「今から会いませんか?」
そう言った彼に僕は、「今会うのはやめたほうがいいよ」と言った。
アプリで傷つく若者たち
マッチングアプリでは、楽しいこともたくさんあるが傷つくことの方が圧倒的に多い。
タイプの人とメッセージが続かなかったり
実際に会ってみようとなっても実物を見ると雰囲気は全然違ったり。
もし楽しい事の割合が「1」だとすると、傷つくことは「9」ぐらいある。
そのわずかな偶然の奇跡に願いをかけアプリユーザたちは今日も出会いを求めて、アプリを開くのだ。
しかし、時々アプリで傷つけられた人はアプリで癒しを求めようとする。
今回はそんなお話。
ただの可愛い子だけではない
随分前だ。
以前、自分の性欲がおサルさんで爆発していたと書いたが、ちょうどそれくらいの20代半ばくらいのころ。
アプリである程度経験を積んだ僕は、立派にちょっと擦れたおじさん一歩手前になっていた。
苦いことも経験して、最初のころに持っていたゲイ活動の期待はすっかりおさまり、少し分別がついていた。
やりたいだけの衝動は依然持っていたが、それだけでは空しいなと感じるようになっていた僕は、手当たり次第に誰かとリアルするのは控えるようになっていた。
そんなある休日の暇を弄んでいた僕にメッセージが届いていた。
「こんにちは!近いですね!」
アプリのメッセージ画面に表示されていたのは、よくあるメッセージだった。マッチングアプリ(ゲイ)で何回もやり取りされているお決まりの挨拶。
そして僕もお決まりのように、メッセージ画面のアイコンだけでは雰囲気が分かりづらかったので、プロフィールを覗きに行く。
名前は「ケン」(仮名)。身長は170cmの体重60kg。年齢は22歳と僕より少し若かった。
自己紹介はそこまで充実してはおらず、簡単な挨拶程度。
写真も1枚ほどと、そこまでアプリに力を入れているような感じではなかった。
しかし、その1枚だけの写真を見ると、なかなかの好青年である。
年上のおじ様たちから好かれそうな幼さが残る顔立ちとスタイルがよく見える体。
はつらつとした青年といった感じだった。
アプリでのレベルはそこまで高くはなかったが、これから人気になりそうな予感とそれに少しの嫉妬を持った僕は彼からのメッセージに返信した。
「こんにちは!メッセありがとう。イケメンですね」
相手が3歳ほど年下ということでため口でもいいかなという逡巡もあったが、まだ知らない人同士だ。
敬語を使いつつ、相手の容姿をほめるという、これまたありきたりなアプリでのメッセージを返信した。
ケン君は自分と同じように日曜日の暇を弄んでいるらしく、僕のメッセージにすぐに返信がついた。
「ありがとうございます!ちょっと今ムラムラしてて、かっこよかったのでメッセしちゃいました」
ケン君はその好青年な見た目に反して中身は性欲溢れる若者らしく、初対面である僕にセックスアピールするくらいに積極的だった。
3年前の22歳の自分を思い出すと、ちょうどそれくらいに色々経験を積んできたころなので、エッチがしたいという感情はとても納得ができる。
いささか見た目とのギャップに戸惑いがありつつも、純粋に誰かから褒められることと性的対象として見られることは悪い気はしない。
「ありがとう、積極的ですねw今ムラムラしてるんですか?」
「はい、なのでよかったら会ってみたいなーと思ってまして」
会話のテンポも悪くない。お互いのポジションがウケよりリバというのが引っかかっていたが、スムーズにやり取りが進みそうな気がした。
少し前の僕だったら、すぐにでも「じゃあ会いましょうか」となってリアルをしてセックスをしたことだろう。
しかし、この時は繰り返されるワンナイトラブの虚無さに気づき始めたころだった。
いつもなら2つ返事で飛びつくようなお誘いであったが、この出会いに対して冷静さを持ち込もうとする自分がいた。
もう少しお互いを知ってから、会ってみたいなー。
また年下の子に慣れてないこともあり、僕は若干まだそこまで乗り気ではなかった。
「そうなんですね。ちなみにどんな人がタイプなんですか?」
「年上のおじさんですかねー。包容力がある人が好きです」
果たして3歳年上の25歳をおじさんといってもいいのかはさておき、年上好きだということとおじさんという単語をためらいもなく言える若さに僕は苦笑を浮かべた。
ナチュラルに失礼な事を言う感じも、それに気づいてないことも、そしてそれが許されてしまう雰囲気を持っていることも、ケン君は若さという武器が今一番輝いているようだった。
少し前までは自分もこんな感じだったのだろうか?
