シルバーバーチ霊訓集

                 

 

 誠心誠意、魂の底からの祈り、大霊の心と一体となり、「大霊の道具として有意義な存在でありたい」と願う心は、その波動そのものが、その人をして大霊の僕として、よりふさわしく、よりたくましくします。祈るということ、真実の自分を顕現すること、心を開くこと、これが背後霊との一体化を促進するのです。

 

 良い心がけが無駄に終わることは、地上に於いても此方の世界に於いても、絶対にありません。そのことを常に念頭に置いてください。真心から出た思念、行為、人のためという願いは、いつか、どこかで、誰かのために立ちます。そうした願いのあるところには必ず霊界から援助の手が差し向けられるからです。

 地上は今や全くの暗闇に覆われています。迷信と間違いと無知の靄が立ち込めております。大霊の意志が届けられる道具は極僅かしかいません。予言者の声は荒野に呼ばわる声の如く、誰も聞いてくれる人がいません。洞察力に富む彼らの開かれた未来像はかき消され、聖なる道具(霊媒)は追い出され、聖職者の悪智慧と既得の権力が生ける神の声と取って代わってしまいました。

(スピリチュアルリズムによる霊性進化の道しるべ p24)

 

 私たちは惨めさと取り越し苦労と自暴自棄の念を地上から追い払おうと努めているのですそれに代わって素朴な真理と理性の光、神からのインスピレーションと啓示、あまりにも長いあいだ押し潰され、もみ消され、押さえ込まれてきた霊の叡智をもたらすべく努力しているのです。

 私たちは人間の霊性を正しい視野のもとに置いて、霊的能力を引き出させ、幼稚な物質中心思想の間違いを曝いて、それに永遠の別れを告げさせたいと願っているのです。

 私たちは既得の権力というものは国家であろうと教会であろうと、民族であろうと階級であろうと一宗一派であろうと、そのすべてに反攻してまいります。すべての人間の自由を…………崇高にして深淵、そして純粋な意味に於ける自由をもたらしてあげたいのです。

(スピリチュアルリズムによる霊性進化の道しるべ p25)

 

 人間には大霊の御心のすべてを窺い知ることはできません。しかし大霊には人間の心の奥底まで覗き見ることができます。決して欺されることはありません。大霊の前ではすべての人間の秘密が素っ裸にされ、剥き出しにされます。自分を誤魔化していた人間も大霊だけは誤魔化せません。摂理というものがあり、これだけは裏を掻くことも無視することもできないからです。

(スピリチュアルリズムによる霊性進化の道しるべ p28)

 

 愛他主義と理想主義の精神がどれほど発揮されているでしょうか。それよりも利己主義の方が大手を振り物質中心の物の考え方が好き勝手に振る舞ってはいないでしょうか。

(スピリチュアルリズムによる霊性進化の道しるべ p34)

 

 どうか、ご自分を少しでも役立てることに努力してください。自分を役立てたいという願望で心を、精神を、そして魂を満たしてください。そうすれば、こちらで貴方のような人材を求めているスピリットを自動的に引き寄せます。その時点で貴方は、霊力が地上へ働きかける手段となることに成功したことになります。そして思いも掛けなかったほどの力量を発揮する仕事が授けられることになるかも知れません。が、いずれにせよ、楽な人生ではないことだけは覚悟して置いてください。

(スピリチュアルリズムによる霊性進化の道しるべ p34)

 

 私たち霊団の者は、自分自身のことは何一つ求めません。求めているのは、皆さんが物的な面だけでなく、精神と霊にかかわる面に於いても、心掛け一つで我がものとすることができる無限の恩沢に少しでも気付いてくれること、それのみです。計り知れない価値を持つ真理が皆さんを待ち受けているのです。

 利己主義・無知・既得権力…………これらが私たちの前途に立ちはだかる勢力です。そして、私たちはこれに真っ向から戦いを挑んでいるのです。徹底的に粉砕したいのです。魂を飢えさせ、そして身体を飢えさせる元凶であるこうした地上の悪の要素を取り除いて、その飢えを満たしてあげたいのです。

(スピリチュアルリズムによる霊性進化の道しるべ p36)

 

