ひとときのときのひと

ひとときのときのひと

広告業界で鍛えたから、読み応えのある文が書ける。
外資系で英語を再開し、アラカンでも英検1級1発合格。
警備業界にいたから、この国の安全について語りたい。

そんな人間が、ためになる言葉を発信します。
だいたい毎日。



まずは英語から。

 ここでは、英検にこだわらず「ためになる英語」学習に関するる手に入りやすい本の案内として説明をしていきます。

 

 紹介するのは、この本、

 

 

「カウボーイ・サマー」です。

 

 著者前田将多は、電通の第一線でコピーライターとして活躍していましたが、永年のあこがれであった、カウボーイとしての生き方を求め、カナダのある牧場に住み込みをする。そんな約1年の記録が書かれています。

 

 自分も、かつてコピーライターであり、その後、人に珍しがられるような職歴を経ていますので、ここまで「リスキリング」を遂げた人は非常に気になりました。

 

 そこで半年ほど初版が出たこの本を手に取ってみたのです。

 

 初めにお断りしておきますが、この著者は英語に関しては、かなり、堪能です。帰国子女ではなく、「英語にずっと苦しめられた」とは言っていますが、アメリカの大学を卒業しています。

 

 とはいえ、外国の移住に関する英会話のノウハウとかは、全くこの本には書かれていません。

 

 また、カウボーイなどという、日本人からするとそんなものはかつての西部劇の世界にしかないのではないか、と思える場所で地道に働き続けるアラフォーの記録です。その意味でも、すぐに読者に「つかえそうな経験知」といったものも、期待できません。

 

 にもかかわらず、なぜ、このアラカンで英検1級1発合格の自分が圧倒されたのか。

 

 まず、第一にカウボーイの生活が、自分にとっても憧れだったからです。

 

 しかしながら、本から浮かび上がってくる牧童の実態と言えば本当に汗まみれ、埃まみれ、油まみれ、汚れまみれの痛々しいほどの重労働であることが、じわりじわり伝わってきます。

 

 また、この作者は縁故に縁故を重ねることで、ようやくこのカナダの大農場に移住します。そして、無給を条件としてなら、ということで納得して来ています。

 

 もちろん、食事や寝るところについては、牧場側があたえてくれますが、どんなに働こうが、サボろうが無給なのです。その意味での非常に過酷な毎日です。

 

 このあたりで、本ブログの読者の中には「あたしには関係ないな」と思われるかもしれませんが、本当にそうでしょうか。

 

 というのも、外国で、外国語を使って見知らぬ土地で生活するというのは、おそらく、こういうことなのではないか、と思わせる力がこの本にはあるからです。

 

 すなわち、現在、特に日本の公共放送や民間放送で流れている海外移住の話は、その外国の土地の人といかに打ち解け、仲良く気持ちよく過ごすかに絞り込まれ過ぎています。

 

 見ているうちに「ほんまかいね」と思わざるを得ない。そういう思いがちっとも湧いてこないとしたら、それは、自分の中でごまかしをしています。

 

 そのあたり、この本では、むせるほどの量でカウボーイだけの使う用語、いや、カタカナにはなっていますが、繰り出されます。正直なところ、後半は自分もたじたじとさせられました。つまり、思い描いていた憧れのカウボーイの世界とは、真逆とも言っていい。

 

 ありていに言えば、カッコ悪いの一言につきます。

 

 しかし、おそらく海外で生きるとはこういうことなのだろうなと痛切に感じさせられました。そこでは、もう、英語とかなんとかの問題ではないのです。

 

 そして、この痛切なまでの過酷な生活記録に圧倒されつつ、また、この本の著者もできるなら、本ブログの筆者である自分もそこそこできるのではないか。

 

 そう思えてくる。なにやら、英検1級1発合格に挑んだ時の気持ちがよみがえってくる。

 

 そのあたりも、この本を読む大きな魅力になっています。

 

 それは、やはり、人とは少し変わった生き方ということに関連しているのかもしれません。

 

 すなわち、日本人は一般的にいままでの平穏な毎日の延長で英語での生活、異国での暮らしを考えているようですが、そうはいかないのです。

 

 どんなに意外なことでも、想像外の相手の反応であっても、さらりと受け流し、いや反応する力が、試されているのです。

 

 そのことをこの本はいやというほど教えてくれたのです。

 

 以上、英語の参考書には載っていないかもしれませんが、あなたの英語学習の参考になれば幸いに思います。

 ここでは、英検にこだわらず「ためになる英語」学習に関するる手に入りやすい本の案内として説明をしていきます。

 

 紹介するのは、この本、

 

 

「『科学的』は武器になる 世界を生き抜くための思考法」です。

 

 著者は物理学者であり、バイオリンのスズキ・メソードの会長である早野龍太。最近出版された新潮文庫版を手に取ってみました。

 