ふと、今までお会いしてきた方たちへの自分のふるまいを思い出させられる。
似たようなことをしているかもしれないなと少し反省しつつ、ケン君に返信をする。
「そっかー。可愛いから結構モテるでしょw」
「全然ですよ。最近アプリとかも始めたばかりなんで」
さきほど閲覧したプロフィールの薄さを思いだす。見た目に反して高くないレベルもそれなら納得がいった。
アプリを始めたばかりと言ってるわりには、やりとりが手馴れているのが気になるが、彼なら引く手あまたなのだろう。
短い期間の中で様々な人とやりとりがされてきたのかもしれない。
「そうなんだ!意外ですね。リアルは結構できました?」
リアルとは、ゲイのマッチングアプリでよく使われる慣用表現だ。
アプリで知り合った人と現実世界で会うことをゲイたちはそういうのである。
「実は昨日初めてお会いした方がいて、リアルしたんです」
どうやらケン君は一見経験豊富そうな手練れのようで、その実はかなりゲイビギナーだった。
22歳がゲイとして活動するのに早いのか遅いのか、一般的には少し遅めの年齢くらいだろう。
自分もそれくらいの年齢に初めての経験をしたが、わりと遅いほうだった。
初めてのリアルが昨日だった。それはなんともくすぐったい響きである。
すでに色々な経験を積んできてしまった25歳には、初リアルをしたこの若者は、まるで我が息子の成長を感じさせるようなある種の庇護欲を掻き立てられた。
子供なんて持ったことないけど。
「おお!いいですねえ。どうでした?」
最初のころに抱いていた性欲はすっかり鳴りを潜め、この若人に対する感情は純粋な興味となっていた。
あまりいい思い出がない自分の初リアルに対して、ケン君は果たしてどんな出会いがあったのだろうか。
イケメンの彼なら素敵な出会いがあったのだろう。
イケオジとおしゃれなデートでもしたのだろうか、イケメンお兄さんとまさか即合体なんてこともあるかもしれない。
しかし、そんな妄想が膨らむ彼だが、少し気になる自分がいた。
昨日初リアルで、今日また性欲のはけ口を探しているのは早すぎなのではないか?
自分の体験を思い出すと、初リアルの翌日なんて色々な感情がめまぐるしく渦巻いており、それを消化するのに手いっぱいだった記憶がある。
なにせゲイという属性の人間に初めて会うのだから、緊張もその後の疲労も大変なものがある。
その整理をしている中で、別の誰かと会ってヤリたいなんて自分なら難しい話だった。
「それがあまり楽しくなくて。ちょっと怖かったです」
なんとなく悪い予感がした。
それは先ほどの僕の違和感が間違いではなかったことの証明だったが、急にトーンダウンしたこの会話に不穏を感じたのである。
今まで好奇心で彼の話を聞こうと思っていた僕は、この先をうかつに聞いてもいいのだろうかと少し戸惑って、スマホから目を離した。
明るい秋晴れの日曜日の空模様が窓の外には広がっており、いきなりの展開に反してのどかそものだった。
しかし、僕の勘違いじゃなければ彼は聞いて欲しいのかもしれない、と思った。
あまり人に言いにくいかもしれないが、見知らぬ誰かに話を聞いて欲しいだけなのかもしれない。
「大丈夫ですか?なにかあったんですか?」
「ヤリ目で最初会ったんですが、相手の人が強引な感じで怖かったです」
吐き気がした。
22歳という若さの相手に、相手は何をしているのだろうか。
自分もそこまでりっぱな大人と呼べる人間ではないが、ケン君が初リアルに選んだ相手は控えめに言って、くそ野郎だった。
何かが吹っ切れてしまったのかケン君は事の顛末をそれまでは抑えていた感情的な口調で教えてくれた。
「始めは優しい人なのかなーと思ってたんですが、エッチが始まると結構無理やり入れられて、そのまま朝まで過ごしたんです。いまでもその感触があって、気持ち悪くなっちゃって」
「だから、その感触を忘れたくて誰かとエッチしたいなって」
吐き気がした。
くそ野郎なんて言う表現では収まりきらない、ただのくずだった。