 俗世的なものはいずれ消滅するのです。束の間のものは、しょせん束の間の存在でしかありません。しかし、霊的実在は永遠です。移ろいやすい物的所有物を絶対と思い込んでいる人は、影を追い求めているようなものです。霊的真理を求めている人は、真に自分の所有者となるものを授かりつつある人です。自信を持って前進なさい。霊的知識…………大霊の宝石を探し求めなさい。

(スピリチュアルリズムによる霊性進化の道しるべ p37)

 

 他人のために祈ること、――――真摯な祈りは決して無駄になりません。思念は生きものだからです。

 

 私にとって宗教とは生き方そのものであって、

 

 守護霊は一人ですが、それを補佐する指導霊が何人かいます。

 守護霊は当人のカルマの解消や使命の成就のために、大所高所から配慮するのが本来の使命であり、そのためには病気や困難も敢えて体験させることもあることを知らなければならない。

 

 利己主義、私利私欲といった人世の暗部に属する勢力との絶え間ない戦いこそ、私たちの仕事です。偏見・迷信・間違い・嫉妬・貪欲・強欲…………私たちはこうしたものと戦っているのです。

(スピリチュアルリズムによる霊性進化の道しるべ p88)

 

 霊界との繋がりはすべて磁気的なもので、一度できたら、二度と切れることはありません。

おそれることなく、真実を語ることです。貴方は大霊の使いです。邪説を論破し、虚偽を暴きなさい。おそれることはありません。

 宗教とは、大霊に少しでも近づくような生き方をすることです。大霊の御心が貴方を通じて発現することです。宗教とはサービスです。

 良い行いをすれば、それだけ霊性が増します。利己的な行いをすれば、それだけ霊性が悪化します。それが自然の摂理であり、これだけはごまかすことができません。死の床にあっていくら懺悔の言葉を述べても、それで悪行がもたらす結果から逃れられるというものではありません。

 人のために役立つことをすれば、それだけ霊性が高まります。利己的なことをすれば、それだけ霊性が下がります。

 貴方の霊的宿命をよくするのも悪くするのも、あなた自身です。

 大霊の道具として常に最善を尽くしましょう。その努力の中で、私たちの働きの場が大霊のマントに包まれていること、そして私たち一人一人が温かき大霊の御胸に抱かれていることを実感いたしましょう。

 皆さまに大霊の祝福のあらんことを

 わたしたちはあくまでも“人のため”という宗教を説きます。

(スピリチュアルリズムによる霊性進化の道しるべ p94)

 

 わたしにとってはたった一つしかありません。大霊の子に奉仕することによって大霊に奉仕することです。

(スピリチュアルリズムによる霊性進化の道しるべ p95)

 

 真の宗教は大霊の子に奉仕することによって大霊に奉仕することです。それには教会も司祭も牧師も聖なる書もーーそれによって奉仕の精神が植え付けられ同胞への愛を一段と強くすることにならない限りーー必要ではありません。いつ何処にいても人のために役立つことを心掛けることです。同胞の荷を分かち合うのです。それが宗教です。

 何度聞かれても、私は皆さんの多くが直感的に、ないしは理性と論理を通して理解しておられる、こうした単純な真理を繰り返すしかありません。私は(三千年前に地上を去って以来)これまでに霊界の高い階層で学んできた真理をお届けしているのです。全ての住民が実在を目の当たりにし、原因と結果の関係が瞬時にして解り、他の存在のために自分を役立てることが多い人ほど高級とされる、そういう世界からお届けしているのです。 

 そこでは地上で通用した仮面や偽装の全てが剥ぎ取られ、魂の正体が素っ裸にされ、長所と短所とが全ての人に知れてしまうのです。真価が知れてしまい、虚偽が存在せず、不公平が見当たらない世界、そういう世界から私は来ているのです。貧乏人もいません。金持ちもいません。居るのは霊的に貧しい人と、霊的に豊かな人だけです。強者も弱者もいません。居るのは魂が強靱な人と、魂が虚弱な人だけです。

 地上世界で有り難がられ崇められていたもの全てが過去の塵と成り果てた後は、永遠の霊的実在だけが残り続けるのです。

(スピリチュアルリズムによる霊性進化の道しるべ p117)