 「科学的」は武器になる、とタイトルにあるように、人が生きていく中でいかにデータや裏付けをもとに思考や行動を進めていくべきかについて書かれている一方で、過去のデータで未来を予測する愚は犯してならないという注意もきめ細かに実例を挙げ紹介されています。

 

 まさに科学の最先端を走ってきた第一人者が自分の人生の歩みをもとに書き進めたエッセイですが、本ブログの筆者が注目したのは、こんなところにありました。

 

 それは、冒頭記したように彼がバイオリンを幼少期から習っており、また、スズキ・メソードの創始者である鈴木慎一からじきじきに教えを受けているという事実です、

 

 スズキ・メソードといえば、バイオリン教育の「革命的教授法」として戦後現われ、瞬く間に世界にまで広がったことで有名です。

 

 ところが、その鈴木慎一氏が、幼少期の著者、早野くんに、いや、他の生徒たちにも何とレッスン直前に問いかけていたか。

 

 実は、

 

「練習してきましたか」

 

と言っていたそうです

 

 少し引用してみましょう。

 

 一番怖かったのは、「練習してきましたか?」という質問です。練習をちゃんとしていない、食後に何回かさぼってしまったとか、思ったほどにはやってない、という時は、自分がそれを一番よく知っています。先週来た時から比べて、自分が進歩しているか、していないかは自分で分かっている。そこで「はい」と答えるか、「いいえ」と答えるのかは、こども心に、ものすごい重圧でした。

 

 いかがでしょうか。

 

 ここに、自分は英語学習、英会話教室に対する強い問いかけを感じます。

 

 すなわち、いま、どれだけの英語の先生や英会話の先生が、この

 

「練習してきましたか」

 

 という真摯(しんし)な言葉を生徒に投げかけているでしょうか。

 

 もちろん、そういう方もいらっしゃることはいらっしゃるかもしれません。が、たいていはそうではないと推測しています。

 

 なぜか。

 

 そんなことをしていたら、お客さまである生徒の大半が来てくれなくなるからです。英会話学校の商売が成り立たなくなるからです。

 

 その証拠に大手の英会話教室はもちろん、いや個人レベルの教室や学校でも、楽しい、おもしろい、長続きするといった「魅力的な」ことばを宣伝文句にしています。

 

 が、果たしてどのくらいの方が鈴木慎一のような鋭いひとことを生徒に投げかけているでしょうか。

 

 そこまで本当に真剣に生徒の上達に賭けているでしょうか。

 

 したがって、このブログを読んで「いいね!」をした英会話教室の先生がいらっしゃるとしたら、その方は、鈴木慎一と同じくらい「本物」の教育者の一人とみなせるのかもしれません。

 

 また、「練習してきましたか」と先生から言われないことをいいことに、まったくのほほんとしているお客様とか生徒さんも、このあたり、ご自身の学習姿勢を見つめ直すきっかけ位にしては、いかがでしょうか。

 

 なにやら厳しいことばかり申し上げているかもしれません。

 

 しかし、英語力の進化、英会話の上達は、そんなに「楽しい」「おもしろい」では実現できっこありません。

 

 そう、アラカンにして英検1級1発合格者としての経験を根拠にに、はっきりと申し上げます。

 

 この本には、他にも先へ先へと読み進めたくなる引力のようなものがあります。

 

 たとえば、著者が物理の才能を有しながらも、運命に翻弄されつつ、それを逆に利用してたくましく生きていく話や、「ほぼ日」の創業者、糸井重里氏との一風変わった交流の話も読んでみる価値があります。

 

 以上、英語の参考書には載っていないかもしれませんが、あなたの英語学習の参考になれば幸いに思います。

 ここでは、英検にこだわらず「ためになる英語」学習について手に入りやすい本の案内として説明をしていきます。

 

 紹介するのは、この

 

 

「『やりがいのある仕事』という幻想」(森 博嗣著)です。この 森 博嗣と言う人は、作家であり工学博士でもあるところに興味惹かれますが、本ブログの筆者と殆ど年齢が同じ、つまりアラカンでもあることから、手に取ってみました。

 

 これも、ひとつ前に紹介した本「自分はバカかもしれないと思ったときに読む本」のように、なかなかインパクトのあるタイトルを掲げています。

 

 実際読んでみると「うなづかされる文章」が目白押し。というと大げさかもしれませんが。

 

 もともと、この自分自身、本著作を読む前から「やりがい」とか言うものに対する強い違和感がありました。

 

 「生きがい」とかも「やりがい」とかと同じように、なるべく自分からは使わないようにしています。

 

 なぜか。

 

 人間とは、ロボットとか機械ではないではありませんか。

 

