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建国後の合衆国-1 ジャクソン大統領による土地強奪

2024-04-28 21:21:33 | ヨーロッパ・中東・アメリカ全般、歴史・文化・食文化・芸術・建築

 

アメリカ合衆国建国後の19世紀前半の特徴は、南北に奴隷制度と自由労働制度との異なった労働制度を抱けながら発展したこと、しかも運輸革命に助けられて、商業的農業の急激な空間的拡大を伴いながら、同時に工業化が進行したことです。

1803年のフランス領であるルイジアナ購入によって、国土はほぼ2倍になりました。

1814年末のがガンの講和は、国境線を含めて戦前の状態への復帰を取り決めただけでした。 しかし1812年の戦争は、アメリカ合衆国が大西洋沿岸国家から大陸国家へと変質する転機となりました。

この戦争で英国はインディアンと同盟して戦い、講和の直前までオハイオ北岸におけるインディアン国家建設に固執しました。

祖化しその後、英国が合衆国内のインディアンを支持ことはなくなり、合衆国は英国に見捨てられたインディアンに対して、意のままに追い出しを図るようになります。

 

この戦争中、南西部ではテネシーの地方政治家であるアンドルー・ジャクソンが志願兵を率いて出陣し、クリーク族を打ち破り、アラバマの南西部の土地を彼らから奪い、合衆国はスペイン領の西フロリダを手に入れました。

さらにジャクソンは戦後の1818年、逃亡奴隷を匿(かくま)うセミノール・インディアンを追って、独断でスペイン領フロリダまで侵入しました。

その上、そこで英国人2名を処刑して、国際問題を起こします。 結局合衆国はこれを機に弱体化したスペインから500万ドルの安値で全フロリダを購入しました。

言うまでもありませんが、合衆国を領土拡大する際、購入と言っても、実際は銃と暴力による略奪です。

 

 

さらに1830年、アンドルー・ジャクソン大統領の下で成立したインディアン強制移住法は、ミシシッピ川以東のインディアン諸部族をミシシッピ西方の彼方へ強制移住させる権限を大統領に与えました。

この法律によって、小さなインディアン保留地を除き、すべてのインディアン諸部族が強制移住させられました。

高度な農耕文化を創りあげ、白人との混血が著しいチェロキー族は独自に開発したチェロキー文字と英語を使った新聞を発行し、1827年には自分たち自身の憲法を制定し、さらに白人に見習って黒人奴隷制まで導入していました。

しかし、共同体的土地所有を維持していたという点で、彼らはインディアン的伝統を守っていました。

 

当然、このジャクソンの政策に対して、インディアン達はあらる手を使って抵抗しました。

中でもフロリダのジャングルの覆われた沼沢地域でのセミノール族の抵抗は激しく、そのゲリラ戦争は1835年から1843年という長期にわたって執拗に展開され、万を越す大軍を送り込んだ白人側に多大な損害を与えました。

同時にその弾圧も凄惨を極め、ケモノ的な破壊がある『ジェノサイト(集団大量虐殺)』だったのです。 アメリカの歴史学者ロバート・H・ウィービーの言葉です。

ミシシッピ川の西のインディアン達は、19世紀後半再び、彼らの生存と尊厳を守るために絶滅を賭しての戦いを迫られることになります。

 

1860年の国勢調査報告書によれば、インディアン人口は約4万4千人にまでに減少していたといいます。

 

PS.

・アメリカを正しく認識する 建国までの歴史概略シリーズのまとめhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/c92a98cc78bf8a2cff02eab33b4b245b

 

 



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