 

 自分も宗教へ帰れという呼び掛けはするが、それは萎びはてた教義や仰々しい儀式の宗教のことではなく、“人のため”の宗教へ帰れということだと説いてから、(スピリチュアルリズムによる霊性進化の道しるべ p118)

 

「教義による束縛は地上世界の苦痛の種の一つです。伝染病や不健康より厄介です。病気による身体上の苦痛より遥かにタチが悪いものです。何故なら、それは魂の病気だからです。霊に目隠しをしてしまうのです。

 にもかかわらず、大霊の息のかかった英知が無限にあるというのに人間の浅智慧がこしらえた教義にしがみつこうとする人がいます。牢の中にいた方が楽だと思う人がいるものなのです。自由とは、その有り難さが分かった者のみが手にするものです。

 その教義の足枷から逃れることのできた貴方は感謝すべきです。そして、その喜びをもって、今度は、一人でも多くの人を自由にしてあげるように努力なさるべきです」(スピリチュアルリズムによる霊性進化の道しるべ p135)

 

 教義というものは例外なく魂にとって足枷となるのです。人間は教義のお陰で立派になるのではありません。教義を無視しても立派になれるのです。教義の名のもとに同胞を殺し、教義の名のもとに同胞を焼き殺した歴史があります。魂を縛るもの、魂を閉じ込めるもの、その自由な発想を妨げるものは全て一掃しなくてはいけません。(スピリチュアルリズムによる霊性進化の道しるべ p148)

 

 なおも納得しないその質問者は、ハンセン病患者の施設を見舞う牧師の話を持ち出した。するとシルバーバーチが……

「その人たちは教義に動かされて行くのではありません。魂がそうしてあげたいと望むから行くのです。宗教とは教義を超えたものです。教義は宗教ではありません」(スピリチュアルリズムによる霊性進化の道しるべ p148)

 

 私は“行為”を要求しているのです。人に役立つことをしてほしいのです。弱者を元気づけることをしてほしいのです。病気の人を癒してあげてほしいのです。喪の悲しみの中にいる人を慰めてあげてほしいのです。住む家もない人に宿を貸してあげてほしいのです。地上世界の恥ともいうべき動物への虐待行為を止めさせてほしいのです。

 平和は互助の精神からしか生まれません。すべての人が奉仕的精神を抱くようになるまでは、そしてそれを実行するようになるまでは、平和は訪れません。(スピリチュアルリズムによる霊性進化の道しるべ p179)

 

 生きるということはお互いがお互いのために役立つことです。(スピリチュアルリズムによる霊性進化の道しるべ p247)

 

 宇宙を支配する全能なる神に何故身を委ねないのです。あらゆる恐怖心、あらゆる心配の念を捨て去って神の御胸に飛び込むのです。

 神の心を我が心とするのです。心の奥を平静に、そして穏やかに保ち、しかも自信を持って生きることです。そうすれば自然に神の心があなたを通して発揮されます。愛の心と英知を持って臨めば、何事も成就します。聞く耳を持つ者のみが神の御声を聞くことができるのです。愛がすべての根源です。愛――人間的愛――はそのほんのささやかな表現にすぎませんが、愛こそ神の摂理の遂行者です。(一巻、p60)

 

 霊的知識に恵まれた者は決して首をうなだれることなく、脇目も振らず前向きに進めるようでなくてはなりません。

 守護霊は決して見捨てないことをご存知のはずです。人間が神に背を向けることはあっても、神は決して人間に背を向けることはありません。

 無限の可能性を秘めたこの大宇宙の摂理と調和した生活を営んでさえいれば、必要な援助は必ず授かります。(一巻、p75)

 

 自分が決して一人ぼっちの見捨てられた存在ではなく、無限の愛の手に囲まれているという霊的事実に目覚めることができたら、

(一巻、p106)

 

 他人のために施した善意は決して消えません。何故なら善意を施す行為に携わることによって霊的成長が得られるからです。博愛と情愛と献身から生まれた行為はその人の性格を増強し魂に消えることのない印象を刻み込んでいきます。