 「やりがい」とか「生きがい」というコインをチャリンとのみ込めば、自動販売機のようにゴロンとばかりに自分の体から「満足」だか「快感」だかが、必ず出てきてくれる。

 

 それはそれで、うれしいんだか気持ちいいんだか、まあいいようなものの、いつも、こんなんでは、悲しくないか。よく耳をすませてみろよ。

 

 と思うのです。

 

 人間てのは、そんな単純なものではないでしょう。好きな人に嫌いな振りをしたり、その逆だったり、してしまうものではないでしょうか。チャリン、ゴロンではないだろう。

 

 と常日頃感じているのです。

 

 いや、本の紹介にあたって前口舌が長くなってしまいました。

すみません。

 

 しかし、そんな自分の思いよりも、もっと痛切にもっと厳しくこの本では「やりがいなんて求めたり、すがったりするのはやめておけ」といった趣旨のパンチが繰り出されます。

 

 そして、この仕事ということばを英語に置き換えるともっと切実なことを語ってくれる気がするのです。だから、皆様に共有しようとしているのです。

 

 いや、もちろん、この本の著者はそんなことでは、言っていませんが、つまり「やりがいのある英語」という幻想なんかやめときな、本ブログの筆者は言いたくなるのです。

 

 この国際化の時代にまったく英語を勉強しない、使わないのもどうかと思うけれども、かといって、英語にやりがいとかなんとか変な重きを置きすぎるのもいかがなものかと思うのです。

 

 だいたい仕事も英語も、あくまでもツールであって、それそのものが目的で生きていくなんて、もったいなさすぎませんか?

 

  ここまで申し上げてもピンと来ない方もいらっしゃるかもしれませんが、ついつい生きがいだのやりがいとかにこだわってしまいがちな方は。この本を一度開いてみることをおすすめします。

 

 圧倒されること間違いなしです。

 

 以上、英語の参考書には載っていないかもしれませんが、

あなたの英語学習の参考になれば幸いに思います。

 ここでは、英検にこだわらず「ためになる英語」学習について手に入りやすい本の案内として説明をしていきます。

 

 紹介するのは、この

 

「自分はバカかもしれないと思ったときに読む本」(竹内薫著)です。 つい最近出た一冊です。

 

 こういうのを実もふたもないというのでしょうか、呆れるくらい人の胸をわしづかみにするようなタイトルに引かれて読んでみました。

 

 著者が述べている中でも、特にアラカンの自分のいつも考えていることに近かったが、フィードバックをいかに受け入れるかです。

 

 すなわち、成長を促すことについては、自己肯定感が必要。と言う趣旨で、おもしろいエピソードが経験談が紹介されています。

 

 しかし、その一方で、年をとるごとにフィードバック、すなわち周りの人間からの自分に対する観察や指摘を人を受け入れなくため、それが成長を阻害してしまうとも言っています。

 

 中でも大学教授とか科学者いわゆる、「先生」についてその成長阻害リスクについて説明しているところが面白い、」

 

 引用してみましょう。

 

 「ところが、一般社会ではお金を稼がないと生きていけない。だから、たとえば商売をしようと言うことになる。本を書いて広く読んでもらって10万部売って、みんなで喜びましょう。そういう世界は全く想像がつかないわけですね。

 

 実社会からのフィードバックがないもんだから、ちがう場面ではちがう行動が必要な行動が必要なんだとか、ちがう領域ではちがう基準があるんだということに気がつかないんですよ。

 

 学校というのはやっぱり特殊な世界で、自分は先生、目の前にいるのは生徒、そういう関係が固定化してしまう。常に上から目線で行動している、そのため、自然と想像力の働く幅がせまくなっていくのです。

 

(中略)

 

 実は、社会に出てからが勝負なんです(注:原文では社会にのところから文字に傍点が入れられ強調されています)。大人になると、フィードバックがかからない人には誰も注意してくれなくなります。

 

 いかがでしょうか。

 

 自分はアラカンで英検1級1発合格できた後、その要因は何かと考えた時、少なくともまわりの同年代よりは「フィードバック」を受け入れることができていたからではないかと見ています。

 

 このあたりについては、過去にこんな↓記事を書いていますので、興味ある方はぜひご一読ください。

 

 

 また、アラフィフ、アラカンで英検1級など難しい試験になかなか通らない方は、英語の実力分析をして首をかしげるのも一つかもしれません。

 

 が、違う角度から敗因を分析する一手として、この「自分はバカかもしれないと思ったときに読む本」を開いてみることもおすすめしてみたいと思います。

 

 また、この本では、「英語を読む力があれば、さまざなま外国のサイトを見て回り、英語のできない多くの日本人が気が付かない、取得できない貴重な情報をひとり得ることができ、まわりから重宝される、といった趣旨の文章もあります。フツーの英語学習者を勇気づけてくれるところもあって、その意味でも楽しめます。

