ここでは、英検にこだわらず「ためになる英語」について説明をしていきます。
まずは、大人のバレエ教室とか、ゴルフ教室とか。およそ成人してからの習い事を思い浮かべてみてください。
その習い事を継続している生活の中で、先生や師匠にレッスンを受けているときだけしか、練習をしないということがあるでしょうか?
習った技術を家で復習するとか、指摘された欠点を直すためにゴルフスイング、素振りくらいはするでしょう。
ところが、英会話教室だけは、なぜかそうしない大人が多い。
とりあえず教室に行けば、どうにかしてくれる。
そんな無言の気圧が非常に強く空間を支配している感じがしてなりません。
しかも、相手が話を聞いてくれるという甘えが強すぎます。それでは、実戦(あえて実践とは書かない)に使えません。
なぜなら、言葉と言うものを使って「仲良く」することばかり(あくまでもばかり、だ)では、仕事に使えないではないではありませんか。
時には、相手の抵抗や異見にひるむことなく立ち向かい、こちらの言い分を認めさせることができなくては。
にもかかわらず、なぜ、未だにこの「仲良し」英語、「国際親善」英語とでもいうべき英語がいつまも、この世の中充満しているのか。百歩譲って、最初のうちはそれでもいいでょう。
しかし、大の大人がなぜ延々と「国際親善大使」英語を続けていられますでしょうか。
第二の違和感は、二人とも座って相対して会話するという設定に対してです。実際には、面接でもないかぎりあり得ません、こんな状況は。
これで外国人相手の会議やすれ違いといった時でも、間髪を入れずに発言できるでしょうか?
その結果、先生ばかりがしゃべることとなり、こちらはもっぱら「おーいえーす」の繰り返しではありませんか。
実はこの自分もほんの一時期、比較的大手の英会話教室に通っていたことがあります。が、上記の違和感から、3カ月程度で止め、その後は独学に切り替えました。
だいたい母国語ではないのだから、英語なんかで少々恥をかいてもいいではないですか。少しくらい失敗しても。
そんな、一種の厚かましさこそ、うまくなるためには欠かせないのです。
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