだ。
 
【手紙】
『00先生へ
 僕が統合失調症と診断されて統合失調症のクスリを飲み始めてから、高校一年の終わり頃からの激しい倦怠感が消えました。しかし、自分は自分の存在を消してしまいたい。00先生からは7年間、面倒を見てもらい、ありがとうございます。あの頃は倦怠感が強くて大変でしたけど、毎日が楽しかったです。希望がありました。
 毎朝、電話で起こしてもらって有り難うございました。00先生も「うつ病」で苦しみながら毎朝、携帯に電話で起こしてもらって有り難うございました。でも、僕から電話をして00先生を起こす方がとっても多かったですけど。
 あの頃は僕より00先生の方が「うつ病」が重くて苦しかったのに有り難うございます。あの頃は苦しかったですけど楽しかったです。でも今は、自分は自分の存在を消してしまいたい。
 そして、あの頃、リタリン欲しさに迷惑をかけてすみませんでした。でもリタリンを飲んでいるときは、いつもの倦怠感から解放されていました。リタリンを飲んでいる間だけでしたけど、普通の人と同じように働くことができていました。
 自分は何だったのでしょう。自分の存在は何だったのでしょう。自分の存在の意義は何なのでしょう。自分の存在の意義は無いと思います。自分は自分の存在を消してしまいたい。
 他にも、お世話になった人に手紙を書かなければなりませんので、この辺で失礼します。本当に有り難うございました。
 自分は自分の存在を消してしまいたい。
                                                                      Uより  』 
 
 
【考察】
 U君は、「うつ病性障害」「慢性疲労症候群(疑)」との診断に依り心の平衡を保ってきた。しかし筆者が00を去ってから様々な精神科医院を受診し、最後に付けられた診断名が「統合失調症」であった。それは自殺を決行する1ヶ月前のことになる。
 筆者はU君が、本院来院まで数年間、大学病院精神科に「うつ病性障害」の診断のもと治療を受けていたこと、そして典型的な「うつ親和性性格」であることより、「うつ病性障害」に準じた治療を行っていた。しかし「うつ病性障害」に特有の日内変動を欠くことより「慢性疲労症候群に類似した病態」が適切と認識していた。
 筆者が00を去ってより下腿への鍼治療の施行が無くなり薬物療法のみになったためU君の精神状態が急激に変化と悪化を来したとも考えられるが、筆者が00を去ってよりU君の電話での声、そして話す内容は、筆者が00に居るときのように健全であった。妄想などは無かった。しかし、ただ、筆者に、それらしいことを語らなかっただけなのかもしれない。
 risperidone の副作用として5%未満の頻度で自殺企図があることが認められている。U君の場合も、この副作用が関与していることは否定できない。
 risperidone を1日3mg 服薬すると健康な人と同じように働くことが可能になっていた故に惜しまれることであった。
 もともと非常に真面目だった故に、新しく仕事を探して真面目に働き始めている、と筆者は確信していた。
 U君は精神科の病気、特に統合失調症への強い偏見故に殺された悲しい一例である。未だ精神科の病気、特に統合失調症を強く疎んじる傾向は日本では強い。これは早急に改めなければならない切実な問題である。
 
 
 
   --------いつも明るく人気者であった今は亡きU君に捧げる---------