 世間の賞賛はどうでも宜しい。人気というものは容易に手に入り容易に失われるものです。が、もしもあなたが他人のために自分なりにできるだけのことをしてあげたいという確信を心の奥に感じることができたら、あなたはまさに、あなたなりの能力の限りを開発したのであり、最善を尽くしたことになります。言い換えれば、普遍の霊的実相の証を提供するためにあなた方を使用する高級霊と協力する資格を身につけたことになるのです。これは実に偉大で重大な仕事です。手の及ぶ範囲の人に、この世に存在する目的つまり何のために地上に生まれて来たのかを悟り、地上を去るまでに何をなすべきかを知ってもらうために、真理と知識と叡智と理解を広める仕事に協力していることになります。

 肝心なことはそれを人生においてどう体現していくかです。心が豊かになるだけではいけません。

 個人的満足を得るだけで終わってはいけません。こんどはそれを他人と分かち合う義務が生じます。分かち合うことによって霊的に成長していくのです。それが神の摂理です。つまり霊的成長は他人から与えられるものではないということです。自分で成長していくのです。

 自分を改造するのはあくまで自分であって、他人によって改造されるものではなく、他人を改造することもできないのです。霊的成長にも摂理があり、魂に受け入れる備えが整って初めて受け入れられます。

 私どもは改宗を求める宣教師ではありません。真の複音、霊的実在についての良い知らせをおもちしているだけです。それを本当に良い知らせであると想って下さるのは、魂にそれを受け入れる備えのできた方だけです。良さの分からない人は霊的にまだ備えが出来ていないということです。(「シルバーバーチの霊訓」一巻、p117-118)

 

 我欲を捨て他人のために自分を犠牲にすればするほど内部の神性がより大きく発揮され、あなたの存在の目的を成就し始めることになります。(「シルバーバーチの霊訓」一巻、p145)

 

 愛は血縁に勝ります。愛は死を乗り越えます。愛は永遠不易のエネルギーです。それが宇宙を支配しているのです。神の意図によって結び合ったものは生涯離れることなく、死後も離れることはありません。墓には愛を切断する力はありません。愛はすべてのものに勝ります。なぜなら、それは宇宙の大霊すなわち神の一表現だからです。そして神の統一体としての一部を構成するものは永遠にして不滅です。(「シルバーバーチの霊訓」一巻、p151)

 

 人のために自分を役立てなさい。(「シルバーバーチの霊訓」四巻、p5)

 

 人のために、ひたすら人のために、(「シルバーバーチの霊訓」四巻、p100)

 

 私たちは悲しみに暮れる人々、人生に疲れた人々、病める人々、困窮せる人々、肉親を失ったまま慰めを得られずにいる人々、いずこに導きと英知を求めるべきか知らずにいる人々に近づき、貴方がその人々を決してお見捨てでないことを教えてあげたいと願っているものでございます。

 私たちの使命は地上のすべての地域とその住民に一切の分け隔て無く行き渡っております。貴方の霊は人間界の隅々まで流れ、雄大なる宇宙のあらゆる現象に現れ、意識的存在のすべてに顕現されていると認識する故にございます。(「シルバーバーチの霊訓」四巻、p224)

 

 

 私たちの説く複音は相互扶助、協調、寛容、思いやりの複音です。お互いがお互いのために自分を役立てるようになっていただきたい。そうすることによって持てるものが持たざるものにいくらかでも譲り、豊かな才能に恵まれた者がそれを活用して暗闇の仲にいる者を啓発してあげることになるからです。」(「シルバーバーチの霊訓」四巻、p225)

 

 私たちの教えの根本はサービス(他人のために何かをしてあげること)の一語に尽きます。地上の悪癖の一つである利己主義に対して、私たちは永遠の宣戦を布告しております。戦争、流血、混乱、破壊へと導くところの物質万能主義を打ち砕かんと努力しております。

 私たちの説く福音は相互扶助、協調、寛容、思いやりの福音です。お互いがお互いのために自分を役立てるようになって頂きたい。(「シルバーバーチの霊訓」四巻、p225)

 

 人間の一人一人が同じ全体の一部であり、人類のすべてに神の霊が流れているーーその意味に於いて万民が神のもとに於いて平等である(「シルバーバーチの霊訓」四巻、p226)

