怪異備忘録③ モノノケは意外に律儀

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壁沿いに逃げる黒いモノ

父が独身だったときの昔話。四畳半の部屋で昼寝をしていたところ、胸が重苦しく、うなされていたそうです。うっすらと目を開けると胸の上に黒いものが乗っている。

野良猫でも迷い込んで胸の上に乗っているのかと思ってガバと飛び起きると、その黒いものは猫ではなかった。なんだか得体のしれない黒いかたまりが、部屋から走り去っていったそうです。

奇妙なのは、その黒いかたまりが部屋から出ていくとき、わざわざ壁に沿って逃げていったという点。

「猫だったら最短距離で逃げるだろ。その黒いものはわざわざ壁沿いに移動して出ていったんだよ」

「壁に沿って移動した」というのを聞いてゾッとするとともに、なるほどこの世のものではない、何かアヤシイものなんだなと妙に納得しました。

妖怪べとべとさん、なのか?

十年ほど前でしょうか。そんなに遅くない夏の夜、父と母がウォーキングをしていたときのこと。近所に新しくできた住宅地の歩道を歩いていると、後ろから足音「だけ」がついてくるのに気づいたそう。後ろに人はいない。

二人同時に認識したというから、聞き間違いとか気のせいではない。

この話を聞いたときに思ったのは、水木しげるの自伝に出てくる「のんのんばあ」が言っていた妖怪・べとべとさんだ! ということでした。

べとべとさんは特に悪さをする妖怪ではなく、のんのんばあによると、歩いていて背後から足音がついてくるときは、立ち止まってちょっと脇によけ「べとべとさん、先へお越し」と言うと足音は消えるというものでした。

そんな話を知る由もない両親は「お父さん、どうしよう。走ろうか」「いや、走るな。そのまま歩け」などと焦りながらも歩き続け、新しい住宅街から自宅のあるほうの区画に入ったとたん、その足音はパタッと止んだそうです。

そこはかつての村境(たぶん)

その新しい住宅街というのは里山だったところで、田んぼや林、ため池などがありました。ねじねじ草も子供の頃友達とよく遊んだものです。

そこら一帯を切り開いて新しい住宅街ができたのですが、「ため池なんかもあったはずだけど、池の上にも家を建てちゃったのかな?」と正直ちょっと気になった。

子供の頃もあまり近づかなかった鬱蒼とした林は当時もなんだか気味わるかったし、あのへんだったら妖怪みたいなものがいたとしても不思議ではない感じ。新しい住宅街になってからも、ソレはまだいるのだろうか。

その里山はかつては村と呼ばれた古い集落で、入り口には今も山神さんが祀ってあり、おそらくなんらかの結界があるのではないかと推測します。新しい住宅街と自宅のある区画に特に目印らしいものはないですが、たぶん足音の主はかつての村境から外には出られないのでしょう。

彼らは意外に律儀

壁沿いに逃げる黒いかたまりにしても、村境でパタッと消えた足音にしても、モノノケだかアヤカシだかよくわかりませんが、彼らは意外に「境界」というものに律儀なようです。

神社などで細いしめ縄一本で神域を区切っているのを見ますが、あれも物理的な太さはあまり重要ではないのかも。要は「こっちに入ってくんな」という意思表示が大事というか。

そこで不思議なのは、幽霊さんたちです。「視える」人々によると彼らは平気で壁をすり抜けるというし、壁から腕が突き出てきたとか、映画「シックス・センス」では壁から上半身だけ生えていたし(ちなみに「視える」人々によるとあれはかなりリアルな描写らしい)、彼らは「境界」というものに対して割とフリーダムな感じです。

そうはいっても怪談「牡丹燈篭」ではお札が結界の威力を発揮しているし、一体そこらへんはどうなっているんでしょうか。よーわからん。

のれん一枚でも結界

ただ、のれん一枚でも「結界」になるというのは聞いたことがあります。

のれんというのは店舗の看板代わりだったり、銭湯の入り口にかかっていたり、すっかり日常に溶け込んでいて特に意識もしませんが、その歴史は古く、日本ならではのものです。

お店の「のれん分け」やら、会計用語の「のれん償却」、「のれんに腕押し」のようなことわざなどなど、今も身近な言葉として使われています。

日よけや目隠しといった実用品としての用途以外に「結界」の役割もあるといわれると、なるほどそうかも、という気がしてきます。

壁をすり抜ける幽霊さんとは矛盾するようですが、「仕切り」を示すという意味ではのれんでも障子でも、たよりないようで意外に有効なのかもしれないと思ったりします。

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