初めての体験が最悪なものにしたその相手に僕はかなり怒りを覚えていたし、そして悲しかった。
僕もそこまでひどくはないが似たような経験をしたからだ。
若さというのは人生において明るい部分も多いが、未熟さという点では痛ましい。
己の愚かさに気づかないことが多々ある。
ケン君も今まさにそんな感じだった。
これから自分が何をしようとしているのか、ちゃんと足元が見えていないような印象だった。
エッチの記憶をエッチで上書する。
ある意味ではそれは正しいのかもしれない。
よく仕事の悩みは仕事で解決するしかないというが、本質的な悩みの解決はその問題に徹底的に直面することでしか解決できない。
その場しのぎの気分転換や、ストレス解消方法というのは一時的にはいいかもしれないが、根本的な解決にはならないのだ。。
この先、ことあるごに誰かとそういう展開になった時に苦い記憶を持ったまま生きるのはつらいだろう。
しかし、いくらなんでも今ではないと、おせっかいな僕は思った。
「そっかー、大変だったね。そんなくそ野郎とリアルしてつらかったね。でもね、ごめん。今の状態の君とは会えない。これ以上、傷つきたくないなら今は誰かと会ったりしないほうがいいと思う」
「僕とじゃダメってことですか?」
「うーん、ケン君はすごく魅力的だなって思うんだけど、昨日の今日でまだ落ち着いてないと思う。冷静になってから会おう」
気持ちは分からなくなかった。
人にはどうしようもない時ってのがある。
寂しさ、悲しさ、辛さ。そういうものがいっぺんに襲ってきてどうしても1人でいたくない時ってのがある。
そういう時に誰かがそばにいて欲しいという感情を抱くことは至極当然の話だ。
自分では抱えきれないものを誰かと一緒にいることで忘れることができる。
しかし、僕には彼がただ傷をさらに増やしに行ってるだけのようにしか見えなかった。
一種の逃避のようにも思えた。もし、ここで僕がくず野郎よりさらにくそみたいな人間だったとした時、ケン君は立ち直れるのか。
とても危うい橋を渡っている彼に僕はおせっかいながらも、アドバイスをしてしまった。
自分の欲望を叶えてくれる人じゃないと悟ったのか、それとも冷静さを取り戻したのかケン君はその後、返信速度が遅くなり、その日は連絡がとれなくなってしまった。
僕じゃない人とエッチな算段が出来てどーでもよくなったのかもしれない。
君自身を大事にしてたもう
その後のエピローグは全くない。
ケン君はもともとアプリの近くの人から僕を見つけて連絡をくれたらしい。
僕が住んでいる所から離れているためか、近くで見つけることはできなくなってしまった。
メッセージもあの日の内容で止まったままだ。
ゲイという男同士という関係でも傷つけられる・傷つけることはたくさんある。
自分も傷つけられた記憶が鮮明に残っているだけで、知らぬうちに誰かを傷つけたこともたくさんあるだろう。
あの日のメッセージが正しかったのか、なんていうことはよく分からない。
ただ、傷ついているいる若者と、それにどうしても悲しくなってしまった僕がいるだけだ。
男なんて馬鹿だから、すぐ忘れてしまって、いまでは楽しくエッチをしているかもしれない。
もし、そうなっていてくらたらいいなと思う。
あの日の自分は、いわばアプリ上のやりとりだけで彼の悩みについて逃げたのではないかと思うこともあったから。
実際に会って、エッチしないにしろ彼の悩みを聞いてあげるべきだったんじゃないかと。
今でもそういうことはきっとどこかで起き続けていると思う。
男だからといって、ある程度のことは耐えられるなんていう幻想があるが、そんなことはない。
傷つくものは傷つくし、いつまでもその記憶が消えないことはよくある。
だから願わくば、そういう記憶が出来るだけないよう、自分のふるまいだけは気を付けないといけないなと思うのである。
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