巷では花見の頃合いなれど、やおら盆踊りを話題にのぼせようとは…。例によって録画でもって周回遅れでEテレ『古典芸能への招待』を見ておりますときに、ふとした気付き(?)が降ってきたものですので。

 

番組後半の歌舞伎舞踊『太刀盗人』で田舎者万兵衛(片岡愛之助)の踊りを見ていて、「ああ、盆踊りの振付って…」と思い至ったのですけれど、もちろん片岡愛之助の踊るさまが盆踊りのようとかいうふうに言っているのでなくして、たまたま見ているときに「盆踊りも舞踊だったのだねえ」と思ったという次第なのでありますよ。

 

全くもって何を今さら…的な思い付きですけれど、盆踊りと言って思い出すのは小学生の頃の夏休みくらいなものですのでね。民俗的な文化・伝統というのが(言葉の共通語化と同様に?)薄まってしまって、影も形も内容な東京の団地にあっても、かつては日本の夏につきもののイベントとして盆踊り大会が催され、たくさんの人が踊りの輪に加わっていたのですな。小学生の子供としては、むしろ露店での買い食いの方こそが楽しみであったように思うところながら、それでも見様見真似の振りで踊りの輪に加わったりもしたものです。

 

定番曲としては「東京音頭」、「炭坑節」、そして子ども向け曲としてあったのが「オバQ音頭」であったかと。いつしか「東京音頭」は「大東京音頭」に代わり、「オバQ音頭」も「アラレちゃん音頭」に定番の座を譲り渡りしていったりもしたわけですが、個人としても小学生から中学生へと成長し、さらに大きくなっていく段階ではだんだんと「盆踊り」のイベントはただただうるさくて「テレビも見てられやしない」という存在に(会場になる団地の中央広場が目の前だったももので)。

 

ですので、盆踊りに思い出すのは小学生の頃となるのですけれど、その頃に踊りの輪に加わると言って振付は周りの大人(の上手そうな人)を見てなんとなくそれらしく腕を振り回していただけだったと思うわけです。つまり、盆踊りをやるといって振付を教えてくれる人も教えてくれる機会も無かったのですよね。これが、地域の伝統に根差した踊りになりますと、形をきっちり伝承するためとして保存会のようなものが後進の指導にあたって、踊りの、振付の意味なども伝授されたりするのでありましょう。

 

さりながら、東京のといって、東京だけではないと思いますが、夏の町内イベントとして開催される盆踊りに特段の背景はありませんから、人寄せの機会でしかなく、もちろんそこには親睦の意味があったのだとはなるにせよ、守るべき伝統といたものは皆無。となれば、個人的にもだんだんと近寄ることもなくなった盆踊りなるイベントが、どうでしょう、全く開催されなくなったとはいいませんですが、かつて(思い浮かべているのは昭和40年代くらいまでのところ)となり合わせたどこの町内でも開催されていたものが、そこまでの勢威は無くなっておるのではなかろうかと。

 

そんなふうに振り返ってみますと、小学生の頃に見様見真似で踊った盆踊りの振付に思いを馳せるなどということも全く無かったわけですが、このほど見ていた歌舞伎舞踊の一瞬の振りでもって、盆踊りのあの振付は実はこういうふうに踊られるものだったのだあねと、しみじみ感じた次第なのでありますよ。そんなふうに気付いてみると、思い出せる限りの盆撮りの振付(まさに昔取った杵柄というやつで)を、舞踊ふうな手の振りでやってみると、「おお、いい形だ!」などと自ら感じ入ったりも。春の昼間に(自宅内でとはいえ)やおら盆踊りの手の振りややってみている自分には、苦笑を禁じえないところでもありますけれどね(笑)。

 

おそらく、といって分かりませんけれど、単なる町内の盆踊りにもせよ、そもそも盆踊りとは?とか、振付はこういうものでどういうことを表していて…とかが受け継がれていっていたとしたら、ある時期までの盛り上がりでは終わらないものになっていったのかも。また、盆踊りの振付をきっかけにして、日本舞踊や古典芸能への興味がいくらかでも喚起されることに繋がっていったしたのかも。

 

歳を重ねるごとに何につけ懐古的になってきておるなとは思うところながら、盆踊りの賑わいが懐かしいというのではなくして、あの!盆踊りもまた日本の古典芸能と繋がるものだったのであるか…ということを、何十年も経って思い至ることに一抹の忸怩さを感じたという次第なのでありました。