 

 教説はどうでも宜しい、人のためになることをすれば、それで立派な宗教です。(「シルバーバーチの霊訓」四巻、p229)

 

 安楽死の決定権はもともと医師などに与えるべきものではないのです。現実の事実を直視してみてください。大半の医師の物の見方は唯物的です。その医学的知識は人間が身体のほかに精神と霊とから成っていることを認識していない唯物思想を基礎としています。少なくとも医学界に於いては人間は脳を中枢とする身体、それに多分ある種の精神的なものをも具えた物質的存在であり、霊というものについての認識はゼロに等しいのです。そうした、人世でもっとも大切なことについて全く無知な人達に、そのような生死に関わる決定権がどうして預けられましょうか。(「シルバーバーチの霊訓」八巻、p142)

 

 人間世界の不幸の原因は物質万能主義、つまりは欲望と利己主義が支配していることにあります。我欲を愛他主義と置き換えないといけません。利己主義を自己犠牲と置き換えないといけません。恵まれた人が恵まれない人に手を差しのべるような社会にしないといけません。それが究極的に今より大きな平和、協調性、思い遣りの心を招来する道です。(「シルバーバーチの霊訓」八巻、p162)

 

 神の教えではなく、人間が勝手にこしらえた教説が無抵抗の未熟な精神に植えつけられます。それが成人後オウムのごとく繰り返されていくうちに潜在意識の組織の一部となってしまうケースが余りにも多いのです。それが本当は計り知れない恩恵をもたらすはずの霊的真理を受け入れ難くしております。

 地上生活にとって呪いともいうべきものの一つは無意味な神学的教説が着々と広まったことだったと断言して決して間違っていないと私は考えます。それが統一ではなく分裂の原因となり、お互いの霊的本性の共通性の認識のもとに一体ならしめる基盤とならずに、流血と暴力と抗争と戦争そして分裂へと導いていきました。(「シルバーバーチの霊訓」八巻、p172)

 

 イエスに対する最大の貢献はイエスを模範と仰ぐ人々がその教えの通りに生きることです。他人のために自分ができるだけ役に立つような生活を送ることです。内在する霊的能力を開発して、悲しむ人々を慰め、病の人を癒し、懐疑と当惑の念に苦しまれている人々に確信を与え、助けを必要としている人すべてに手を差しのべてあげることです。(「シルバーバーチの霊訓」九巻、p147)

 

 人のためになることをするーーこれが一番大切です。(九巻、p148)

 

 儀式よりも生活の方が大切です。宗教とは儀式ではありません。人のために役立つことをすることです。

 儀式という儀式を全部欠席なさっても構いません。それでもなお貴方には、気高い奉仕の生活を送れば立派に“宗教的”で有りうるのです。(九巻、p148)

 

 自分を忘れて奉仕の生活に徹し、転んだ人を起こしてあげ、不正を駆逐し、自らの生活ぶりによって神性を受け継ぐものとしてふさわしい人物であることを証明すべく努力する、ということです。(九巻、p152)

 

 過去はもう過ぎ去ったのです。これまでに犯した間違いはお忘れになることです。皆さんは間違いを犯し、それから学ぶために地上へやってきたようなものです。過ぎ去ったことは忘れることです。大切なのは今現在です。今、人のためになることをすることです。大切なのは今現在です。今、人のためになることをするのです。どんな形でも宜しい。自分の置かれた物的環境条件から考えて無理でない範囲のことを行えば宜しい。先のことを余り考えすぎてはいけません。皆さんが皆さんの役目を果たしていれば、私たちは私たちの役目を果たします。そうした協調関係の仲では絶対に挫折はないことをお約束します。(九巻、p193)

 

 宗教とは同胞に奉仕することによって互いの親である神に奉仕することです。本来の宗教は地上の世俗的概念とはほとんど何の関係もありません。人間の魂に内在する神性を地上生活において発揮させるものでなければなりません。自分と神との繋がり、そして自分と同胞との繋がりを大きくするものでなければなりません。自分一人の世界に閉じ籠もらずに広く同胞のために自分を役立てるように導くものでなければなりません。宗教とは人のために自分を役立てることであり、自分を役立てることがすなわち宗教です。