 

 以上、英語の参考書には載っていないかもしれませんが、

あなたの英語学習の参考になれば幸いに思います。

 ここでは、英検にこだわらず「ためになる英語」学習について手に入りやすい本の案内として説明をしていきます。

 

 

 

「姫様と紀貫之のおしゃべりしながら土佐日記」(大伴茫人著)です。初版は1999年です。

 

 なぜ、日本の古典を英検1級1発合格者の自分が取り上げるのか。

 

 それは、現代日本語についての鋭い指摘の一文が書かれていたからです。

 

 引用の前にお断りしておくと、この本は、土佐日記の少々変わった解説本ではあるのですが、「平安時代の貴族の姫と紀貫之の対話」というちょっと変わった形になっています。作者は京都大学の文学部仏教学科を出てその後、「独学で」古文に取り組み長く代ゼミの講師をしていた方です。

 

 では引用してみましょう。まず、姫の問いかけからはじまります。その次に紀貫之の言葉が出てきます。

 

「そうかな。長いから≪散文の方が偉そうに見えるけど」

 

「いやいや、≪散文≫が主になっている時代は芸術的にたいしたもんではありません。芸術でもっとも重要な≪美≫というものが凝縮しておりませんからな。ましてや、≪韻文≫を生めない言語なぞは美的には評価できません。『現代日本語』とやらがそのようですが」

 

「読者の時代の言葉ね。それが≪韻文≫にならないわけ?」

 

「まあ、なりにくいのですな。そもそも外国語を翻訳するためにできた半人造言語ですから、≪歌う≫ということに向いとらんのですよ。(以下略)」

 

 いかがでしょうか。

 

 たとえば英語にも、時代による変化はあります。英検1級でそれなりの単語力がある自分も、いざシェークスピアの「ハムレット」とかを英語で読むときは、難儀します。

 

 しかし、この筆者が紀貫之の口を借りて投げかけている、

 

「現代日本語は外国語を翻訳するためにできた半人造言語である」

 

 という指摘は、英語を勉強している方なら一度は噛み締める必要があるのではないでしょうか。

 

 現代日本語とは、まず二つの時点で大きく変わっています。

 

 ひとつは明治維新。いわゆる文明開化によって海外の文物を取り入れるときにさかんに新しい日本語を作りました。たとえば「哲学」などといった言葉は江戸時代以前にはなかったのです。

 

 また、書き言葉も、言文一致によりすっかり変わってしまい、江戸時代の候文(そうろうぶん)や漢語主体のやりとりもなくなってしまった。そして、英語やフランス語などの発音を全く無視して無造作にカタカナで言語を移植してしまった。

 

 すなわち伝統を踏まえながらの言語の変化ではなく、人の手によってつぎはぎだらけにされてしまい、体つきや顔つきが祖先のものとは全くといいほど変わってしまった言葉なのです、現代日本語は。

 

 ちょっと考えれば、そういったところ、つまりなんともいえない「不自然さ」とか「歪み」があることは思い当たるでしょう。

 

 そして戦後のアメリカ文化、アメリカ流思考の流入による変化もありました。

 

 合理的と言えば聞こえがいいものの、「結論を先に」とか「理由は箇条書きで」あたりの構造は、もともと日本語の中にあまり備わっていないものでした。

 

 自分もアメリカ人とメールでやりとりをしているときに、外国語の土俵で勝負させられていることへの不満を感じました。いやいや、よく目を凝らしてみるともっと大きな問題が潜んでいるのです。

 

 つまりいったん英語でのやりとりから離れて、たとえば英文が読めないわからない上司に自分の翻訳文を手渡すようなときにも、その翻訳文を構成している日本語そのものが、「外国語を翻訳するためにできた半人造言語」であるために、使い勝手が悪いのです。

 

 人造言語である分、和訳は日本語といえば日本語なのだけれども、「伝わりにくさ」や「届きにくさ」という歪みが出てきてしまっているのです。

 

 たとえば同時通訳で、テレビのスピーカーから聞かされる日本語和訳の不自然さを感じてしまうことはありませんか。

 

 もちろん、訳の上手下手の問題もあるかもしれません。が、実は日本語そのものが、英語に対応する単語や文章を見つけようとして見つけようとして、やはり見つけ切らない。「半人造言語」であるからかもしれないのです。

 

 少なくともネーティブではない日本人として外国語を勉強する方は、このあたりを今一度見つめ直してみた方がいいのではないでしょうか。

 

 そんな問題意識を強烈に自分の中に投げかけてくれた点で、この一冊は英検1級1発合格者を圧倒してくれたのでした。

 

 以上、英語の参考書には載っていないかもしれませんが、

あなたの英語学習の参考になれば幸いに思います。