風の舞い--モノクロームの水彩画

裸婦デッサンや単純化を目指したイメージスケッチを楽しんでいます。

たまには純和風でやってみよう

まったくこれは、勝手にできた絵です。偶然の面白さを以前から言って居りますが、これは意図して描いたものではありません。

 

偶然による絵画

 

偶然による描画の面白さはデッサンだとかの類から離れられる面白さかも知れません。それでいて、じゃあまったくそれが必要ないかと言えば、そう言いきってしまって良いのか、これまた難しい問題です。

 

偶然による絵画

 

しかしながら絵は、楽しいと思えた時が幸せな時であって、そこを素直に楽しめば良いのじゃないでしょうか。

我が国には掛け軸と言うものがありまして、なかなかセンスの要るものだと思っていますが、縦横の比率の大きい絵を眺めるのに抵抗がありません。たまに描いた一葉を持ち寄って物好きたちで茶会を催すのも面白そうです。

これは、どうやって描かれているか、という点については秘密にして置きます。きっと、なーんだと思われます。先日の切り株もそんな一枚です。でも絵はそれで構わないのですね。過程をいくら自慢しても結局は描けたものでしかない。

私がこっち系に意識が傾いてきたのは、恐らくは巧稚から遠ざかる部分があるからだろうと思っています。と言っても絵は、完全にそこから切れるかどうかはちょっとわからない部分がありますね。世の中にはわざと稚拙に見せる巧者も存在しますからね。偶然も優れて賢明な者に味方する。ややこしいことです。

味方してもらえる程には到底なれませんが。

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ところで、あれあれ?知らなかったのですが、はてなはいつの間にか中央揃えができたのですか。なーんだ苦労することはなかったんだ。以前はできなかったですよね。編集デザインが変更されたときに変わったのかな。

なにはともあれ幸いなことです。

被害者に味方は付かない

樹木をガッシュで描く

絡んでくる話の続きを、もうついでだから書いちゃうのですがね、過去の経験で、絡んでくる人は一人を除いてみな女性だと前回書きました。これは、女性の方がその傾向にある--とかの意味ではありません。思うに、女性は男性に、男性は女性に絡みやすいのじゃないかですかね。

男が男に絡むとそこで正面切っての喧嘩になりかねません。だから大抵は用心する。一方男性が女性に絡むのは歓迎できない思惑があるかも知れません。つまり下心が多いのじゃないですか。しかし絡み屋というのは一種の病気みたいなもので、結局は絡みやすい相手に絡んでくるのです。日頃飢えているのでしょう。

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絡んでくる人にどう対処すればよいだろう

朽ち行く草

以前から、特にガッシュではこういうイメージばかり描いています。その辺の山や林に入ればどこにでもある朽ちた場所です。ちょっとばかり面白い展開がないものか飽きもせずやっています。もうちょっと細かい部分を乗せて整理すればどうにかなるかもしれません。しかしながら、なかなか、あっちをああやったらこっちをこうやりたくなったりと、どう描いても良いようなものなのに、難しいものです。毎度嘆息しています。

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野に切り株あり

 

偶然の面白さを絵に活かす

 

誰が切ったかポツンとひとつ切り株野にあり。あっはっは、なんとなく雪舟を追いかけている感じですが、いえいえ、そんな大それたこと…。これは半ば以上偶然の結果です。

偶然をうまーく活かしている人の絵はとても魅力的だと思います。その部分をどう研究するかですが、思うに、そこはむしろ徹底的に遊びに徹した方が面白いのじゃないでしょうか。そして長い経験でしか出てこないものがあります。

遊び--などと言ったら、その言葉の浅い部分にモロに絡む人が居るので表現がとても難しいのですが、大体のことは理解できると思います。遊びだからと言って、人は不真面目にやる訳ではありません。そうではなくて、遊びはむしろつまらぬ作為を飛ばしてしまうものがあります。その部分はとても重要だと考えます。

これは、全くの幼児の絵が時として魅力的に見えることと関連します。自分を勘違いして周りを教え始めた頃の人の絵が最もつまらない--これは一部の人の間でも囁かれている言葉です。それならいっそ100%未熟の方が面白い。不思議なものです。

ミミズがイトミミズを教え、己を龍と勘違いして蛇を誹る。絵だけではなくて、一般社会のどこにでも見られる光景ですが、人は誰でも未熟ですから、そこを越えて行ければ良いのですね。

私は越えられないまま枯れて行きます。もっとも、龍と勘違いする程ではないですけれど。

本日もありがとうございました。

路傍の樹

 

樹木を明暗のパターンとして描く

かなり昔(と言っても三四年)に描いたものを振り返っておりまして、これも単なるポスカラによる描画の練習ですが、今とはそれなりに違った描き方をしているのが見えて興味深いです。と同時に、変化はあるけど進歩があるかどうかまでは判断できないところが微妙ですね。ただ間違いなく言えるのは、描画の速度だけは上がってきたということでしょうか。

私は長い中断の後、絵を再開したのが精々数年前なので、そこが随分昔のように思えてちょっとばかり懐かしいです。時間の不思議というのを感じますね。

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枝朽ちる

 

朽ちた小枝をガッシュで描く

草絡み枝絡み関係の絵がもう一つありました。ムッフッフ、適当なタイトルを付けてますが 朽ちた小枝が折り重なった土手のような殺風景なところです。ガッシュでは絵の具にある程度の重みを要することなるので透明調の描き方とは全く雰囲気が違ってきます。描画法の性質から言ってもボケて滲んでの部分がほぼありません。

この違いを面白いと感じるか自分に合わないと感じるかは人それぞれですが、私などは割となんでも興味深さを感じる方なのであれこれとやっています。

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失敗した時には居直ろう--自分にしては上出来だ!

 

 

わざわざ失敗と言ったところで、現実には全部失敗みたいなもので、やっていることは永遠の練習です。だから頭の体操にもなるしボケ防止にもなり、また楽しい訳です。

勿論、ことが上手く運んだ場合はの喜びは格別です。どんな理由を付けても、余程のひねくれ者でもなければ、この部分を否定する何等の理由も見出せません。他人がどう言おうが、自分で手がかりがあれば良いのです。

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