 

 そのほかのこととは何の関わりもありません。肉体が朽ちてしまえば、それまで長いあいだ後生大事にしていたもの、そのために争うことまでした教義のすべてが空虚で無価値で無意味で無目的なものであったことを知ります。魂の成長を微塵も助長していないからです。魂の成長は自分を役立てることによってのみ促進されるものです。他人のために自分を忘れているうちに魂がその大きさと力を増すものだからです。

……

……はては家族間にも無用の対立関係を生みました。論争の原因ともなっております。分裂と不和を助長することばかりを行ってきました。神の子等を一つに結びつけることに失敗しております。私が宗教的建造物や俗にいう宗教に価値を認めない理由はそこにあります。主義・主張はどうでもよいのです。大切なのは何を為すかです。

(九巻、p216~217)

 

 宗教についての真実を申せば、真理のすべてを説いている宗教などあり得ないということです。どの宗教も、真理の光のほんの一条しか見ておりません。しかも悲しいかな、その一条の光すら長い年月のうちに歪められ、狂信者によってねつ造されております。

 子供には宗教とは人のために自分を役立てることであること、ややこしい教義に囚われることなく、真面目で無欲の生活を送り、自分が生活している社会のために尽くすことであること、それが神に対して忠実に生きるという意味であることを教えてやらねばなりません。(九巻、p220)

 

私が説いているのは”人のために”という福音です。人のために惜しみなく自分を役立てなさいと言っているのです。そうするとあなたがこの世に存在したことによって世の中が豊かになるわけです。簡単なことなのです。改めて説くのもおかしいくらい当たり前のことなのです。ですが、やはり真実です。

()

自分を人のために役立てること、それが宗教です。あなたの住むその世界のために役立てるのです。世の中を明るくするために役立てるのです。人の心を思いやり、やさしくいたわり、気持ちを察してあげなさい。しかし同時に、邪悪なものに対しては敢然と闘って下さい。

()

自信を持つのです。道はきっと開けるという確信を持つのです。いつの日か、それが苦い体験だったおかげで精神的にも霊的にも成長したのだから悔いはない、と言える日が来るでしょう。

()

元気を出してください。くよくよしてはいけません。取り越し苦労はやめてください。心配しても何にもなりません。心配の念は霊界から届けられる援助の通路を塞ぎます。

()

人間が必死に求めようとする地位や財産や権威や権力は、死とともに消えてなくなるのです。しかし、他人のために施した善意は決して消えません。なぜなら、善意を施す行為にたずさわることによって霊的成長が得られるからです。

()

闘争もなく、反抗もなく、困難もなく、難問もないようでは、霊は成長しません。進化しません。奮闘努力が最高の資質、最良の資質、最大の資質、最も深淵にある資質を掘り起こすのです。

()

敵は心配の念だけです。心配と不安、これはぜひとも克服すべき敵です。日々生じる用事の一つ一つにきちんと取り組むことです。するとそれを片付けていく力を授かります。

()

来る日も来る日もこの世的な雑用に追いまくられていると、背後霊の働きがいかに身近なものであるかを実感することは困難でしょう。しかし事実、常に周りに存在しているのです。あなた一人ぼっちでいることは決してありません。

()

問:あなたは誰かを、あるいは何かを憎むということがありますか。答:私は誰も憎みません。憎むことができないのです。なぜなら私は神の子のすべてに神性を認めるからです。神性が全く発揮できずにいる人、あるいはほんの僅かしか発揮できずにいる人を見て、いつも気の毒に思うからです。

()

宇宙を創造した大霊は愛に満ちた存在です。私たち一人ひとりを創造してくださったその愛の力を信頼し、すべてのことはなるべくしてそうなっているのだということを知らなくてはいけません。今は理解できないことも、そのうち明らかになる機会が訪れます。

()

感情が錯乱している状態では、私たち(霊)も何の手出しもできません。受容性、受身の姿勢、これが私たちがあなたに近づくための必須の条件です。

()

困難と悲しみを通してはじめて魂は自我を見出していくのです。もちろんそれは容易なことではありません。とても辛いことです。でもそれが霊としての永遠の身支度をすることになるのです。

()